2013年7月10日水曜日

日本は本当に不思議な国だ。福島第一原発の元所長吉田氏への評価

福島第一原発の元所長吉田氏が亡くなった。
マスコミに登場する人々は、福島県民も含めて、彼の原発事故後の頑張りを評価し、その死を悼んだ。しかし誰1人として、彼が所長としての職務を怠ったがために、原発事故が重大化し、日本全土に大きな被害を与えたとの事実には言及せず、日本国民に与えた巨大な損失についての彼の責任に言及することは無かった。
若し彼が、福島原発が色んな点で、地震や津波に脆弱であることを認識し対策を検討するとか、それに、たとえトラブルが起こっても、適切な訓練を行っていれば、そうして、その訓練の結果として簡単な改善を行っていさえすれば、事故が重大化することを防げたであろうとの現実を、マスコミも日本国民も、あたかも見えないかのように無視しているのだ。彼が受けている指示は、「非常電源の遮断は考慮しなくて良い」となっているから、彼には法的な責任はないだろう。しかし、彼の技術的な知識や地位からすれば、とてつもなく危険な代物を扱っていることは認識している筈だから、それなりの対処はすべきであった。これは技術者としての矜持である。
福島の第一原発と、第二原発の違いはどこにあったか、それに、真に称賛されるべきは地震津波による被害を最小にとどめることに成功した第二原発の所長や関係者であることに、国民の誰も、更にはマスコミのひとつも言及しない。僕がマスコミ人であれば、これを何故事故を防げたか、との技術的な分析と共に、大々的なドキュメントにするところだ。日本人って本当に、人の真価を評価することや、責任を追及するのが苦手な国民なのだ。しかも、彼は「死の淵に立った男」などと自身を英雄視する本の出版に許可を与えた。僕自身が彼の立場に居たとすれば、自分の力不足が日本中に与えた巨大な損失を考えれば、とうていそのような本の出版を許可できなかっただろう。
実は、この習性が、特に第二次大戦の日本の指導者、特に軍部の指導者に多い特徴なのだ。その特徴は今も続いていて、自分の行った悪い行為を正当化する、それだけではなくて、称賛しようとする行為が、その特徴なのだ。責任を追及する能力が無い日本人の特徴が、逆に、本人たちの正当化にも現れているのだろう。
日本が中国や勧告で行った蛮行を無かったことにしようとする動きも、この性向のひとつの現れだろう。その性向のために我々が支払った税金で行った多額の補償費が殆ど無駄になってしまった。
素晴らしい日本国憲法は日本人が作ったのではなくて、米国の若者が作った。戦後の子供たちの健康を回復した給食は、反対する文部省を押し切って米軍が実行した。多くのユダヤ人救出は外務省の反対を無視した杉原 千畝により為され、彼は外務省から追放された。満州、朝鮮、南太平洋と、戦前に送り込まれた日本人は、敗戦で国の援助なく、悲惨な帰国路をたどり、戦後の移民は棄民政策で行われた。かように、日本人官僚は正義的行為に反対する習性がある。不思議な習性だ。マスコミもまた、敗戦記念日頃になると、突然、反戦的報道を開始するがそれが終わると、右翼的報道を平気で行うようになる。例えば、朝日のスーパーJチャンネルで、各地の遺族会が老齢化のために閉会しつつあることを報道し、コメンテーターは「戦争の悲惨さを次の世代に残す術が失われつつある。なんとかしないと」と厳かに述べたのだが、実際には遺族会は、靖国参拝をはじめとして、右翼的行動の票田となっている。遺族会は決して反戦ではなく、戦争の正当化を行っていると思える。この実情を知りながら、かようなコメントはちょっと異常ではなかろうか。ほんとに、日本人って不思議な人々だ。

それに、ついでに言うと、三浦さんのエベレスト登山についてだが、彼の登山は金で実現しただけの成果であることも殆ど無視されている。時期を同じくして、女性登山家が遭難で無くなった。彼女もヘリコプターを使いベース基地まで往復できれば、遭難は防げた可能性は高い。だが彼女は自分の限られた資金での登山であった。それにも拘わらず、三浦氏はその行為を偉業と称えられ、女性登山家は僅かな報道後に忘れ去られた。三浦氏の行為を偉業とほめたたえる日本人って、本当に不思議な国民だと僕は考える。
なぜ日本人はこのような事に関して無能なのだろうか。これって、なかなか面白いテーマなのだが、これを僕が考えたとしても、僕にとっては時間の無駄なのだが、問題は日本人の指導的連中がこのテーマを考えたとしても、連中は、徴兵制度とか道徳教育とか、わけの判らないことに、その原因を結びつけることになるだろう。いずれにしても、時間の無駄はやめよう。

7月21日の参議院選挙の結果を見ると、やはり、日本人は馬鹿ばかりだなぁ、と思う。
つまり、日本はどうしようもない国だってことでしょう。
腹立たしいが、時間の無駄はいよいよやめるべきだろう。

8月14日のNHKスペシャル「従軍作家達の戦争」を見た。インパール作戦、フィリッピン敗走記などの作者、火野葦平や、菊池寛、林芙美子、それどころか横光利一でさえ、反戦作家と思っていた作家たちが、戦争遂行に協力していたことを知り愕然とした。彼等は戦後をどう生きたのだろう、少なくとも、火野は自殺した(実は自殺したことさえ知らなかった)のだが、戦後になっても彼らの殆どは戦争協力に対して後悔するようすは見せていない。これがつまり、日本人には過去に習う習性が無いことを示している。
僕は作家たちの多くが犯した過ちに陥らないようにしよう。
福島原発事故、全員不起訴=東電元幹部や菅元首相ら―検察当局
時事通信 99()1342分配信
 東京電力福島第1原発事故をめぐり、業務上過失致死傷容疑などで告訴・告発された勝俣恒久前会長や菅直人元首相ら当時の東電幹部と政府関係者など計42人と法人としての東電について、検察当局は9日、不起訴処分にした。検察は事故原因を津波と断定した上で、「誰も想定していなかった規模の地震と津波が発生することを具体的に予測するのは困難だった」として、対策を講じなかった東電などの責任は問えないと判断した。告発した市民団体は検察審査会に審査を申し立てる。
 東電の事故調査報告書によると、福島第1原発14号機は、東日本大震災で最高約155メートルの津波に襲われ、全交流電源を喪失。水素爆発などの事故につながった。東電は震災当時、高さ約6メートルまでの対策しか取っていなかったが、2008年に、福島県沖で大地震が発生した場合、最高157メートルの津波が発生すると試算していた。
 試算の根拠となった02年の政府の地震長期予測は、研究者の間でも賛否が分かれており、翌年には政府自ら裏付けが不十分であることを公表していた。このため検察は、専門家の間では福島県沖での地震や津波の可能性が一般的には予測されていなかったと判断した。
 また、東日本大震災はこの長期予測で発表された地震規模よりはるかに大きく、検察は「長期予測の精度が高いとは認識されておらず、その長期予測でも想定されなかった規模の地震と津波を具体的に予想することはなおさら困難だ」と結論付けた。その上で東電の勝俣前会長や清水正孝元社長ら旧経営陣と、原発の安全審査を担う旧原子力安全委員会の班目春樹元委員長らを嫌疑不十分とした。
 一方、事故発生直後の対応について告発された菅元首相と枝野幸男元官房長官、海江田万里元経済産業相については、「(爆発を防ぐため蒸気を外部放出する)ベントの実施命令が遅れたとは認められない」などとして、嫌疑なしとした。
日本の組織は、行政に関しては、誰にも責任が及ばないようにしてあるんだね。

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