2014年4月27日日曜日

今年の野菜予定

グリーンピースは育ち過ぎたが、なんとか生き延びた。
生き延びただけではなく、とても元気だ。うすいのグリーンピースも元気だ。写真正面から左側が「うすい」、右側が「きぬさや」中央が「スナックエンドウ」 
(5月16日の豪雨の後から、うすいは急激に元気が無くなった。うすいは、湿気には弱いようだ。次からはやめる方が良いかもしれない。)
 
現在は、後、にんにく、たまねぎ、キャベツを植えているが、キャベツを移植しすぎて場所が無い。
でも、ジョイフル本田で苗を売っているので買い揃えた。
4株で220円の安いのを買った。品種は、
ピーマン 京波 ナス 長ナス黒陽 たかのつめ、キュウリ 夏すずみ、ミニトマト ルイ40
と揃えたが、どこに植えるのだよ!
さらに、パプリカも買ってしまった。しかも、パプリカは一株で185円と高かったのだが、黄色と赤を買ってしまった。パプリカ2株と、たかのつめ2株が余ってしまった。

それに、連休過ぎの寒さ対策は必要なの?面倒だな。

ところが今年は、連休前後に訪れる寒波の勢いが弱い。4月30日からの雨は、ほどほどの寒さで、植物にはちょうどの気候となっている。今年は、例年とはちょっと様子が違うようだ。
5月1日には、グリーンピースの「さやレベル」での収穫が始まった。現在、工夫していることを書いてみる。

1)我が家のグリーンピース栽培の工夫は、
①ばらまきであり、密集状態で育てている。我が家の貸農園は日陰になる時間が早く、グリーンピース同士が支え合って生きて行かねば育ちにくい位置にあるからだ。建物が立つ前は、密集状態でなくて良かったのだが、建物が出来てから2~3年は、冬を越せなかったので、かように工夫したら冬を越せるようになった。
②他所は11月20日以降に種まきし、冬を小さな苗の状態で越すのだが、我が家の敷地は寒いので、10月後半に植えないと、寒さで小さな苗が消えてしまう。10月後半に植えると、どうしても大きく成り過ぎるので、寒さ対策用のカバーが必要になる。対策カバーをすると、更に育ちやすくなるので、より密閉性の高いカバーが必要になる。今年の2月は寒さが厳しかったので、マルチ用のシートで完全密封を続けた。今年は、年内のカバーをちょっと抑えて、成長を抑制する工夫をする予定だ。
2)なすびは、千両は虫害が激しく、長ナスを植えることにしている。
3)なす、とうもろこし、おくら、キュウリなども、6月前に種撒きすると、6月の雨で成長が促されるようだ。5月初めの連休の植付けは、本当は望ましくないのだが、5月末には苗を売っていないので仕方がない。ただ、ナスは秋ナスの苗が出るので、しかも、冬越野菜(グリンピース、きゃべつ)の収穫が終わり、畑に余裕が出来るので、植付けに最適な時期となる。が、とうもろこし、オクラの種まきにはちょっと遅い感もある。

各区画は、区画ごとに状況が異なるので、各区画ごとに異なった工夫が必要ってことでしょう。
畑の面白さは、どうやら、そこに有るようだ。
しかし、下記のように、畑には大きな意義もある。

震災から3年以上になったが、肥料は全く使わずに、由緒正しいなまごみだけを畑に投入している。それでもって収穫は、衰えたとの感覚はない。むしろいろんな工夫でうまく行っていると思える。
ただイチゴについては、植替えをしないので、肥料を全く与えない状態が続いている。これは工夫を要するようだ。
とにかく、我が家から焼却に出すごみは容量的には半分以下、重量的には1/3以下になっている。なんてエコな生活だろうかと感心する。
写真:全景 右側キャベツの向こうはニンニク、左ジャガイモの向こうは、タマネギ(タマネギは苗で植えた。種から育てると苗が育たない。タマネギとほうれん草は僕の苦手だ。


 ナマゴミの投入穴は、こんな具合だ。
 建物の直ぐ手前で、冬は特に日照時間が短く寒い。そこで、密植でお互いに支え合っている。
 建物側から見て。
ついでに家の庭

小石川植物園とハンカチの木

4月25日に小石川植物園、それに、東京博物館に行ってきました。
ハンカチの木の花が最盛期でした。ついでにツツジと藤の花、それに、マルハナバチ(多分、西洋)





ついでに稲田さんちの若いハンカチの木の花を。これは、小石川の子孫らしいです。


2014年4月19日土曜日

今日、なんやらソーラの社債についての電話が掛かってきた。と、我が家の庭の春の様子。

到々、我が家にも掛かってきた。「野村アセットメントですが、八千代市出身の平塚のぼるさんの、なんやらソーラの社債を購入できる八千代市の家庭が抽選で決まる。その連絡郵便が、来週そうそうにも配布されるので、ポストを御確認ください」と、なかなか説得力のある声音の男である。「ばかやろう、そんな、ぼたもちなんて、ある筈がないだろう」って言おうかとも思ったが、ちょっとは経過を楽しんでもよかろうと、冷静に対応した。どんな手紙が送られてくるのか楽しみだ。本件を逐次報告する。
月曜になって、今度は、大和投資会社って会社から、アジアソーラの社債購入権が当たる可能性がある、と電話が掛かった。
警察に電話すると、今度掛かってきたら、「警察に電話をしたと言ってください」とのことで、逮捕劇にはならない、となった。詰まらん。
で、時間の無駄と判ったので、次回はさっと応対する。
その後、全く遣る気はないと答えたら、その後、連絡は無く、それに、抽選の結果って結局送られてこなかった。

ところで我が家の庭は、いよいよ花ランマンです。








2014年4月18日金曜日

住友重機械の元営業から、仕事をしないかと言われたが・・・

会社に居る時、僕は、新居浜を本拠とする運搬機事業部の東京出先にいた。仕事は、受注のための運搬機システムを提案することで、新居浜は、そのシステムの中の、船積機とかアンローダーとか、ヤードの中で石炭とか鉱石を受入れて山積するとか、逆にこれを高炉とか発電用ボイラーに送るためのリクレーマー等、これらの、いわゆる単体装置を担当し、基本的には単体の受注しか眼中には無かった。だから、単体が受注できたとしても、それを受注するために必要であったシステム計画にどれほどの努力と時間、つまり、費用が投じられたかについては関心が無く、システムを構築するセクション、つまり、東京の出先の存在価値は全く認めず、経済情勢が悪くなると、直ぐに東京の人員整理を始めるのが常だった。僕の居た時には、東京部隊独自の受注が続いているにも拘わらず、東京に若い人は不要だとの論理で、手足となる若い技術者は全員が新居浜に移動した。それは多分、管理職とは人手を集めることだと勘違いしている新居浜が、人手の不足を補うために弄した策略であったのだろう。それに続いて数年で東京部隊は解散となり、僕は、東京の自動倉庫部門に移動となった。毎年、特に年初に、受注のために何が大切か等は考慮外とする組織改編が当たり前のように実施されるようで、新居浜は、世間は新居浜を中心に回転していると考えているようであった。それに、組織の体質は変わらず、各組織の長は人員を出来るだけ集めるのが仕事と考えているようで、人員が少なくても仕事をこなせる効率的な体質作りなどは全く度外視されているようであった。それどころか必要な人員を、受注に必要な組織から奪うことも平気であったのだ。

この東京出先の解散に際しては、長年に亘り集めた貴重な設計資料、見積資料は、ほぼ、廃棄された。廃棄されるのならと、僕は重要と思われる資料とか、僕自身が土日出勤で自主的に開発したコンベヤ設計プログラム、それは、将来大阪のコンベヤ部を任された時に、他社との価格競争、技術競争に勝ち抜くためにと独力で開発したもので、恐らくコンベヤに関しては、世界でも最先端のコンベヤ技術、見積設計、実施設計等を同時に行うプログラムで、最少の人力で最適の設計を行えるものであったが、そのソースプログラムを出力しCPU内のメモリーは抹消し、全てを自宅に持ち帰った。住友重機械にはざまぁみろ、と言いたいところだが、この会社は技術を余り重視する会社でもなく、先に書いたように、仕事をこなすには、どこかから人間を集めれば良いって会社だから、何とも思っていないだろう。
ところで、東京出先から若い技術者が移動させられたことについては、おなじ部署の同輩管理職の1人が、事業部長に「若い技術者は必要ではないです」と進言したことで、かような結果になったらしいが、それを進言した男は、どうやら大阪に栄転と決まっていたかららしい。この男は自分では仕事をせず、全て部下にさせるタイプで、この男のグループが忙しい時には、部長命令により僕の部下を応援に出したが、そんなことに恩義を感じる男ではなかったようだ。が、独りでは仕事が出来ないからと、部下が居る部門に逃げるのは許せるのだが、元の部署に泥を投げつけて去るって、どうにも理解できなかった。
更には、東京出先の閉鎖に際しては、情報の早い連中はさっさと新居浜に行き場を得たようで、最後に残ったのは、部長(若手が新居浜に移動した際に新しく新居浜から移動着任した人)と車内情報に疎い僕だけであった。外注さん達も行き場が無くなったが、最後に残った僕と部長が恨まれる結果となった。実際の所、外注さん達の心配どころか、自分さえどうなるかも判らなかったのがその時点での実情で、行き先となった自動倉庫部隊に、転勤とは言え、自動倉庫部隊も迷惑な様子で、それに実際、口でも迷惑だと言われた。が、その後の経過からすると、自動倉庫部署に対しては、僕は充分に責任を果たしたと自負できるだけの受注、それも、部門初めての冷凍倉庫の受注とか、世界でも最初の設備の受注を果たしている。が、最後にはやはり外様としてしか扱ってくれなかった。愚痴はこの程度で、話を元に戻すことにする。

夕刻に突然電話が掛かってきて、「XXだけど」と名前を言われたが、近所のXXさんとは声が違うと戸惑っていると、「住友重機械のXXです」と言われて漸く誰かが判った。彼は、元々は電気技術者で、その後、運搬機営業に移り、主として、官公需を担当し、僕が自動倉庫に移ってからも、一緒に仕事をすることが多かった男である。
彼が電話を掛けてきたのは、東電が石炭火力を袖ヶ浦辺りで計画していて、それに入札する企業が、ハンドリングシステムで協力する企業が無いので、独自に計画しようとしているが、その仕事をしないか、との声掛けであった。(本石炭火力計画は、この電話の後、4月22日に新聞報道された)
僕が勤めている頃で有れば、そのような話が有れば、大手数社が競って技術検討資料や見積を提出したものだが、今では、重厚長大の中でも、差別化できる技術を除いては、大手は全て手を引いていて、中小は、元々大きなシステムは彼等の技術範囲外であったから、見積、入札でもシステム構築自体がたいへんなのだろう。住友重機械もまた、単体技術者は子会社に残したものの、システムとかコンベヤ技術者は切り捨ててしまったのだ。
おそらく、そんな事情で、東電に入札するにも大量の石炭をハンドリングするためのシステムの技術検討、それに、見積もりも出来なくなっているのだ。
そこで、新居浜から相談を受けたXX氏は、退職者としての僕を思い出したらしい。住友重機械は関係なく、その元請けに時間請負で技術協力する仕事だ、と、言ったが、僕には彼が住友重機械と関係の無い仕事を持ってくるとは思えなかった。恐らく、旧運搬機が単体を受注するために必要な作業または人員を確保する役割であろうと思えた。
新居浜も、電話してきたXX氏も、必要な時には策を練るのが常とう手段だ。

それだけではなく、つまり本件に住友重機械が関与していると思えるだけではなく、電話の最中に、石炭火力のシステムをまとめる際の大変さを思い出していた。単体の計画は簡単だが、システムとはかなりやっかいなのだ。先ず、船からの荷降ろしの計画、荷降ろし時の能力の算定、等などは船のサイズも関与し、荷降ろし機の特性にも大きく関係する。船の滞船時間にも影響するので、非常に重要だ。更に、石炭のヤード貯留に関するヤード配置、ヤードからの切り出しと、発電用ボイラーには、中断することなく、昼夜石炭を供給しなければならないから、どれだけの積載量をどれだけの船が、いかなる間隔で、しかも、その到着時間の遅れ、逆に、早い到着の場合にも、ヤードには確実に貯留できる余裕が無ければならず、余裕が大き過ぎれば、敷地が大きくなってしまう。これらを計画するのは、なかなか大変なのだ。
計画はそれだけではなく、石炭の粒度を均一化する設備、揚上炭や発電に送る石炭量の計量装置も必要で、加えて、特に袖ヶ浦ともなれば、環境対策が重要な要素になる。揚炭時の粉じん防止、コンベヤ乗継点の集塵、更には、ヤードの散水や、散水雨水の浄化等、計画範囲は実に多岐に渡る。自分で検討する必要は無くとも計画上の基本データは作らねばならない。更には、設備を載せるための無数の基礎に関するデータも必要になる。設備そのものとしても、ひょっとすると、岸壁コンベヤや、貯留方式も、最新の方式とする必要があるかもしれない。そうなれば、さような設備の勉強もしなければならない。
ざっと考えただけで、かなり大変な仕事だと判る。
が、営業も、単体技術者も、別に自分がするわけでもないから、その大変さに気付いていない、と言うべきだろう。やるのは僕になる。
遣る以上は完璧な物を作らねばならない。これって、かなりのストレスとなり、恐らく、必死に計画せねばならないだろう。
直ぐにそこまで気付いて、詳しい話を聞くこと無く、説得しようとするXXの言葉を遮り、断りの答えを続けた。
って何を言いたいかと言うと、僕は、新居浜単体技術者や営業の策略に気付くようになったが、逆に、それだけ怠け者になったってことだろう。
ところで、この仕事をして、いかほどの金になったであろうか。企業が個人に払おうとする金額は、せいぜい100万、いや、電話してきた男も電機担当として参加し、半分は取るだろうから、50万程度であろう。3か月で50万か。悪くは無いかも。だが、今は、いろんな予定が詰まっている。やめとこう、と決めたのだ。

これを書きながら思い出したが、実は、僕はコールターミナル(石炭中継基地)、については、見積りも実施経験もあるが、石炭火力発電所のハンドリングシステムについては見積経験しかない。その見積経験の中には電発松浦がある。本件は見積時点から他社に発注が決まっていたのだが、新居浜の単体を受注するための技術協力でハンドリングシステムを応札しなければならなかったのだ。電発の入札資料は膨大な見積作業が必要(例えば、見積に過ぎないのにコンベヤ架台脚の一本一本の部材サイズまで要求された)なので、受注する会社から入札資料をもらってくれ、と営業に頼んだのだが、★★と言うその営業課長(当時は既に部長だったかな?)はえらく怒って、そんなことできるか!と怒鳴りつけた。我が部署の若い課員は既に新居浜に取られた後だから、たった独りで、膨大な資料を作成し提出することになった。恐らくたった1人でそれほどの仕事量をこなせるのは僕以外には居ないだろう。と言うのは、先にも書いたコンベヤの見積設計プログラムや、コンベヤ用構造物設計プログラムを開発し終わっていたからだ。この自力開発そのものが、最少の人力で最大の効果を上げるべく作ったものだから、かような時に役に立つのは当然なのだが、それはともかく、何とか仕事が終わっても、★★課長(部長だったかな)って奴は感謝の言葉どころか、ぶすっと不機嫌なままであった。その後の僕に対する態度からしても、僕には判らぬ遺恨を僕に持っていたようなのだが、どんな遺恨があるのかは知らない。ただ今になって思うと、彼は彼なりに、受注しそうな案件は、自分の人脈を生かせる部署なり人間に依頼して、受注できそうもない案件は、僕のような後ろ盾の無い人間にさせるって、彼なりの方針があったのだろう。それはそれで仕方のないことなのだが、その犠牲になる僕へのせめてもの感謝があっても良さそうにおもうのだけどね。
ところで、膨大な資料を提出後、電発の担当者から電話が有って、「コンベヤ部材の計算書をください」と要請があった。見積時点でここまで技術資料が要求されることはないのだが、きっちりと計算していたから直ぐに対応できた。資料をFAXすると電発から謝礼の電話があり、「助かりました。他社さんのは、皆さん、構造が同じで比較にならんのですよ」と笑いながら言った。つまり、何社もの他社は、皆、技術者に無駄な仕事をさせまいと、受注が決まっている会社から入札書類を入手して、まる写しで作成したのであった。かように、住友重機械って会社は、技術者への配慮なく、しかも、技術者を使い捨ての会社と言えるだろう、と、今になって再び怒りを蘇らせた。

が、また話を元に戻すと、発電所の場合は、各船からの受入れ時点で、石炭のサンプリングを行い、そのサンプリングに基づいて、発熱量を調整するために石炭のブレンディングを行う場合も想定される。これらの設備も考慮しなければならない、と、ハンドリング設備計画はかなりの検討、それに、図面の作成も必要と思える。特に問題は、計画過程で、いろんな部分品をメーカーに問い合わせるに際して、昔とは違い、適切な応答が期待出来るかってこともある。
ああっ!こりゃ、しんどいわ、と改めて思ったので、断ったのは正解であったようだ。
更には、この業界の体質からして、既にチャンピオンは決まっていると考えるのが妥当だろう。そんな状態で、分厚い仕様書を読み解き、東電との打ち合わせを行い、そこからシステムを構築するのは、なかなかの作業で、それも無駄に終わる可能性が高い。こりゃいよいよしんどい仕事である。と言うか、苦労の割に報われない仕事と考えるべきだろう。現役時代に何度も味わったつらさを、ここで再び味わうこともあるまい。

ところで、これを書いていて、番外編の逸話を思い出した。
僕を嫌っていた★★って男だが、この男は、東京出先から若手が引き抜かれた時に新部長として新居浜から来た部長とは仲が良く、その部長は実に優秀、誠実なひとであり、電発松浦のように、単体受注のために受注できそうもないハンドリングシステムの技術協力案件とかでも、文句ひとつ言わずに対応する人であった。例えば、僕も協力させられたのだが、中部電力碧南の単体を受注するために、ハンドリングシステムの膨大な技術協力を文句ひとつ言わずに行い、その努力もあって単体は無事に受注できた。恐らく、その点から★★はこの部長を好きであったのだろう。が、ハンドリングシステムで住友重機械より上を行くIHIから、石炭ターミナルの見積依頼が有った時に、そんなもの受注できるか、との社内の反応にも拘わらず、と言うか、社内の他の部門は、受注できない案件に対応する筈もないので、我が部長が対応したのだが、この部長それに★★の対応と、それにIHI社内での確執もあって、かなりのシステムを受注するって金星をあげることが出来た。(しかし、さすがにⅡ期工事は受注できなかった。)
が、住友重機械って不思議な会社で、その部長は昇格するどころか、しかも、彼の部門は成果を挙げたにも拘わらず、更にはシステム計画の重要さも認められることなく、閉鎖されてしまった。

なお、この★★の上司であった帆足さんって部長が居たが、この人は、単体受注への協力見積については、単体が受注できた時には、わざわざ訪れて感謝の言葉と、それに、社内受注報告でもシステム見積の受注協力があったとの報告をしてくれたらしい。それに比して、なぜ★★はそれが出来なかったのだろうか、と今でも理解に苦しんでいる。帆足さんは、八戸の長距離コンベヤ受注・納入でも一緒に働き、その点で、僕を評価してくれていたのだろう。でも★★は、その様子を横で見ていたから、帆足さんと同様の態度で接するだけでよかったのにと不思議だ。

ところで、もうひとつの番外編だが、この尊敬すべき部長の指示で、新しい分野に進むための新事業調査を行ったことがあった。その際、植物工場とか、リサイクル施設とか、その他色んな新規事業の可能性を記した報告書を作成したが、社内では一顧だにされなかった。が、その調査の結果得た技術知識が、その数年後に今度は物流事業部から放り出された時に、他の事業部の外注として雇われることに役立ち、しかも、実際の受注にもつながった。と、いうか、物流事業部に居る時に、世界最初の清掃車から直接にリサイクル物を受取る自動倉庫の受注に繋がり、その際の活動を評価され、他の事業部で働けることになったのだ。
それはまた、東京の出先が閉鎖された時に、ちょうど受注した案件が物流案件であったために、やむを得ずではあったとしても、物流に受け入れられたと同様に、芸は身を助けるの良き見本であったと言えるだろう。
ただ不思議なのだが、リサイクル施設については、僕がその調査報告書を出してから、ずっと後で、別の技術者が同様の報告書を出して、これは運搬機事業部の幹部の評価は高かったらしい。その運搬機事業部は実際には何らの行動に出ず、別の事業部がリサイクル施設に着手し、成果を挙げ、この成果に僕も参加したのではあるが、僕が報告書を出しても何ら反響がなかったのはなぜだろうか、と不思議に思える。結局、幹部の評価とは、極めて不公平な部分が多いってことなのだと思う。
それにまた、僕の周囲で、技術的にも仕事的にも、こいつは駄目だな、と思えるのが、なぜか上に上がって行く傾向、それに、その傾向がいよいよ強くなって行くようで、つまり、出世した人間は自分より劣る人間を引き上げる傾向があり、時間が経つにつれて会社の首脳部の劣化が強くなっていくって理屈だろう。
総まとめとすれば、要するに会社って、と言うか、組織って、業績をあげるのが評価とはならず、そのために、時間と共に劣化して行く、ってことなんでしょう。

愚痴はその程度にして、先にも書いたように、東京電力の説明会があり、いろんな会社が見積・提案に走り出した。ってことで、システム構築力、ハンドリングシステム構築力の競争が始まったが、僕は「皆さん、がんばってね」と言いつつ、このテーマを終えます。

この出来ごとの後、現役時代の夢、それも、かなりディフォルメされた夢を見るようになった。概ね、仕事が無くなったとか、仕事の進め方が判らなくなった夢だ。が、実際の現役時代には、そのようなことは無かったのだが。ただ運搬機事業部から自動倉庫部署に移された時は戸惑った。特に僕は実務派だから、その実務内容がガラッと変わるのだから苦労した。でも、一年もすれば、システムエンジニアの用語も偉そうに客先の前でペラペラと喋るようになった。が、現実と夢とは違い、夢の中では物事を具体的、客観的には扱えない。ただ思考が悲しく回転するばかりだ。痴呆症とはかような状態を言うのだろう。慣れておかねばならないかな。

更に後になって気付いたが、我が東京部隊が解散となった時に、あらゆる技術資料も放棄されてしまった。極めて低レベルの資料として、色んなプラントについてのドキュメントのテンプレートがあった。それらを、何も無しから作りあげることには、かなりの労力が必要となる。つまり、そこまで作り上げねば、成果とはならないから、これは個人では無理だろう。
とにかく、かような資料も平気で捨てさる企業ってどうしようもない。
ところで、いろんな資料を電子化しようと苦労していたのは、他でも無いその尊敬すべき上司であった。が、その努力も道半ばで、彼の部は解散させられ、彼もまたリストラされてしまった。ただ営業を平然と批判する僕とは違い、彼は営業の評価は高かったので、港湾荷役機械化協会とかに行き場は用意された。
僕よりは恵まれていますが、彼の実力からすれば不十分な扱いでした。とにかく、住友重機械って最低の会社だってことです。

さて、その後、個人的に残しておいた大量の技術資料類も廃棄し始めたので、もう、復帰は無理ですね。特に、長距離コンベヤを含めてのベルトコンベヤ技術計算・機器積算プログラムも廃棄ってことで、これは心痛む廃棄なんですが、どうせ、僕が死んだらゴミになるだけですからあっさりと廃棄です。

2014年4月9日水曜日

再び大阪へ 襖の張替と、簡易型ウオッシュレットの取付け

JETSTARの安売り券で大阪を往復した。往復で10,000円だからバス運賃並みだ。ただ、空港への交通費は、バスの場合は、往復で2,000円程度、飛行機だと4,000円程度となるのが残念だ。

今回は先ず襖の張替をした。本襖、板襖の2種類があり、始めての経験で非常に不安であった。結果から言うと、下記が注意事項になる。
①貼りつけに際して、どうしてもブヨブヨになるが、時間が経てば殆どがピンっと張ってくれる。が、折目が出るとそれが残ってしまう。
②のりは、気分的に濃く塗りがちだが、薄目で良い。
③張る時に、貼る面が間違いないか確認すること。裏側に貼ってしまうと取手の位置がおかしくなる。(見事に間違ってしまった写真を参考に)
④貼る時は椅子を用意して、高い位置から貼ると、上端の貼り位置が確認できる。
ってことで、次回からは確実に出来るとの自信ができた。

写真のように取手の位置がおかしくなってしまった。
ついでトイレの改善だ。
トイレの水洗は古いタイプで、タンクが大きく、タンクの前のウオッシュレットを置く部分が狭い。
そこで市販のウオッシュレットは設置できないとなった。
いろいろ調べて、簡易型のがあった。便座も使いやすいのに替えた。
簡易シャワートイレ AQUATOWN AB5000
http://www.amazon.co.jp/AQUATOWN-AB5000-%E9%9B%BB%E6%BA%90%E4%B8%8D%E8%A6%81-%E3%80%90%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E3%81%AE%E8%A8%AD%E7%BD%AE%E8%AA%AC%E6%98%8E%E6%9B%B8%E4%BB%98%E3%80%91%E3%83%88%E3%82%A4%E3%83%AC%E3%81%AE%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%81%B8%E3%81%AE%E9%85%8D%E7%AE%A1%E3%81%8B%E3%82%89%E5%88%86%E5%B2%90%E8%A8%AD%E7%BD%AE%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%97%E3%81%AE%E7%B0%A1%E6%98%93%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%88%E3%82%A4%E3%83%AC-AQUATOWN-AB5000/dp/B00826OS5C
便座はカクダイ前割れ便座だ。
http://www.amazon.co.jp/AQUATOWN-AB5000-%E9%9B%BB%E6%BA%90%E4%B8%8D%E8%A6%81-%E3%80%90%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E3%81%AE%E8%A8%AD%E7%BD%AE%E8%AA%AC%E6%98%8E%E6%9B%B8%E4%BB%98%E3%80%91%E3%83%88%E3%82%A4%E3%83%AC%E3%81%AE%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%81%B8%E3%81%AE%E9%85%8D%E7%AE%A1%E3%81%8B%E3%82%89%E5%88%86%E5%B2%90%E8%A8%AD%E7%BD%AE%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%97%E3%81%AE%E7%B0%A1%E6%98%93%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%88%E3%82%A4%E3%83%AC-AQUATOWN-AB5000/dp/B00826OS5C
どうしても水漏れが止まらず苦労した。結局、ゴムシールを充分に入れることが重要と判った。また、ビニール配管は、先端をドライヤーで温めてからノズルに充分にはめ込むことが効果的であった。配管工事時に配管を回すと、タンク内の配管が回ってしまうなどのトラブルが生じた。つまり、注意深く工事しないと思わぬ損傷を起こすことに留意せねばならない。なお、フレキシブル配管がごちゃごちゃしているのは、配管を切るのがもったいないからだ。けちの見本です。

改善工事を無事終えて、鴨川と京都植物園の桜観賞に出かけた。





ところで、南海の特急ラピートだが、彼は不細工特急だと、僕が言ったら、特急君は「お前には言われたくない」って怒ってました。
ところで、八千代市の春の庭を添付します。







2014年2月8日土曜日

いろんな人びとの凄い人生旅

●13か月太平洋を漂流
 【サンパウロ時事】サメ漁でメキシコを出港した男性漁師が太平洋で遭難し、1万2000キロ以上離れたマーシャル諸島で救助された。漂流生活は13カ月に及んだとされ、「奇跡の生還」と話題になっている。3日付のメキシコ紙ウニベルサルなどが報じた。
 男性はエルサルバドル出身のホセ・アルバレンゴさん(37)。1月31日、マーシャル諸島の島に流れ着いたところを発見された。足は痩せ細り、満足に歩けない状態で「気分が悪い。早く帰りたい」と話しているという。
 漂流中は素手で捕まえた鳥や魚を食べて飢えをしのぎ、雨が降らない時は、ウミガメの血を飲んでのどの渇きを癒やした。乗っていた全長約7メートルの漁船からは大量の貝殻やウミガメの甲羅が見つかった。 

●密林生活40年、父子を保護=戦火逃れ潜伏-ベトナム
ベトナム中部クアンガイ省の元の村に戻った後、検査を受ける父(左)=8日(AFP=時事) 【ハノイ時事】ベトナム中部クアンガイ省で最近、ベトナム戦争の爆撃から逃れ40年以上もジャングルで暮らしていた父(82)と息子(42)が保護された。地元メディアが伝えた。
報道によると、ベトナム戦争中の1970年代初め、米軍による爆撃で妻や他の息子2人は死亡。生き残った父子は、密林に逃げ込んだ。
7日の発見当時、父子は樹皮の腰巻きしか身に着けず、地上約6メートルの木の上に作った小屋で生活。トウモロコシなど野菜のほか、野草を食いつないで生き延びていたという。父親は自力で歩けないほど衰弱していた。(2013/08/10-17:50)

●漂流の内閣府職員、変死前に謎の韓国行
読売新聞 2月8日(土)9時24分配信
韓国に出張した内閣府の男性職員(30)が1月、北九州市若松区の響灘(ひびきなだ)をゴムボートで漂流しているところを確認され、その後海中から遺体で見つかった。謎に包まれた行動の足跡を追った。
「韓国で開かれる会議に出席する」。内閣府から米ミネソタ州の大学院に留学していた職員が出張申請したのは、ソウルで開かれた経済や財政についての国際会議「アジア太平洋社会科学会議」。1月8日から3日間の日程の会議だったが、職員は早くも3日にソウルの歓楽街にあるホテルにチェックイン。翌4日にチェックアウトし、そこから約1キロ離れたゲストハウスに11日までの予定で入った。宿泊代金はホテルよりも安い1泊約5万5000ウォン(約5200円)。
だがスーツケースは部屋に置かず、数百メートル先の予約も入れていない別のホテルに預けた。このホテルの関係者によると、スーツケースには財布やパソコンなどが入っていて、職員は「また取りに来る」と話した。

職員は6日、ソウル市東部のボート販売会社事務所に突然現れた。「このボートが欲しい。釣りが好きだ」と言って希望するゴムボートの型番を伝え、ボートと船外機の代金計100万ウォン(約9万4000円)を現金で支払った。職員は「香港出身のアレックス」と名乗り、配達先には釜山(プサン)のホテルを指定した。会話はすべて英語だった。
応対した女性は「うちはネット販売専門なのに、急に買いにきたので驚いた。マスク姿で黒いジャンパーを着ていた。連絡先も教えてくれず、怪しかった」と振り返った。
(筆者追記:職員は、6日夕方、未明に「 パスポートカバーをなくした」として、ソウル市内の交番に、遺失物届を出した)


会議が始まった8日、職員は高速鉄道でソウルから約2時間半かかる釜山にいた。配達先に指定した釜山駅近くのホテルで「アレックス」と名乗り、購入したボートを受け取った。さらにこの日夕には釜山駅から10キロも離れた自動車用品店でバッテリー二つとケーブルを買っている。店員によると、職員は二つで重さ30キロほどにもなるバッテリーを「自分で運ぶ」と抱え、タクシーに乗り込んだ。

その後、職員は再びソウルに戻った可能性が浮上している。ソウルの宿泊先の防犯カメラに10日、職員とみられる男性が映っていたからだ。11日にソウルのゲストハウスを出たという。

7日後の18日、第7管区海上保安本部(北九州市)の巡視艇が響灘で漂流中のボートを見つけた。釜山から約200キロ。中に人が倒れていたが荒天のため近づけず、ボートは転覆。遺体は20日、海中で発見された。7管は、死因は水死、死後1~2週間と発表した。

職員が韓国を訪れた本当の目的は何だったのか。日本から捜査協力要請を受けた韓国警察も今後、真相究明を図る。(ソウル 吉田敏行、釜山 釈迦堂章太)

筆者追記;この時点では、マスコミは漸く職員の日本密航に気付いたが、漁船を雇ったのではないか、とか、ボート内で死亡したとして、死後一週間もボート内にとどまれるのだろうか、との疑義にも達していない。マスコミってぼんくらなものだ。漁船のことでも、青山って右翼コメンテーターが漸く気付き、嬉しそうにコメントするまで全く気付いていなかった。連中の頭脳とか良し悪し判断はどうも理解し難いものがある。

怪死した内閣府職員に噂される「女性トラブル」の数々
女性自身 213()00分配信

 120日、北九州市響灘の防波堤で、ゴムボートとともに、内閣府の男性職員S(30)が変死体で発見された。S氏は内閣府のシンクタンク「経済社会総合研究所」に所属。昨年7月から米ミネソタ州の大学院に公費留学、17日から12日まで韓国に滞在する予定だった。

 不審な点が多いことから、福岡県警は彼が北朝鮮と組んで覚せい剤を運んだのではないかとみて捜査をした。さらにスパイとしても疑っていたという。だが、S氏のメールの記録を解析したところ、“密入国”の意外な動機が浮上した。ある政府関係者が明かす。

S氏は妻と離婚でもめていることがわかった。現在、法的な手続きに入っているとか。しかも彼には愛人がいたのだが、関係がうまくいかなくなっているようだった。愛人にメールを送っても返信がなく、連絡が取れない状態になっていたようだ」

 確かに「S氏の遺体を確認に来たのは妻だったが、なぜか『私は契約上の妻』と答えていた」(報道関係者)という。また別の情報では、裁判所に「偽装結婚」「勝手に籍を入れられた」と双方が主張し、争っていたとのこと。

 いずれにせよ、連絡の取れなくなった愛人に会うことを強く望んでいたS氏。公費留学中のS氏は公用旅券を使っていた。この旅券は指定された国にしか入国できないうえ、日本に帰国すると失効してしまうもの。そのため、旅券を有効にしたまま愛人に会うには密入国しかない、と考えたようだ。この短絡的な思考はキャリア官僚のそれとは思えないが……。

 S氏はカナダの一流大学を経て東京大学大学院を卒業。’10年にキャリア官僚として内閣府に入府。国を背負って立つ人材になるはずだった。しかし真面目なはずの彼は、なぜかたびたび女性とトラブルを起こす。

Sなる人物は女癖が悪く、内閣府のアルバイト女性に手をつけてはトラぶっていた。米国留学も女から逃げる意図があったという」(公安担当記者)

 前出の政府関係者もこう話す。

「留学中の米国でも女性とトラブルになっているとの話もあり、女性との揉め事が絶えない人物だとわかった。昨年末には愛人について思いつめてしまい、様子がおかしかったという。愛人に会うことしか考えられなくなったんじゃないか」

 結局、福岡警察や海保は、事件性がないとして4日午前中には捜査を打ち切ってしまったという。

●佐村河内さんを訴える“大輔曲”の楽譜発売予定だった出版社検討
スポーツ報知 2月8日(土)7時3分配信

 18年間にわたりゴーストライターに作曲をさせていたことが発覚し、耳が聞こえるのではないかなど疑惑が持ち上がった佐村河内(さむらごうち)守さん(50)の楽譜を販売する音楽出版社「東京ハッスルコピー」が佐村河内さんに対して損害賠償の訴訟を起こすことを検討していることが7日、分かった。同社担当者は2日午後、携帯電話に本人から週刊文春の8ページにわたる告発記事の文面が長々とコピーされた謝罪文が送られてきたことを明かした。

 「東京ハッスルコピー」と佐村河内さんの付き合いは、代表曲「交響曲第1番 HIROSHIMA」の楽譜を昨年6月にレンタル用として出版してから。6日に本人が作曲していなかった事実が判明し、11日に発売予定だったソチ五輪フィギュアスケート男子代表・高橋大輔(27)がショートプログラムで使用する「ヴァイオリンのためのソナチネ」など2作と3月11日に発売予定だった「ピアノのためのレクイエム」の出版中止を急きょ、決定した。

 「―HIROSHIMA」もレンタル中止となり、全4作品で同社の被害は数百万円に上る。本人と2度会ったという取締役は「会社の信用にかかわりますから、大きな被害です」と憤り、今後は「訴訟を含めて対応を慎重に検討したい」とした。

 同社への佐村河内さんの謝罪は、異例のコピペ謝罪だった。2日夕、取締役の携帯電話に送られたメールには週刊文春の記事が長々とコピーされていた。最後に「ここに書かれている内容は、うそ偽りのない真実です」と記され、申し訳程度に謝罪の言葉が添えられていた。取締役は「あ然としました」と振り返った。すぐに「メロディーだけでも作ってないんですか?」と送ると、それも否定するメールが返ってきた。

 「―HIROSHIMA」の楽譜は、プロには3か月30万円でレンタルされ、売り上げの40%が佐村河内さんに支払われていた。この取締役は、佐村河内さんとは過去2回、手話通訳を介して会話。不審な様子には気づかなかったという。夫人にも会ったそうで「50歳前後の細身で上品な女性。献身的に夫を支えている印象でした」と明かした。

筆者追記;その後の報道からすると、佐村河内氏は生来の詐欺師らしい。なにしろ、NHKもころっと騙されていたですから。

・凄い人生と言えば、STAP細胞の発表者である小保方さんのことを報告しなければならない。
論文発表後のマスコミの興奮と、その後の、論文疑惑はすさまじいものであった。
理研の第一回調査報告から推察すると、

彼女の発見は、彼女が若すぎることで、日本では全く相手にされなかったのだろう。
結局、彼女の研究を本気で評価しようとしたのは米国の科学者だった。
そのため、彼女は彼女の上司とか指導員の言うことを聞かないというか、指導を期待出来ず、彼女単独で研究するしかない状況となった。
そのため、論文作成能力の未熟なまま作成するより仕方が無く、そのため種々の欠点ある論文になったと思える。彼女の論文へのバッシングは、組織や地位を無視された指導者の報復でもあるだろう。かようなことは、古い組織の中ではしばしばあることだ。問題なのは、日本の組織はどこでも、その古い組織のままであることだ。
さて、最も大きな問題は、彼女の成果が、彼女の思いこみか、それとも、正しいのか、とのことであり、それは、これから明らかにされることだろう。(3月16日)
そうして、彼女の研究が正しかった場合は、マスコミや古い体質の指導者達、それに、ここで何も知らないで彼女をバッシングしている連中はどうするのだろう。
例え、彼女の思い違いであっても、日本のかような古い体質や、民衆の付和雷同性は矯正されることが必要だと思う。そうして、これほど独創力ある研究をしようと試みる彼女の今後に期待するべきだろう。

その後、彼女のSTAP細胞は、全くの虚偽であることが判った。いずればれる事がわかっている嘘を平然と実行する精神が僕には理解不能だ。僕からすると、そんな人生は本当に凄い人生ってことだろう。

● 海に落ちた71歳漁師山下善士さん、1時間泳ぎ生還 タクシーで帰宅
朝日新聞デジタル 4月26日(土)20時52分配信
 24日午後4時半ごろ、宮崎県の日南沖で漁師山下善士(よしお)さん(71)=日南市南郷町中村乙=が船から転落して、行方不明になった。宮崎海上保安部がヘリコプターで捜索する騒ぎとなったが、山下さんはすでに1時間かけて自力で岸に泳ぎ着いていた。その場で疲れて眠ってしまい、その後タクシーで帰宅したため、安否確認が遅れたという。

 海保によると、山下さんは24日午前5時半ごろ、「祥陽丸」(1・3トン)に一人で乗り、目井津(めいつ)港を出港した。沖合約2・5キロでカサゴ漁をしている際、横波を受けて船から転落。連絡がとれなくなった南郷漁協が午後8時40分ごろ、海保に通報。午後10時50分ごろ、海保のヘリコプターが祥陽丸を発見したが、自動操舵で港に戻ってきた船は無人だった。

 救命胴衣を着ていた山下さんは転落後、自力で海岸にたどり着き、そのまま寝てしまった。25日午前4時すぎにタクシーで帰宅し、「家に帰った」と漁協に連絡。無事が分かった。

 海保は「高齢なのに自力で元気に戻ったのはすごい。みなさんも救命胴衣をつけて」と話している。(伊藤あずさ)

<韓国船沈没>乗組員ら脱出時の映像を公開=制服を脱いで私服に着替える、船長はパンツ姿―韓国
Record China 428()1628分配信

28日、韓国の旅客船セウォル号の沈没事故に関し、韓国の海洋警察は同船横転後の救助活動の映像を公開した。映像には乗務員らが制服を脱ぎ、私服に着替えた後、到着した救助艇に慌てて乗る姿が映っていた。
2014428日、韓国・聯合ニュースによると、韓国の旅客船セウォル号の沈没事故に関し、韓国の海洋警察は同船横転後の救助活動の映像を公開した。映像には乗務員らが制服を脱ぎ、私服に着替えた後、到着した救助艇に慌てて乗る姿が映っていた。中国新聞社が伝えた。
公開された約10分間の動画には、制服を着用していなかったイ・ジュンソク船長がパンツ姿のまま救助艇に乗り移る様子や、目の前にある救命ボートも作動させず脱出するのに余裕のない姿が映っていた。
また、救助船到着から20分後に船体が90度に傾き、半分が海中に沈み、乗客が船から海に飛び込む場面や救助過程なども映っていた。(翻訳・編集/NY
<韓国船沈没>テレビに昼寝…逮捕の船長、警察側「至って普通に生活している」―韓国紙
配信日時:2014425 1624     25日、韓国船沈没事故で乗客を見捨ててわれ先に脱出したイ・ジュンソク船長は木浦海洋警察署に拘束されているが、テレビを見たり昼寝をしたりしており、不安な様子は見られないという。写真は逮捕時のイ船長。2014425日、韓国紙・中央日報によると、韓国船セウォル号沈没事故で乗客を見捨ててわれ先に脱出したイ・ジュンソク船長は現在、木浦海洋警察署に拘束されているが、テレビを見たり昼寝をしたりしており、不安を感じる様子は見られないという。中国新聞社が伝えた。
イ船長と乗組員らは19日に約10平方メートルの拘置所に収監されており、取り調べを受ける以外はずっとその中で過ごしている。木浦海洋警察署によると、初めて拘束された容疑者なら通常は不安を感じたり、眠れなくなったり、食べ物も喉を通らなくなったりという状態になるが、イ船長は初めから普通に食事や睡眠をとっているという。イ船長は24日昼、警察署内の食堂で4000ウォン(約400円)のキムチスープなどを食べた。お金を払う必要はない。また、拘置所内に設置されているテレビで主にドラマや映画などを見ているという。
事故当時に操船していた女性航海士は拘束された後、精神が不安状態に陥っていたが、徐々に安定してきているという。海洋警察署は同時に拘束前に自殺を図った機関士を24時間体制で監視し、さらに事故当時の状況について口裏を合わせたりしないよう、乗組員同士の不必要な会話を禁止している。(翻訳・編集/藤)

船の沈没時に、動かないようにとの船内放送が続けられたことが、良く理解できなかったのだが、はっと気付いた。船客が移動を始めると、船が一気に傾きを増すことを恐れたようだ。船員たちは、船の積載量が不安定であることや、乗客たちの移動が危険であることを知っていたのだろう。自分達が生き残るためには乗客たちを犠牲にせざるを得ないと考えたのだろう。日本軍の敗北時の撤退で、指令部がさっさと逃げたと同様の状態が生じたのだ。

2014年1月17日金曜日

不可解な市役所職員 我が市の市役所 と切れやすい老人

.娘の印鑑登録カードを探して、恐らく僕のものと思われるが、名前を書いていないので、僕のか娘のかが明確でないカードが一枚あった。市役所に「番号で、私のかどうか調べて欲しい」と頼むと、そのようなことは、市役所に来て確認して欲しい。確認には、本人確認の運転免許書かパスポートが必要、との回答であった。たったこれだけのことで、わざわざ市役所か、と鬱陶しくは思ったが、明日は土曜日で、しかも今の時間は閉館間際の4時半だからと、パスポートも持ち、自転車で大急ぎで市役所に走った。
窓口には、バングラデッシ系の職員が居て、確認を頼むと、「それはできない」と言う。その男にいくら言ってもらちはあかないだろうと、受付棚の空いている所に移り、奥を見ながら「いや、電話で確認したんだ。パスポートと登録カードを持ってくれば良いと言っていた」と、わざと大声で言ったが、受付の奥の机の所で作業している職員の皆さんは、視線を合わさないようにとしている。仕方ないので、同じことを大声で繰り返すと、漸く横の方から男女2名の、おそらく、本職員だろうと思える日本人が対応し始めた。なお、言っておくが、僕はバングラデッシュ人を責めてもおらず、嫌いでもない。むしろ、バングラデッシュ人は一般的に好きだ。
話を戻して、その二人に、電話で確認した、と説明しても、「---印鑑登録法で出来ない。証明書発行手続きしてください」と言う。が、「なんとか法」さえ言えば、大人しい市民は従順に従うだろうとの意向はあきらかで、もう鬱陶しさが度を越しいよいよ大声で、「それじゃ金がいるだろ」と言うと、「いります」と答える。
「必要なのは、娘の印鑑証明書で、ただ、この印鑑登録カードが僕の物だとの可能性が高い。だから僕の知りたいのは、このカードが、僕の物か娘のか、それとも、男の物か女の物か、でも判ればいいのだ」と言っても、相変わらず「なんとか法で、どうのこうの」と言う。
もう鬱陶しさはこれ以上なく高まって、「なんで、その程度の事が出来ないんだ」と怒鳴り始めた。と、女性職員が突然対策を気付いたらしい。
「それなら、娘さんの名前で、証明書申請してください。もし、娘さんので無ければ、証明書発行に至らず、お金も無料です」と言い、申請書を出した。そうか、と書き始めたが、娘の生年歳は忘れている。日付だけでは駄目と言うので、電話を貸してくれ、家に聞く、と言うと、貸せません、公衆電話で、と言いやがった。
なぜ、娘の生まれ年が無ければ確認できないのだ!くそっ!と思いながら電話機の方に行こうとすると、再び、女性職員が気付いたように、
「仮の年でも良いです」と言う。そりゃそうだろう。印鑑カード番号で検索すりゃ、僕の名前やデータが出るだけで娘の生まれ年なんて関係ない。
で、適当な年を書いて渡すと、
なんと、目の前、そこの端末で、登録カード番号であろう、とんとんとキー入力して、
直ぐに「これは申請者のカードではありません」と言った。つまり、娘のカードでは無いわけで、画面には僕のデータが載っているだけの筈だ。
と言うことで、問題は解決したが、この間、市役所の中の大勢の視線が僕に集中していた。
娘の印鑑カードの行方は不明だが、問題の一つは解決した。それも、たった十数秒で処理できることを、なぜこれほど怒鳴らねばならんのだ、とうんざりだ。
職員の法的に許されぬとの、本当かどうかは判らぬ拒否に、要求を諦めて、恐らく300円程度のことではあるが、求めに応じてお金さえ出せば、怒鳴ることなく処理できたのであろうが、それでは余りに情けない。と、とても馬鹿げた経験であった。

この経験を自分なりにじっくり考えて、問題がどこにあるかを考えた。
結局、市役所の仕事が、「申請書を出して、証明書を発行する」 と言ったような、きわめてルーチン化されたものになっていて、これから外れた仕事は、例え簡単に出来ることでも、そこから目をそむけて、ルーチンワークのルートを通るように市民を誘導することらしい。
今回の件では、「金を出して証明書申請をする」つまり、「僕のカードで僕の印鑑証明を申請し、これを、金を払って受け取る」ってルーチンである。で、市の職員は僕が怒鳴ることで、「娘の印鑑証明を申請して、間違った申請をしたから、証明書が出せず、従って、費用も発生しない」ってルートを見つけたわけだ。
つまり、もっと簡単に言うなら、印鑑カードシステムの運用に、カード内容を確認するとの機能が無いので、対応できないってことだろう。つまり、法的な問題と言うよりは、ソフトがそのようになっているからに過ぎないのだろう。
更にこの件の問題は、今の社会の、官僚システムや公務員システムに共通の問題と思える。つまり、「全てがルーチンワークになっていて、ルーチンに出来ない仕事は遣れない。若しくは、やらないようにしている」ってことだろう。逆に言えば、「ルーチンの手順に沿っておれば、悪事であろうと法的には正当と認められる」ってことらしい。また、彼等の思考は、物事の本質を見るのではなく、ルーチンに沿っているか、そのルーチンをどう巧妙に利用すれば問題を解決できるかしか考えておらず、ルーチンに沿っている限りは、自分の責任は果たした、と考えるらしい。
官僚、公務員、それに、彼等に拘わるトラブルや言動、例えば、中央道トンネル崩落、原発事故、猪瀬知事不祥事などの全ての原因や発生過程、発生後の過程は、どうやら、この観点から見ると、容易に理解できそうだ。それどころか、義姉についての、家庭裁判所での手続きとか書類閲覧に至るまで、全てが、同じ問題を抱えているようだ。

次いで、問題となるのは、名前が記載されていない「印鑑登録カード」について、これが、自分の物か、他の家族の物かを確認することに、手数料を支払うべきかどうかの問題がある。
市の運営は顧客である市民にサービスすることが目的である。とすれば、証明書を出すとか、何らかの形ある物を提供することは有償としても、顧客の問い合わせに回答することを有料にすることは奇妙だと言えるだろう。問い合わせに解答することを有償にすることもあるが、それは、そ回答内容が新しい知見とか、有用な知識を、問い合わせ者に与える見返りであって、市民へのサービスは元来、無償であるべき筈だ。
今回の場合は、市民を、その市民にとって無用な証明書発行に導くことで、無料であるべきサービスを有料にしてしまう等と、自分達の職務の基本が市民サービスであることを忘れた行為と思える。
等と、市役所で大声で怒鳴った自分に自己嫌悪を感じながらの分析である。
しかし、かような大声を必要とさせる市役所にも腹が立つのも事実だ。

が、遠くに住む友人に、メールでこの経過を書き送ったら、「市のソフトがおかしい。他方、女子職員の対応は褒められるべきだ」と返信してきた。その友人は賢明で、非常に穏やかな男で、平均的日本人の思考をしている。だが、彼なら、最初から穏やかに、お金を払って本問題を解決したであろう。
さて、いずれが正しいのであろうか。

なににしても、僕は頭のおかしいおじいさんとして、市役所では評判になっていることだろう。
このことだけでも、鬱陶しい話だが、頭のおかしいお爺さんは、僕だけでは無かった。
僕が貸農園を耕していることは書いているが、その農園の道は、特に霜が立つ今頃は泥だらけになる。靴に付いた泥を棒でたたき落としてから舗装道路にでることにしている。でも、僕以外に貸農園を借りている人はお構いなしに道路に出るので、その周辺の舗装道路は汚れている。
で、今日、貸農園に行ったときに、道路近くで貸農園を借りている人が、「その道で泥を叩き落とさないでくれ、叩き落とした土が、農園に飛び込む」と言う。「判りました。農園に飛び込まないように落とします。道路を汚すのが嫌だから」と言うと、突然怒鳴り始めた。「お前は、以前には、農園の通路に土を盛り上げたら、通れないと文句を言ったし、俺の畑に鋏を落としてマルチを傷つけた、どうの、こうの!」と叫びだした。目をむき歯をむき出している。
驚いてしばしは黙っていたが、当然ながら、僕も切れて、
「いったい何を言ってるんだ!通路を通れなくなるのは困るだろ。それに、マルチを傷つけたことは謝っただろ」と怒鳴り返した。すると、「この道は私道だ」などとわけのわからんことを叫ぶ。
お互いに、どなり終えて別れた、と言うか、僕は声の大きさには自信があるから、敵の十倍は怒鳴り返した。が、なんとも、老人は切れやすいのだ。
と、いよいよ鬱陶しくなった。結局は、人との拘わりでは、鬱陶しくなることばかりだから、人が自分のことをどう考えているかなんて、どうでもいい、と考えて生きて行くしかないのだ、と考えた。
それにしても、自分の持ちものでもない貸農園で、靴に付いた泥を払って、それが飛び込んでいると、怒鳴る阿呆がいることには呆れてしまう。わけわからん。

友人にかようなことをメールしたら返信が来た。
「もうちょっと歳を取ると、怒鳴るだけではなくて、手が出るようになる。そもそも、老人は、長い人生で経験を積み、自分に自信があるため、苦情などに対する耐性が無くなり、おこりっぽくなる。」
なるほどと思い、充分に自戒することにした。僕は、自信過剰な所があるから特に注意すべきだろう。

2015年8月追記
ところで、本件、つまり、畑での爺さん同士の切れ合いから1年もせずして、畑は相続の関係で貸農園を止めるとの葉書が来た。僕は翌日には地主さんを訪問して代替地を近辺に見付けたが、僕以外の人々は貸農園作業をあきらめるか、遠隔地の貸農園を借りた。
貸農園に金を掛けたって言ってた爺さんは、かなり遠くに代替地を得たようだが、貸農園に投資したビニールハウス(それも2基も)、それに、畝を囲む板囲いや、資材を置く大きな棚とか、なんとかかんとか、金を掛けたと自慢していた全てを移設せねばならない。そもそも、貸農園でビニールハウス設置や大きな恒久的な棚なんて許される筈もないのに、この爺さんは馬鹿か!って思うのだが、どうだろう。
まぁいいや。僕の被害は最小限と言うか、新しい農園は日当たり良しの絶好地であったし。

2月8日は豪雪です。とても怖いぐらいの豪雪です。ガレージの雪かきを何度も行っています。ベランダは手もつけられない有様です。
それで思い出しました。2月9日は、道路の雪かきでした。左右の家が旅行中で、僕の分担はとても重かったです。でも、体力的な自信が持てました。2月10日はベランダの雪かきと、冬越野菜、グリーンピース、タマネギ、ニンニクの救助作戦を行いました。葉を傷めないように素手で雪を掻くのですが、不思議なことに、あるレベル若しくは時間を越えると、それほど苦痛は感じなくなります。と言って、凍傷ではなく、指の体温が高まって、冷たさに優る状態になるようです。

ところで、大阪に居た頃、敦賀のセメント工場に見積打ち合わせに行きました。打合せ最中に、敦賀は豪雪地帯だと思えたので、どの程度積もるか、と尋ねました。途端に、付いて行っていたわが社の営業部長が、「打ち合わせ中に天気の話をしてどうするんじゃ!」と僕を怒鳴りつけました。見積打合せ最中の雪の話しに、僕が天候よもやま話を始めたと誤解したのでしょう。
このおっさんは何を言ってるんだと、返事に戸惑っていると、お客さんが、「いや、敦賀は雪が多いから、設備設計には雪の積雪量が重要なんです」と弁護してくれました。
おっさんは黙ってしまったのですが、営業部長でもこんなレベルってことですが、歳を取ると、怒りっぽくなるってことですね。
それにしても、会社の上司って、怒鳴ることに慣れてしまうっていうか、異常になってしまうようです。恐らく畑で僕をどなったおっさんも、会社では怒鳴ることに慣れてしまい、世間でもそれが通用すると思ったんでしょうね。が、しかし、会社とは異なり、世間では直ぐに逆襲されることに気付いたでしょうか。

ところで、市役所ですが、こんなトラブルや、その後の職員の対応を見ると、市役所で怒鳴りまくるって、あながち悪いことではなさそうだ。むしろ、もっと推奨されるべきことかもしれない。

新座市、税過徴収問題で全戸6万棟調査へ 市長「心よりおわび」

埼玉新聞 6月12日(木)1時22分配信
 新座市が60代の夫婦に対し約27年間、誤って固定資産税額を過徴収していた問題で、須田健治市長は11日、緊急に召集された市議会全員協議会で、市の課税ミスを認め、「課税誤りのあった方に多大な迷惑を掛け、心よりおわび申し上げます」と謝罪するとともに、市民の信頼回復に向け、7月から12月にかけ、市内全戸約6万棟の土地、家屋を対象に同様の誤徴収がないか調査する考えを明らかにした。
 市は、過徴収発覚の経緯やこれまでの夫婦への対応などについて説明。市議から「なぜ報道前に公表しなかったのか」との質問に対し、須田市長は「大変残念だが、毎年、市内で課税ミスは10件ほど発生している」と明らかにした上で、「マンション、水道に関係するなど、多くの市民が対象となるケースは発表するが、今回は個人の案件なので思案した結果、公表を踏みとどまった」と説明した。
 市によると、800万円以上に上った夫婦への請求額のうち、課税ミスがあった固定資産税、都市計画税分は全体の28%に相当し、残りの72%は課税ミスのない市民税、県民税の滞納分だった。一方で、請求額全体の約6割は、期日までに支払いを済ませなかったことで生じる延滞金が占めていたことも明らかにした。
 また、別の市議から「(納税者の事情に応じて減額などを考慮する)減免の話は夫婦にしたのか」との質問も。納税課長は「減免は通常、本税を納め切った時点でする。夫婦に延滞金の減免に関する話はしていない」と説明した。
 全員協議会を傍聴していた男性は「同じような誤徴収が毎年10件ほどあるのなら、なぜ今までチェックしなかったのか」と、疑問の声を上げていた。