最近、AmazonPrimeで韓国ドラマをしばしば見ている。そこで思うのは、韓国人の血縁愛が異常に高いことだ。恐らく、日本もそうであったが、社会的な変化で、韓国よりも一歩早く血縁への信仰が覚めてきたと思える。
しかし、考えてみると、僕も知らず知らずの内に、血縁への信頼を持っていて、それが酷く裏切られたことで、漸く、その呪縛から解かれたわけだから、本来的には、人間も血縁への信仰が生まれつき備わっていたと考えるべきだろう。それが無ければ、自然淘汰の中では生き残れなかったのだが、今の人間社会では、実は、血縁への信頼は、何というか、むしろ、利益を得るためには邪魔になってしまったようだ。
具体的に言うと、血縁への信頼から、出来るだけ早く抜けて、他のまだ血縁への信頼を持つ仲間から利益を奪おうとすれば簡単に奪えることに気付くわけだ。
その意味では、僕は、姉、兄弟に多くを奪われてしまった。父母も、そんな姉や兄弟の企みに便乗して、僕から多くを奪い、それを、姉や兄に渡したわけだ。それだけではなくて、母親が結核で長期入院した時や、父親が脳溢血で倒れ、その看病を長期の間手伝った時、更に親父が無くなって後も母親の面倒を見たにも拘わらず、父母は姉や兄に多くを残し、僕の事を殆ど気遣うことはなかった。と言うか、むしろ僕のお人好しにつけこんで、兄や姉に利を譲ったようだ。
かように、韓国ドラマは僕の血縁へのお人好しさを示しているようで、なんとなき共感と言うか、情けなさを感じさせるようだ。
結局のところ、血縁への信頼はほどほどにすることが、生きる上で重要だと思う。
ところで、閲覧数は9月21日に400件、9月17日700件って、一体、この数値は信じられる?
なお、過去の投稿の中で、僕のライフワークは閲覧数1500件を達成している。自慢話しに付き合ってもらって申し訳ないと思う。姉と兄に対する怒りの投稿については700件と、意外に少ない。
2026年9月23日水曜日
血縁について
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