2012年12月10日月曜日

畑の状態

冬の畑、畑と言っても10坪程度の狭い貸農園の借地だが、その準備は、今年は、まぁまぁと思える。先にも書いたが、放射能降下以来、畑の残さや、家の枝刈り分や雑草は、それ以前のように埋め立てて畑の肥料とすることは無く、全てを焼却に出している。関西以西産の食材を出来るだけ使い、この残さを畑に埋めることで、市販の牛糞や鶏糞さえも使わず、土地の放射能物質密度を出来るだけ少なくするようにしている。
畑の様子は、写真のように、左側大根の生育、中央それに左側奥の黒マルチ横カバーの列は、タマネギ畑で、右側1列は春キャベツ、その右側の背高く設けているのは、グリーンピース畑となっている。僕の借り農園の向こう側は、保育所の建物で、冬期には3時を過ぎると、僕の借り農園は、その建物の日陰となってしまう。
3年前に保育所建物が建つまでは、そこは公園だったので、冬期も暖かで、冬期作物の出来も良かったのだが、建物が建ってから作物の出来が突然悪くなった。が、2年間は、その理由が全く判らなかった。冬期には余り午後に畑を訪れなかったのだが、たまたま午後3時を過ぎてから来ることがあって、畑の全てが建物の陰になり寒さが急激に激しくなることを知り、作物の出来が悪くなった理由にも気づいたのだ。それが一昨年で、そのため、寒さ対策をすること、それに、早めに植えることで、作物の出来が良くなることを知った。その知恵の結果が、マルチと側面カバーである。実は、それに加え冬作物については、周囲の日陰となることのない畑よりは、半月は早く植え付けているのだ。周囲の人々は、「もっと植えるのは遅い方がいいんだよ」と助言するのだが、僕の畑の実情を知らないからの助言である。
しかし、早く植えることで、他の人の場合とは違った問題があるのだ。
まず、タマネギだが、タマネギは温度が高くなると、地上の葉っぱ部分が育ち、日照時間が長くなると、地下のタマネギ部分が大きくなるのだ。つまり、僕の畑の場合は、早く植えているから、当然春になると葉の部分が早く育ち、日照時間が、それでなくとも建物の陰で短いから地下部分の育ちは遅い。そのため、葉の部分の搭立ちが早くなってしまう。塔立ちが起こると、その根の部分が固くなり、たまねぎ部分も固くなってしまうのだ。人為的に日照時間を早めるわけには行かないから、塔立ち前に収穫することで、対処せざるを得ず、これでなんとかなっている。
ついで、グリーンピースだが、早く植えると余りに早く育って、冬期霜が降りると上部部分が霜で焼けてしまうのだ。そのため、霜を防ぎ保温も必要なので上の写真のように大げさな保温状態になっている。しかも植え付けを密度高くして、体を寄せ合って寒さを防ぐようにとも工夫している。これでなんとか出来を確保できるようになった。写真に示すように、少し育ってから自立できるようにと網も取り付けている。農業とは、実は、いろんな工夫が出来る仕事だと、最近になって気づいた。

2012年12月3日月曜日

素晴らしきネパール旅行

ネパールは、今回も女房とその姉妹3人を引き連れての旅で、かなりの幸運にも恵まれて、実に面白くて楽しかった。
航空券の購入は2011年12月中旬で、そのルートは、
関空⇒上海⇒昆明⇒カトマンズ⇒昆明⇒関空、
成田⇒上海⇒北京⇒昆明⇒カトマンヅ⇒昆明⇒上海虹橋⇒上海浦東⇒成田
となっていた。
中国東方航空は安いのだが、昆明で一泊が必要なスケジュールになっている。そこで、帰路昆明で2泊として昆明観光も考慮して、昆明の宿の予約を取り、交通方法も調べていたが、魚釣島の問題で、日本人が集団暴行を受けるような事態になり、しかも、2012年6月には昆明空港が市街部から遠くに移設になったこと、それに、空港周辺には宿泊施設が無いことを知ったので、宿の予約は全て破棄し、帰路の観光も諦めた。下手に市街部に宿泊して、タクシーの乗車拒否に会えば、日本に帰れなくなってしまう。そのため、代理店に連絡すると、気持ちよく対応してくれて、帰国便を一日前とし、しかも、帰国ルートも、帰路 カトマンヅ⇒昆明⇒上海浦東⇒成田、と簡単になった。
宿の予約は、Agoda と TripAdviserを使って簡単に行えたが、ナガルコットの雲海荘はなぜか返信が遅く、当初は、バクタプールからの日帰りも考えた。が、6月ころに連絡が取れて、一泊することとした。が、現地でもオーナーの民子さんと会うことはできず、彼女が病気でないかと心配している。
ここまで計画しても、旅の前には心はブルーになってしまう。旅に慣れるほどこの傾向は強くなったが、ひょっとすると、それは歳のせいかもしれない。
今度の旅で心配したのは、服装だ。日本の9月に急に寒くなったことから、余計に心配になり、寒さ対策を強化した。が、実際には秋の服装にセーターで十分で、昼間は秋の服装でも暑すぎた。持参の寒さ対策は全く無用であった。結局、昆明空港の夜が最も寒かった。おかげで、日本に帰ったときにはその寒さで風をひいてしまった。ネパールの気候がいかに過ごしやすいかってことでもある。
航空便やその他情報としては下記がある。
関空発昆明行は、上海までと、上海~昆明が同じフライトNOで、行も帰りも、関空⇔昆明の乗客は特別扱い(大阪発の人だけ、往路、復路共に上海空港で一まとめで行動)だが、昆明⇔東京の乗客は、復路では荷物はスルーできるが、国内線⇒国際線の扱いになる。つまり、往路昆明では、関空発の人は国際線用荷物受場、東京発の人は、上海⇒北京⇒昆明の場合、国内線用荷物受場で荷物を受け取ることになる。但し、東京の人も、東京⇒上海⇒昆明の場合は、国際線荷物受場になるだろう。つまり、上海経由で最初の国内空港までは国際便扱いとなるってことだろう。当然だが、国内線荷物受場と国際線荷物受場は仕切りで分離されているので、気をつける必要がある。復路の昆明では、関空へ行く人は、国際線でチェックインして、国内線departureから搭乗だが、同じ飛行機に乗る東京行の人は国内線でチェックインですが、荷物はスルーで東京なので、国内線のSpecialCare(多分国内線カウンターの通常のカウンターの向かい側にある)でチェックインとなる。
で、成田発の僕夫婦は、上海では、北京の看板を持つ女性に連れられて入国審査、セキュリティを終えて、上階に上がるともう北京行きフライトのゲートAREAであった。北京空港に着くと、上海で乗込んだ人とは別に東京発の人だけで国際線荷物受場に向かう。北京からは国内線でのチェックインで、汚い国内線DEPARTUREでチェックイン時間を待った。
東方航空は遅延が常態化しているようで、行も帰りも一時間以上遅れた。
昆明では空港内で夜を過ごした。昆明空港3階DEPARTUREでは、なが~いチェックインカウンターの両端には、それぞれかなりの数の椅子が並んでいる。が、固くて肘掛付きの椅子が多い。入口側(空港に向かって)から見て、左側(国内線カウンターの外側)の椅子は硬い肘掛け椅子で、その辺りは、なぜか風で寒い。
4階はレストラン街(departure階からメゾンになってる)で、左側(国内線)と右側(国際線)に分かれていて、大体9~10時には閉店となる。国際線側の奥の方に柔らかい長椅子があり、ここが過ごし易い。但し飲食禁止だ。
空港の係員数名もここで夜を過ごしているが、連中は飲食や喫煙を平気でやる。そういえば、上海⇔昆明機内で、乗務員も乗客も後方乗務員室で喫煙をしてるようで、とてもくさい。空港には朝4時半頃から続々と乗客が詰めかけてくる。中国人は、我先思考のためかなりマナーが悪い。それに、空港従業員でさえ英語は使えない人が多く、中国国内旅行はかなり難行するだろうと想像できる。で、中国への旅行にはちょっと意欲を失ってしまった。
1階(表示ではB1Fらしい)の入口から見て左側の端には、ケンタッキーがあり、ここは24時間営業で、本空港での待合せには最適の場所だ。
朝には朝食メニューがある、が、上の寒いところと同様に寒い風が流れる。
なお、昆明市内へのバスは、夜中の2時ころまで運転していて、1号線と2号線とが稼働中のようだ。が、バスは市内では循環式なので、往路と復路のバス停が異なるので要注意だ。
ATMは3階に24時間対応のがある。
2012年
10月17日、
日本発で関空から2人、成田から2人が出発した。大阪Gは、容易に着いたが、成田Gは、先にも書いたが成田⇒上海⇒北京までは、ひとまとめ扱いだが、北京空港では注意していないと、ひとまとめ扱いから離脱しそうになる。北京の国際線荷物受場で荷物を受け取ってからは、北京⇒昆明は完全なる国内便となる。北京空港ではかなりの時間を持て余した。今回の経験からすると、中国東方航空は、かなり時間が遅れるようで、24時前に昆明に着く予定が夜中の1時近くになり、大阪Gも1時間程度遅れ、結局待ち合わせのケンタッキーで2時近くになり全員が揃った。帰路もかなり遅れたことからすると、東方航空は慢性的に遅れることと考えるべきだろう。
10月18日
チェックインカウンターに2時間前に行ったが、もう、人でいっぱいであった。油断であった。おかげで窓際の席が取れず、ヒマラヤを十分にエンジョイできなかった。が、この経験から帰路のフライトでは充分にヒマラヤの素晴らしい眺めをエンジョイした。
カトマンヅの空港は中国の空港に比べればかなり貧相だが、人々が友好的なので、より過ごし易い空港である。出口を出た所にTAXI受付があり、ここから既に値段交渉が始まる。しかし、こちらは4名とおおきな荷物、しかも、ナガルコットへの途中で、BAKTAPURのホテルに荷物を置いて行くとのハンディがある。で、2600RSで合意した。がRSを所持していないのでATMを教えてもらって、先ずは現金の準備だ。ARRIVALを出て右側にDEPARTUREが有るが、その中間にATMがあった。が、故障中であった。外に出ると、「何か助けようか?」と言うのが居て、DEPARTUREのまだ先のビルの向こう側まで連れていってくれた。1ドルをあげると喜んでいた。彼の態度からすると、ネパール人ってほんとに親切で大人しく、押し付けがましくない連中だ。いっぺんに好きになってしまった。
車は、この国の殆どがインド製のスズキで、その軽を4人乗れるように改造した車であった。2600RSにしては、相当の距離と悪路を経て目的地に着いたが、途中でBAKTAPURのホテルに荷物を置いた。市の観光チェックポイントで観光料を支払い、一週間有効のハンコも押してもらった。
10月19日
早朝から起きてヒマラヤを眺めたが、霧が多くランタンの峯がうっすらと見えるだけだった。同宿の女性達は展望台に行ったが、そこでは雲の上に美しいランタンが見えたとのことで、がっかりした。が、気を取り直し、チャングナラヤンへのミニトレッキングに出発した。素晴らしく楽しいミニトレッキングとなった。
地球の歩き方の関東マップの裏側に地図があるが、ナガルコットからBAKTAPURへのバス道で、道が北側に向かい、360度方向転換している所が2箇所ある。そのナガルコットに近いほうが警察署で、BAKTAPURに近いところが、地図にはnagarkotphediと書かれている。
トレッキングルートは、この突出した場所を東西に結ぶようにあり、ただ、nagarkotphedi(現地ではTelkotテルコット と称している)のちょっとナガルコット側でバス道を歩くところがある。このTelkotにはバス停留所があり、Baktapurからのバスがここと往復している。ここでは食事も出来る。トレッキング道は更に西側に登り道となる。そこを登りきると、このルートで、特に左側の眺望が美しい稜線歩きとなる。道はそのまま西に続き、BAKTAPURとチャングナラヤンを結ぶバス道に達する。バスは頻度高く通り、手を挙げれば止まってくれる。BAKTAPURまで40RSであった。BAKTAPURへのバスは、街の北側のTouristBusPark辺りで下ろされてしまった。そこから街へは道が南に向かって2本に別れているが、街に向かって右側(西側)の道を進んで行くとダルバール広場に至る。
ところで、トレッキング道の殆どは村の家々の間を通る道で、時期はちょうど国家的祭日のダサインであり、多くの人々が仕事を休み着飾っていた。多くの子供たちが凧揚げに興じていた。
10月20日
とにかくこの国は食事はうまいし、ホテルも食事も安い。楽しい旅だ。ホテルでもらった地図で、街の南側を走るAranikoHighwayのSuryavinayakBusStationに向かった。早朝から、と言うか、早朝の宮参りなのか、街中が着飾った人で溢れている。交差点の道路南側にBusTerminalがあるようだが、南側はカトマンズ方面だ。北側、交差点の少し西側にBasu停留所があり、次々とバスが来る。大声でドゥリッケル?と聞き、そうだと答えるバスは人でいっぱいで乗れるものではない。祭りで帰郷する人でいっぱいなのだ。あきらめて、道路を渡って右角のTAXI乗り場でドゥリッケル?と聞くと1000RSだと答えた。OKって言うと、乗合待ちの乗客は降ろされて僕らが乗れた。
ドゥリッケルのBusTerminalで降りたが、道路の状況は地球の歩き方に記載されたのとかなり違っている。グーグルマップ等で調べると、地球の歩き方の地図の、ゲートの辺りにBasuStationがあるようで、カーリー寺院へは、そこから南下する街中道を通り、池と言うか小さな貯水槽の所で左に曲がれば道なりに寺院の山の麓に至る。長い階段を登れば頂上に至る。頂上に展望台があり、ここから、ナガルコットで見られなかったヒマラヤの展望を見ることができた。想定外の展望に大感激となった。階段の途中に黄金の仏陀があったが、どうもきらびやか過ぎるのでこれは見学を省略した。パナウティへのハイキングも有名だが、8時間のハイキングは連れている老嬢達にはちょっと無理だろうと、省略した。次回単独行の時としよう。
階段の途中にあったレストランで食事をしたが、まぁまぁの味で、4人で300RS余りであった。
帰路はバスで楽しい旅となった。途中の街々は祭りを楽しむ人々でごちゃごちゃのありさまで、不思議なことに、車掌は時たま車内から消える。が、それは、天井上の乗客から集金しているのであった。Baktapurに近づいて、何とも読みにくいSuryavinayakBusStation と言うとちゃんと停めてくれた、と言うか、このLINEではかなり繁華なBusStationで止まるのが当然のStopでもあった。35RSであった。
Baktapurの街も人人人って有様で、すごい状況だった。ATMもちゃんとあり金を補充した。
今回は2回20,000RSの交換と、手持ちのEURの交換とドルでの直接支払いで済ませることができた。
老嬢達を宿に置いて、ATMで金の調達後、街の西側を探索する途中で、単車数台の安全祈願で山羊を生贄にする儀式にであった。かなり激烈な儀式だ。どうやら、ダサインとは生贄の行事が主体の祭りらしい。市内の肉屋でも、肉屋らしからぬ家の屋台でも、方々で山羊や水牛の解体が行われ、それらの首や死体がごく普通に見られる。それが、この国の常態ってことだろう。
10月21日
本日は午前中を市内観光で過ごした。BAKTAPURはネパールの京都と書かれているが、確かに古い王宮、寺、街並みが美しい。祭り最中で人、人、人だが、それでも気持ちが落ち着く街だ。
TAXIをホテルに頼んでいたが、来る時と同様にスズキ改造型であった。運転手は間違うことなくタメルの例の有名なホテルフジの手前のHolyHimarayaHotelに着いた。今回は各ホテルともに過ごし易いホテルばかりであった。
ホテルのことをまとめておくと、雲海リゾートは各階で値段が違い、我々は最も安い1階で21ドル/部屋・日。BaktapurのVajraGuestHouseは一泊36ドル/部屋・日で、停電になると部屋と風呂に非常用ソーラー電灯がある。カトマンズのHolyHimarayaHotelは、50ドル/部屋・日で朝食付き、非常用発電機が装備されていた。
カトマンズでの食事は、ずっとTamelにある日本食レストランで過ごした。
Tamelの基準ポイントは、TrideviMargのタクシー乗り場が良いだろう。TaxiにTamerlのTaxi乗り場と言えば行ってくれる。とにかくTamelって本当に過ごし易い所だ。なんでも買おうと思えば揃っている。しかも安い。それと、インドのように道に牛の糞が積もっていることもなく、相対的に清潔なのが良い。
日本食レストランふる里で昼食後、地球の歩き方のカトマンズの旧市街を歩くお薦め散策コースに従って、ダルバール広場に向かった。祭りのせいで、人、人、人の有様であった。
ここも素晴らしい建物が並んでいて感心しながら歩いていると、ハヌマン像の所から
パレード隊が次々と楽隊に合わせて行進を始めた。それほど規律高い行進ではないが、それが却って、親しみやすい建物や人々と調和して感動させるものであった。
JagannnathTempleの階段の高い所から見ていると、ガイド志願の若者が押し付けがましくなく説明してくれて、「隊列は夕刻に戻るだろう。23日には生贄の儀式が盛大に行われる」と説明してくれた。別れ際にお礼を1ドルあげた。
10月22日
ホテルの前のTaxiと交渉して、Patanに行くこととした。Taxiの中で思いついてカカニ往復も契約した。ダルバール広場、それにGoldenTempleなど、Patanの街はなかなか素晴らしかった。その後、カカニへの道路は、ほぼカトマンズから北上して、右手に美しい盆地を眺望しながらの旅となる。どう見てもヒマラヤ眺望を期待できない景色の中を、まぁいいや、遠足気分を楽しもうと精一杯にはしゃぎながらの旅であったが、峠に到達すると、ヒマラヤの遠景が一気に見えた。運転手は更に上を目指し、別荘のような建物の近くの眺望の良い場所に連れていった。どう考えても、その別荘の方からの眺めが良さそうなので、運転手に、あそこに行けないか?と聞くと、聞いてみる、と行き、直ぐに我々に来るようにと手招きした。結局、そこは旅館兼レストランであった。そこの芝生の庭から先は急坂で、広い盆地の底までみえる、その向こうの山の、さらに向こうに壁のようにヒマラヤが遠くそびえていた。後から考えると、運転手の作戦にはまったかとも思えるが、それは素晴らしい場所で、このような場所に再び来れることが無い様な最高の場所であった。食事もうまく、実に素晴らしい経験だったので、運転手には感謝こそすれ怒ることなんて全く考えられない。ホテルの前に無事に帰還し、明日、運転手は家に戻りダサインを祝うとのことなので、チップをはずんであげた。
どうやら今回の旅では、毎日が喜ばしいハプニングがあり、それも、毎日その喜ばしさが増すようなハプニングが起こるようだ。
10月23日
ガイド志願の青年から、今日は、大掛かりな生贄の儀式が有ると聞いていたので、ダルバール広場を再訪した。ダルバール広場の方々に水牛や山羊が配置されて生贄の儀式の準備がなされていた。その一箇所の前のTempleの階段上に待機していると、かなりいかつい顔のガイドらしき人物が近寄り、あれこれと話し始めた。自己紹介によると、Mr.ビルバール tel 0977(国)9841379868 E-mail ilam_namsaling@yahoo.co.jp 
って人で、結局かなり信頼できる人物で、日本語、ひらかな、カタカナも大丈夫な人であった。この国でガイドが欲しいと思う人は是非相談されればよい。で、例の如く、ガイドさせろと言うのではなく、なんとか自然にそうなるようにと持ちかけるのだが、こちらは、それに乗らない。なぜか、時間を気にしていたが、突然、軍隊の儀式に行かないか?と言い出した。結果として判ったが、既にその儀式は始まっていて、早く行かないと終わってしまい、しかも、そこの観覧席は外人とそのガイドしか入れないシステムになっているのだ。で、当方のガイド依頼を諦めて、我々に提言してくれたってことなのだ。そこでは、軍隊の兵が7箇所の円を描いたところに別れて、次々と山羊と水牛を生贄として刀で首をかっきる儀式であった。ガイド氏の説明では、神と悪魔の戦いがあり、負けた悪魔が地底に閉じ込められているが、ダサインの時期に山羊と水牛に乗り移って地上に出ようとするらしい。悪魔が乗り移ると、山羊や羊は体中を震わせるので、実は水や花びらを山羊や水牛に振りかけるので、必ず全身を震わすことになるのだが、悪魔の乗り移りが判り、その瞬間に楽隊は音を高々と擧げて、すごく体格の良い首切りの兵士が刀を振り下ろす。その瞬間にも、空砲が数発放たれるって、凄い儀式であった。1時間ほどもして全ての山羊と水牛の生贄儀式が終わった。ガイド氏に10ドル進呈することで、双方ともに満足できた。
なんともはや、毎日、毎日、思いがけないハプニングが続く。素晴らしい旅だ。
一旦宿に戻り、一休み後に旧王宮に向かったが、休館だったので、DreamGirdenを散策した。
10月24日
午前中はボダナートに行き、午後はKirtipurを訪問した。Nepalの街はそれぞれに、何かしら懐かしいものを持っていて居るだけで心が落ち着くのは何故だろうか。
10月25日
カトマンヅからの帰路航空便は左翼窓際を取り、ここでも、ヒマラヤの素晴らしさを満喫した。後は、遅れまくる東方航空で疲れる帰路であった。しかしながら、その艱難辛苦に耐えることで、ネパールの空港関係者やネパールの人々、それに、その街街の良さをより感じることが出来たし、それに、旅の費用は、全て込で一人10万円以内に抑えることができた。これはやはり、中国東方航空の大きな魅力ではある。

日本に帰り、夢の中で起きているより流暢な英語を寝言で喋っていて、昼は石油ストーブで温まりながらネパール旅行の楽しかったことを思い出している。いやいや、楽しかったですわ。次は11月8日から17日まで大阪で、1月末はマレーシャ単独行です。

2012年11月29日木曜日

放射能のその後

八千代市の公共施設22箇所で高放射能(一応0.23μSv以上)地帯が見つかり、除染作業が行われているが、もう市民は放射能には慣れて関心は薄れているようだ。ところが実際には、各家の周囲には0.23μSvなんてごく当たり前に存在して、それどころか雨水枡周辺には、0.5μSv程度の高放射能部が存在するのだが、市民は、この事実を無視するか、気づかないでいる。
僕は気になっていたのだが、いろんな用途を目的として、高圧洗浄機を買ったのと、年末の掃除のついでにと、雨水枡の除染もついでに行った。方法は簡単で、溜まった土砂を除いて、残った土砂は高圧洗浄機の圧力で下流側、つまり、下水管に流し込んでしまうのだ。雨水桝は上流から配管でつながれているから、上流側から順次清掃して行けば、最後には下水管に流れこむってことになる。こちらに流れたものは、最終的には、下水処理場で問題となるだけのことだ。
さて、僕個人的に問題なのは、除去した土砂だが、これの処理が憂鬱な課題となった。
ところで、除染後だが、除染前に0.3~0.5μSvだったのが、0.2~0.3程度になったから、まぁ効果は十分となった。除染した土砂は厚手のビニール袋に貯めて庭の片隅に置いたが、袋表面で1μSvなんて怖い数値が出ている。
今日は天気が良いので、雨水枡で集めた土砂を自転車に積んで捨てに行った。恐らく8000ベクレル/Kgも無いだろうから、法的には問題ないはずだが、やはり悲しい。

僕の借りてる貸農園では、収穫物残渣は全て焼却処分して、庭の刈枝や雑草も、全て焼却に出している。生ゴミも焼却処分している。電発事故以前は全てを貸農園に埋めることで、我が家は理想的なリサイクル家庭であったのだ。で、今は、関西以西の植物を出来るだけ食べて、この残渣を貸し農園に埋め込み、土地の放射能レベルを下げるように勤めている。これをもう二年間も続けているので、庭も貸し農園の僕の借用分も、放射能レベルは殆ど通常に戻っただろう。
と、かなり良好なニュースと言えるだろう。

2012年8月29日水曜日

足場の活用例

足場の活用例です。
先ずは一時倉庫です。
カバーとかを、もっと工夫して見栄えよくできる筈です。
南面の日よけです。これでかなり効果的です。
これをもっと見栄えよくできると思います。
なお、足部分(ジャッキ)が不足したので、支柱を直接コンクリート床に置きました。

2012年8月6日月曜日

最高高さでのマイ足場は終了です。

足場に愛着が生まれました。これから、長い付き合いになりそうですが、
今回の壁塗りでは、最高高さ3段1.8mx3=5.4mは終了です。
分解前の状況です。
分解後です。
今日はちょっと曇りですが、晴れているとさすがに艶ありは光ります。
でも、別に異常な輝きではありません。わざわざ艶なしにする必要はなさそうです。
後は、前面ですが、高さ的には簡単なので、今回の壁塗りについての報告はlこれで終了します。
なお、足場資材の倉庫として、足場資材をそのまま倉庫資材にするように考えています。
これって、なかなか面白い案だと思います。

南面側では、マイ足場は2段2間口にできます。
南面では、白い下塗りは光の反射が強すぎて目を痛めそうになります。
サングラスを使う必要があります。

2012年7月25日水曜日

壁塗装の進捗状況と、壁、屋根塗装に関する新情報

壁塗りは順調です。
東面(写真手前側)と北側は、ともに一部を除き完了し、今は、北面窓庇や格子枠を塗装中です。
分解、移動、組立、と仕事はパターン化してしまった。ただ、北面を終わると、東面には、エコヒーターがあり、その高くて大きな装置をまたいだ足場にしなければならない。工夫が必要です。

SR419一缶(11700円)+サーフSG2缶(5000円)追加手配
これで塗料合計金額は、SR419 4缶46800円+ サーフSG 6缶15,000円=61,800円
だが、SR419の1缶はオークションで4,200円で買ったから、結局、壁塗料集計は54,300円となった。
窓枠や軒先の木部、鉄部に、ねずみ色油性塗料を1L缶約1,500円を別に買った。

さて、新しい情報としては、
足場を無料で貸出し(もちろん塗料は購入)してくれる塗料屋さんがいます。
貸し出す足場は2間分ですからいいですね。無料貸出期間は2ヶ月です。
足場の歩道幅は250mm(支柱幅は400mmでしょう)のようです。
僕の買った歩道幅450mm(支柱幅600mm)より軽くて良いかもです。安定性からすると、
支柱幅600mmにして、250mm歩道を使うのが良さそうです。と言っても、支柱幅は、手すりとブラケットの選択で決まるだけだと思います。そうであれば、手すりとブラケットを600幅の物にして、歩道だけを250mmにすれば良いと思えます。
歩道は外す時が難しいので、片方を外した時に仮の支えを用意すると良さそうです。いろいろ工夫して安全に作業ができるようにするのが大切です。

とにかく、足場を貸し出すサイトは、下記で、
http://www.paintself.com/
この中の、みなさんのDIY記録が素晴らしいです。

ついで屋根塗装の場合のロープ扱いですが、この人のが参考になります。
http://www.eonet.ne.jp/~mksasa/tosou.html
バッチマン結びが有効に使えそうです。
ジョイフルホンダで、スリングを探します。

2017年に大阪拠点での壁塗りを調べたのですが、僕が足場を買った足場屋さんで足場の貸し出しをしています。ここで借りる方が安いようです。それに、使用後には引取ってくれます。ただ、個人への貸し出しではなく法人への貸出ししかしませんが、形式的なものですから、近所の法人に頼んで名義貸しにすればよいでしょう。僕の場合は、幸いにも有限会社の名義を持っています。大阪拠点の壁塗りは、この方法でやる予定です。

2012年7月19日木曜日

足場の移動と、将来の屋根塗装についての考察

足場を1階屋根の無い、向こう側に移動した。

これを、向こう側から見ると、


揺れは有りますが、不安な揺れではありません。
ただ、屋根を塗るときに、更に上に歩道を置きますが、その時に感じる揺れはどうでしょうか。

我が家の屋根の勾配は、6/10だ。
前日に塗装を苦労した1階庇も同勾配だから、対策なく屋根を歩くのは恐ろしい。
何らかの対策を考えよう。

屋根塗りの方法として、6分勾配でも普遍的に安全な方法を考えるのではなくて、
我が家に特化した方法で考えよう。(普遍的な方法を考える方が世の為にはなるのだが)
その場合、南側の広いベランダに足場2段を組んで、そこから、低い足場を上に向けて、稜線に至って足場を横に広げて行く。その向こう側はロープで安全を確保する。こうすれば、ロープが棟抑えを痛めることもない。これで何とかできそうだ。但し、塗料缶とかの塗装道具を安全に持ち運びできる方法も考えねばならない。

話は全く飛ぶのだが、10万円程度を掛けて、贅沢な遊びをしているのが現状だろう。