僕の出向が決まった時には、既に他のメンバーも決まっていた。新居浜の鉄工課から一人と、同じく新居浜の検査課から一人で、僕も含めて3人であった。検査課からの一人は、電気工事の勉強を兼ねて電気工事担当として行くとのことで、鉄工課の彼は、僕がプロマネであった住金焼結設備の据付時に来ていて、僕も一緒に働いた男で、仕事は大雑把で、世渡り上手ってタイプであった。
出荷は、既に新居浜工場での梱包がほぼ終了していて、僕は様子を見に訪れた。梱包指示や梱包検査は鉄工課の彼が担当していた。しかも製品検査自体も彼が担当していたとのことで、新居浜工場側は大阪コンベヤ課の仕事には全く関与する気が無いのだと思えた。更に、梱包状態と梱包リストを見たが、梱包は機番毎ではなくて、ばらばらの機番の物を混載しており、膨大な量の梱包の中から、機番毎に部品を集めねばならないのかと驚いた。今更梱包のやり直しを出来ないと頭を抱えた。梱包リストはCPUデータに入っていると言うので、せめて、機番毎にソーターすれば機番毎の部品がどの梱包に入っているかが判ると、機番毎にリストを作る様にと指示した。しかし、現地に入って判ったが、指示した彼は、その指示の重要さを理解せず、機番毎のソーター資料を作っていなかった。彼の性格や性情からすれば、そのような仕事での先を読んだ仕事はできないと判断すべきであった。
一方、電気工事の彼は、勉強を兼ねて電気工事担当と行くことになったとのことで、英語が出来るとのことであったが、どうやら英語能力は僕よりちょっとましって程度で、英語通訳には殆ど役に立たず、現地に入ってから英語の勉強に精を出していた。
要するに、製品検査も梱包検査もまともに行われなかった製品の据付指導に、しかも、その指導に、工事指導の経験僅かな僕と、細かい作業や先を読んだ仕事の出来ない仕上士と、電気工事担当だが電気工事の初心者って、合計3人で、工事指導をするってことになった。実に凄い組み合わせであった。
これでどうなることか、絶望的であったが、現地に行って判ったのだが、現地には、フォスターウイーラーが別に雇った本物の据付士(erecter)や仕上士、電気工事士が居て、彼等は本物の据付、仕上げ、電気の専門職で、我が社の様に、工場現場職を派遣するよりもより工事に関しての専門職であり、他方我々は、機械納入側として納入した機械のアドバイスをすることが望まれたわけだ、と言うことが現地に入り仕事を始めてから判った。
海外出張初めての3人が、バンコック中継泊で、バングラデッシ空港になんとか辿り着いたが、到着空港で段ボール十数箱の通関をどうしようかと並んでいると、横から少年が出てきて50ドル出せば簡単に通関できるよ、と言うので、これ幸いとそれに乗ると、走り回る少年と段ボールを積んだ荷車の後を追い、倉庫のようなところを走り回り、外に出ると、そこは真っ青な空に真っ赤な太陽の屋外であった。つまり、そこは真夏でくさ~い空港ビル外であった。そこからどこに行っても、くさ~い人々の群れるダッカの街であった。なお、パスポートにはちゃんと入国審査の印があり、段ボールも足元にあった。そこには住商からの迎えの現地人がいて、その案内で、ホテルに宿泊し、翌日の列車で現地に向かった。住商の応対は日本語の出来ない住商現地社員だけで、その案内も、早朝の現地人が駅周辺いっぱいに地面に寝転ぶ駅までで、そこから現地へは3人と十数箱の段ボールで向かった。現地は、DACCAからぼろ列車で5時間ほど列車に乗ったアッシュガンジ村にあり、そこには電話も無く、日本との連絡は、フォスターウイラーのメール便でDACCA住商にメールを送り、それを、日本に送るか、ローマ字伝送するかしか方法が無く、返信を得る迄、最速でも2週間はかかった。時は8月末の雨季で、国土の20%以上が増水で水没状態のバングラデッシであった。
ずっと後になるが、英語に十分習熟してから、遅れていた設備の試運転に再出向した時には、段ボールは少なめでもあったので、正々堂々と通関をしたが、通関職員にあれこれと指摘されて100ドルも支払わねばならなかった。裏ルートの方が安いなんておかしな話だと思ったものだ。なおその際に彼は、段ボールいっぱいの日本米と段ボールいっぱいの本を持参していた。申告者は僕なので、内容の説明をすると、審査官は「我が国に米を持ち込むとは!」と嘆息した。大量の本を見て、「・・・・」言葉もなく目を向いた。これらは通関できず、後に僕がダッカに出向いて交渉したが、通関料1000ドル余を請求され、僕は放棄することにした。日本から出る際に、3000ドル程度の借受金を持参していたが、その1/3もの金を使う気がしなかったのだ。
ところで、運ぶのに往生した段ボールだが、その殆どは、勤勉でもなければ正確でもない仕上げ士の荷物なのだが、彼は仕事よりも自分の生活を快適にするとか自分の得になることに熱中し、結果として、その負担は殆どが僕に背負わされたようだ。困った人間を部下にすると本当に困る事態になるわけだ。
2022年2月13日日曜日
バングラデッシ Ashuganj iUrea(尿素肥料)工場建設工事での思い出。(続き)
2022年2月8日火曜日
所得税の申告
所得税の申告の時期になった。
年金生活者で、収入は限られているので、配当金の源泉徴収分の還付や医療費の還付は小遣い稼ぎには必須である。投資での損害は通算控除できるし、医療費控除もある。
医療費控除は10万円以上が対象だとの通念は、現役時代の妄想で、現役時代給与に比べて少ない年金収入の場合は、所得に応じて上限が下がるのだ。
僕の場合は、趣味とは言え、大阪拠点を民泊にしていて、これのメンテにかなりの費用をかけている。大阪までの交通費や食費にかなりの金額を使うのだが、コロナ直前には民泊収入も増えてきたのだが、今は、恐ろしくて、ほぼ閉鎖状況だ。だが、メンテ費用は掛かるので、収入ゼロで、赤字になる。
民泊経営は雑所得で、損益通算範囲が限られるが、なんと、年金所得も雑所得だから損益通算できる。医療費は元々、全所得から控除できる。
なお注意すべきは、投資損失、特に、株の売却損などは、奇妙なことに、総合課税ではなくて、分離課税での申告でしか通算されない。他方、配当の源泉徴収分の還付については、総合課税での申告となる。が、総合課税だと、市・県民税が、特に、現役時代の給与の場合は、上がる可能性が大きい。また、介護保険料は所得の8%を課税されるから、配当所得を総合課税にした場合、逆に、課税金額が大きくなる可能性がある。国税を総合課税にして、地方税では分離課税のままって方法もある。
今は、税務署の所得税計算ソフトがあるから、総合課税の場合と源泉分離課税の場合を算出して比較すれば良い。更に、市・県民税の計算もして、総合的にいずれが有利かを調べることだ。市・県民税の計算は、その前年の所得税申告額を元に算出されていて、昨年の市・県民税のお知らせに書かれている。
今年の僕の場合は、総合課税で申告することで、株の源泉徴収分をほぼ全額返却されるので、ありがたいことだ。
提出は、2月15日からだが、混雑が激しいので、25日頃にする。自分でデータ入力して出力した分は、必要確証(民泊経営は、確証と損益計算・医療費は費用表)と共に、提出窓口に直接持参できる。税務署のアドバイスで入力する場合は、予約を取る必要がある。
歳を取ると、医療費が嵩むので、医療機関での領収書や購入医薬品の領収書を残して整理することが必須だ。なお、老人には、国民健康保険範囲内の支払いについては、支払上限額(入院がある月の月額56700円、通院費のみの月の場合は、18000円)があり、市が計算してオーバー分を還付してくれるが、自分でも算出しておくことだ。医療費の算出に際してはこの還付金や、民間医療保険の給付金も通算しなければならない。
なお、高齢者医療保険と後期高齢者医療保険は、団体が異なり、我々は知らぬ間に異なった団体間を移動しており、それゆえに、還付金の計算は共有されない。この点は注意すべきだ。
2月24日頃に税務署に提出に行く予定であったが、救急車で病院に運ばれたために3月1日になってしまった。税務署では殆ど混乱はなく、待つこともなく受理された。
2022年2月2日水曜日
追悼 亀田さん
亀田さんは、確か、神戸大学出で、大阪コンベヤ課出身です。
ただ、僕が大阪コンベヤ課に移動した前年に、異動された後でした。
噂では、亀田→神野→志水 の順に、XX課長からのパワハラ、苛めにあったようで、
亀田さんへの苛めが最も激しかったとの噂を聞いています。神野さんへの苛めは僕も目撃しています。恐らく、課長の愛弟子Mの脅威となる年齢の順に苛め度がちがったのでしょう。なお、僕の後輩からは年齢的にMの部下になる年代で、実際にMの部下になった阪大卒も苛められることはなかったです。その彼等からすれば、苛められる僕は情けない男にみえた事でしょう。実際に苛められる僕を見続けた彼等は、腹の底では、出来ない男として僕を馬鹿にしていた様子でした。僕にしても、苛め課長が神野さんに叩きつける叱責に、神野さんが何ら反論しないのを情けなく見ることもありましたが、苛める人間の強烈な言葉なるものは相手の意思を叩き潰す力があり、苛める側の不当な言葉にも反論はだせないことを、僕は人生初めて経験し、神野さんの立場が漸く理解できました。人間ってそんなものです。
でもね、大学院での経験から、1人で何でも出来るって自信と、入社後、特に大阪移籍後に大きな案件を自力で次々、それも、与えられる部下や外注人員も最少で、更には、大きな利益を上げながらこなしているから、苛めにもすぐ慣れて、湯気を上げて怒鳴っている課長の頭越しに窓の外の淀川の季節ごとの風景を愛でて嵐をやり過ごすって根性になりましたな。亀田さんも恐らくそんな心境でやり過ごしたのでしょう。それに、後で出会った亀田さんは生来、楽しいひとでしたから、苛めなんて気にする人ではなかったでしょう。神野さんも亀田さんも優れた技術者であったと確信出来ました。
其の後、ず~と後に亀田さんは自動倉庫に移籍されて、自動倉庫の標準化を担当されたのですが、見事にこれを果たされ、僕が物流に行った時は、その技術成果は、競争力の強さとして強力な受注の助けなり、僕もそのお蔭で次々と受注できました。
でも、亀田さんも、神野さんも、素朴で相当有能な技術者でありながら、配属先の上司で人生がかなり歪められたと言えるでしょう。
でも、亀田さんはさようなことには拘らず、物流でも頑張り、確か、地元の合唱グループで頑張っておられた筈です。
僕とは違い、明るく周りの人々に好まれた人生を過ごされたと推測します。
亀田さんのご冥福を心から願います。
2022年1月31日月曜日
かちーんと来るエッセイ
いつも、格安航空のエコノミーで、食事も取らない僕としては、最後の1節で何だか、かちーんです。
日本酒の魅力 三井不動産社長 菰田正信
お酒は決して強くはないが、好きな方だ。何が好きかと聞かれるとワインやウイスキーのハイボールということになるが、ここ一番で飲みたくなるのが日本酒だ。
30代の後半、横浜支店の用地担当課長をしていた時に、毎晩の不摂生がたたって急性膵炎(すいえん)になった。医者に診てもらうと、油ものとお酒をやめろと忠告された。仕事柄、お酒はやめられませんと言うと「あなたの命だから、あなたが決めなさい」と突き放された。仕方なく高校の同級生で慶応病院に勤める斎藤先生に相談したら、1日にビールなら中瓶1本、ウイスキーはシングル2杯、日本酒でお銚子1本までならいいだろうということになった。
さて、限られた酒量を何に使うべきか。逆に言うと、飲みたいという欲求を一番抑えにくいのは何かと思って試したら、美味(おい)しい和食が出てきたときの日本酒だった。
何年か前にお酒通で鳴らすNTTデータ前社長の岩本さんを食事に招き、お好きな銘柄の白ワインを出したら、お造りが出てきたところで「ちょっと待ってくれ」とおっしゃる。「お造りには、やはり日本酒の熱燗(あつかん)じゃないとね」とのお話だった。20年前の私の感覚も、こういうことだったのかと合点がいった。
後日、ニューヨークに出張する機上で和食を頼んだら、お造りが出てきた。「熱燗で日本酒飲めますか」とキャビンアテンダントの方にきいてみたら、「もちろんです」とうれしい返事。レンジででも温めたのだろうか、これが結構いけた。それ以来、飛行機に乗ると、このパターンを時々楽しんでいる。日本人に生まれてよかった!
物流事業について
僕が40代後半にになった頃、僕が所属する東京の搬送技術部は解散になった。社内外交に疎い僕がその情報を得たのは、物流部門への移籍を告げられてからであった。それまでに、社内事情に長けた連中は皆、新居浜とか大阪の良い場所に逃げ散っていて、そのため、東京の搬送技術部の備品、資料などの整理処分も最後までやる羽目になった。
物流部門は、畑中さんと永井さん、共に阪大の先輩だが、彼等が大阪コンベヤに居る頃に立ち上げたのだが、それは、僕が入社後数カ月で、新居浜から転勤してきてすぐの頃だった。
僕が転勤した数日後に、畑中さんが僕を連れて、浜松の住友セメントに、コンベヤ設備の納入打合せに連れて行った。ベルトコンベヤなるものを全く知らないままに同行して、打合せから帰ると、畑中さんは、その案件のファイルを全て僕に渡して、「明日からは僕は自動倉庫(物流機器)に従事する。後は任せる」と申し渡した。
仕方なく、大阪梅田の旭屋に行き、ベルトコンベヤの計画と管理、などのコンベヤに関する本数冊を購入して勉強を始めて、一週間後の打合せには僕一人で行った。打ち合わせに出た住友セメントの課長が、怪訝な顔で、「畑中さんは?」と聞いたので、「僕が引き継ぎました」と答えたのだが、課長の顔を見る勇気はなかった。
その後直ぐに、永井さんが研究所から移動してきて、畑中さんの部下として、2人で物流設備を始めた。
当時、僕は八戸の長距離コンベヤを担当しだしたのだが、八戸鉱山の石灰石が製鉄所の要求品質に合うかどうかの検討が始まり計画推進が一時中止となった。その結果、僕の仕事がしばらく中断した。その中断期を見てと言うか、利してというか、永井さんが声を掛けてきた。永井さんは、急遽米国に出張することになり、自動倉庫の計画図を製作図に落としてほしいとの事だった。製作図の作成には外注さんを一人付けるとのことで、断ることも出来ず仕事を始めた。自動倉庫機器の計画図はA1サイズ一枚だけで、そこからは推定しながら製作図に落とさねばならず、しかも、納期はすぐそこであった。
2カ月ほどかかったが、毎日、12時ごろまで残業して、土日もなく働いて漸く図面の出図を完了した。つまり、物流事業部の最初の自動倉庫は僕が設計したことになる。
それから、20年ほどして、行く場所もなく物流に配流されてしまい、なんと、SEとして客先とあれこれ商談するエンジニヤとなってしまったが、最初の経験から物流施設の建設計画には直ぐに慣れてしまった。転籍の最初は新入社員と一緒に物流教習会に参加することから始まったが、直ぐに客先との交渉や基本計画、受注作業を一人でするようになった。有難かったのは、池内さんや和田さんが、物流のコンピュータ化を見事に推進し、それに、亀田さんや谷口さんが自動倉庫の標準化コスト低減化を十分に実施していたことで、それに、僕が搬送事業部で習熟した重機械の技術を応用することで、特殊な自動倉庫を客先に提言できて、高利益で受注できたことだ。前にも書いたが、住重初の冷凍自動倉庫、世界初の再生物受け入れ用自動倉庫、自衛隊弾薬自動倉庫、造幣局用紙幣用巻紙自動倉庫、等が僕が受注した案件で、変わった設備を容易に実現化できることが僕の強みであった。
ただ、物流事業創設者の畑中さんや永井さんが既に居なかったことには寂しさを感じた。
2022年1月30日日曜日
バングラデッシ Ashuganji Urea(尿素肥料)工場建設工事での思い出。
僕が30代初めのある日、僕を苛めまくっていた課長が僕を呼び、「うちで受注したバングラデッシの肥料設備の据付指導の責任者に、新居浜の鉄工課の馬場洋一郎君を予定していたが、彼が、イラクの設備の指導員として行くことになったので、事業部長が君を代わりに行かせろと言っている・・・」と、言葉の最後をかなり残して言った。
事業部長の命令と言っているのだが、その課長の本心が、「事業部長の命令だから仕方が無い」、と言うことなのか、それとも、「事業部長の命令とは言え、お前自身の意思で、断って欲しい」と言っているのかが判らなかった。
そもそもその案件について、僕は全く関与していないので、いかなる立場で行くのかも判らないし、更には、設計者の僕、しかも海外経験が全くない僕が、加えて、設計者たる僕が、なぜ据付の指導員、それも、据付の指導責任者なのか、とも思ったが、事業部長が命令するのだから、それだけの配慮があって命令するのだろうと、「判りました」と返事した。
が、その後の経過からすると、事業部長は単に馬場君をイラクに送りたいが故に、僕をダシにしたに過ぎなかったようだ。ただそれだからと、論理的に(つまり、客先が据付指導員を要求しているのに、設計者を派遣するのはおかしいとの)出張を拒否すれば、ことの正否は関係なく、要領の悪い僕はまずい立場になったと想定できる。
会社組織としてはかなり非論理的で無謀な命令だ、とも思ったが、その出来事の前に、自分で受注した住金鹿島の第3焼結の現場で、これは設計者として、それもプロマネをしていたが、現地で死亡事故が起こり、現場の補助として派遣されたが、実際には部分的に現場も受け持って従事した経験があり、バングラデッシの案件は設備的には大した規模ではないので、なんとかなるだろうと考えた。
しかし、その後判ったのだが、バングラデッシ案件の据付指導員とは、物品はFOBで納入され、その時点で売り上げは完了していて、現地での据付は客先が行い、彼等がわが社に発注するのは、据付指導のエキスパート派遣だけの契約だった。契約書の中には、据付指導員の能力が彼等の期待に沿わねばネグレクトするとまで書いてあった。こりゃ、僕では役不足の可能性が大きいな、と思ったが、後の祭りであった。
そもそも我が事業部は、現地試運転までの契約が多く、FOBで契約を終了して、その後に据付指導員の契約をする、なんて契約についての経験がほぼ無いので、事業部も海外営業部も、その差についての認識がほぼないことが、その案件での経過で判った。
客先も恐らく、据付のエキスパートに1日数万円の金を払うのだが、なぜ設計者をも、それも、設計者を指導の責任者として派遣するのだろうかと戸惑ったに違いない。この頓珍漢な感覚の違いが、その後、僕と海外営業部や事業部側との連携に食い違いが起こり、それは、仕事を終える迄どころか、仕事が終わってからも続いた。
海外営業との連携については、海外営業部長は、事業部が有能な馬場君に代り、据付素人と思える僕を派遣することに、非常に怒っていて、僕が初めて現地に出向するのに、英語も話せないことを知りながら、営業員を付けようとはせず、それどころか、仕事の進展に伴って、僕を援護するどころか僕に対する不満を事業部に言い続け、それは、据付指導が終えてから、試運転後に客先から据付完了証明を発行してもらって帰国したにも拘わらず続き、更に保証期間が終わってからも、僕の据付指導への猜疑心を持ち続け、会うたびに反感を露わに示し、それは、僕が東京に転勤してからも続いた。
海外営業部の営業員が現地を訪れたのは、据付工事が後半になった頃で、僕には何の力にもならなかった。訪れた営業員は、僕が客先への提出文書にサインと共に、冗談半分でハンコをおしているのを見て、海外ではハンコはつかいませんよ、とアドバイスをして帰っていった。海外営業部長は据付指導を無事に終えた頃に現地を突然訪問してきたのだが、その現地で据付工事を請け負っている工事会社が順番にパーティを開催するのに遭遇して、僕に「我が社もパーティをやったらどうか?」と提案した。しかし、僕の管轄する費用は、あくまで指導員派遣のみの製番、つまり、僕を含めた据付指導員の日銭だけであり、現地に滞在する据付業者のように巨額の据付費を管轄するわけでもなく、僕ではパーテイの費用を工面する権限も予算もない。返事のしようがなく黙っていたら、それ以上の要請はなかった。
更に、日本に帰ってから、設備を設計した設計者が、「現地出張の準備も全部していたんですよ」と、現地に呼んでほしかったとの雰囲気で僕に言った。
だが、設計者の僕が現地に居て、日本の設計者に応援を頼むなんて奇妙で、面子上も出来ないし、それに、設計者の現地出向費を、僕の管轄する指導員派遣製番内の費用でまかなうなんて出来ない。つまり、彼が現地に出張するには、元のFOB費用内で処理せざるを得ず、それは僕の管轄範囲外であり、その決定は日本国内側、つまり課長やFOB案件のプロマネ、つまりは彼の上司にあったのだ。
初めから終わりまで、現地と日本国内の認識がずれたままの案件であった。
据付指導員だけの製番ではあったが、現地での客先との交渉は僕がせざるをえず、納入品の不良等の改良費も僕の管轄費用内で処理した。が、それでも、僕の管轄範囲内で2000万円もの利益が上がったのだが、通常の工事を含めた製番と比較すると、利益の額としては小さく誰も褒めてくれる人は居なかった。が、ただ、僕への課長の苛めはこの仕事を無事に終えるとともに終わってしまった。
加えて、現地ではホスターウイーラーの作業時間との関係で、僕や僕の部下には、かなりの残業費が発生したのだが、当時は、イラクの案件、それに、シベリアの案件が大赤字だったので、事業部側の管理部長の判断で、僕らの残業費は半分を召し上げられ、それらの赤字に回されてしまった。それどころか、僕の上げた利益さえも、それらの赤字案件への補填に使われて、経理上では事業部外には利益が計上されることもなかっただろう。
ところで、僕は、僕の携わる製番については、定期的に経理から、製番別支出一覧出力を常に手に入れて、製番の損益状況は常に把握することにしていた。その結果、僕の部下として一緒に出張した現場員の出張費が僕の出張費より多い、なんて馬鹿げた状況を見出だした。出張費を担当する総務に問い合わせると、新居浜の総務からデータを入手するとのことであったが、新居浜の総務はそれを拒否したとのことでうやむやになってしまった。要するに新居浜から出張した社員の出張手当は、新居浜以外の部署からの、しかも、職階の上級者の手当より多いってことですな。各製番の損益をカバーし合うのはまだ良いとしても、各個人への出張手当の不公平までも誤魔化すって、新居浜内の仲間意識が不愉快であったが、それが新居浜だろうとあきらめた。
世界一やさしい「やりたいこと」の見つけ方、と、新ビジネスチャンス発見力
日経の土曜朝刊で書籍の紹介があり、そこで、世界一やさしい「やりたいこと」八木仁平著の見つけ方 を見かけて図書館で借りた。なかなか人気のある本で、忘れた頃に図書館から連絡がきた。
読み始めたが、僕にはもうほぼ用の無い本で、もっと若い時に読むべきであった。要約すると、やりたいこと(情熱)x得意な事(才能)x大切な事(価値観)、を十分条件とする事柄を探せとの事で、もっと若い時によむべきであった。なお得意なこと(たとえば記憶力があるとかの生まれつきのこと)とは、知識やスキル(例えば英語を話せるなど習得するもの)とは異なる。価値観とは、自由に生きたいとか熱中して生きたい、とかの、どう生きたいかを意味する、とのことだ。
新ビジネスチャンス発見力 小杉友彦著で、著者は大阪大学機械科の同窓生である。
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氏の訃報を聞き、NETで彼の著書があることを知り、メルカリで購入した。
読んでみると、簡単な説明で、効果的な内容であった。
なお、世界一やさしい「やりたいこと」の見つけ方、については、完全に同意できるとは言い難いが、その考え方そのものについては同意できると思う。
ともに、若い時に知っておれば人生は多いに変わったであろうと想像する。
なお、両著者共に、講演会などでの勉強は、殆んどが論者の自慢話に過ぎないと記している。日経の「私の履歴書」などは、その最たるものだろう。なお、僕の自慢話は、明確に自慢話と記しているので、それは許してもらえるだろう。