2022年2月2日水曜日

追悼 亀田さん

 亀田さんは、確か、神戸大学出で、大阪コンベヤ課出身です。

ただ、僕が大阪コンベヤ課に移動した前年に、異動された後でした。
噂では、亀田→神野→志水 の順に、XX課長からのパワハラ、苛めにあったようで、
亀田さんへの苛めが最も激しかったとの噂を聞いています。神野さんへの苛めは僕も目撃しています。恐らく、課長の愛弟子Mの脅威となる年齢の順に苛め度がちがったのでしょう。なお、僕の後輩からは年齢的にMの部下になる年代で、実際にMの部下になった阪大卒も苛められることはなかったです。その彼等からすれば、苛められる僕は情けない男にみえた事でしょう。実際に苛められる僕を見続けた彼等は、腹の底では、出来ない男として僕を馬鹿にしていた様子でした。僕にしても、苛め課長が神野さんに叩きつける叱責に、神野さんが何ら反論しないのを情けなく見ることもありましたが、苛める人間の強烈な言葉なるものは相手の意思を叩き潰す力があり、苛める側の不当な言葉にも反論はだせないことを、僕は人生初めて経験し、神野さんの立場が漸く理解できました。人間ってそんなものです。
でもね、大学院での経験から、1人で何でも出来るって自信と、入社後、特に大阪移籍後に大きな案件を自力で次々、それも、与えられる部下や外注人員も最少で、更には、大きな利益を上げながらこなしているから、苛めにもすぐ慣れて、湯気を上げて怒鳴っている課長の頭越しに窓の外の淀川の季節ごとの風景を愛でて嵐をやり過ごすって根性になりましたな。亀田さんも恐らくそんな心境でやり過ごしたのでしょう。それに、後で出会った亀田さんは生来、楽しいひとでしたから、苛めなんて気にする人ではなかったでしょう。神野さんも亀田さんも優れた技術者であったと確信出来ました。

其の後、ず~と後に亀田さんは自動倉庫に移籍されて、自動倉庫の標準化を担当されたのですが、見事にこれを果たされ、僕が物流に行った時は、その技術成果は、競争力の強さとして強力な受注の助けなり、僕もそのお蔭で次々と受注できました。 

でも、亀田さんも、神野さんも、素朴で相当有能な技術者でありながら、配属先の上司で人生がかなり歪められたと言えるでしょう。

でも、亀田さんはさようなことには拘らず、物流でも頑張り、確か、地元の合唱グループで頑張っておられた筈です。
僕とは違い、明るく周りの人々に好まれた人生を過ごされたと推測します。

亀田さんのご冥福を心から願います。

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