2021年6月20日日曜日

就職氷河時代と退職氷河時代

 就職氷河時代の人々のことがマスコミの報道に出ることは有るが、退職氷河時代の我々のことは、既に無視されている。この時代は、小泉政権、竹中平蔵下での実質首切り自由で始まった。企業が勝手に中年者を首切りできる時代に入り、そこから退職氷河時代が始まった。僕もその退職氷河時代の一人で、まともな面接も無く退職を告げられて、まともな退職送別会も無く放り出されてしまった。幸いなことに、僕は、持つ技術力で他の事業部の外注として働くことができた。そのため、元の事業部とは同じビルの別の階で働いていて、放り出してきた仕事や、ややこしい仕事のことで、元の事業部の営業から応援を求められたことも有ったが、全て断り、元の事業部に対して冷淡だな、と言われて、何を言ってるのだろうかと不思議に思った。僕の場合はまだしも、当時の最先端の技術者は、中国、韓国、台湾に彼等の技術を持って出て行ったわけだが、それが、今の産業体制となっていて、日本の技術力がもう駄目になったわけだ。日本の企業は、社員の技術力を蓄積することもなく、その技術を持つ人間達を放り出したのだから当然の結果だろう。当時の政治・会社の指導者たちは、己の指導力に有り得ないほどの自信を持っていて、技術力は社内に蓄積されていると誤解していたわけだ。実際は、地道に働き技術を自分自身に蓄積してきた技術者たちの頭に入っていて、その頭脳を持つ技術者たちを海外に流出したことになる。
この辺りの事情を、日本の政治家や評論家は気づいていないし、そもそも、日本の企業はスぺシアリストを冷遇してジェネラリストが幅を利かせているから、企業のトップも気づいておらず、日本の技術力低下の真の原因を理解できていない。彼等は、日本の技術力の低下を嘆いているが、そのそもそもの原因が、技術力つまりスペシャリスト達を冷遇してきた自分達にあるとは気づいていないのだ。
僕の勤めていた会社でも、その事情は明らかで、上に評価され昇って行くのは要領の良い、上に従順なジェネラリストばかりであった。彼等は客先との打ち合わせや技術課題の処理でさえ自分一人ではできない能力の持ち主が多かった。言い換えると要領よく出世して、人に指図する立場にならねば仕事をまともにできないってことだ。そうして彼等は事あるごとに、日本の科学技術と教育を改革せねば、と大声で唱えるが、どうすべきかの発想は全く思いつかない。日本の会社の実力とは概ねそんな所だろう。
例えば、IT担当大臣は、電通出身であるだけで、別にIT技術に長けているわけではない。そんな人物がIT担当大臣になるなら、日本のIT技術はいびつな形になるだけのことだ。オリンピック選手のコロナコントロールソフト(選手の入退出管理)だけで78億の費用が必要との異常さを、そもそも看過できず、機能を大幅に下げても、その費用削減効果を脅しで得る等と、まともな査定ができない担当大臣では何の意味が有るのだろうか。プログラムの内容、プログラム数などで十分に査定出来る筈なのに、結局は38億とかのべらぼうな金額に落ち着くとか、それを指示できない人間がIT担当大臣とか、日本はもう全く駄目だ、と思う。

0 件のコメント:

コメントを投稿