2024年7月28日日曜日

妻の家屋や土地の相続について

 自宅不動産の相続について、残された配偶者の相続は、不動産の相続課税額がゼロになると考えていたが、さように単純なものではないようだ。
先ず不動産の相続課税価格だが、これは、毎年送られてくる自宅の固定資産税納入計算書に記載されている評価額が基本となる。
例えば、僕の自宅だと、宅地180.8平方メーター家屋は木造、101.84平方メーターで土地の評価額は9,993,900円、家屋評価額1,611,209円 となっている。

以上の、土地、家屋の評価額が、配偶者や同居親族への相続税算出に際して、”土地については小規模住宅の減免”、加えて、親族相続者の居住中の家屋・敷地(土地)については、”家屋については居住権+土地については借地権”を考慮できる。上記のそれぞれには、減免率は計算式が決められている。

ついでに大阪拠点の評価額も調べると、宅地81.84平方メーター+ 雑種地34平方メーター
家屋81.84平方メーター で評価額は、土地113,916,136+4,687 家屋1,225,117円
となっている。但し大阪拠点は夫婦1/2ずつ所有している。自宅に比べてかなり敷地は狭いのに評価額は同程度となっている。また雑種地とは、団地として共有の施設の土地となっていて、どこにあるかも知らない。

●我が家の場合、土地については小規模住宅の特例が適応できるので、土地の評価額は80%が減免となり、相続評価額は20%となる。
なお、大阪の拠点の土地については、事業用宅地とすれば、やはり80%が減免されるが、全宅地に対して適用されるかどうかが不明だ。しかし、全宅地が民泊用だとも主張できそうだ。
なお、大阪拠点は、購入時よりかなり時価が下がっているので、赤字売却となり、売却が有利そうだが、売った金もいずれは相続することになるので、いずれが有利かは不明だ。
とにかく、自宅も大阪拠点も、購入時の契約書とか、金融公庫への返済スケジュールとかも残しているから、赤字売却時の証拠は残している。

●家屋については、家を借家としている場合、借家権割引30%を考慮できる。また賃貸ししている場合は、賃貸し割合を掛けることも出来る。しかし、通常は家屋は古くて評価額も少ないから無理して賃貸しにする必要もないでしょう。
●以上で、土地と家屋の相続評価額が決まった。ついで、配偶者や同居の子供への控除が生じる。

家屋についての、配偶者居住権・同居親族居住権 と 土地についての敷地利用権
配偶者居住権・敷地利用権は、建物・土地のそれぞれに対して計算式が決められています。
https://www.nta.go.jp/taxes/shiraberu/taxanswer/hyoka/4666.htm

https://osd-souzoku.jp/haiguusyakyozyuuken-hyouka/#:~:text=%E5%9C%9F%E5%9C%B0%E3%81%AE%E9%85%8D%E5%81%B6%E8%80%85%E5%B1%85%E4%BD%8F%E6%A8%A9%E3%81%AE%E8%A8%88%E7%AE%97,-%E5%9C%9F%E5%9C%B0%E3%81%AE%E9%85%8D%E5%81%B6&text=%E5%AD%98%E7%B6%9A%E5%B9%B4%E6%95%B0%E3%81%AF%E3%80%81%E9%85%8D%E5%81%B6%E8%80%85,%E3%81%9D%E3%81%AE%E5%B9%B4%E6%95%B0%E3%81%AE%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%A7%E3%81%99%E3%80%82
ここからは、ちょっと疲れたので想定です。また調べます。

上記に記された方法で、家屋の居住権・土地の敷地利用権を算出して、これを配偶者の相続額として、相続額から引き、これで相続額残額を決めて、残額を話し合いで配分すればよいのです。
相続残額で、相続税が決まり、それを相続比率で分担するわけです。但し、配偶者は、相続額の半額までは、税金を免除されることになります。

同居親族の有無とかで、控除が適用されるか否かが決められている。
https://tomorrowstax.com/knowledge/202005057322/






2024年7月27日土曜日

詩吟部と、鎌倉国年さん

 僕は阪大の教養時代、詩吟部に所属していた。
何故か判らんが、科も違う澤井隆って男と友達になり、彼が詩吟部に入ると言うんで追いていって、それまで入る気も無かったのにそこに入ったのだ。
当時、僕は大声が出るので、詩吟部には向いていたと思う。部室の裏の池の向こうで、応援団がか細い声でフレーフレーと応援しているので、こちらからも同じ応援を返信すると、翌日になって、応援部から応援を頼んできた。応援の応援だ。しかし、僕自身は人前に出るのが嫌で断ったし、他の仲間も断ったようだった。
今日、古いファイルを整理すると、詩吟部の会誌があり、名簿を見て澤井隆のことも思い出した。社会人になり、ある時に、ネットで彼の名前を検索すると、川柳の同好会の中で彼の名前を見つけ、書かれてあったアドレスに連絡して、僕の友人である澤井であることも確かめた。しかし、それ以降全く連絡していない。
あれからもう何十年も経って、彼の名前で検索することにしたが、最近は当時と違って、人名で検索することは難しくなっている。そこで、澤井隆+川柳で検索すると、やはり名前は出てきたが10年以上前のものである。今も活動しているか否かは判らない。
名簿を更に見ていると、鎌倉国年って、これも同期の名前があった。確か、彼とは自転車で天橋立まで行った記憶がある。余り親しくは無かったのに、僕が当時自転車に良く乗ることを知ったのか、突然声を掛けてきて、天橋立に自転車で行こうと言ってきた。恐らく、僕が自転車で紀伊半島を一周したって話を伝え聞いたのだろう。それを、僕も何とも思わずに了解して、約束の日、自宅南河内の藤井寺から大阪市内を縦断して待ち合わせ場所まで遠出した。そのまま、二人で天の橋立に向かった。天の橋立に着いて、どうするかと思ったら、彼は路脇の公衆電話に入り、詩吟部の先輩で京極さんって人に電話した。が、京極さんは都合が悪いとのことで、宿泊はあきらめて、そのまま大阪に帰った。今頃になり地図で見ると凄い距離を往復したものだ。でも当時は全く疲れを感じなかったのだ。鎌倉君との同行と言うか、親しい付き合いはほぼそれ一回だったと思う。
ところで、その周辺の京極家って有名な家だったのだろうと、今になって思う。
さて、鎌倉国年って検索すると、鎌倉工業の鎌倉国年って出て、どうやら会社を作り、その後、何冊か本を出すとかで活躍していたらしい。彼のブログも見つかったが、2015年頃を最後に途切れている。その後の消息を調べたが、全く把握できない。
それにしても、澤井も鎌倉も、なんか大学の学科とは違うところで頑張ったんだなと思う。
もうちょっと早く調べるべきであった思ったが仕方が無い。
ところで、詩吟部会誌の中に挟まったPR誌に、鎌倉君の随筆があった。そこに「学生に言うのだが、学生が勉強しないのは、会社員が給料をもらいながら働かないのと一緒だと」との文章があった。
この文章は、日経の随筆でも見かけたな、と奇妙な感覚に陥った。
確か、日経新聞の春秋ってコラムで見たのだ。
ってことは、今の春秋のコラムの作者は彼ってこと??

さらに、詩吟部名簿をよく見ると、鎌倉国生さんは、僕より1年下だ。一年下の男が上級生に自転車旅行を誘うだろうか。彼が天橋立で連絡を取ろうとした京極さんは部の重鎮だったから、そんな上級生に宿泊を頼もうとするなんて、1年生がするだろうか?
ところが、名簿に年代別に部の部長の名前が記載されていて、京極さんの3年後で鎌倉さんが部長になっている。つまり、鎌倉さんって、言うならば、上昇志向と言うか、組織をそのように見つめる人の様だ。となると、天橋立の京極さんに電話したのも納得できる。僕が天橋立行きを先導していたなら、ユースホステルのような施設を予約したであろう。
とにかく、僕と共に宮津に自転車旅行したのが鎌倉さんであったと断言できない。
なお、天橋立は宮津市にあり、昔の宮津藩の藩主が京極家であったのだ。

ところで、僕が紀伊半島を一周した件だが、これは前にも書いたと思うが、大学1年の授業で、万葉集の権威であった犬養先生の講座を取ったが、初回から教室が人でいっぱいで廊下に溢れる程になり、それが嫌で、一回だけの受講でやめた。しかし、噂で、先生のレポートは何を提出しても通すと聞き、さてっと思い、夏休みに紀伊半島を一周して、旅行記を提出しようと思いついたのだ。実際に実行して、旅行記と言うか一日走行記録に近いものを提出したら、犬養先生は通してくれた。有難いが恥ずかしくもある。それに、そもそも万葉集の犬養って重要人物の講義を受けるなんて、そんなチャンスを捨てるなんて勿体ないではないか。そのことに後になって気付いたわけだ。
前に、三菱重工でジェット旅客機のエンジン担当した殿村兆史のことを書いたが、その彼の勧めで犬養先生の講座に出たのだが、彼は授業を最後まで受けて、レポートは枕詞についてであったらしい。さすがに勤勉な男だと感心した記憶がある。
ちょっとした事から記憶がどんどんと広がって行く。

ところで、日経新聞の春秋の著者だが、その都度変わる内容や文体からすると、どうやら、複数の人が携わっているように思える。

2024年7月26日金曜日

追悼 加島正一さん

 加島正一さんは、僕の女房の次兄だ。女房の兄弟姉妹は、10人で、内一人は男子だが生まれて直ぐに亡くなっている。残った兄弟姉妹の中で、男子は二人で、次男の正一さんは、叔父の養子となった。その叔父は、更にその叔父が満州で働いていて成功を収め、そこの元で働いて、彼もまた大きな財産を得たらしい。戦後は満州で得た金で別府に大きな家を得たのだが、それからは切り売り生活で、正一さん自身は、その富の恩恵を受けることなく育ったようだ。その後、その父親は、加島の長兄の恩恵で暮らし続けたらしい。親戚が集まると、その叔父は満州での成功話しばかりするので、親戚一同からそのような席で彼と隣になるのを避けていた。たまたま僕が同席すると、僕をその叔父さんの横に座らせるのだが、僕としては、彼のそのような成功話はとても面白かった。とにかく、加島の男子は豪放磊落な雰囲気だが、実は周囲に気配りしてるって社会性の高い連中である。
正一さんも同様で、大声で笑いながらも、地理とか地方の名産とか見どころなどに、細かく気づかう気持ちの良いひとであった。
加島兄弟姉妹会の旅行では、必ず参加し、時には、奥さんの英子さんを伴ってきた。氏は、東工大卒業後、大気社に入り、東京勤務であったようだ。僕の同期の、松井さんとは、会社でも同期だったようだ。僕とも学年は動機だが、彼の生まれが早かったので、僕には義兄となるわけだ。
彼の亡くなるまでの経過は、僕が、女房の妹、つまり義妹に送ったメールに詳しく書いた。
そのメールには、葬儀の様子も記載した。正一さんの奥さん、英子さんとしては、ひっそりとした葬儀を希望したのか、僕が住友重機械を嫌うのとは別の理由で、大気社には連絡しなかったようで、会社の同期生達は弔問に訪れなかった。
ところで、葬儀の日はとても暑い日で、しかも、葬儀のある小田急相模原は、東京都心を横断して更に遥か彼方で、しかも葬儀用礼服での旅路である。老齢の夫婦には果たして耐えられるのかと心配したが、乗り継ぎ4回は簡単で、接続も良く、車内は冷房が効きすぎているほどであった。おかげで、東京を越えて彼方への旅も容易だと良く判った。ただ、出発が通勤時間と重ならないようにと、出発を早めにしたのがつらかった。が、年寄りはどうせ早くに目覚めるのだ。礼服については上着を手に持ち、重要物はショルダーに入れて肩掛けにして、それほど気になるほどでもなかった。

正一さんの葬儀の件ご連絡

本日7/25の10時からの正一さんの葬儀に参列しました。

場所は、小田急小田原線の「小田急相模原駅」の駅北側のサンホール2Fのファミリーホールでした。

八千代中央から東葉高速ー東西線ー千代田線ー小田急線で、3時間掛かります。

でも、乗り継ぎは、どれも同じホームの向かいとかで、ただ、東西線から千代田線は、地下道を数分歩くのが最も苦労って道中でした。時間に合わせると通勤時間にがっちゃんこなので、早めに出たので、暑さは避けられましたが、到着は8:30過ぎで速すぎたのです。が、午前中の葬儀は正一さんだけでしたので、葬儀室にも入れてくれて、お棺に眠る正一さんを見ることができました。加島一族の骨格そのものでしたが、一回り痩せた顔に涙がでました。

生前の正一さんの写真もホールに展示してあり、生前の正一さんの豪放な話しぶりを思い出して懐かしく思いました。

その後、英子さんと息子さん、英子さんの弟夫婦、正一さんの東工大時代の友人が参列され、我々も居れて7人の参列するご葬儀でした。

英子さんと息子さんに、正一さんの闘病経過も聞きました。

10年前に前立腺がんを発症して、全摘出したのですが、時間を置いて再発し、更に、血液がんと他の臓器への転移もありましたが、有能な先生で、何とか抑えられたのですが、血液が不純な物質を心臓に運び、これが沈殿して、心臓の機能に障害は発生したとのことです。機能を維持するためにペースメーカーも入れて体力維持できていたのですが、先日は腹痛との障害が出て入院し、元気を取り戻し退院予定した矢先に心不全が生じ、7/18に亡くなったとのことです。

2019年、歌子さんの遺産相続の折に、書類受け渡しで、慶応病院のある信濃橋で会いましたが、その折は闘病最中とのことでしたが、元気に見えました。しかし、更にその後病気は進行したのでしょう。

最後の九州旅行は、車で周遊したのですが、2本の杖を使いながらの周遊だったようです。それから一か月半での逝去ですから、かなり難儀な旅を強力な精神力でこなされたのでしょう。こんなとこが加島の血筋でしょう。

葬儀では英子さんの感謝の言葉と経過報告もあり、また、生前の写真の映写もあり、気持ちの良いご葬儀でしたが、自然と、涙が流れてきました。里美さんは、正一さんや加島兄弟会のことを話すたびに涙声になっていました。

焼き場へもご一緒したかったのですが、当日は4時半に生協が品物を届ける日で、それでは間に合わないので、出棺の車が出るまで見送りしました。正一さんのお棺には花を満杯に入れて出棺しました。

なお、兄弟姉妹会から5万円をお香典として出しておきました。会のお金だからお返しは不用とも言い添えました。

以上、ご報告です。

志水勇

加島英子夫人の送る言葉

陽だまりの様な面影をいつまでも忘れません
夫はとても博識なひとでした。
歴史や政治の番組が始まれば、自分なりの見識を語っていた姿が記憶に鮮やか。
いろいろな物事を知っていたからこそ、人との繋がりの大切さもきちんと理解していたのかもしれません。大学時代の知り合いや会社を通じて出会った方、共にスポーツを楽しむお仲間など、思えば夫はたくさんのご縁に恵まれていたものです。
私たち家族との絆も大事にしてくれました。夫として私に寄り添い、父親として我が子の進む未来を見守り続け・・・・
夫婦として手を取り歩んだ五十二年の歳月を振り返れば、胸が温かくなります。
それは共に過ごした日々が幸せだった証なのでしょう。
面影を偲べば別れは惜しまれますが、今日までずっと傍にいてくれた夫へ伝えたいのは感謝の一言です。

「ありがとう」この五文字に万感を託し去り行く背中に捧げます。
夫 加島正一は令和6年七月十八日満八十一歳にて生涯を終えました。お世話になった皆様へ生前のご厚情に深く感謝申し上げます。
令和六年七月二十五日(葬儀) 



2024年7月24日水曜日

日経新聞の信頼性を試す記事だ 「見えたか歴史的円高の底}

 果たして日経記事の信頼性はどうだろうか?

見えたか歴史的円安の底

金利差見越し売り縮小 「円弱」時代は不変か

市場参加者の間で、歴史的な円安の底入れを意識する声がじわり増えてきた。背景にあるのは、いっこうに進まなかった日米金利差の縮小局面がようやく訪れるという見立て。ただ構造的な円安要因が解消されたわけではなく、「円弱」の時代は長引くとの見方は変わっていない。

「対ドルでの円安進行は、一段落した感がある」。みずほ銀行の唐鎌大輔チーフマーケット・エコノミストは年末にかけて1ドル=150円の節目超えをうかがう展開になると予想する。根拠になっているのは、海外のヘッジファンドによる投資行動の変節だ。「当面、日米金利差の縮小をテーマとして投機的な円の買い戻しが相場の方向感を主導する可能性が高い」

みずほ銀行が米商品先物取引委員会(CFTC)のデータから算出したヘッジファンドなどの投機筋によるドルの主要8通貨に対する買越額は、7月に入って縮小が加速。6月後半と比べて半分以下に減っている。

ふくおかフィナンシャルグループの佐々木融チーフ・ストラテジストも、ヘッジファンドの変節に注目している。過去の経験則では、ヘッジファンドの円買い戻しは最大で円を10%程度押し上げることが多く、その場合は145円程度が視野に入る。だが貿易・サービス収支の赤字基調といった構造的な円安要因が根強い現状では、やはり150円の節目をうかがう程度の円高にとどまるとみる。

2022年秋に150円の節目を下回る歴史的な円安が加速して以降、何度も浮上した米利下げ開始に伴う円反転予想。だが米国のインフレ圧力はしつこく、多くの市場参加者は何度も円高への反転予想を覆されてきた。

24年に入り、日銀がマイナス金利政策をようやく解除。米連邦準備理事会(FRB)も秋にかけて「次の政策変更は利下げ」という姿勢を強くにじませる。米大統領選という不透明要因は残るが、今後は日米金利差が縮小に向かうというのが市場のコンセンサスになりつつある。

こうした市場の空気を察知したのか、円相場に少なからぬ影響力を持つ個人の外国為替証拠金(FX)取引にも変化の兆しが表れ始めた。以前は160円を超えると、円売り注文が膨らむケースが多かったが、外為どっとコム総合研究所の神田卓也調査部長は「最近は2~3円ほど円高水準に注文帯が移り、155円程度の水準で円売り注文を入れようと待ち構える姿勢が目立つ」という。

ヘッジファンドも個人のFX取引も、想定水準の目線が160円から150円の方向に移りつつあるわけだ。もっとも市場参加者に共通するのは、日米金利差の縮小観測に伴う円高方向への相場変動が起きても、本格的な円高局面に転じるわけではないというスタンスだ。

たとえ歴史的な円安局面を脱したとしても、150円程度の水準は過去の円相場動向からみれば、大幅な円安であることに変わりはない。貿易・サービス収支の赤字基調や、年初以降の新NISA(少額投資非課税制度)に伴う個人の外貨資産投資など、日米金利差の縮小では賄いきれない円売り要因も残る。

歴史的な円安の底入れといっても、かつてのような円高局面が再来する可能性は限りなく小さいと言わざるを得ない。


2024年7月23日火曜日

最近は靴購入はTEMUにしている。

  送られてきたNET広告が、とても安売りなので、一度試してみることにした。

2000円以下の靴を買うと、2000円以上になるように靴以外の物を買うように指示される。
面倒なので、2000円以上のを選ぶことにした。それでも、最近の値上がりからすると、amazonでの購入に比べると60%程度の価格だと思う。ところで、amazonで2000円レベルの靴を買ったが、一か月で底に穴が開いた。かかと中央のゴム底部2cm丸部がコルクの様な材質で、そこが抜けてしまったのだ。
とにかく、問題は、耐久性と耐水性だ。が、とにかく試すことだ
ただ、TEMUのカタログでは、靴幅に関する情報が無い。
そこで、通常の靴長さ、僕の場合は25.5~26.0だが、年金生活になってから26.0では、ちょっときつい状況ではある。
最初に買ったのは、トレッキング用で買ったのだが、着いたのはキャランシューズのような形状で、26.5でも幅が僅かにきつかった。年金生活で、何故か外湾母指が強くなって、湾曲部が痛くなり絆創膏で保護した。履き続けているうちに外湾部にタコが出来て調子が良くなった。

しかし、キャラバンシューズでは外出には使えないので、ハイキングシューズを購入した。
サイズがやはり26.5とした。品物が着いて履いてみると、今度は全く違和感なく履けた。
後は、寿命と防水性だ。
でも、とにかく2000円程度で買えることがほぼ確認できた。うれしいことだ。
ところで、僕の買う靴は全て紐付きである。

2024年7月10日水曜日

我が奥さんの携帯買い替え

 我が奥さんは携帯が不得意である。九州の田舎町の、万屋にも似た食品店って、家業の生鮮食品を主として販売する店を手伝った経験から、世間との付き合いは着実で、不思議と値上がり株を見分ける才能を持ったりではあるのだが、電子機器類の扱い能力は最低である。
ではあるが、娘たちとの連絡にはsoftbankと強硬に主張するので、softbankを持たせたが、yahooやgoogleでの検索もせず、使用容量は1G以下ではあるが、携帯本体の初期購入費は2万円を遥かに超え、月々の費用は3,500円を超えている、それに比べて、僕は楽天をもっぱらとして、wifi用の携帯が、初期費用1万円で、1年無料、月々は2000円程度で、通信用携帯は、楽天handで初期費用5000円程度、通信費は1000円程度だ。
奥さんの携帯が寿命と思えたので、奥さんと一緒に近くのsoftbank店に行ったが、本体費2,100円で、通信費は、softbankだと4,000円、Ymobileだと3,500円/月とのことだ。
これは我慢できんと、一駅離れた緑が丘に、熱暑の中を、やはり女房を伴って楽天ショップに行った。簡単携帯画面を出せる、AQUOSwish3って携帯が、8000円+データ移送料、1000円
で、通信費は使用データ容量3G以下だと1,000円/月だ。

心配は、楽天社の将来性だが、そこは信頼するとして、それに、我々の寿命よりも保ってくれればよいと、楽天モバイルに決定した。
softbankからは、ネットでMNP予約番号を発行して、楽天ショップに行き、携帯移動、データ移動を終えて、新携帯ででの受信を確認したのだが、softbankとの契約を破棄しようと、net内のmysoftbankに入ろうとしたが、既に、僕には閉鎖されているようだった。netで調べると、MNP予約番号で、携帯移動を終えれば、自動的に旧携帯社との契約は解除されると書いているので、それで良いのだろう。
携帯とかWifiってとても生活に密着しているので、それらの移動作業って疲れるものだ。とても疲れた一日であった。でも、これで携帯費の大幅な低下が図れるだろう。

僕名義の携帯が2台できたのだが、翌日、楽天リンク(自分の携帯の使用状況を見るためのアイコン)を開いていると、僕の常用電話の方が、今度買った携帯番号に変わっているのに気づいた。どういうこっちゃと、常用電話に電話すると、「現在使われていません」との返事だ。あせって、楽天リンクの電話番号辺りを探ってみると、常用と短期用の電話を選択できるようになっていることが判った。つまり、一台の電話、それぞれが、2台の電話として使えるわけだ。常用の電話の番号がなぜ自動的に短期用の電話に変わったのかは判らないが、面白い現象(機能)だと楽しくなった。しかし、テザリング機能は電話機固有の機能だから、共有は出来ないはずであろう、と思う。

yahooのADSLが終了となった時に、光通信とかAIRWIFIとかが最も簡便であっただ、敢えて携帯を選んだ。今回もADSLを続ければどうってことなかったが、敢えて楽天を選んだ。結果として、共に効果はあったと思う。やれば出来るし、達成感もある。
ただ歳を取るに連れて聴力も視力も落ちて、更に理解力も低下したのか、ショップの店員の説明が理解できないことがある。例えば、説明の最後に、「画面ロックコード」をどうしますか、と言われて、何に使うのかが理解できなかった。家に帰って前の携帯をいじって、simを外し、また装着したが、その時にロック画面が出て、ははあ、こんな時にロックコード(ロックパスワード)が必要なんだ、と気づいた。    
なお、3台の内の1台は、画面を開くたびにロックコードが必要になる。どうすれば、毎回をやめることができるかが悩みとなった。多分設定だろう。

2024年7月9日火曜日

退職時の感慨 by春秋

 日経新聞の春秋に、退職者の感慨が掲載されていた。
どうも、新聞社はまだおっとりとした社会組織であるらしい。
僕の場合の退職は、部の飲み会のついでに僕の退職を報告されるって、情けない状態だった。でもまぁ、それに先立つ退職勧告さえまともな状態でなく、ぼくとしては、新しい職場への適応に必死なおもいであったから、そんなことはどうでもよかった。
僕の古巣への憎悪は、ここに端を発して、それは突然、僕の周囲の人間関係への意識改革にまで発展してしまった。
それき比べて、春秋の筆者は、なんとも世間知らずで時代遅れの記事を掲載しているものだ。しかも、僕の退職から30年近く経っているのにこの有様で、まるで、昭和中期の職場ってとこだろう。
日経は、記事の割に、儲けすぎているのだろう。しかもなぜ儲けるのかと言えば、生き残りをかけた人々が読んでいるからなのだ。

春秋(7月9日)

 [会員限定記事]

一度も会ったことも言葉を交わしたこともない。けれど毎日、遠くから届くさりげない日々の便りに、励まされたり慰められたりしている心の友がいる。SNSをフォローして、かれこれ1年になるXさんだ。アラ還男性、関西のメーカー勤務、間もなく定年を迎える。

▼「今年初めて半袖シャツを着た朝に、人生最後かもしれないボーナスが振り込まれた」。日常のスケッチに、人生の節目を迎えつつある人の感慨がさらりとにじみ出て、似た境遇にある我が身にしみじみと響く。在宅勤務多めという点も同じ。「私にとって電車は非日常の乗り物になりました」。うんうん、わかるわかる。

▼何に共感しているのかと振り返ってみれば、積もる不安やさびしさなのだと思う。長年過ごした自分の居場所を、間もなく失うことへの。引き続き働いていれば、仕事そのものは変わらない。仲間たちもいる。それでも定年を境にして、その先は静かに存在を消されていくようなフェードアウトを前提とされているような。

▼Xさんは泣き言を言わない。前を向く。1日の終わりには良かったことを10個あげる。「今日はお休み」「近くの喫茶妻とランチ」「花金ビールはラッキードッグ」――。華々しくライトを浴びなくても、気持ちさえ軽ければいつでも人は満ち足りる。今日もそんな友の様子を確かめて、小さく自分にガッツポーズをする。


世の中、いろんな人が居る。安倍首相の暗殺への想い。

 安倍首相の暗殺について、僕の場合、安倍首相よりも人生を破壊された犯人への憐みの方が大きい。幸せに過ごせたであろう彼の家族は、安倍の政権維持のための統一教会への配慮の結果として破壊された。それどころか、彼のアベノミクスの結果は、三本の矢のなかで効果があったと思われていた唯一の矢「金融緩和」の結果としての、円崩壊で、日本はかってない国難に陥る状況で、それどころか、政治家のパーティ券収入での醜聞で、日本政治そのものが崩壊状態になってしまった。
つまり、安倍首相は、諸悪の根源であったわけだ。それを懲罰できない日本社会に代わって犯人が懲罰を下したとも言えるかも、と思う。それにも拘わらず、かような新聞記事が出ること、それに、献花し祈る人が存在することが僕には理解できない。

安倍元首相銃撃2年「今も悔しさこみ上げる」

現場で献花・合掌

 [会員限定記事]

奈良市で安倍晋三元首相(当時67)が銃撃され死亡した事件は8日、発生から2年を迎えた。現場となった近鉄大和西大寺駅前の広場に献花台が設置され、早朝から多くの人が足を運んだ。「なぜ防げなかったか」「風化させてはならない」。安倍氏の冥福を祈るとともに安全な社会の実現を願った。

「今も事件を防げなかったのかと考えると悔しさがこみ上げてくる」。午前7時すぎ、2年連続で訪れた兵庫県伊丹市の男性(71)は献花台に立てかけられた安倍氏の遺影に向かって手を合わせた。警察の警護態勢に不備が指摘されたことなどを念頭に「事件の教訓を忘れてはならない」と力を込めた。