2022年1月30日日曜日

バングラデッシ Ashuganji Urea(尿素肥料)工場建設工事での思い出。

 僕が30代初めのある日、僕を苛めまくっていた課長が僕を呼び、「うちで受注したバングラデッシの肥料設備の据付指導の責任者に、新居浜の鉄工課の馬場洋一郎君を予定していたが、彼が、イラクの設備の指導員として行くことになったので、事業部長が君を代わりに行かせろと言っている・・・」と、言葉の最後をかなり残して言った。
事業部長の命令と言っているのだが、その課長の本心が、「事業部長の命令だから仕方が無い」、と言うことなのか、それとも、「事業部長の命令とは言え、お前自身の意思で、断って欲しい」と言っているのかが判らなかった。
そもそもその案件について、僕は全く関与していないので、いかなる立場で行くのかも判らないし、更には、設計者の僕、しかも海外経験が全くない僕が、加えて、設計者たる僕が、なぜ据付の指導員、それも、据付の指導責任者なのか、とも思ったが、事業部長が命令するのだから、それだけの配慮があって命令するのだろうと、「判りました」と返事した。
が、その後の経過からすると、事業部長は単に馬場君をイラクに送りたいが故に、僕をダシにしたに過ぎなかったようだ。ただそれだからと、論理的に(つまり、客先が据付指導員を要求しているのに、設計者を派遣するのはおかしいとの)出張を拒否すれば、ことの正否は関係なく、要領の悪い僕はまずい立場になったと想定できる。
会社組織としてはかなり非論理的で無謀な命令だ、とも思ったが、その出来事の前に、自分で受注した住金鹿島の第3焼結の現場で、これは設計者として、それもプロマネをしていたが、現地で死亡事故が起こり、現場の補助として派遣されたが、実際には部分的に現場も受け持って従事した経験があり、バングラデッシの案件は設備的には大した規模ではないので、なんとかなるだろうと考えた。
しかし、その後判ったのだが、バングラデッシ案件の据付指導員とは、物品はFOBで納入され、その時点で売り上げは完了していて、現地での据付は客先が行い、彼等がわが社に発注するのは、据付指導のエキスパート派遣だけの契約だった。契約書の中には、据付指導員の能力が彼等の期待に沿わねばネグレクトするとまで書いてあった。こりゃ、僕では役不足の可能性が大きいな、と思ったが、後の祭りであった。
そもそも我が事業部は、現地試運転までの契約が多く、FOBで契約を終了して、その後に据付指導員の契約をする、なんて契約についての経験がほぼ無いので、事業部も海外営業部も、その差についての認識がほぼないことが、その案件での経過で判った。
客先も恐らく、据付のエキスパートに1日数万円の金を払うのだが、なぜ設計者をも、それも、設計者を指導の責任者として派遣するのだろうかと戸惑ったに違いない。この頓珍漢な感覚の違いが、その後、僕と海外営業部や事業部側との連携に食い違いが起こり、それは、仕事を終える迄どころか、仕事が終わってからも続いた。
海外営業との連携については、海外営業部長は、事業部が有能な馬場君に代り、据付素人と思える僕を派遣することに、非常に怒っていて、僕が初めて現地に出向するのに、英語も話せないことを知りながら、営業員を付けようとはせず、それどころか、仕事の進展に伴って、僕を援護するどころか僕に対する不満を事業部に言い続け、それは、据付指導が終えてから、試運転後に客先から据付完了証明を発行してもらって帰国したにも拘わらず続き、更に保証期間が終わってからも、僕の据付指導への猜疑心を持ち続け、会うたびに反感を露わに示し、それは、僕が東京に転勤してからも続いた。

海外営業部の営業員が現地を訪れたのは、据付工事が後半になった頃で、僕には何の力にもならなかった。訪れた営業員は、僕が客先への提出文書にサインと共に、冗談半分でハンコをおしているのを見て、海外ではハンコはつかいませんよ、とアドバイスをして帰っていった。海外営業部長は据付指導を無事に終えた頃に現地を突然訪問してきたのだが、その現地で据付工事を請け負っている工事会社が順番にパーティを開催するのに遭遇して、僕に「我が社もパーティをやったらどうか?」と提案した。しかし、僕の管轄する費用は、あくまで指導員派遣のみの製番、つまり、僕を含めた据付指導員の日銭だけであり、現地に滞在する据付業者のように巨額の据付費を管轄するわけでもなく、僕ではパーテイの費用を工面する権限も予算もない。返事のしようがなく黙っていたら、それ以上の要請はなかった。
更に、日本に帰ってから、設備を設計した設計者が、「現地出張の準備も全部していたんですよ」と、現地に呼んでほしかったとの雰囲気で僕に言った。
だが、設計者の僕が現地に居て、日本の設計者に応援を頼むなんて奇妙で、面子上も出来ないし、それに、設計者の現地出向費を、僕の管轄する指導員派遣製番内の費用でまかなうなんて出来ない。つまり、彼が現地に出張するには、元のFOB費用内で処理せざるを得ず、それは僕の管轄範囲外であり、その決定は日本国内側、つまり課長やFOB案件のプロマネ、つまりは彼の上司にあったのだ。
初めから終わりまで、現地と日本国内の認識がずれたままの案件であった。

据付指導員だけの製番ではあったが、現地での客先との交渉は僕がせざるをえず、納入品の不良等の改良費も僕の管轄費用内で処理した。が、それでも、僕の管轄範囲内で2000万円もの利益が上がったのだが、通常の工事を含めた製番と比較すると、利益の額としては小さく誰も褒めてくれる人は居なかった。が、ただ、僕への課長の苛めはこの仕事を無事に終えるとともに終わってしまった。
加えて、現地ではホスターウイーラーの作業時間との関係で、僕や僕の部下には、かなりの残業費が発生したのだが、当時は、イラクの案件、それに、シベリアの案件が大赤字だったので、事業部側の管理部長の判断で、僕らの残業費は半分を召し上げられ、それらの赤字に回されてしまった。それどころか、僕の上げた利益さえも、それらの赤字案件への補填に使われて、経理上では事業部外には利益が計上されることもなかっただろう。

ところで、僕は、僕の携わる製番については、定期的に経理から、製番別支出一覧出力を常に手に入れて、製番の損益状況は常に把握することにしていた。その結果、僕の部下として一緒に出張した現場員の出張費が僕の出張費より多い、なんて馬鹿げた状況を見出だした。出張費を担当する総務に問い合わせると、新居浜の総務からデータを入手するとのことであったが、新居浜の総務はそれを拒否したとのことでうやむやになってしまった。要するに新居浜から出張した社員の出張手当は、新居浜以外の部署からの、しかも、職階の上級者の手当より多いってことですな。各製番の損益をカバーし合うのはまだ良いとしても、各個人への出張手当の不公平までも誤魔化すって、新居浜内の仲間意識が不愉快であったが、それが新居浜だろうとあきらめた。


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