2025年10月19日日曜日

晩秋が一気に衰えた事、僕の健康にも赤色信号がともったこと、それに、詐欺電話もどきや無言電話や、母親への思いなど。

 もともと、関東は暑さ寒さの変化が激しく、冬の後の心地よい春や、夏の後の心地よい秋の期間が関西に比べてとても短い。昨年くらいから、その傾向がいよいよ激しくなったようだ。つまり、暑い夏が長く、あっという間に、春から夏へ、夏から晩秋に変わるようだ。ナスやピーマンは暑い夏が好きで、最近まで


実に多くの実をつけていたが、ここ2~3日で衰えが激しくなり、あっという間にもう、整理すべき時となった。
気候の変化はまだしも、僕の血液検査の結果もあっと言う間に悪くなったようだ。血糖値や腎臓機能数値が、境界値ぎりぎりになり、特に血圧が、秋には130近くで冬季には更に上がる。寝起きの血圧が特に高い。そこで、今年は冬に備えて、寝起きから1時間ほどの高速散歩を続けている。
実は、夏の間は、暑くてその高速散歩をサボっていたのだが、先日の市の検診で、間質性肺炎が疑われ、八千代市医療センターでのCT撮影で確定してしまった。要するに肺機能の衰えだろうと、一気に、高速散歩を再開した。高速散歩を1時間したが、特に体力の衰えは感じなかったと言うか、さらに元気になったと思えた。が、余りに急激に再開したせいで、左側の鼠径部が鼠径ヘルニアを発症した。そんなわけで、高血圧症候、血糖値及び腎臓病予備軍、更に、鼠経ヘルニア・間質性肺炎と、一気に、いろんな病を抱えてしまった。なお、CT検査結果の画像診断には、陳旧性肉芽腫を疑うとか、肝内石灰化、食道裂孔ヘルニア、大腸の便塊貯留等と、聞きなれない文字が並んでいる。このCT検査の結果については、まるやま内科の先生と話し合う。
その中で、間質性肺炎は要するに老化ってことだろうと諦め、出来るだけ運動に励み大きく呼吸をして、血糖値、腎臓機能については、運動と食事ってことで対応する以外に方法はなさそうだ。今後の暑い夏にも運動できるような態勢を作らないと駄目なようだ。健康センターに行くのは金がかかるし、プール歩きは、背骨が弱くなるようだし、要するに、暑くなる時間前に歩くことだろう。
鼠経ヘルニアについては、手術以外に直す方法が無いらしいが、手術が嫌なので、当分は、ヘルニアバンドで対応し、運動の結果の経過を見る積もりだ。
先週は、そんなことがあってドタバタしたので、昨日の電話でしくじってしまった。
以前は、常に留守電モードにしていたのだが、忙しさに紛れて通常モードにしていた。電話が鳴り、受話器を挙げると、「郵便物の誤配のご連絡です。ダイヤル1を押して下さい」と来た。いつもなら、無視して切ってしまうのだが、その時は、amazonからの品物(鼠経ヘルニアバンド)の到着が遅れているので、つい、ダイヤル1を押した。すると、若い女性の声で、「福岡局です」と来た。余りに遠い局なので、驚いて、更に応答を続けてしまった。恐らく、遠い局を示すことで、相手の思考力を萎えさすことが目的なのだろう。「川上由紀子さんあての郵便物のことです」と言われて、川上由紀子さんってなんとなく知り合いにいたなぁ、などと思ってしまった。その後、巧妙に誘導されて、何と、自分の住所、氏名、年齢、固定電話番号を教えてしまった。女性は、「調べて連絡します」と言って電話を切ったのだが、今になっても連絡はない。詐欺に間違いないだろう。でもまあ、次に、どんな手でくるのか楽しみにするしかない。

更に、続いて電話があり、福岡局の女性からの電話かと取ってしまったが、今度は無言電話であった。
それも、こちらの様子を窺う不気味で長い無言電話だ。
実は、かなり以前にも同様の固定電話が、2~3か月に一回程度は掛かってきていたのだが、それが下の兄からだろうと想像をここに書いたら、かかってこなくなったのだ。
下の兄は、パソコンが得意でなく、しかも僕に不義理を働いたので、僕の様子をみるべく無言電話で僕の生死、健康状態の確認に無言電話するのだろうと、書いたのだが、それからは、掛かってこなくなった。
恐らく、同様に僕に不義理を働いた甥が、彼はパソコンやスマホが得意の筈だから、しかも、二人はほぼ共謀して不義理を働いた仲間同士で、その甥が下の兄貴に無言電話はよせっと注意したのだろうと推測する。それで、二人とも、僕のブログを監視している筈だと思う。ところが、かなり長期にわたり、僕のブログの記載が途絶えたので、二人のいずれかが無言電話で僕の様子を探ったものと思う。
かように不気味な電話が2度もつづいたので、早速、固定電話は留守電モードとした。

今日届いた鼠経ヘルニアパッドは700円だったが、とても調子が良い。
それに、健康に関しての追記としては、眼科医から、ほぼ脅迫に近い言い方で、白内障手術をするようにと言われている。

ところで、父母からの遺産としては、僕は、父母の金銭は全く相続されず、ほぼ全てを姉が相続というか、使い切ったとの主張し、残った不動産だけを、それも、動産は使い切ったと主張する姉と、下の兄と僕との1/3で受取った。で、不動産業者との取引打ち合わせで、姉の代理で甥が出席して、なんと驚くべきことに、甥は、姉の相続分の1/3を自分の口座に入金させたのだ。父母の遺産相続は必ずや税務署が注視していて、適法に処理していた僕にさえも厳しい対応だったから、その後はどうなったか、興味があるところだが、それは僕の知るところではない。
母親が、老後、東京に出てきて、僕と姉とで交互に面倒見るようにしたのだが、母親は僕の家を気に入り、主に僕の家に同居するようになった。その頃、母親は、資産は姉に管理するよう任せた、と言っていたので、当時、姉を信じていた僕は、姉が兄弟の為にも管理していると思っていた。母親の面倒を見るだけでなく母親の同居に掛かる全ての費用も僕が負担していた。ところが、かなり後になって、母親の何気ない言葉から、母親は姉の家族の前で、「全財産を姉に譲る」と言ったであろうことが判ったのだ。それを僕には、管理を姉に任せた、と言い方を変えたわけだ。
しかもその頃、姉もまた、「預かった母親の遺産も殆どなくなったのよ」等と言いだした。
僕が愛した母親は、僕を見捨てたにも拘わらず、なぜ、僕の家を好むのかと、僕はとても衝撃を受けたのだ。思い出すのもつらい思い出だ。

その後の人生経験から、姉や甥とか次兄と、僕の人格の違いと言うのは、持って生まれた品性の違いで、どうしようもないものだと思うのだ。いずれが正しいとか言うものでもないのだろう。母親は、姉宅での同居時に、それに気づき、我が家への滞在を望んだのであろう。だが、ぼくとしては、 父親が死ぬまで面倒を見て全く報われることが無かったことに加えて、母親を看取っても報われないことで、それ以上は、女房に無意味な負担を掛けることは出来なかった。とても悲しかった。

追記 そう言えば、思い出した。母親と別れてから、一度無言電話があった。相手の言葉は無いが、居間から電話しているらしく、無言の電話の向こうでTVの音がしていた。暫く無言とTVの音を聞いてから、電話を切ったが、相当後になり、ふと、その電話は母親の無言電話だったのだな、と気づいた。何故人は無言電話をするのだろうか?言いたいことを言えばいいのに、と思った。母親も、その時に考えていることを言えば、それなりの手を打ったのにと、心残りが今でもある。
https://isabon.blogspot.com/2013/02/blog-post_27.html

ところで、不思議なのだが、僕の両親は余り人を疑わない善良な性格なのだが、僕の兄弟姉妹は極めて利己的で自分勝手なのだ。特に金への拘りが強い。それに、僕は明らかに常に善良、正直であろうとする性格だ。更に、僕の女房の家族は、僕の知る範囲の殆どが、同様に善良である。この性格の差は、先天的なのか後天的なのか、どうだろう。
それと、僕の兄弟たちの不実さは、後から考えると実に幼稚なのだ。僕が彼等を信用していることで見落とした不実さなのだ。一方、歌子義姉の旦那星さんの義弟であった川崎さんの不実さは、実に周到なものだった。例えば、星さんが亡くなり、結果、歌子さんを施設に預けなければならない状況で、施設を選ぶときに、彼が施設を探すと言って、我が家から出来るだけ遠い施設を選ぶとか、星さんの病院でも、我が家から出来るだけ遠く、しかし彼の自宅からは近い方向の場所を選ぶとか、後になってから、なるほどそうかと気づくような手段を弄したのだ。たださすがに、彼の推奨した歌子さんの施設は余りに遠く、しかも、不便な場所なので、これは断り、自分でケアマネージャーに相談すると、川崎さんの弁明とは違い、簡単に、両家の真ん中辺りに見つかり、そこに預けたことで、我が女房が容易にケアーできるようになった。また、歌子さんの認知症が急激に悪化したことで、しかも、星さんは入院中で、二人についての手続きは成人管理人が必要となり、その手続きに2週間ほど忙殺されている間に、僕ら夫婦への中傷をしたらしく、裁判所から成人後見人の認可が出たにも拘わらず、成人後見人を辞退する状態になってしまった。かように、綿密に悪意の行為をする人間も居るわけだ。
それら諸々を考えると、恐らく、人の心は、生まれた時は白紙なのだが、人格が形成されるまでの間の経験が、その人間を作り上げるのだろうと思う。

なお、星さんから示された当時の歌子さんの資産は2千万円にも届かず、星さんの資産も同程度であった。だから、星さんが亡くなっても、認知症を患う歌子さんの終末迄の生活費には先ず大丈夫だろうとの判断で、成年後見人の手続きを進め、無事に裁判所から歌子さんの世話をする僕の女房、つまり、歌子さんの妹を成年後見人と認定された。だが、それを星さんに報告すると、辞退してくれと言われた。裁判所は、既に認定したのだから、成年後見人の業務を始めれば良いとアドバイスしてくれたが、そこまでしたくないと、裁判所の推薦する弁護士を成年後見人としてもらった。同時に、裁判所は、日常の世話をする者として、我が女房を、生活上の成年後見人と設定した。
星さんが亡くなってから、隠し資産がぼろぼろと出てきた。その時には、川崎氏とは既に喧嘩別れしており、もしそれらの隠し資産が当初から明らかになっていれば、星さん側の遺族とも、より平和的な協議・解決の手段があったのにと思う 。ただ、星さんは川崎氏の勧めで夫婦相互遺言書で、星さんの遺書だけを解消して星さんの資産を彼の親族に譲るとの遺言書をさくせいしたので、星さんの親族も遺産を貰っていた。その配分も歌子さんの弁護士が入手したが、川崎氏が半分以上をもらっていたようだ。
また、星さんと歌子さんの、死後、相互に相手の資産の全てを受取るとの遺書の存在を知ったものの、通常は、その後、生き残った方が死んだときの対処についての追記遺書がある筈で、しかもその追記は、妻が残された場合の遺産も全て、男の父母・兄弟に遺贈されるのが常らしい。しかし、その追記は僕達夫婦には公開されないので、歌子さんの最後を見届けた後、資産の全てが星さんの父母、兄弟姉妹に相続される可能性が大きかった。つまり、我が家が歌子さんを看取り、得られるものは、看取ったとの満足感だけとの可能性が大きかった。その時点では、既に川崎氏とは絶縁状態となっていた。結果は、その注記は存在せず、歌子さんの遺産は、歌子さんの兄弟姉妹に公正に分配され(と言うか僕が分配した)、我が家の相続分は、女房の病気治療費に多いに役立っている。


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