2019年5月7日火曜日

音羽山への山科東山の縦走 short trip to otowayama in yamashina

京阪六地蔵で降りて、7:00 旧道を北東に向かい醍醐寺手前で 7:30 782号線を東に向かう。その道は一応府道なのだが、車一台がやっと通るような道で、最初は簡単に通り過ぎて、醍醐寺まで行きすぎ、そこで気づいてGoogleMapで確かめた。戻って782号に入り東に向かった。その府道は女人宮前からは完全に登山道となる。しかも、その道はなかなか素敵な道で、道の両側の家々、その後は、竹林と続くが、共になかなか美しい道なのだ。その道もいよいよ険しくなり、なんとか登れるような急勾配と曲がりくねりとなる。かなり歩いて漸く横峯峠に達する。ところが、横峯地蔵を過ぎてすぐに 8:30 横峯峠となるのだが、ここからは舗装道路が北に続いていて、その舗装はかなり古びているが、車2台程度の比較的平坦な道が尾根道として続いている。更に、その途中で、山科南部と京都南部を越えて、遠くに八幡山、天王山も見通せる眺望がみられる。なお、この奇妙な尾根道はGoogleMapで、StreetViewでも見られることを帰宅後確認した。
この広い尾根道の続くこ状況に油断してその道をたどり過ぎ、音羽山への分岐点を過ぎてしまったらしい。この分岐点も帰宅後StreetViewで確認したのだが、その時点では、道は音羽山への道に気づかぬうちに東に向かい、広大な太陽光施設に入り込んでしまった。その周囲をぐるっと回って、ハイカーの皆さんに迷惑をかけます、との看板の所から、荒れた登山道になった。昨年の台風で倒れたと思われる多くの倒木を避けてかなり無理矢理に登っている間に、赤い鉄塔の立つ山頂に出てしまい、そこからは道はなく、あきらめて鉄塔保守用の道に沿って降りて行き、登山道らしき道を見つけて進むと、再び分岐を間違ったらしく、先に登り着いた赤い鉄塔に至った。再度戻り、荒れた登山道を進むと、漸く東海道遊歩道に至ったが、到着したのは、音羽山方向とは全く違う西千頭岳の頂上であった。北の音羽山に向かうべきが、東に向かったのだから当然のことだろう。東海道遊歩道は比較的整備されてはいたが、難路が延々と続き、パノラマ台に至り、漸く琵琶湖の南端は見えたが京都側と比叡山は全く見えなかった。そこからも更に難路が続き、しかも、便意に苦しまされた。また、余りの長時間の難路で、しかも、朝食は5:00と早かったので、エネルギーが切れてしまった。
それでも頑張って何とか音羽山山頂に至った。11:30
山頂の展望台からは確かに、京都東山の稲荷山を越えて向こうに京都市外がみえて、右には比叡山、琵琶湖が見えるって贅沢な眺望であった。僅かな休憩後、北へと向かい、途中、4号線**って看板が有るので、山科へとは別のルートが有るのだろうと急勾配を物ともせずに下って行った。途上、ロープがはってあるので、これは行けるだろうと思ったが、道もロープも突然急な沢の所で無くなった。この状況に力尽きて倒木に座り込み、持参した昨日の残り物をタッパに入れた飯とハヤシライスを胃に放り込み、漸く力を取り戻した。どこかでウンチをするかとも思ったが、まだ我慢できるだろうと、来た道を登って展望台まで戻った。どうも、去年の台風被害で復旧しているのは、比較的利用者が多い有名なルートだけらしい。
展望台には、来るときには居た4人程の地元のひとは居なくなっていた。彼等は石山側から車で音羽山麓まで来て、簡単に登ってきたらしい。二組は犬連れの散歩って雰囲気で、僕のようなハイキング装備ではなかった。(かなりいい加減な装備だが少なくとも雨具と昼飯は準備している)
山頂の標識の所に戻って大谷へのルートを確認して下りはじめた。大谷は方向としては北に有るのだが、頂上からの降口は西に向かっているのだ。その道はかなり穏やかで歩きやすく、その道がかなり続いたのだが、突然、急な階段道となり、それが延々と続いた。余りの階段に、足のすねの両側が強く痛みだして、途中からは休み休み降りて行った。情けないことだ。もっと底の堅い方が良いのかと、トレッキングには靴を変えねばならないかとも思った。
漸く谷底に降りると1号線の逢坂山トンネルの山科側出口であり、階段の出口に管理区域との標識が下がっていた。東海歩道そのものは、この標識を越えることなく更に山を越えてゆくことになる。
大谷駅に向かうには管理標識をくぐり、1号線横の、街中の道を100mほど西に進むと、京阪の大谷駅で、「なるほど、ここは、大谷だ」と思わせる地形であった。
この駅からは、京阪が山科までで、そこから先は、地下鉄東西線が西は、3条京阪から大秦天神山へ、南は六地蔵までつづいている。3条京阪経由で枚方公園まで、730円、六地蔵経由で760円であった。往路は六地蔵まで、330円だったので、総額1060円であった。タッパ入りの昼食ってこれからは多いに使うことにする。
とにかく、足の痛くなった一日だったが、翌日には痛みは薄れた。つまり、ありがたいことに、この痛みは一時的なようであった。

















疲れるが楽しい旅だった。
 
 

2019年5月5日日曜日

巨椋池再訪

5月4日 ゲストが到着前に巨椋池を再び訪れた。田んぼには水が引き込まれていると考えていたが、耕運を終えたところのようだった。関東より田植えが遅いようだ。
今回は、巨椋池跡地を見てから、淀川(宇治川)の左岸の堤防に上り、そこにある道を八幡駅まで歩いた。疲れた。















There are so many high-ways around here, but at here, there is a old type crossing with Keihan Railway.




ゲストハウスに帰宅すると、まだ10時過ぎであった。楽しかった。

巨椋池跡地訪問

一度、巨椋池の跡地を訪れたいと考えていた。
10月初めにいったんは自宅に帰り、10月22日に再度枚方に出かけた。

バスの旅の見所としては、往路、復路共に、紅葉の季節には早いが、景観は素敵だった。しかし、不思議なことに同乗者たちは富士山にさえあまり関心を持たないようだ。富士の景観としては、御殿場PAでの富士が最も壮観だった。また、富士のすそ野から立ち上がる富士裾野演習場からの富士もなかなかのものだった。

殆どの農村はその姿を変えた今、甲南PAの上り側 からの農村風景も捨てがたいものになってきた。だが、斯様な風景を鑑賞する人も少なくなったようだ。窓のカーテンを閉じて眠り、パーキングエリヤで目覚めてトイレとか食料調達に行く人が殆どだ。もしくは、スマホに耽っているかだ。
さて、巨椋池跡地探訪だが、中国からの宿泊者を送りだし、布団干しやカバー・シーツ類を洗濯したから、巨椋池跡地を見にゆくことにした。場所は、京阪電車の中書島から、南側の宇治川の更に南側辺りだと目星をつけて、GoogleMapでも調べたが、航空写真で田んぼが広がっている辺りに巨椋池と表示されている。要するに、京阪中書島で降りて、観月橋を越えて、近鉄の踏切を越えたら田んぼが広がっている筈だと考えた。
京阪 中書島で降りて、いずれ京都市バス一日券(既に購入済み)で京都市内を巡ることにしているので、中書島北側のバス乗り場を調べた。なお、中書島の港公園、琵琶湖疎水、寺田屋、中書島大手通り、アーケード通りなどは既に探索済である。が、素晴らしい場所だから、再度訪問の意思は十分にある。
路地を進むと、琵琶湖疎水の分線運河に出た。下は、観光用1石船の乗場だ。運河に沿って行くと、宇治川の堤防に出る。宇治川への放流水門があるが、そこは単に水位調整用で、宇治川港公園の宇治川への船便用の水位調整水門とは別の水門だ。いずれにしても、共に明治時代の治水工事として、琵琶湖疎水の一端としての素晴らしい文化遺産だろう。
堤防の東側に観月橋があるり、観月橋周辺は道路が交差している。堤防に沿って行けば宇治で、右は奈良、左は京都って、つまり、この道路は京都から奈良への、奈良街道だ。宇治川に沿う、京阪宇治線の観月橋駅もある。要するに中書島は、奈良、大阪、京都の交通要衝であったことが判る。観月橋から東側、上流側は宇治だ。観月橋を渡ってすぐの、細い道を南西に向かう。細い道が近鉄線と並行になった所を西に向かうと、広大な田んぼが広がる。そこが巨椋池跡地だ。景観はGoogle地図そのままだった。しかし、見栄えの悪い建物が立っていた。恐らく養護施設だろう。
後ろ、北東を振り返ると、伏見城が見える。伏見城がいかに重要地点に建っているかが良く判る景観だった。
  • 京阪電車中書島北側のバス乗場周辺
  • 京都市バス81番 京都駅行だ
    京都市バス81番 京都駅行だ
  • 乗場すぐわきの路地を東に向かう(中書島の東に観月橋がある)
    乗場すぐわきの路地を東に向かう(中書島の東に観月橋がある)
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  • 琵琶湖疎水分線と観光用一石船乗場
    琵琶湖疎水分線と観光用一石船乗場
  • 同上
    同上
  • 宇治川堤防に出る。西側を見ると、近鉄の鉄橋で、左側は京阪宇治線だ。
    宇治川堤防に出る。西側を見ると、近鉄の鉄橋で、右側は京阪宇治線だ。
  • 琵琶湖疎水分線から宇治川への水門。ここでは水位調整だけで、港公園の船を上げ下ろしするための水位調整水門とは異なる。
    琵琶湖疎水分線から宇治川への水門。ここでは水位調整だけで、港公園の船を上げ下ろしするための水位調整水門とは異なる。
  • 堤防の東側に、観月橋がある。
    堤防の東側に、観月橋がある。
  • 観月橋の付根に京阪観月橋駅がある。手前が奈良街道だ。
    観月橋の付根に京阪観月橋駅がある。手前が奈良街道だ。
  • 観月橋から東側、宇治方面を見る。
    観月橋から東側、宇治方面を見る。
観月橋から東側、宇治方面を見る。



  • 観月橋を越えたところを細い道を南西に向かう。      
    観月橋を越えたところを細い道を南西に向かう。
  • 近鉄電車の線路と並行した所で、線路を越えて東に向かうと、巨椋池跡地だ。広大な田んぼが広がる。      
    近鉄電車の線路と並行した所で、線路を越えて東に向かうと、巨椋池跡地だ。広大な田んぼが広がる。
  • 同上      
    同上
  • 見栄えの悪い建物も増殖中だ。      
    見栄えの悪い建物も増殖中だ。
  • 後方を振り返ると、伏見城が丘の上に見える。伏見城から中書島までの狭い陸地が各所に繋がっていて、撮影している場所は巨椋池の水底であったわけだ。<br />巨椋池が存在する時代には、伏見城や中書島が京都、奈良、大阪への交通の要衝であったことが判る風景だ。      
    後方を振り返ると、伏見城が丘の上に見える。伏見城から中書島までの狭い陸地が各所に繋がっていて、撮影している場所は巨椋池の水底であったわけだ。
    巨椋池が存在する時代には、伏見城や中書島が京都、奈良、大阪への交通の要衝であったことが判る風景だ。
  • 2019年5月1日水曜日

    元号変更

    世の中、かなり盛り上がっているが、僕には全く理解できない。
    平成の時とは違い、天皇が引退することでの元号変更なので、わいわいしても不敬ではないってことだろう。しかし、元号をやめて、西暦にすれば、いろんな問題は無くなるのにと思う。どうも理解できない。
    景気を喚起するのが目的の騒ぎとするとしても、その循環する富は10%の富裕者に、その喚起された分の90%が集まるから、結局は富が多数の貧者から少数の富裕者に集まり、結局は貧者はより貧困になるってことだ。政治もまた、その支出の多くは利権者、つまりは、富裕者が多くを得るシステムになっている。つまり、日本に余り将来は期待できないと言うのが現状だろう。今もNHKが、新しい年に多くを期待するなどと、馬鹿げたことを言い続けている。