2020年2月13日木曜日

終活の推進  年賀状の終了とか技術資料の放棄とか整理とか

年賀状を止める件は皆さんに葉書で連絡した。しかし、女房の関係はそのままになっている。で、女房に年賀状は自分でやれよ、と言ったのだが、結局は僕が住所印刷をやることになってしまった。困ったことだ。
それはともかく、更に終活を推進すべく、長い会社生活で集めた資料類の破棄を開始した。これを終えれば、各部屋の整理を推進する。
問題は、大阪の拠点の整理だ。いまだ処分する気にならない拠点だが、つねに終活を前提としながら維持すべきだろう。
それにしても、破棄を始めた技術資料は勿体ないことだと思う。日々の設計経過や実験でも集めた資料を含み、日本の技術としても重要な技術の一部が消え去ることになる。が、それは仕方がないことなのだ。恐らく、これは僕だけでは無くて、僕と同年代の技術者が同様に悲しく思うことでもある。
が、事務屋さんや、特に馬鹿な政治家にはかようなことは全く理解できないことだろう。連中は日本の技術力の低下を憂う、とか言っているが、技術力の低下に手を貸しているのが自分たちであることに気づいていないのだ。技術力なるものは日々の努力の積み重ねで作り上げられるものなので、教育で学べることでは無いのだ。そのような技術者が次々と消えてゆくわけだ。が、そのことに気づくことの無い今の政治家や事務屋にはどうしようもないのだ。20年頃前、そのような連中は、自分では何の技術も持たないのに、中国人がいくら頑張っても、日本人の技術には追い付けないと主張していた。中国人に技術のきっかけを与えれば、人口が10倍の中国人の中には多くの優秀な人材が輩出するだろうってことが理解できなかったのだ。そんな頭の悪い連中が日本の指導者の殆どだから、日本の退潮はいかんともし難いことなのだ。

2020年2月20日の日経に、このままだと日本はノーベル賞受賞が無くなると、技術・科学の人材の減少を憂いていた。が、しかし、文系の連中は理系の人間を馬鹿にしているのが日本の社会だ。だから、文系が頑張ればいいんだよ、と鼻で笑ってしまった。文学賞と平和賞で頑張りなよ、と声を掛けたい。

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