2019年6月5日水曜日

枚方公園から奈良へ自転車の旅

先日、枚方穂谷の稲田を見ようと、自転車で307号線を北西に登って行った。また、国見山トレッキングに行くため、307号の旧道を津田駅に行った。そこで気づいたのだが、津田近辺で一山超えれば奈良なのだ。そこで、枚方公園から奈良に行くのに、700円とか800円を使って列車で行くより、自転車で行き、到着地で観光すれば交通費が節約できると考えた。地図を調べ、307号より更に北側で学園都市線の長尾駅に向かう道144号線の方が奈良に近いと考えて、数日前に長尾まで行ってみた。約1時間で到着することを調べた。そうして本日6月4日、朝6時半に家を出た。長尾に着き、学園都市線に沿う道735号線を北上すると、直ぐに山手幹線と称する奇妙な広い道に出会う。山手幹線を東進すると、極めて近代的な都市がその道に沿って広がっていた。いわゆる、学園都市が昔の丘を切り開いて広がっているのだ。この道路は、地図上では22号線とも記載されていて、北西には284号線として八幡に向かう。バスは樟葉にも行っているようだ。東へは、京田辺に向かっている。22号線には旧道と新道があり、旧道はより低地側北側を通っている。新道は道は広く歩道も広く走行には便利だが、岡を上がり下がりしているので、ママチャリにはつらい。だが、旧道は道が狭く歩道は整備されていないので、これもまたつらい。が、新道もJRの祝園駅を過ぎた辺りで、行きどまりで東に向かい旧道に入る。更に東に向かい、754線を南下する。163号線に至り、東に向かう。163号線は、西木津駅に至り南下し、更に東に曲がる。更にJR奈良線に突き当たった所の24号線を100m程南下すると、奈良へと向かう754号線が南東に分岐する。ここに至った所で、時間は9時半になり、出発から3時間を経た。754号線は細く、無理をすると事故を起こしかねない。真っすぐ下れば東大寺だが余りにも疲れ、帰路も考えねばならない。残念ながら本日はここで諦めて帰路に就いた。帰路は出来るだけ上がり下がりの少ない旧道を進み、307号線で新道に移った。それでも非常に疲れ、帰宅を急ぎ、長尾の手前で小さな側道の信号を無視して、パトカーに捕まった。不審尋問と、その後の小言で済んだが、いよいよ疲れてしまった。長尾から枚方への北上途上で一号線に出会ったところで、一号線を経て帰宅した。枚方公園にはこの道の方が帰路については、一方的な下りなのだ。
結論として、自転車での奈良観光は、自転車旅行を楽しむことが目的でなく、行く先での観光が目的なら、疲労が激しく、テントでも持参でないと困難だと思われる。そのため、サイクリング車の購入は慎重に行うこととした。
かくして、もう10㎞のところで、安全を期して引き返してしまったのだが、かってのインパールへの日本軍の無謀な侵攻も、コヒマに達した時に、一支隊は彼方にインパールの街影を見ながらも撤退を余儀なくされたと(実際は前線部隊は撤退と言うよりは、ほぼ全滅で、補給隊を入れれば戦病死率が80%に落ちただけ)の気持ちもかくあるか、と思われた。
でも、あの大馬鹿の牟田口司令官の、「糧食・弾薬は現地調達」などとは言わず、タッパ弁当はちゃんと持参したが、暑さと腹調が悪いのに負けてしまった。第二次大戦の日本軍司令官はジンギスカンの作戦を踏襲したんでしょうが、僕はそこまで馬鹿ではないですけど、結局 自転車+観光は無理でした。奈良は想像以上に起伏が激しい地勢でした。
ところで、30歳の全般に、バングラデッシュに行く空路から日本軍侵攻の地域を眺めたが、どこまでも続くジャングルか泥漿地帯で、ここを人馬で補給もほとんどなく戦えと指揮した日本軍の馬鹿らしさにはあきれてしまった。

翌日、突然、枚方警察の警備課の人が、ゲストハウスを訪れて、「サミットの関係もあり、民泊の運営状況を確認しにきました」との事だ。前日の職務質問を受けたのと、余りにもタイミングが合い過ぎている。警察の検索力ってさすがだと感心した。だが、その警官は表情は柔和だが、初めから終わりまで、僕の目をのぞき込み続けていて少々不気味であった。しかも、彼の持参した警備アンケートとかに僕が記載しているところを写真に収めていた。写真を撮られて別に困ることも無いので苦情は言わないが、ちょっと変だな、と思った。何をする気だろう。恐らく、写真を撮られることを嫌がるかどうかを見ていたのだろう。それとも、近辺で何らかの犯罪があり、その目撃者に見せるためだろうか。とにかく、濡れ衣の可能性も考えねばならない。ひょっとするとアンケート用紙で僕の指紋を取っていたのかもしれないし、それとも、開いたまま横に置いてあった宿帳の写真を撮ったのかもしれない。どうも油断しすぎたようだ。彼らの挙動のそれぞれが、それなりの意味があり、別に世間話で訪れているのではないと注意すべきだ。と、僕も相当疑い深い。

ところで一日経つと、一昨日の苦しさは忘れて、京田辺辺りの地図をのぞき込んでは雪辱の方法を考えている。が、もう11日には千葉に帰るので、雪辱は秋のこととなる。
長尾駅への道 山田公園手前

 一山超えて奈良盆地の丘陵:長尾地区 生駒山系が裏側から見えている。

長尾駅の前を西に
 山手幹線に至る道 歩道は途中で途切れる 帰路この信号を無視して走り、おまわりに捕まり、ついでに職務質問を受けた。怪しい風体で、しかも疲れて顔つきもトロンとしていたのだろう。
 山手幹線(22号線新道)

 新道の丘陵と、向こうの山とで、古い町、田辺は狭い町であったが、こちらの丘陵を学園都市とすることで、京田辺と名前を改めた。京都人には許されない改称ではないでしょうか。
 丘陵地は古い農家と近代的なビルの混在する町となっている。

山手幹道は続く。特に同志社近辺は近代的で凄い建物が続く。
 祝園は、学園都市線JR駅と近鉄駅が並んでいて凄い駅になっている。が、なんとJRは単線なのだ。なお学園都市線は、更に南側の木津駅で奈良線と接続する。つまり、学園都市線が単線ってことだ。


 奈良は田園風景がきれいだ。放棄田は余り見られない。



 24号線への分岐、100mほど24号線を行くと、754号線で奈良に行ける。












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