2019年8月3日土曜日

数学の流れ30講 by 志賀浩二

何故か、数学の流れ30講 by 志賀浩二 を図書館で借りた。
恐らく、かような内容を省略・抽出して、数学の初学者に、特に、今まさに習おうとする講義は、過去において何故、必要であったかを教えられてから、講義に入れば、講義の効果は著しかったであろうと思う。その内容を要約する。
エジプトに始まる数学の流れ、それに、かなり高度な数学レベルに達していたことが判る。ユークリッドに至り、幾何学的なレベルは、定義→公準(公理)→命題→証明 とのレベルに達し、特に5個の公準の内、5番目の公準が、なぜ、証明されるべき命題ではなく、公準とされたのかが、その後の大きな課題となったようだ。
19世紀になり、5番目の公準(平行線の定理)以外は成立つが、第5公準が成り立たない幾何学もあることが提示された、これが非ユークリッド幾何学と称され、三角形の内閣の和は180度以下になる。恐らく、それが宇宙の姿なのであろう。
ギリシャからヘレニズムへと数学は伝わり、イスラムでインドの0概念と10進法を含むことで、代数学が発達する。特に10進法とすることで、代数式が成立した。ルバイヤットで有名な、オマール・ハイヤムは3次方程式の解析を扱った、が、代数学の体系化までは進展しなかった。なお、インドでは天文学が盛んで、この天文学もイスラム文化に伝わった。そこから、三角関数が発展した。
なおインドの城塞都市には天文台が存在して、そこには巨大な天文観察装置が装備されている。そのことから、インドの天文学はかなり高度なものであったと推察できる。

代数学の体系化は、ヨーロッパのルネッサンスから始まる。ところで、ルネッサンスとは、イタリア語で、re-rusinare (再び、生まれる)語源だ。
特に詳しくアラビヤ数学をイタリアに伝えたのは、1200年代全般に、ピサのレオナルドなる、filio di Bonnaci (ボナッキの息子)、つまり、フィボナッチであった。彼の書の中の例題 「毎月1対のうさぎが、1対のウサギを産み、生まれたウサギは、翌月から1対のウサギを産む場合、1年間で合計何対のウサギが生まれるか」 が、フィボナッチ数列として現在も有名になっている。
なお、数学記号 +-×÷ などは、イタリアでラテン語を元に作られた。

代数学はいわば知識階級のなかで、数独のような扱いで発展するのだが、16世紀前半迄には4次方程式までの解が解かれたが、その解の中には虚数解が現れたが、虚数は、虚数としてより、不可解な存在として扱われていた。

16世紀後半ごろ、天文学者の間では、乗除算を加減算に変換する手法として3角函数の
2sinAsinB=cos(A-B)-cos(A+B)が使われていたが、ネピアが16世紀末から17世紀初めにかけて対数関数を確立した。
僕は技術者で、しかも、電卓の現われる前の世代だから、計算尺を使って乗除算を行って多くの施設を設計したが、計算尺が対数関数を使って作られていることには気づくことなく仕事をしていた。つまり、計算尺使用と対数関数の勉強とは全く別の次元で考えていた。それはとにかく、技術者に取って、計算尺が必須品である時代は長く続き、計算尺には言葉で言い尽くせないほどのお世話になったが、その計算尺は、どこか机の引き出しの中にしまわれたままになっている。
なお、代数学の発展よりも先に、対数関数が成立したことに非常な驚きを感じるが、それが天文学と関係するとは、なるほどな、と納得すると同時に感心する。

また、小数点の考え方及び表記方法が一般化するのも同時期である。それまでは、天文学的表記の60進法で、分、秒ひょうきであった。しかも、これを成し遂げたのは対数関数を確立したネピアであったとは驚きだ。なおネピアはスコットランドの人である。17世紀はじめと言えば、関ケ原合戦の頃で、そのころから計算尺は使い始められたってことになる。驚きだ。
ただ、計算尺で使われる常用対数(紺が10の対数)は、ネピアの死後に使われるようになった。また、根をeとする自然対数は、代数学が発展する過程で代数学において数式内で使いやすいので一般化した。

17世紀前半に、われ思う故に我あり、の哲学者デカルトが、幾何学を代数で解く方法を提案することで、代数学の幕開けとなた。更に17世紀後半、特に、ニュートンが1966年に微積分学を確立して代数学もほぼ成立した。彼は更に運動方程式などの古典物理学も確立したのだが、僕が大学院での研究とか、くそ住重で働く間も、彼の運動方程式でほぼ仕事は出来た。と、言うか、F=mdv/dtとこれを微分または積分することで、仕事は殆どできたのが真実だ。

ドイツのライプニッツは、ほぼ同時期に微分積分積分学を確立した。このため、両者は国を挙げての優先者闘争となり、ヨーロッパの数学の流れは、イギリスと大陸とで別の道を進むことになった。が、どちらかと言えば、大陸の方により優秀な人材が続いたらしい。と、言うか、ライプニッツの解析法の方が容易で応用が効いたものと思われる。
僕の会社生活における技術計算は、この時期、つまり、1670年代の数学で十分なOで、本書はここで終了する。なんと、350年前ですな。
なお、微分積分で使われる ∫ とか微小変化 dx はライプニッツの創造物だが、僕の高校時代には一瞬で説明されるこれらの概念は、当時の数学者にはなかなか受け入れられない代物だったらしい。かような事実を高校の授業で説明されていれば、我々の数学の理解も更に深まったことであろうと思われる。また、ニュートンの微分積分法は、結果はライプニッツと同結果だが、その導き手順には疑惑を持つ人が多いらしい。
また、ニュートン・ライプニッツ以降の数学者、例えば、オイラーの公式で有名なオイラーとかラグランジェの式は、機械工学で使うことは先ずなく、フーリエ級数でさえ使うことはなかった。





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