2026年2月23日月曜日

命がけの散歩

今年になって、本人は元気な積もりなのに、血液検査・側副血行路とか体の不調が続いている。恐らく去年の夏ごろから、主として暑さで、ごろごろと運動を全くしなかった報いだと思う。欠陥が見つかってから、朝の散歩を始めることにした。急激に運動始めたことで、左鼠経ヘルニアを発症し、ヘルニア帯でおさえているが、これは仕方がないだろう。
当初は、6時から1時間を高速散歩していた。印旛沼の北側、新川まで往復している。昔なら1時間の速足散歩と言えば、ほぼ、4km以上だが、この歳になると4kmに満たないかもしれない。命がけの散歩だ。散歩の前の血圧は、130~140と比較的高いが、散歩後は130未満が維持される。命がけだから死ぬまで続けねばならない。帰宅後測定すると、118/71 だ。これで、1日中135/85(済生会の先生の危険指定値)未満は、ほぼ維持されると思う。風呂に入れば下がるから問題ない。しかし、夜間が判らない。早朝血圧は高いが、もう気にしないことにした。

話は変わるが、散歩の途中の新川は、田沼意次が干拓を企画した印旛沼からの河で、この川自体が彼の掘削した川なのだ。印旛沼に流入する川は印旛沼の北東部に流入する神崎川で、この河は房総半島の中央部から、実に広い流域からの水を集めて印旛沼に流れ込んでいる。しかし、印旛沼から流出する河が存在しないので、印旛沼周辺はかっては広い範囲で沼地であったわけだ。田沼意知が活動したのは1750年頃で、結局彼の干拓と言うか、彼に命じられた諸藩の努力は失敗に帰した。彼の干拓は、印旛沼の南部から東京湾に流れ込む水路を造ろうとしたのだが、尾根を削れ切れなかったので失敗となったのだが、明治時代に設置されたポンプを使って、印旛沼の水位を低く維持しているわけだ。この状況は、京都の巨椋池での出来事と同じように思える。
それはともかく、人生の最後を、こんな歴史的な場所に住むとは思わなかった。

余談になるが、房総半島に椿湖と称された大きな湖があって、これは、やはり江戸時代に、99里浜への水路を設けて排水して、巨大な田園ができたが、こっちの方は見事に成功している。ただ、流れ出す水量が大きすぎて、村が一個流失したらしい。

結局僕は、死ぬまで散歩を続けねばならない。
真冬の早朝では寒すぎるので、今は、食後8時頃から始めている。
ところで、最近、NHKで放送があったが、過剰な食事をすると、本来はエネルギーとして蓄えられる肝臓内だけではなくて、他の臓器にも蓄えられるらしい。その脂肪が維持されるとその臓器の機能も損傷されるとのことだ。ジョッギングやウオーキングはこの多臓器内の脂肪消費に役立つらしい。更に、高速ウオーキングの他臓器内脂肪の消費率は、高速ウオーキングがジョッキングの2倍らしい。つまり、消費される脂肪の内、多臓器内の脂肪は高速ウオーキングの方が効果的に消費されるらしい。ただし、消費される脂肪の総量は、高速ウオーキングとジョッギングで同じケースを比較しての話だろう。つまり、同じ距離を高速歩行とジョッギングで通過する場合に、必要なエネルギーが同じとした場合の比較だと考えれば良い。
それはともかく、高速ウオーキングする身としては有難い話だ、と、せっせと歩いている。

2026年2月15日日曜日

またまた久しぶりで、住重に勤めていた時のことを思い出した。

 設計に所属しているのに、現地の据付指導員に、それも、バングラデッシュなんて国の、しかも、自分がプロジェクトリーダーでも担当技術者でもない案件の、更には、設計部に所属する僕を据付指導の責任者として、肥料ハンドリング設備の建設に送り込むって話は、既に記載した。僕自身が、相手会社がどう理解するのかと不思議で仕方なかった。
僕が逆の立場、つまり、据付指導者を受け入れる立場なら、そんな技術者を送り込もうとされれば、据付技術者を送ってくれと拒絶するであろう。
また、輸出営業部長が、元々予定されていた責任者を、他の設備の責任者に取られたことを怒って、代理の僕を目の敵にしたってことも記載した。
更には、僕の指導する案件が巧く運んで、その営業部長が現地を訪問した時に、たまたま、他社が現地でパーティを開くのを見て、手のひら返しで、僕に愛想よく、君もパーテイ主催しろよ、と言ったことも書いた。が、そもそもパーティを開いていた他社は、設備を納入するとか、設備を据え付けするとか、大きな金額を受注した会社であって、僕の様に、指導員の日銭を管理するレベルと言うか、立場ではパーテイなんぞ開ける予算が有るはずない、と不思議なことを言いだしたなぁと思ったことなどを記載した。
更に、突然思い出したのだが、
元々、その設備を設計したグループは、松木伝のグループで、担当は、森本、長谷川って部員であった。僕が無事に据付を終えて、日本に戻ってきたのだが、長谷川君が、恨めしそうに言ったのだ。
{志水さん、僕は応援に行く予定で、荷物も準備していたんですよ」
それを聞いて、あれっ、僕が彼を応援で呼ぶべきだったのかな、と戸惑った。
しかし、直ぐに、それは出来ない筈だと気づいた。
先ず、設計的な問題があったとしても設計者である僕が現地指導の長で居る以上は、応援を頼めば、それは、僕の設計者としての能力が劣っている、と公言することに等しい、ってことで、それを他者から批判されることになる。
更に、その設備の据付指導では、我々据付指導者費用(人件費、宿泊費)は、客先が支払っていて、僕の要請で応援者が現地に来るとすれば、その旅費、人件費は、客先の支払い範囲ではなく、僕が管理する”現地指導員費用”で賄うことになる。そんなことが出来ない以上は、長谷川君の応援判断は、元々のプロジェクト側で判断すべき事柄になる。

なぜ、長谷川君にはそれが判らないのだろうと不思議に思った。
実際、僕が帰国する前に、松木伝は、彼らの管理する本体費予算内で、現地を訪れているのだ。彼つまり松木伝が現地に来ようが来まいが、それは、彼の管理するプロジェクト費用で賄われるのだから、僕には関わりがない。

それに、そもそも、わが社納入品の梱包内容混乱がトラブルの大元で 、その原因は、現地での僕の部下である仕上師が原因なので、日本には文句も言えず、加えて、試運転時に、Aライン起動のスイッチを押すとBラインが起動して、Bラインを起動すればAラインが動くなんて根本的な問題でもドタバタしたが、長谷川君が来たとしても何も出来なかっただろうとも思った。
今になって思うが、AラインBライン問題は、帰国後、その原因を追求すべきであったろう。
当時の制御盤はリレースイッチが主体のため、制御盤内の配線を全て入れ替えることが必要であった。試運転時に追加要員として参加した電気検査員のおかげで処理できたが、最初から参加していた頼りにならない電気検査員は一体なぜ長い据付指導期間内に、この問題を見つけられなかったのだろう。それに、制御盤の納入テストでは仮配線でテストするのが必須で、そこには我が社の電気検査員が立ち会っている筈で、そんな不良品がテストを通過する筈が無いのだ。そもそも、設計時点でなぜかような配線図が審査をつうかしたのだろう。種々の関門をかような欠陥品が通過する筈がないのだ。

などと、いろんな点で、住友重機械って、この辺りが不思議な会社なのだ。

据付終わって帰国したが、試運転まで1年程度かかった。他の設備の据え付けが長引いたのだ。さて試運転となったが、試運転要員の要請を新居浜機械(仕上)課に頼んだら、「据付時の仕上師はトルコの案件に引き抜かれた。経験のために若いのを選んだ」とのことで、その課長は、僕の所には未経験な連中を送り込むのが好きらしい。トルコの案件は松木・森本ラインで受注して、信頼できると思っている僕の時の仕上師を、誰の意図かは知らないが、引き抜いたわけだ。
僕は、内心ほっとした。彼の代わりなら誰でも使い切れる、とほっとしたのだ。新居浜の殆どの職人は実に頑張り屋が多いので、その信用ならない仕上師以外なら使い切る自信はあったのだ。結局、バングラデッシュの案件のトラブルの原因は、殆どが彼なのだが、それを知っているのは僕だけで、彼はいかに自分がバングラデッシュで活躍したかと吹聴したのだろう。逆に、僕が無能であるとも言いふらしている筈だと思った。
ってことで、その新人も有効に働いてもらい、僕は無事に任務を達成して、帰国したのだが、その後、聞くところでは、トルコ案件は大赤字になったらしい。バングラデッシュに比べて大きな設備であっただけに、梱包の混乱や部品の確認、それに、品質の確認が十分なされなければ、当然、大問題が生じると思っていたが、結局は大赤字になったことだろう。
据付、特に、海外での据付では、物品の管理が成功の鍵を握る。
僕の行ったバングラデッシュは、日本で梱包管理を任された、その信頼できない仕上師が、全く管理せず放りっぱなしにしていたせいで、梱包は、もう、無茶苦茶であった。彼もまた僕と同様に、その修正に苦労した筈だと考えたが、彼は全く意に介してなかったのだ。それはつまり、僕とは違って、その設備の完成に全く責任を感じてなかったからだろう。だから、彼は何度も同じ失敗をして、それでも特に責任を感じないのだ。

ところで、ここまで書いて気付いたのだが、その信頼できない仕上師やら、経験不足の仕上師は、新居浜の機械(仕上)課から派遣されてきたのだが、そこの前野課長は、どちらかと言うと商売人で、僕には余り付きあいたい人では無かった。そんな事情で、彼もまた、僕を軽んじて、他にもっと真面目な課員が大勢居るのに、彼らを選ばず、さような中途半端な人員を僕の手足に送り出していたと思っていたのだが、実は、前野課長とコンベヤ課の土居課長、松木、森本ラインは、お互いに遣り手と認識し合っていた筈で、トルコ案件に信頼できない仕上師を送り込むと、下手すると大問題を起こすかもしれないのに、なぜ、彼を送り込んだのだ、と考えたのだ。
考え着くことは、前野課長も、その信頼できない仕上師が、僕の部下として、バングラデッシュ案件の、梱包管理と、現地据付指導を見事に果たし、他方僕は、単に現場に居ただけ程度の存在だった、と考えていたのだろう、と推察できる。
それに、信頼できない仕上師は、僕の滞在前期の、帰国時に、実に大きな木の箱を作り、それを日本に送った。なんでも、「課長へのお土産を大量に入れる。大変なんですよ」と言っていた。
こういう点でも、信頼できない仕上師は、自分の信頼を維持していたに違いない。それにまた、僕を貶めることでも、いろんな人の評価を維持したに違いない。

2026年1月2日金曜日

久しぶりにamazonで靴を購入した。

 靴は、ずっとTEMUで購入していたが、TEMUの靴は、ことごとく、靴底かかと部分の寿命が1ケ月程度と余りに短く、1500円程度と安価ではあるが意味がないように思えて、久しぶりにamazonで購入した。それに、足幅が大きい僕の場合は、足底長さは本体26cmなのだが足幅が大きく、4Eサイズが無いと、26.5cmの靴にしなければならない。TEMUの靴には足幅の規定がなく、したがって4Eの靴は無いので、僕は常に26.5cmの靴を購入しなければならない。
そんな事情で、今回はamazonで、26cm 4Eで、3000円弱で購入した。4E品と銘打たれているのだが、寿命については、メーカーは同じ中国なので、その点は心配だ。しかし、ダンロップ品となっていて4E品ともされているので、充分に期待できるかなと思う。


https://www.amazon.co.jp/dp/B0BL3G1HB2?ref=ppx_yo2ov_dt_b_fed_asin_title&th=1&psc=1
DUNLOP REFINED(ダンロップリファインド) メンズ ダンロップリファインド DM2011幅広 4E 通勤 通学 白スニーカー 22~30cmメンズ ウォーキング ランニングシューズ 運動靴


翌日の3日には靴が到着した。ダンロップの軽量形で、前回と同様の製品だ。
恐らく寿命的には、TEMU品よりは大丈夫だろうと思える。
靴のサイズは、以前通りの26CM4E品だ。ただ、暫くTEMU の26.5CMを履いていたので、足が大きくなっている可能性がある。
差しあたっては、古いダンロップ品を擦り切れるまで履くので、新品の履き心地は、暫くは不明になる。

2025年12月30日火曜日

新しい文庫本をかりてきた。

 数多久遠の航空自衛隊副官 玲於奈
空飛ぶ広報室 有川浩
ヘビメタ中年 荒木源
総力捜査 安東能明
オレタ達花のバブル組 池井戸潤
の5冊だ。

数多久遠の航空自衛隊副官は、読み初めに、ミサイル戦の専門家的知識が多い。かなり専門的で疲れる。
実は、僕は自衛隊の仕事で、主としてミサイル等の自動倉庫型弾薬庫の仕事をした。
弾薬自動倉庫を航空自衛隊東北支所と高蔵寺分屯基地の2か所に納めた。その時は、何しろ、自衛隊に納めることが会社の初めての仕事で、しかも、弾薬庫に自動倉庫を採用すること自体が、恐らく、世界で初めてのことで、その自動倉庫に保管するミサイルは、棚の中の一個でさえ、納入する自動倉庫自体よりも高価で、しかも、危険な代物なので、それを計画することに必死であった。そのため、ミサイルそのものの運用とか機能とかに興味を寄せる余裕がなかった。と言うか、僕が担当する設備は、わが社が概ね過去に誰も対応したことのない設備が多く、計画して見積もりして受注して設計して納入するとの一連のワークだけで気力的に精一杯であった。今になって、納入した設備のそれぞれに、もっと広い視野で興味を持っておれば、いろんな知識を得て、より興味深い人生を過ごせたであろうと後悔しきりだ。
それはともかく、そのような事情で、この人の作品は、この人の専門性に追いつけず、残念ながら途中で読破を中断した。後でちらっと後半を読むと、話は、専門的な話から、突然上司の私的な話へと変わっているが、どうも興味を引くようなストーリイでもなく、ついに読み続けをやめた。
空飛ぶ広報室 有川浩の作品は、空自の職場のことでありながら、上記のような専門性はなく、その意味では面白く読むことが出来た。作者は自分の専門分野でもない職場を背景に実に興味深くストーリイを作り上げたものだと感心させられる。他方、僕は同じ空自の仕事に携わり、空自の各所を回ったにも拘わらず、もっと広い視野で空自の組織とか活動、それに、そこで働く人そのものを知る機会を失ったと、これも後悔しきりだ。
とにかく、本書はなかなか面白いと思った。
そう言えば、我が家の近くに陸自の習志野駐屯地があるので、遅まきながらも、自衛隊のことを知る機会を作る積もりだ。





2025年12月28日日曜日

枚方市には、変人が多いらしい。

 今日、変わった投稿を読んだ。自分の名を検索していると、突然ひっかかった投稿だが、僕の名前とは全く関係なく、何故引っ掛かったのかが判らない。
https://www.hira2.jp/special/kyobashi-20251220.html
要するに、終電を逃して、レンタルの電動自転車で、天満橋から枚方市駅まで帰るって話だ。
通常、そんな場合は、近くのカプセルハウスに泊まるのが一般的だと思う。が、僕も恐らくその一般的な方法は取らず、例えば、どこか風を避けれるビル内に隠れるとか、何とか相乗りタクシーに乗り込むとかの方法を取ると思う。なぜそうなのかは判らないが、結論として突飛な結果になると思うのだ。。要するに、悪い意味か良い意味かは判らないが、非常識なのだと思う。勤めている時には、遅くなれば、どこかに泊まれば、恐らく、宿泊費は会社から出たと思うのだが、それに思い至らず、自分の出来る範囲内で、出来るだけ安く処理しようと思うわけだ。要するに、臆病で無知なだけだと思う。それはともかく、実は、僕が京都東山を隔日で何日かかけて、桃山城あたりから比叡山へ縦走した時だが、大文字山に登った時に、これは話題が別だが、途中ですれ違った40歳程度の男性が、突然、声をかけてきて驚いた。「失礼ですが、お歳は幾歳ですか?」と問うたのだ。それは、まだコロナ前のことで、「75歳です」と答えると、「私は、XX歳です。私の夢は、60歳になっても、大文字山に登頂することです。貴方が羨ましいです。頑張ってください」と答えて降りていった。あれあれ小さな夢だな, とは思ったが、悪い気はしなかった。

ところで、帰宅が遅くなったらどうするかの話だが、この話題の主は、電動自転車で枚方迄帰るストーリイを投稿したわけだ。
話は、東山縦走のことに再び戻るが、大文字山に無事登頂して、と言うか、大文字山って、標高数百メートル程度のたいした山ではないので、すれ違った若者と言うかおっさんと言うか、彼の夢は、小さな夢だな、との感慨が残った。山頂でなかなかの景観を楽しみ、ゲストハウスで作ったタップ弁当を美味しく頂いて下山した。降り口周辺で歩いていると、20歳前後の若者がうろうろしていて、突然比叡山はどちらの方向ですか、と僕に声を掛けた。比叡山は、大文字山に続く方向だから、あちらの方です、と言うと、「ありがとう御座います。実は僕は、枚方から歩いてきたのです」と言って去って行った。
先の、電動自転車の青年の投稿を見て、僕は、大文字山の事、それに、僕の経験も思い出して、どうやら、枚方には、僕も含めて変人が多いのかな、と思った。

ところで、僕も経験が増して、投稿主の様に、帰宅が遅くなった時の対策だが、快活クラブを一度使ってみたいと思っている。精神的に、ちょっとは、成長したのかな。

2025年12月26日金曜日

側副血行路の更にその後、それに、文庫本読破のその後。

 本日、習志野済生会病院の竹田先生の受診だった。
やはり、心臓の冠動脈の右側が弱っているとの事で、その実情検査としては、腕からのカテーテルが必要とのことだ。そこで、僕の都合で3月のパルスメーカの検査の時に日程決めようとなった。更に、血液検査の結果から、冠動脈対策で、悪性LDRの値を下げるのが良かろうと、その飲み薬と、加えて、血液をサラサラにする薬を飲むこととなった。一気に薬が多くなった。上記の事情で、3月が多忙になりそうなので、民宿は3月も閉鎖とした。

ところで、目覚めた文庫本読破だが、講談社文庫 井坂幸太郎の魔王、阿部智里の鳥に単は似合わない、石田衣良の憎悪のパレード を読み終えたというか、井坂幸太郎の本以外は、阿部智里の本は、八千烏が登場人物であり余りに幻想的で、石田衣良のは子供っぽく、途中で読破放棄したし、伊坂幸太郎のは、読みごたえが有るにはあるが、唐突に終了して、続きがあるのやら、ないのやら、って思いだ。
これなら、僕の小説の方が、読みごたえもあるし、文章もうまいとさえ思えた。
僕は、住重物流で、確実に仕事をこなしているにも拘わらず首切りにあったが、その後、環境施設のリサイクル施設を担当する外注さんになったので、小説を書き続けるだけの気力をうしなったのだ。その首切り直前には、月刊朝日の新人賞では、最終3人にまで残った実績もある。しかし、外注さんになると、その精神的余力を失い小説書きはあきらめたのだ。
その頃に書いたものを読み返すべく、以後、ここに載せてみる。
それに、図書館の文庫本読破も続けようと思う。

2025年12月24日水曜日

側副血行路のその後

 昨日、習志野済生会での胸部レントゲン撮影、心電図検査、胸部エコー検査に行った。
丸山クリニックでのエコー検査での結果を受けての検査で、金曜日にその結果が示される。ただ、前回には、心筋部動脈の側副血管路が出来ているとの指摘に比べて、今回のエコー検査では、「はっきりとは判りませんね」とすっきりしないセコー検査技師の話だ。丸山クリニックの女性技師は、「20年以上も携わっているので確実です」と言っていたのと、かなり違う。それは、竹田先生の判断に任せるとして、その診察は今週の金曜日だ。
ところで、検査の前に血圧を測ったが、それは、内科受付の待合室の横に、2つの柱毎に2台、つまり4台の血圧計があるのだが、血圧の前に手荷物入れに荷物と、厚手のコートを入れて測定した。病院で血圧を測定すると、概ね、かなり高めに出るのだが、最近はそうでも無くなって、2回測定したが、130以下でほっとした。服を着ようとすると、1人の老人、でも、僕と同年齢なんだろうなと思うが、その老人が僕が終わるのを待ち構えていた。あれっ、他のは空いていた筈だがと廻りを見回すと、やはり4台の内、僕以外には血圧器を使っていない。変だな、とは思いながら、服を着て立ち上がると、その老人は僕の経った席に座り、腕を測定機に突っ込みもせずに、起動スイッチを押した。変だなとは思いながら、腕を差し込むのですよ、と言うと、上着をきたままで差し込み、スイッチを押した。が、やはり、測定値は180と、異常値を示した。「やはり上着は脱がないと・・」と言ったが、老人は何もしない。表情がなく気力もない表情のまま座っている。
ここで、僕は、ああ、この人は完全な認知症だな、と思い、周囲を見回すと、看護婦の補助の様な女性がいたので、事情を説明して、後は任せて、総合待合室の方に移動した。
認知症でも、人の言葉を理解できないレベルでは病院には来れないな、と愕然とした。
しかし、考えてみると、我が女房レベルの認知症でも、もう病院に一人では行けないな、と更に愕然とした。
今の病院のシステムは、マイナカードの登録、受診カードの登録、その後の、検査手順、と診察後の支払い手続きと、通常の人には、簡便になったようだが、そのそれぞれの手順は、複雑になっている。
はてさて、僕は女房より長生きできるだろうか、とも考えこんだ。