大阪拠点の庭対策については、あれこれと考えて対策してきたが、昨夜、我が家の庭のことを考えて恐怖を感じてしまった。さほど広くもない庭に、南面には幹が50cmもある山クリの木が 南東の隅に植わっている。ある時期に幹を切り、高さ3m程度で抑えたが、そこから枝が四方に伸びて隅を覆っている。その木 に連なって、高さがやはり3mほどに育った、どうだんつつじ、つつじ、続いて、ひめこぶしとか、と更に続いて、柿の木。玄関の階段周囲には、さつきが数株、高さ3mほどの杏子と李(すもも=プライム)に高さ2mの山椒、西側には実のならないぐみ、北西の角には3m高さの実が殆どできない柿。それらの株間に、アジサイが3か所で、勝手に生えた南天が2か所。これらが梅雨時になるとジャングルさながらに茂るのだ。これらは梅雨明けには激しく剪定して、剪定枝は裁断して袋に入れて畑に掘った穴に運ぶわけだ。なんどもなんども自転車で、かなりの仕事だが、畑の栄養になりしかも、焼却ごみを減らして環境にやさしいなんて労力を惜しまなかったのだが、ふと、体の自由が利かなくなったらどうなるかと恐怖を感じたわけだ。
ってことで、本日は南東のクリの木をかなり剪定して、後は、北西の角のみのならない柿を残すばかりとなった。が、更に強剪定と、切断を前提に剪定作業を続ける積もりだ。
僕の体力が衰えたら、誰も、木の剪定をしないとして、庭を考えることにした。花に興味が湧いたことも、この心境の変化と関係するのかもしれない。
7月1日には、北西の角の柿を丸坊主にした。次は、背丈ほどに電動のこぎりでみじかく切断して、それでも生きて行けるか、はたまた、アウトになるのかは本人に任せる。
されど、7月9日頃には、大量の剪定枝も裁断して袋に入れて畑に運び、いちご畑のちごを来年用と破棄に分けて破棄分は、家の剪定枝と共に、いちご畑に掘った穴に、全て投入した。ついでに、畑の3畝ぶんの雑草も投入した。かくして、南面の雑草、畑の2畝分の雑草を除いては処理終えたが、暑くなりすぎて、後の仕事をいつするのか目途が立たない。
2023年6月30日金曜日
我家の庭はどうなるのだろう
2023年6月22日木曜日
大阪2泊3日を頑張りながら楽しむ。
庭のスイセンノウは、春から未だに咲いている。葉は弱弱しいのだが、地面にへばりつくように開いていて、今は群生しているので他の雑草の繁殖を許さない。そこから弱弱しい茎が高く伸びて何本かに枝分かれして先っぽに柔らかいピンクの花を咲かせる。全体的に弱弱しいくせに群落を作ると他の雑草を許さない。そこで、既に大阪拠点には、黒マルチに穴あけして数点を移植した。成長すれば、その周辺の黒マルチを除いて、増やすのも良いだろう。
ところで、大阪拠点には18日から二泊三日で往復した。交通費は、東西の近郊電車往復で2000円と昼間高速バス往復代金の5、000円の合計7、000円で、民泊の支払いは30、000円だから、僅かながらも利益は出た。なお予約時に27,000円と話し合っていたのだが、3,000円を足してくれたのだ。30,000円を出されたときに釣銭がなく、困ったなぁと思ったら、釣りは不要と言われて助かったのだ。僕の到着前日に長島温泉に行ったと言っていて、恐らく、長島温泉3人1泊と我が民宿3人8泊が同じ程度の費用だったので、気持ちが大きくなったのだと思うが、僕にはとても有難く思えた。
なお、宿泊者が出た翌日19日は、幸いなことに好天で暑すぎるほどだった。なれど、やるべきことは、台所や風呂の清掃や、2人分の布団干し、ふとんカバーの洗濯と、大騒動であった。更には、炎天下を、庭の黒マルチで覆った以外の通路の除草までやった。
その間、自分の衣類や寝具のカバー類の洗濯とかもと大変であった。当然ながら千葉から持ち込んだ野菜類を調理しての食事作りもやりながらだ。
なお、今回は卵も4個、卵パックに入れて運んだし、食用油やドレッシングも小さな容器に入れて運んだ。この辺りはだんだんと工夫の成果が表れている。
現地調達は、鶏肉、トウフとバナナで、拠点に行く途中のスーパーコノミヤで買った。残念なことに、駅近くのスーパーは潰れて閉店してしまっている。
米やカレーのルー、紅茶パック、一食分パック、即席ラーメンなどは現地に置いてある。
ところで、東海道昼間高速バスだが、夜間バスよりは安いし、朝の8時ころに乗ると、夕方の4時ころに着き、バスの先頭座席に座ると、走行状態や風景もパノラマ状態で観察できる。新東名、新名神になったので、旧東名・旧名神に比べると、海岸からは遠く離れたトンネル内を走行するってことで、風景は劣っているが、それはそれなりに飽きることはことなく楽しめる。特に、濃尾平野からの琵琶湖側への渡りだが、旧東名は関が原、伊吹山のそばを通り琵琶湖沿大津から大谷を経て山科に入るが、新東名は、木曽川河口を壮大な橋で横切り、そのまま高架で桑名、四日市を渡り、鈴鹿峠下を延々とトンネルで通過し、その後も、琵琶湖から遠く離れた山中をひた走る。なんとも壮大なルートだ。
とても疲れたが、達成感はとてもある。女房の病状が一段落して、民泊さえ再開できれば言うことはない。
今回は、おなじみの中国人母娘と、その親子と訳ありそうな枚方人で、なじみ関係での宿泊で、未だ公的には閉店中だが、それでも異国人を泊めるのは楽しい。言葉はわずかに交わしただけだが、彼女ら母娘が、ハルピン出身で、何と、大学で日本語を勉強していたことを知ることができた。希望的には、来年には更に彼らの人となりをもっと知ることができるだろうと、楽しみだ。
それと思うのだが、一回の調理で、6~8食分の作り置きをしているが、食前に異なった調味料を加えることで、味にバラエティーを持たせるのはどうだろうか?さすがに味に拘らない僕でも、そろそろ、その工夫も必要かと思う。
かようなスパイスは、実は、高速バスの足柄山SAでいろいろ売っていたようだ。それに、小さいながらも新城SAでも売っていて、しかも同SAでは野菜が安いし、卵ごはんに合う卵も売っていた。食い物に興味の無かった僕も、そろそろ、そちらの方も楽しむべきかと思う。
2023年6月11日日曜日
義理兄弟・ 義理姉妹が次々と亡くなってゆく
女房の兄弟姉妹とその連合いを含む、総勢17名が加島兄弟会として何十年にも亘り旅を繰り返してきたが、その最初は、なぜか最も群れ活動を嫌う僕が、会社の施設を使って箱根旅行を計画することから始まり、そんな旅の遣り方を兄弟会の長老たちが大いに気に入り、その後、東夫婦と交代で旅を計画し続けてきたのだが、何年か前から長老メンバーが次々と消えて行き、兄弟会の旅は、コロナ前には、東夫婦とのスイス、イタリア旅行が最後となった。
2019年、コロナ直前に認知症で施設に入っていた歌子さんが亡くなり、コロナ半ば2022年春に、歌子さんの妹の幸子さんが、やはり認知症療養中に亡くなった。そして昨日、幸子さんの夫である、小島敏克さんが亡くなり、明日葬儀との連絡を受けた。残るは、我が夫婦と、東夫婦、それに、認知症施設に入っている長男源治さんの妻、恵美子さん、それに、女房の姉の茂子さん、の総計6人になってしまった。
小島敏克さんは僕より10歳年上だが、我が女房との結婚に際して、女房の親代わりとして対応してもらい、その後も、他の兄弟たちよりも近しい関係であり、加えて、性格的に他の兄弟姉妹よりも似通っているとの思いもあり、それに、小島さんは頑丈な体格でまだまだ大丈夫だろうとの先入観もあって、体の力が抜けるような虚脱感を感じてしまった。
その思いと共に、残された仲間で、出来るだけ早く兄弟会の旅を、少ないメンバーではあるものの、再開したいとの思いが沸き上がってきた。残された先は、それほど長くはないのだ。
2023年6月2日金曜日
庭にれんげ草咲かせることの効果
大阪拠点を5月20日からに予定していたが、女房が造影剤CT検査で具合が悪くなり、それが4日間も続いたので6月1日からの1週間に変更した。ところが近畿地方が梅雨入りで、しかも、季節外れの台風が沖縄を襲いその影響で天候予想が、日に日に変わり、結局実際には大阪への移動バスは曇り空で、6月2日は激しい雨で、近畿地方は洪水警報や土砂警報が発令となった。期間が短く、現地での食事材料調達を簡略化するため、出来るだけ食材持参としたが、6月1日の高速バスが予定より早く着き、ガス業者の立ち会いまで時間が出来たので、卵と鶏肉、おやつパンは枚方公園駅からの道筋で追加購入出来た。大阪拠点に着いてみると、背の高い雑草は無いが、れんげ草自体は既に枯れて茶色くなって倒れていて、背の低い雑草が庭を覆っていた。しかも、柿とぐみが生い茂っていた。気候が変わり木の成長が早くなったらしい。れんげ草はそれなりの雑草防止の効果があったが、訪問が遅かったようで、5月半ばに来るべきだったようだ。さて、6月2日は天気予報通り雨となったが、早朝にはまだそれほどでもなかったので、柿とぐみを殆ど丸坊主にした。が、その後は雨足が強くなったので、家に入り食事準備とした。テレビでは洪水警報と土砂災害警報を続々と発しはじめた。3時頃になると、さすがに雨足が鈍ったが、気力を削がれていて、3日から頑張ることとした。業務用スーパーで買った六皿分シチューを作り置きしたので、かなり頑張れるだろう。
6月3日は、超快晴。南側庭に穴を掘り、雑草を埋め、農業用黒マルチを施工開始した。グミと柿の剪定枝は東側のブロック塀につみかさねた。3時までに、西側庭の全てと、南側の半分を黒マルチ施工をおえた。ついでに、南側外壁側の東西端に千葉から持参の苗をうえた。それで今日はおわりだ。二日分の洗濯物を干したし、がんばったからね。
なお、背の低い雑草とれんげ草の枯れ草は、さいしょは除草してうめたが、とちゅうから除草しないで黒マルチで覆うことにした。どうなんだろうか。
ところで、れんげ草の効果だが、斜め向かいのおばさんは、春は除草しなかったねえ、といっていたから、れんげ草には全く目がいっていなかったらしい。まいったねえ。6月4日は、9時迄に東側半分を黒マルチで覆った。これで、庭の3/5は黒マルチで覆ったことになり、雑草処理量が大幅に減るだろう。しかし、枝刈り後の処理場所が減ったので、処理が必要な場合は黒マルチをめくって穴を掘り処理枝を埋めて、再度黒マルチをかけるって対処することになる。
6月4日の夕刻にyahooメールをチェックすると、中沢さんって、我が民宿のごひいきさんからの5月26日のメールをみのがしていたのに気付いた。彼の知り合いの中国人母娘が、6月10日から18日迄宿泊したいとのことで、さいしょは無理かとも考えたが、ごひいきさんのことを考えて、19日に後始末にくればなんとかなるだろうと考えて段取りした。収入は3400円/日で総額2 7400円で、千葉からの交通費往復が7000円だから良かろうと、中沢さんと連絡して、ガス、水の閉栓を6月20日と延長を段取りした。6月5日は、屋内の清掃とかの準備に費やした。
かような商売もありうるか、と考えた。
この段取りに時間を取られて、巨椋池跡のライスフィールド訪問は止めたが、コロナに拠る長い休業で民宿稼業への執着が薄れていたのが、少ないとは言え2万円の収入に、何かやる気が湧いてきた。
2023年5月29日月曜日
中国原産の食品は、やはり注意すべきだろう。
買い物で、女房は必ず原産地を調べて、中国原産の物は絶対に買わず、値段に引かれて僕が手を出すと、人前も構わず僕を威嚇・恫喝する。だから中国原産食品を買うことはなく、値段的に僕は不満だった。ところが先日新聞で、中国産蜂蜜は殆どが砂糖シロップだとの記事が掲載されて、僕は愕然として女房の先見の明に頭が下がった。
その僕でも、中国産のあさりは、元々危険、それも相当に危険だと思っている。中国の河口では大量のあさりが取れて値段は安いのだが、中国河川の汚染は際立っており、特に河口には、更に砂州の辺りには汚染物質が溜まっているのだから、あさりは、それらの堆積有機物でとても成長するとのことだ。そのことが新聞やTVで報道されたのを視聴しているからだ。
そんな事情を春秋の筆者は知らないらしい。
でもまぁ、筆者の主となる意図は、あさりのことではなくて、あさりから原発汚染水の海洋放棄のことに話を繋ぎたかったのだけどね。
それと、トリウム水だったかの海洋投棄だけど、なぜ海岸からホースで投棄するのだろう。大型タンカーに積載して、太平洋のまっただなかに投棄すれば、東北沿岸の漁師たちを心配させなくて良いのに、と思う。
春秋(5月29日)
よく行くスーパーに、あさりの姿を見かけなくなって、もう1年以上がたつ。最初はこんなに長引くとは想像しなかった。熊本で発覚した産地偽装をきっかけに、なぜか他の国産あさりまでことごとく店頭から消えた。たまにあっても粒が小さく高いので手が伸びない。
▼おかげで好物のボンゴレも酒蒸しも味噌汁も食卓に上らなくなった。正直に中国産と書いてあっても当方は構わず買うのだが、世間はそうではないらしい。表記を「熊本」から「中国」へ改めたとたん、売り上げが激減して販売を諦めたという豊洲市場の記事を思い出した。見た目も味も同一のあさりのはずなのだが……。
▼海はつながっている。産地の国名だけで売れなくなるというのは、つまるところ「あいつのことは信用ならん」という相手への不信が原因だろう。こと口に入る物の問題となると人は理屈より感情が勝るように思う。先週、韓国から福島の処理水放出の安全性を確かめる視察団が来日した。原子力、放射線の専門家たちだ。
▼冷静に調査の内容が検討されるなら、結果は科学に基づく妥当なものになるはずだ。あとは日本への信頼を、かの国の人々が抱いてくれるかどうか。安全は科学的知見で保証できても、安心は互いへの信頼がなければ生まれない。だとすると、手ごろで身がぷっくりしたあさりが戻ってくるのは、当分先になりそうである。
2023年5月28日日曜日
花に目覚めるのも考え物だ。
僕が目覚めたのは、韓国ドラマと花である。韓国ドラマはハマりすぎて夜の2時3時まで見るとかで体を悪くしてしまった。花については、まだその途に就いたばかりである。
日経新聞でも同じような人を見つけたが、僕はそこまでは到達していない。
最近は散歩の途上でも、それに、枚方の拠点のお隣でもそうだが、特に枚方のお隣の場合は、ガレージの上にわざわざ盆栽置き場として構造物を組み立てて、その上に無数の盆栽やら花鉢を並べて盛大に植栽していたが、主が体を壊すと、盆栽の全ては枯れて、鉢は無駄に積み上げられていて、散歩の途上でもまた、さような鉢の産卵遺跡が寂しい姿をさらしている。僕としてはさようなことの無いよう小さく楽しむつもりだ。
花ざかり 昭和の路地裏 詩人・伊藤比呂美
うちの近所のパン屋の隣に園芸屋がある。
そこの店員さんは、日当たりや水やりのコツを聞くと懇切丁寧に教えてくれるのだ。次のお客を待たせても話し込んでいるが、つまり一人一人に誠実に向かい合ってくれているわけで、高齢の客が引きも切らない。
かく言う私も若くはなく、独り暮らしで1日中誰とも話さない。パンを買うついでに草花の苗を買い、店員さんと友人のように話し込むと、その日1日の目的はこれだったような気さえする。
私の家は、マンションの1階で狭い庭がある。せっかく庭がついているのに私は園芸が苦手だ。何を買ってきてもすぐ枯らす。庭の日当たりはあまりよくない。雨が当たるところも当たらないところもある。その上私は植える植物より生える植物に興味があるので、雑草と呼ばれる草を摘み取る気にならない。
少し前のこと。あの園芸屋でペチュニア1株120円、3株で300円というのを見て出来心で買ってきた。空いた鉢に植え替え、日の当たるフェンスにかけ、毎日気をつけて水をやったらよく咲いた。庭が明るくなり、人生も明るくなったような気がして、私はまたペチュニアを買ってきた。
3度目に買いに行ったときには目移りしてベゴニアを買った。赤い花が四季咲きに咲く。ペチュニアよりやや日陰を好む。その次はチェリーセージを買った。赤い小さな花が散らばって咲くのである。
やがて庭が花だらけになった。通る人が立ち止まって眺めるようにもなった。わざわざ写真を撮る人もいる。それで私はいよいよ得意になって世話をする。前から庭にいた植物たちにも水をやる。枯れ枝を取る。そして泣く泣く雑草を抜く。このようにして、30年もほったらかしだった庭がみるみる息づいてきたのである。
日の当たるフェンスにはジャスミンやローズマリーが野生化している。
雨の当たる半日陰にはミョウガが伸び、ホトトギスが茂り、アジサイがまるい茂みになって花芽をつけている。見切りをつけて外に出した室内観葉の鉢たちが墓標みたいに並んでいる。
雨の当たらない半日陰にはゼラニウム。冬には零下5度まで下がったからだいぶ枯れた。今は枯れたことなどすっかり忘れて葉を茂らせ、ピンクの花を咲かせている。
去年の秋、あの園芸屋で買ったユリの球根を空いた鉢にいくつも植え込んだ。その茎がぐんぐん伸びて、今は太陽の方を向いている。ユリたちが必死の形相で太陽を求めるので哀れになって私は考えた。よく日が当たるのはフェンスの外だ。それでユリの鉢を庭の外、道の上、フェンスにぴったりつけて並べて置いた。歩道の上といっても歩道脇の側溝の上だ。田舎町の歩道は広くて充分(じゅうぶん)に人が歩ける。
実はこれが私の原風景だ。私は東京板橋の裏町の路地裏で育った。狭い路地裏の道にはみ出して置かれた草花が四季に咲くのを見てきた。
あの頃、昭和の人々がプランター代わりに使っていたのは発泡スチロールの箱だった。昭和30年代のことだから、その素材そのものが出始めだったんだと思う。人々はその便利さに驚愕(きょうがく)し、せっせとからし漬(づけ)やししゃもを食べ、ないしは空き箱をよそからもらってきて、草花を植え込んで家の前に所狭しと並べていたわけだ。
先日、東京杉並区の裕福そうな古い住宅地を歩いた。塀越しに見る木々がオリーブやゲッケイジュとおしゃれだったが、既視感のある光景も見た。家の前に花ざかりのプランターが道にはみ出している光景だ。でもそのプランターはどれも茶色や白のプラ素材で、からし漬の発泡スチロール箱なんて使われていなかった。今どきは板橋区の路地裏でもそうなっていることだろう。
昭和の頃、私は発泡スチロールの並ぶ路地裏の光景を、ぞんざいでなりふりかまわなくてみっともないと思っていた。
私の母もまたそういう箱にサクラソウやミヤコワスレを植えて咲かせて道に押し出していた園芸好きだったが、私が母その人に持っていた印象もまさにそうだった。
昭和のあの頃、母はぞんざいでがらっぱちで、なりふりかまわずに生きていて、ああはなりたくないと若い私は思っていたのである。
今は母のサクラソウやミヤコワスレがやけに懐かしい。今度は、といっても来年になるけれども、あの園芸店でサクラソウやミヤコワスレを買ってきて、鉢に植え替え、道の上に置いてみようとさえ思っている。
2023年5月20日土曜日
山科盆地
ぶらタモリで、山科がテーマとなっていた。途中から見たのだが、先ずは、旧東海道の周辺民家の垣根の石積に、車輪跡のくぼみが付いた石が、それはつまり、かっては、牛車のための敷石であった石が使われているとの話題から入っていて、僕の訪れたローマのアッピア街道では石が敷き詰められていて、やはり、馬車の車輪後が凹んでいたことを思い出した。共に見事に深く半円形にまで凹んでいる石であった。ブラタモリはその後は、山側へと進み、山科本願寺遺跡の掘割が話題になった。場所は、新幹線から僅かに山側で、東海道高速バスが、逢坂トンネルから出て高速を降り、山科盆地を新幹線と並行して走る道路の直ぐ北側、つまり僅かに山側であった。ただ東海道高速バスは、逢坂トンネルを出て京都駅まで行くのと、若干南側の高速を直接大阪に行く、京都深草(実際は京阪藤森)経由があり、本願寺跡のそばを走るのは京都駅行きだけである。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E7%A7%91%E6%9C%AC%E9%A1%98%E5%AF%BA
京都駅経由は一般道で渋滞に掛かりやすく、それに大阪の拠点には近いので僕は深草経由を最もとする。
その後、ブラタモリ達は更に北に進み旧東海道線跡を紹介したので、その後はてっきり琵琶湖疎水の紹介があるものと期待したが、旧東海道線路後で話は終わってしまった。どう考えても、それはないだろうと思った。
しかしながら、僕はなぜか山科が好きなので、まぁ良しとした。僕が山科が好きなのは、音羽山とか琵琶湖疎水をうろついて、その意外さに驚いたからだ。また行きたいと思っている。今度は音羽山から逢坂山トンネルに降りて、そこから直接、琵琶湖疎水にゆき、南禅寺に向かいたいものだ。
https://isabon.blogspot.com/2019/05/blog-post_7.html