2025年8月6日水曜日

野次喜多夫婦、南イタリヤの貧乏旅

 スマホの場合は下記です。
https://4travel.jp/travelogue/10221800

●まとめ<br />(1)イタリヤ旅行の場合は、TRAINITARIAの時刻表を徹底的に利用しよう。切符の値段も出力できます。なお、私鉄はインターネットに熱心では無いので、現地に行かないと判りませんが、私鉄駅には、時刻表が貼り出してあります。(最近はイタリヤ語のHPは充実しだしたようです。それに、ヨーロッパの殆どの鉄道はネットで購入が出来るようになりました)ただ、私鉄は日曜は運行しないとか制約が多いので、この使用には融通を持ち、時間的余裕を見込んでおきましょう。<br />なお、特別な場合を除き、イタリヤでの乗物の切符は、列車は乗り場で、バスなどは車内で刻印機で使用開始の日時を刻印します。これをチンブラーレ(刻印する)と言います。刻印しないとタダ乗りと見なされ、タダ乗りは犯罪とみなされるので気をつけましょう。<br />(2)スリ、強盗は日常茶飯事だから、金は腹巻に、カメラはチャック付きのポケットの奥に入れておくこと。後ろポケットに大事な物を入れておくなんて、この国ではルール違反です。<br />切符を買う時にも、釣り銭は間違いないか確認しましょう。また、市内観光切符を買ったのに、市電1回分を掴まされることもります。切符の内容を確かめようね。<br />(3)イタリヤでの食事は、PRIMA PIATTE、SECOND PIATTEを一応は知っておこう。なお、簡易食として、フリッテとオムレツは当たり外れが少ないようです。<br />(4)安宿旅行をする場合は、底の厚いスリッパで風呂に入るのが望ましい。<br />●経過<br />日本からのヨーロッパ国際線は、大韓航空が最もリーズナブルな価格だからと、発売を待っていたのだが、なぜか大韓航空の発売は全くYahooに出てこなかった。そのため、切符の手配が一ヶ月遅れ、慌ててKLMを購入することになった。<br />結果として9月末を予定していた出発が10月20日となってしまい、アムスTRANSITで、ローマ着は19:25の航空券となった。アムスで1時間しかTRANSIT時間が無いことと、ローマ着が遅く、宿泊予定のNOMENTANAの宿着がかなり遅くなることが心配だった。<br />代理店はスカイバトラー社で、対応はしっかりとしており、予約後すぐに入金で、即、航空券が発行された。実に安心な手配であった。なお、アムスでの時間が少ないため、インターネットでアムスの空港ガイドとかを、あれこれと調査した。<br />KLMの乗り心地は上々で、アムスでの乗換も容易であった(E4着でB10発、審査も含めて20分未満)が、審査はユーロ国人とその他の国の人は別の窓口であった。で僕たちの並んだ窓口の標識が突然ユーロ国人に変わったので、困惑していると、大きな黒人が、かまわん、かまわんと日本語でアドバイスした。そのまま列に並んだが、案の状、検査員が、ここはユーロ国人の窓口だ、と言うので、標識が突然変わったのだ、と答えると、黙ってうなずきパスポートチェックをしてくれた。ヨーロッパ人ってかなり融通がきくのだ。<br />飛行機は出発、到着共に僅かに遅れて、19:45にローマに着いた。20:15に駅に出て、20:27分のNOMENTANA行きを待ったが、遅れて20:50発になった。48分で着く筈が、遅れて21:48分着となった。その間、ROMA FIUMICINO(小さな川)を出た列車は、車内放送も無く、駅の標識も不明瞭でどこに居るのか、何時着くのか全く判らず、暗闇の中を薄明かりの駅から駅への走行が続き、どうにも不安で、近くに座る人に「NOMENTANA?」と聞くと、私も行く、って言ってくれたのでほっとした。結局、NOMENTANA、地下鉄乗換えのティブルティ−ナ駅の次であった。この辺りの駅の配置は、地球の歩き方のローマ編に詳しい、と後から判った。<br />今回は、南イタリヤを列車で走りまくるので、TRANITARIAの時刻表を空港からの移動にそって、ずっと出力してきたが、こんな事態には全く対応できなかった。それに、NAPOLIの私鉄のデータもインターネットでは殆ど把握できなかったのも心配のひとつだ。<br /><br />ローマでのB&amp;Bは、ローマ市内から、ちょっと離れたNOMENTANAの駅の近くの住宅地帯にあり、夜9時頃に着いた。駅には全く人気の無く、駅を出て坂道を上がるとひろ〜いNOMENTANA通りで、これを越えてもうアパートが立ち並ぶ住宅街で、明かりは殆ど無い。調べておいた番地でB&amp;Bを捜したが、番地表示は飛び飛びなのでなかなか見つからない。もう通りには人相の悪そうな連中にしか居なかったが、やむを得ず聞きまわって漸く扉をみつけた。悪そうな奴でも、懐に入ると親切にするのが、人間の習性のようだ。<br />今回の旅で再認識したが、イタリヤの家の門は背が高く頑丈だが本当に狭い。ところが、中に入ると、一気に内庭になっていて、本当に広々しているのだ。そのB&amp;Bなんぞは、狭い門を入ると、広い庭があって、その向こうに住宅ビルディングが幾棟も建っていて、ひとつの住宅団地群になっていた。<br />その狭い門の内側に押しボタンが並んでいて、漸くB&amp;Bの名前を見つけて押しボタンを押すと、女家主のイタリヤ語が聞こえた。この女家主は英語がしゃべれないので、しゃあないと、イタリヤ語でしゃべるはめになってしまった。<br /><br />部屋は、その家主NELLYが自宅をB&amp;Bとしているので、実に清潔で住み心地は最高であったが、PRIVATE BATHを頼んでおいたのに、家主との共同風呂の部屋だった。でもまあ、ダブルで朝食付き58EURだからしゃあないかと諦めた。それに家主の言うには、風呂は扉が開いていれば使えて、閉まっていれば使用中とのルールらしい。まあ、それなら問題なさそうだと思った。実際、このルールだと、殆ど不自由はなかった。<br />翌朝判ったが、ここにはドイツ人の若夫婦が泊まっていて、若者たちには、PRIVATE BATHの部屋で、僕たち老夫婦なれば、お互いに融通できるだろうと家主は考えたようだ。それとも僕らが着くのが遅く、早いもの勝ちであったと言うのが正解だろう。ひょっとすると来ない可能性も高いのだから。でも、イタリヤの検索システムは予約を不実行の場合は、キャンセル料が自動的に発生するシステムになっている。<br /><br />静かで居心地良くゆっくりと休めた。朝食は8時からで、各種パン、ジュースが並び、カプチーノ、紅茶が選択で、牛乳も用意されていて、かなり豪華な様子であった。テーブルはひとつで、金髪のドイツ人夫婦と相席となった。<br />亭主の方はイタリヤ語がペラペラで、僕も暫くはイタリヤ語で相手をしたが、なかなか話が進まず、僕の方から「英語はしゃべれるか?」とイタリヤ語で問いかけると、「little bit」と見事な英語で応じてきた。と、イタリヤ語をしゃべれず、黙ったまま食事を続けていた彼の女房の方までもが、英語で話しかけてきた。欧米人はおしゃべりが多い。<br /><br />ところで、朝は7時に目が覚めたので、NOMENTANA駅で、あさってのNAPOLIへの国内超特急ESの切符を買っておこうと出かけたのだが、部屋の鍵、B&amp;Bの鍵、次いで、建物の鍵を開けて外に出ると、広い緑の庭と、多数の住宅ビルヂングがこの敷地の中にあることに驚いた。例の狭い門の扉と合計4個の鍵を開けて、昨日うろついた道路に出て駅に向かった。駅舎は鉄路の反対側にあり、狭い地下通路を抜けて駅舎に行ってみると、なんと、この駅は無人駅であった。てなことで、切符はローマのテルミニ駅で買うより仕方がなくなった。なんで、ローマ市の北の端の住宅群駅舎が無人駅なのだろうか。<br /><br />ローマにはイタリヤ鉄道駅はいくつか有るが、その主なる駅は、TERMINI駅である。その昔、西暦0年頃に、ここには2000人も入れる巨大な共同浴場が設けられていた。ローマ人は行く先々で巨大な共同浴場を建設し、この清潔好きなローマ人の性格とその施設のおかげで、ローマ時代には伝染病はそれほどの脅威とはならなかったのに、ローマ帝国滅後の中世には、多くの疫病が欧州を襲っている。<br />その浴場後に建設されたので、この駅はTERMINI(温泉)駅と名づけられ、その駅が終点になっているので、終着駅のことをターミナルと称されることになった。そうして、TERMINI駅をテーマとして、終着駅なる映画が作成されたのだ。<br />駅周辺には、紀元前の城壁が残っていて、この城壁はガリヤ人の攻撃で簡単に破られてしまった。この教訓を元に、ローマはその後作られた半径2kmほどの城壁が周囲を囲んでいる。かって、と言っても1年前に、僕は、10日間をローマで過ごし、その間の朝早くに城壁に沿って歩き回ったが、城壁の殆どは今でも完璧で見ごたえのある代物だった。<br /><br />食後、NERRYにバス停の場所を聞き、人通りの殆ど無い道を、NOMENTANA通りにと出掛けた。Yahooイタリヤで宿泊地周辺の地図は全て出力しているので、道については大体把握している。だがしかし、例え犬の糞があちこち散らばってはいても、朝の異国の道を歩くのは、いつも心躍るものなのだ。バス停近くのタバッキーで一日券を買い、聞いていたNO90のバスでTERMINIに向かった。地下鉄もこの切符で乗れるのだ。<br />空いてはいたが、座れるほどでは無く、乗車して吊革にぶらさがっていると、早速スリが寄ってきた。若い女のスリで容貌はイタリヤ人ではあるが、ジプシーの雰囲気を持っている。それにしてもあからさまな接近で、僕達は、あちらこちらへと車内を逃げ回った。<br />今から思えば、日本人が大人しいと馬鹿にしているのだから、怒鳴りつけるべきなのだ。今後は必ずそうしよう。<br />TERMINI駅に着き、切符売り場に行き、メモを渡し、明日の9時発ナポリ行き特急1等を買った。NAPOLIまで約2時間46EURとイタリヤの鉄道は安いのだ。ついで地下鉄に乗りスペイン広場に行き、アメックス事務所でT/C500EURをCASHに換えた。手数料無料だから日本でCASHを買うより遥かに安いのだ。<br />その後は、トレビの泉、コロンナ広場、パンテオンと、何度も歩いた道だが、いつもトレビの泉で方向を間違ってしまう。トレビの泉の方向が河の流れの方向と直角になるからだ。<br />とにかく何度も来たローマを見て歩いた。 <br />10月22日(日)<br />NERRYに7時に朝食を出来ないかと頼んだが、それは出来ないとのことで、翌日は、おいしい朝食をあきらめ宿を出て、駅の立ち食いでサンドイッチの食事を終えて9時の列車に乗った。1等は6人席のコンパートメント指定席だった。<br />なお、NOMENTANAからのバスだが、ローマの一日券は実際は24時間券だから、朝も有効であった。<br />列車の出発直前に中年の婦人が同じ部屋に入ってきたが、奇妙なことに他のコンパートメントはがらがらであった。僕と女房は向かい合って窓側に座っていた。中年の女性は僕の横に座り、自分のハンドバックを僕との間に置いたが、ハンドバックの口はぱっくりと開いたまま、手を突っ込んでくれというかのように僕の方に向いていた。僕は自分のサムソナイトが邪魔にならぬかと、外に運び出して、窓の手すりにチエンで止めたが後ろを振り向くと、女性は僕の手元を見つめているので、チエンの施錠は彼女の視線を体で遮って行った。<br /><br />向かいに座った女房から見ると、彼女の一見華やかな服装にも拘らず、彼女の指や足首はあかぎれが酷かったとのことだ。<br />列車がNAPOLIに近づいた頃になって検札の車掌が来て、彼女は切符を買い求めてから去って行った。恐らく席が空いているので座っていた、とか何とか言っているであろう、その様子からすると、切符や指定席も無く我々の横に居座っていたことになる。<br />この不思議な女性をどう思いますか?とても怪しいですね。イタリヤでは、スリとか、かような怪しい人物は日常茶飯事ですから、よっぽど気をつけなきゃならんのです。<br /><br />ナポリ駅の構造は今でもよく判らんのだが、とにかく、通常の国鉄列車は2階での到着出発で、終着駅となっているから、列車を降りて前に進んで行き、左前方に降りるとバスターミナルで、そこにはゴチャゴチャと車が並んでいる。TAXI乗り場には延々と人の列が出来ているから、ここで車に乗る気にはならない。後で知ったが、市電はこの広場の最も駅から遠い所にある。僕らの泊まる処は、Central areaで、旅行記を読むと普通の人は泊まると危険だと書いてあったので、少々恐れを感じていたのだが、Central areaは右前方だから、その方向に進むと通路は人二人程度しか通れない狭い通路が勾配となって地上に降りて行く。通路途中にタバッキがあったりして、昔の大阪の下町って感じですな。<br />宿泊場所は、FIRENZE通りのB&amp;B FIRENZEで、22日から5泊で60EUR/夜って安さです。venere.comの評価で騒音がうるさいって書かれていたので、静かな部屋と要求しておいた。FIRENZE通りに沿って番地を見て行くと直ぐに見つかった。ぼろエレベータで上がりチェックインとなった。家主ニコラウスと手伝いの女性ターニャが居て、家主は中東系、ターニャはブラジル出身の女性であった。部屋は内庭向きの静かだが、値段並みの清潔さと住み心地であった。以後気づくのだが、イタリヤのB&amp;Bは一般的にシャワー室の排水が不良で、水が溜まりやすい。そのため、以降の旅行では常に底の厚いスリッパを持参することにしている。なお、Central areaがNAPOLIの他の場所に比べて、特別治安が悪いとは思えなかった。<br />ところで午後は、NAPOLI近郊旅行の準備ってことで、駅に戻り、ARTECARDの売り場を国鉄のインフォメーションに聞こうとした。僕の前にイタリヤ人の中年の女性が何かを訪ねていたが、窓口の太った黒人女性が、突然大声で叫び、イタリヤ人女性は慌てて窓口を離れた。窓口の女はニタニタと笑っている。で、僕も「どこでARTECARDが買えるか」と聞くと、早口で答えるので理解できない。理解できないと言うと、女は叫びだした。僕が驚いて窓口を離れると、向うむきに座る同僚に、笑いながら驚かせた成果を話しているようであった。イタリヤにはかように頭のおかしい駅員や、金を誤魔化す駅員が多いので気を付けねばならない。かって僕はベローナの駅のバス切符売り場で、中年の切符売場の女性から、10EURの観光切符を買ったのにも拘わらず、1EURのバス切符を渡されていた経験があるのだ。<br />なんとか売り場を見つけ、25EURの3日間ARTECARDを購入したが、そのCARDをボスビオ鉄道で使えるかが判らない。そこで、チルクムベスビアナ鉄道(ボスビオ周遊鉄道)のインフォメーションに行くことにした。地球の歩き方に従って、地下のボスビオ周遊鉄道の駅に行こうとしたが、工事中の壁があって行けない。上にあがり、国鉄の職員に聞くと、プラットホームに向かって右の方に行けとのことで、どんどん行くと、ほそ〜い通路となり、これを通過するとボスビオ鉄道改札口で、そこから地下のプラットホームに階段が向かっていた。改札口の手前にインフォメーションがあり、窓口はイタリヤ人女性で、国鉄のインフォメーションとは大違いで、「一度だけ往復に使える」と丁寧に教え、更に鉄道マップ付時刻表をくれた。これは僕に取っては非常に貴重なものだった。<br />次いで、港に行こうとタバッキで一日券を買ったが、今日の午後に使うのかと聞かれて、そうだと答えると、3EURが2EURとなった。「へ〜ローマの一日券とは違い、ここは当日券なのだ」と感心しながら駅の前の広大なバス乗場へと向かった。このバス乗場の混雑ぶりはGOOGLEMAPでも判るありさまで、そのバスが右往左往する間を通りぬけ、その辺りに居る運転手たちに聞くと、最も向こう側のバスらしい。僕たちがそこに丁度着いたとき、港行きR-2のバスが満員状態で発車する所だった。と、そこに体の頑丈なおっさんが現れて、「このバスか?」と聞くので頷くと、発車するバスを止めにかかった。だが、バスはそのまま行ってしまった。このおっさんは、いったい何者?と僕は思った。<br />次のバスががらがら状態で着くと、おっさんは僕の前に立ち、あたかも紳士かのように女房を先に乗せてから、自分も乗り込んだ。次いで僕も乗り込んだが、おっさんは入口からちょっと入った所で立ち止まり、僕がすり抜けて奥に入ろうとするのを、通路左右の手すりを掴んでそれを阻止した。後ろから別のおっさんが僕の体を押し始めた。で、女房はと言えば、がらがらの車内奥の方にまで行って、吊皮を持ち気楽に窓の外を見ている。<br />こんなことで、がらがらの車内の入口付近に、僕を含めて3人の男だけが押しくらまんじゅうをしてるって馬鹿な状況になったのだ。<br />だがしかし、僕は金や貴重品が簡単に抜かれるような所には入れていない。うしろのおっさんが何かを言って、前のおっさんが諦めたかのように体をよけて後ろに回り、二人はバスから降りていった。つまり二人のおっさん達は強盗だったのだ。<br />イタリヤって本当に恐ろしいでしょ?<br />でも、僕にも一応は学習能力があります。要するに、混んだバスや市電には絶対に乗らないってことですね。で、港へは、どちらかと言えばバスよりは空いている市電で、しかも、混み易いガルバルディ広場の、そのひとつ手前、即ち北側の、プリンペシウンベルト広場、つまりは、ガルバルディ通りとFIRENZE通りの交差点で乗ることにしたのだ。以降は何度も市電を使ったが、かような危ない目に会うことはなかった。更に、僕の旅行全般で見ても、NAPOLI以降は、もっと田舎ばっかりで、全く危険な目に会うことは無かった。それどころか、NAPOLIでもその他の地域でも、イタリヤの一般市民は素朴で親切で、僕らが困っている様子を見ると、いつも必ず気安く援助してくれるのだった。<br />ところで市電だが、ガルバルディ通りを真っ直ぐに海岸に南下して、そこで右折して海岸通りを進み、ムニチーピオ広場の海岸側の駅で降りると、海に向かい、ずっと右手にはCAPLIへの切符売り場と船乗場、真向かいの広場の向こうにある大きな建物のマリッチマ駅(MARITTIMAってえのは、フェリー乗場駅って意味ですから、フェリーが有る町にはどこにでもマリッチマ駅があります。この事はイタリヤ旅行の際は覚えておきましょう))には、パレルモへの切符売り場があり、左手にはその船乗り場などがあるのだ。マリッチマ駅広場には、有難いことに朝6時から夜8時までで1EURって、とっても安い荷物預かり所もあるのだ。(イタリヤの国鉄の荷物預りはとても高い)<br />駅の建物に行ったが、パレルモへの船の切符売り場がなかなか見付からず、10/27夜の便は、TIRENNIA社の20:15発であることが判り、切符の発売は入口横の切符売り場で3時からだと判った。建物内2階の待合所で時間を潰し、3時になり下に降り切符を買ったが、当日7時にここに来れば車で乗船場に運んでくれるとの事だった。が、当日になって判ったのだが、乗船場はそこからほど近い、陸に向かって右側のフェリー乗り場で、わざわざここまで来ることも、車が遅れて長く待つことも無かったのだ。<br />なお、その船の窓付き側一等はTWIN(2人)で140EURと、交通費と宿泊費込みとすれば、安いながらもシャワートイレ付きで、住み心地良好で、船内設備も良かった。今回の旅行で最も住み心地が良かったと、女房の意見である。ただ、窓側の高い部屋ではあったが、10月末には日暮は早く夜明けは遅く、窓があっても何の意味もなかった。<br />10/23(月)<br />先日調べたCAPLI島へのフェリーでCAPLI島に行く。高速艇で14EUR/人。日本人グループが横入りして我先にと乗ったが、この船は立ち席がないので安心して乗ればよいのにね。グループだと必死になるんでしょうけどね。<br />CAPLI島で、青の洞窟船に乗り替え、10EUR、洞窟前で、小舟に乗り換えた時に船頭が、4.5EUR と洞窟入場4EURで、それにチップだと説明したが、僕は4EURだけだと記憶していた。<br />で、洞窟から出てきた時に、8.5EURx2人分しかやらなかったので睨まれた。後で、地球の歩き方を見ると、8.5EURにはチップは含まれてなかった。なんか今でも心苦しい。でもチップが本当に必要なの?<br />CAPLI港に戻り、桟橋の付け根で昼食。ピザがうまかった。ケーブルで上に上がり、アウグスト公園周辺を歩き回った。が女房の体力を考えて、VILLA JOVISとかVILLA SAN MICHELEはあきらめた。どうせ、また来るだろう。ウンベルト一斉広場周辺の家々とか辻々はなかなか気持ちの良い街なのだ。ケーブルカーを降りて高速船の切符を買うと、出港間際で走って船に乗った。<br />ホテルに帰り、地球の歩き方に書かれているNOVARA通りのスーパーに果物を買いに行き、その北側のコインランドリーで洗濯をした。が、イタリヤのコインランドリーには常に運転員が居て、操作は全部やってくれるのだ。なんでかな。夕食はホテルの向かいのレストランに行ったが、安くてうまかった。<br />10/24(火)<br />本日を3日有効のCAMPANIA ARTECARDの初日として、ポンペイに行くことにした。NAPOLI駅に行き、勝手知ったボスビオ周遊鉄道への細い通路を通り駅に行き、改札口にカードを突っ込んだが、改札口が開かない。駅員が寄ってきて、このCARDは初めて使うのだな?と聞いた。つまりボスビオ鉄道では一回しか使えないってことだろう。駅員の指示に従って他の改札機を使うと改札口が開き通過できた。<br />時刻表もマップもあり、何の心配することなく、ポンペイ遺跡駅に着き遺跡を見学した。ARTECARDで入場できるのだが、いったんはCARDで入場券を買わねばならないのだ。つまり、CARDで只のキップを買うって手続きなのだ。この手順は、どの施設も同じであった。遺跡の見学を終えて駅に戻り、駅員に「このCARDでソレントに行けるか」と聞くと、OKだと答えた。またまた何なくソレントに着き、駅から階段を降り街中に行き昼食をたべ、再び駅に戻りCARDでアマルフィには行けないことを確認してからバスの切符を買った。アマルフィ駅行きのバス停留所を探したのだが、明確な標識はなく、それに、なぜかバス事務職員の指示がバラバラで、しかも、バスの故障もあって、僕たちだけではなく他の人もうろうろとしてバスを待った。何とかバスに乗りバスはアマルフィへと向かった。<br />感じの良い街並みを抜けると、後は、抜けるような青い空と海、切り立った崖の中腹の上がったり、下がったりの道を、2.4EURにしては乗り甲斐のある距離を延々と走り続けた。<br />アマルフィに着いたが、女房は「気分が悪い、早く帰りたい」とのことで、直ぐにキップを買い、同じ道をソレントに戻り、ボスヴィオ周遊鉄道でNAPOLIに向かった。この鉄道の終着駅は、国鉄とは違って、通常のNAPOLI(GARIBALDI)駅よりは一つ先のNAPOLI駅となる。<br />10/25(水)<br />今日は、あまり知られていないが、PAESTUMに行くことにした。国鉄で行くのだが、CARDが有効な区間である。7:50発に乗ると、国鉄は、ボスビオ周遊鉄道とは、ポンペイを挟んで内陸側を進み、ソレント、アマルフィのある半島の後方を急峻な崖の間の峡谷を通過して、半島の付根のサレルノを通過して、更に進むと、寂れた何個かの駅を経て、PAESTUMに停車した。この列車は途中でBATTIPAGLIAで分岐点があるので、乗換の有無を確認してから乗らねばならない。<br />駅は全くの無人駅であるため、CARDを使わず、切符で来る人は、帰りのキップは駅からかなり離れた遺跡周辺のタバッキで買わねばならないことでも有名だ。<br />駅からまっすぐの並木道が遺跡の方まで2KM以上は続いている。本当に気持ちの良い道なのだ。遺跡もまた想像以上の規模で素晴らしく、シシリー島のアグリジェントよりも巨大な神殿が、ひっそりと佇んでいる。 なお、アグリジェントとここの神殿は、紀元前500年頃に、共にギリシャ人が建造したのである。<br />昼食は、遺跡前のピザレストランでピザを食べたが、そこの主人がいわく、俺の店は地球の歩き方に出ていると、僕の手にする本のページを示した。<br />駅への道をゆっくりと帰り、気持ちの良い散歩を楽しんだ。<br />NAPOLIに戻り、国立考古学博物館と国立ポディモンテ美術館を訪れた。例のアレクサンダー大王とダリウス王の戦いのモザイク絵には心から感動した。海外の旅では、かって書物や教科書の中で見た景色や絵画を肉眼でみることが出来る驚きが大きいのだ。<br />10/26(木)<br />今日はNAPOLIから北に33kmのCASERTAに向かった。CASERTAでは線路は分岐して右に行けばバーリから南部イタリヤへ、左に向かえばローマへと繋がって行く。ここへの列車時刻も十分に調べてあるし、CARDで乗れる範囲なのだ。<br />駅の右側に、広い庭園が広がっているので、そこから入場できると思ったらそうではなかった。庭園に沿ってずっと反時計回りに道をたどると、庭園を線路と平行に走る道があり、その更に向こう側が、CASERTAの宮殿なのだ。CASERTAはブルボン王朝がNAPOLIを中心とする南部イタリヤを支配していた頃に、海岸沿いの町々がバイキングに侵略されるのを恐れた王が、内陸に都を移すことでできた町なのだ。そんな仮住まいたる宮殿が、これほど凄い建物になるとは、と驚愕するような巨大な宮殿であり、巨大な庭園であった。<br />特に宮殿は、奥行き2kmもあり、歩いても歩いても、登っても登っても奥に到達しない、と思われる大きさであった。なにしろ庭園内をバスが走っているのだ。でも、僕らは何とか辿り着いたからね。(途中であきらめかけたけどね)<br />10/27(金)<br />朝は遅く起きてチェックアウトして、サムソナイトを引き摺ってFIRENZE通りをGARBARDI通りに向かった。前に書いたように、その交差点(ウンベルト王子広場ちゅうのだね)に広場がありGARBARDI駅に向かう市電の停車駅があるのだ。ここで乗れば空いた列車に乗ることができるのだ。市電に乗るのは簡単になったが降りることについて言うと、海岸通りでは、いつもどこで降りるか迷うのだが、その度に同乗するイタリヤ人の小父さんか小母さんが、「ここだよ、ここだよ」と教えてくれる。それほど、一般的イタリヤ人はおせっかいで親切で、マリチィッマ駅前は外国人が行くことで有名なのだ。さて、ここで見つけておいた預かり所に荷物を預け、ウンベルトのガレッリヤを経て、FUNICOLARE CENTRALEに乗った。この(FUNICOLARE)ケーブルカーはなかなか乗り応えのあるケーブルカーであった。<br />眺めが良いと評判のサンテルモ城に向かったが、ケーブルカー駅からの道筋はなかなか複雑で、通りかかる人に道を聞き聞き進んで行った。この城はなかなか構造的に面白い城で、上にはエレベータで登るのだが無料であった。眺めも良かったのだが、城の出口向かいの昼食を食べたレストランからの眺めはもっと良かった。その向かいのレストランは昼過ぎなのに僕ら夫婦以外は居なくて、後から入って来た観光客は追い出された。どうしてそうなったかは今でも判らない。かくして、僕たちのNAPOLIの日々は終わり、その夜に船に乗船してシシリー島に向かった。部屋は快適で夕食は船内の安い方のレストランで済ませた。舷側側の高価な部屋を取ったのに出発時には既に夜で、外はまるで見えなかった。あほらしい。<br />10/28(土)10/29 (日)<br />船がパレルモに着いた時には、まだ夜は明けきっていなくて薄暗かった。バスで駅に向かおうかと予定していたが、TAXIの運ちゃんに声を掛けられて、いくらだ?と聞くと、15EURだと答えた。その顔の表情から、交渉すれば下がるなと感じたが、金より時間だと考えてしまった。旅も一週間にもなると、だんだんと軟弱になってしまうのだ。で、OKと答えて車に乗った。案の定、運転手は実に楽しそうに運転したが、その有様を見ると、なぜか僕も幸せになってしまった。<br />TAXIはあっという間に駅に着き、運ちゃんは荷物を下ろし、金を受け取ると嬉しそうに<br />GRAZIE!と言い去って行った。時間は6:30だから列車には充分の時間があった。時間を金で買ったってことですね。<br />窓口に行き、7:35発AGURIGENTO CENRARE行きの切符を買った。次の列車は、10:35なのでTAXIを使ったのだ。アグリジェントまで2時間程度だが、元々便数が少なく、しかも土曜日だからいよいよ便数が減るのだ。<br />サムソナイト、バッグと4個の荷物を全てを駅の荷物預かりに預けたが、これが結局思わぬ出費になった。帰着した時の話になるが、これは仕方の無いことではあった。残念ながら受取書を失い詳細金額を示せないが、要するに5時間を越すと、追加料金が一気に増えて行くのだ。支払いの時にその高額さに驚いて抗議したのだが、「金額はCPUで計算している。計算根拠は壁に貼っている」と教えられ、概算すると間違いなかったので諦めて支払ったのだ。イタリヤ国鉄の預かり料金は全国で一律だから注意を要し、出来るだけ荷物をまとめる事が望ましいのだ。<br />駅でクロワッサンとかサンドイッチとカプチーノで朝食を取り、入線してきた列車に乗った。後になって乗るのだが、本土の南端辺りの列車のぼろさに比べるとシチリヤの田舎駅を走るにしてはなかなかの列車であった。<br />アグリジェントへの線路はその殆どが谷間を進むのだが、その両側は、谷から山の上までの全てが見事に耕作されており、いかに、紀元前の昔から営々と人々が切り開いてきたかを思わせる地域であった。アグリジェントの直前で、線路はパレルモとは島の反対側の、紺碧の海に到達するのだ。<br />AGRIGENTの駅前には広場があるのだが、バスの乗り場が判らず、聞く人毎に、指示する場所が違い、だんだんと駅から離れていった。が、再び駅前広場に戻ると何人かのバックパッカーが集まっており尋ねるとそこがバス停だと判った。来たバスの運転手に、「神殿の谷」と言うと、頷いたのだが、バスは、市内をぐるっと回り坂を下りて、後で分るのだが、神殿入口を通過して延々と走り、もう一度運転手に念を押すと、あっそうか、てなことを呟いた。バスは田舎の家々と畑や谷間をぐるっと回り、結局元に戻って来て神殿入口に止った。AGRIGENTの人は、なんかおかしくないかえ?結局、歩いてもそう遠くない所に行くのにバス停を聞くものだから教える方も混乱したのかもしれない。でも、軟弱な僕らに取って歩くには、ちょっと遠い距離なんだなぁ。で、最初に聞いた人々は歩いて行く方向を教えてくれて、バスは最初は神殿とは逆の方向に進み、町がある丘の麓をぐるっと回って神殿の谷に向かっているのだ。<br />ジュピター神殿、ディオスクロイ神殿、巨象のレプリカを見てから、道路を隔てた坂を登って、稜線に沿って建てられたコンコルディヤ神殿、ジュノーネラチニヤ神殿を見て歩いた。巨象は見ごたえが有るものの、神殿そのものは、PAESTUMEの方が素晴らしく、むしろ稜線からの眺めが、その空の青さと見事な緑と谷間と、また稜線の反対側のなだらかな紺碧の海まで続く緑が、共に素晴らしかったのだ。ひょっとすると、ギリシャ人よりも以前に地中海を庭としていたフェニキヤ人が、彼らの植民地を同じような海岸に建設したように、ギリシャ人もまた、かような海岸そばの丘陵を好んだのかもしれない。<br />帰りの列車を急いで2時過ぎの便に乗り、4時前にはパレルモのCENTRAL駅に着き、預けた荷物を受け取り、そこで先に書いたように、預け賃でもめたのだが、納得して荷物を引き摺って石畳の道をVIA MAQUEDAを宿へと向かった。宿はこれに交わるVIA DIVSIにあり、直ぐに見つかった。が、日本流では2階にあり、荷物を持ち上げるのが大変だった。地球の歩き方で紹介している宿は更に上階にあるから、いよいよ大変であろう。<br />宿は朝食込みで62EUR、部屋もまあまあで朝食は非常に良かったのだが、僕たちの部屋はVIA MAQUEDAに向いており、夜中じゅう車が走り、その石畳の走行音が、建物に反響してすさまじい騒音であった。でも、女房はぐっすりと眠れるんだなあ。<br />街は縦横に三本程度の主要通路があり、裏通りがこれに加わり、極めて判り易い街並みである。宿からは主要な見所は歩いて行けますし、近くには味もまあまあの中華レストランと言うよりは食堂もあり、朝には裏通りで市場が開かれ、僕のようにごちゃごちゃの街が好きな人間には、とても楽しい街であった。が、女房には面白くなかったようだ。って、これで、この街のことはわかるでしょ?ところで、市場では果物とか商品に触ってはいけません。口で何キロ(イタリヤ語を勉強してね)と言えば、店の人が新聞紙で包装してくれます。これがマナーですから気をつけてね。なお、朝の市場では、ぼられることは無かったです。目つき鋭い商売人の顔付なんだけども、本性は気の優しいのがシチリヤ人気質ですね。<br />バスの一日券を買ったが、バスに乗ると狭い街なのでどうしても行き過ぎてしまうようです。地図では大通りになってるんですが、実態は狭い通りなんで、見落として行き過ぎてしまうんです。なお、ORTO BOTANICO植物園は実に見ごたえのある植物園です。駅から植物園までの道は、中国人街のように安物をあれこれ売っていて、僕には興味深い道でした。<br />10/30(月)<br />さて今日は、本土のBARIまでの列車の旅です。今回の旅行ではこれが最も計画困難だった所です。最も簡単なルートは、NAPORIまで行きバーリへと後戻りするルートです。でもそれでは面白くないですよね。で、イタリヤ半島の靴の底をトコトコと行く道を選んだのです。<br />切符は、おとつい買っておいた。BARIまで1等で(1等列車は主ラインだけ)1人で60EURですから安いもんです。<br />PALERMO CENTRARE 7:30 PAOLA 13;37/13:55 <br />CASTIGLIONE COSENTINO 14:16/14:23 SIBARI 15:22/16:22<br />TARANT 18:52/19:19 BARI CENTRARE 20:53<br />と、かなりの乗換頻度で、どこかで問題が起こると全てが狂う。それを避けようと、私鉄を調べたり、バスを調べたり、とあらゆる手立てを行ったがうまく行かなかった。結局、このエリヤはあまりにも辺鄙すぎるのだろう。だがこの辺りは、カルタゴのハンニバルが暴れまわった所である。通過するだけでも僕の人生の意義があるように思えるのだ。シチリヤを特急で縦断することにも僕には特別の意味があり、メッシーナ海峡をフェリーで渡るなんて考えるだけでも興奮するのだ。<br />ってことで、シチリヤの北岸を紺碧のティレニア海を眺めながら、特急の乗り心地を楽しんだ。メッシーナ駅では、南岸から来る特急を待ち、共にメッシーナのマリチィマ駅(フェリー駅)でフェリー内に入線するのだ。フェリー船内のスナック売場でサンドイッチとカプチーノを買い昼食として、メッシーナ海峡の眺めを満喫した。<br />対岸で列車は、徐々に遅れて行き、PAOLA駅では30分も遅れてしまった。PAOLA駅で乗換列車を探すと、向かいの車線に来るとのことで、暫く待つと列車が入線してきた。列車は直ぐにトンネルに入り、急な坂をのぼり、谷間を通りCASTIGLIONE COSENTINOに着いた。どうやらその列車は、二つの駅の間をシャットル運転しているらしく、SIBARI駅で、急いで地下通路を通り乗換に間に合った。この辺りの列車は、とても古いタイプであった。SIBARI駅からの車掌は、体の大きな金髪の映画俳優なみのハンサム男であった。恐らく、バイキングがこの辺りを占領していた時の子孫であろうと思えたTARANTへの海岸は、日没の美しい海岸が延々と続いていた。<br />ギリシャ時代からの軍港TARANT(この名前を聞くだけで興奮してしまう)は終着駅でプラットホームを変え鈍行から特急に乗換えた。ホームで待つ人は殆ど居なかった。列車は時間通りに入線し時関通りにBARIに着いた。駅からは簡単にホテルペンションROMEOに着いた。ここは食事無しで56EUR/日である。ここには同じビルに3軒のホテルが有り、地上階のホテルに日本人の若者を見掛けた。エレベータはまあまあの装置で安心して乗れる代物だった。オーナーはサルバトーレと言い、とても好意的で感じの良いおっさんである。例の如くスーパーとコインランドリーのありかを聞くと共に近くにあることが判った。<br />スーパーは何と、2,3軒先だってさ。<br />10/31(火)<br />朝食は、駅への角にあるバールで済まし、マテーラに行く私鉄の乗り場を探しまわった。何と、駅前ロータリの駅に向かって右側、一番駅から離れた、極く当り前の、普通のビルが、CalabroAppuloLucanet鉄道(FerrovieAppuloLucane)のBariCentrare駅であり、入口を入ると、普通の通路が長く建物の中に続いている。その奥の左手で切符を売っていて、(いくらであったか忘れたが多分4EUR/1人程度)どこにホームがあるのかと探したが判らずうろうろしていると、おっさんが、階段を登れと教えてくれた。なんと建物の一番上にホームがあったのだ。ホーム待合室に時刻表が貼ってあった。時刻表にはBariCentrare 8:04 Altamura9:06/9:09 MateraCentrare 9:33 MaterSud ???と書いているので、駅員に聞くと前の2両はAltamuraまで行くので、そこですぐ右側の列車に乗り換えて、MateraCentrareで降りること、って教えられた。2両以外は、Altamuraまで行かず、途中のToriffoまでとのことだった。なお、この私鉄は切符の刻印から30分以内に列車に乗らねばならないらしい。また片道だけ有効って切符に書いている。列車は、レモンとオリーブの木が延々と続く田園の中を走り続けた。無事、乗り換えも終えて、やはり同じような田園の中を通り抜け、田園は途切れ石灰石台地となり、列車は堤防の間に入り地下に潜った所が目的地であった。地上に上がり切符売り場で帰りの列車を調べると、11:50 13:11 14:18 16:12となっていた。売り場の前はロータリになっていて、道路を超えてViaRomaを抜けるとビットリベネト広場になる。ここで新市街が途切れ、くぼみのような岩の間から、有名な洞窟都市が前方の谷間いっぱいに広がっている。これを抜けると崖に沿った洞窟都市を囲む周回道路がある。この道路には殆ど観光客はおらず、洞窟との名称から与えられる惨めな町ではなく、静かで落ち着いた家並みとも言える洞窟の家が続いているのだ。散策との言葉にぴったりの石畳の道を、それぞれ個性的な洞窟の家並みの間を、なんとも静かな気持ちで歩けるのだ。僕たちは、崖に沿って右手にと歩み、崖に開けられた洞窟都市の遠景を見ながら歩み、見事な洞窟教会の所から、新市街の方に戻った。そこはもう騒々しいイタリヤの中世の城跡さえある街並みで、ViaLucanなる交通量の激しい道路を、洞窟都市に沿って歩き広場に戻り、遅めの昼食をViaRomaのレストランで食べた。<br />BARIに戻り、明日に予定しているアルベロベッロ行私鉄FerovieDelSudEst線のBariNord駅と、CastelDerMonteに行くFerovieBariNord線のBariNord駅を調べて歩いた。<br />アルベロベッロ行きが国鉄の地下道を通り一番奥にあることは直ぐに判ったが、CastelDerMonteへ行く路線は国鉄の駅のロータリー側にある筈で、これを調べ回ったが、その周辺は全て国鉄のホームであった。どうにも判らず、ホテルに帰ろうとロータリーを今朝乗った線のビルの方に歩いていて、そのちょっと手前にある建物のドアを覗くと、なんとその狭い入口の階段の下に電車が見えているではないか。そこが目的とする私鉄であったのだ。つまり路地裏の私鉄ですね。<br />なお、CastelDerMonteに行くには、Andriaからバスに乗るのだが、午前中に9:30発と午後3時頃発だけでTAXIも無いとのことだから、基本的には、BariNord駅発7:28に乗りAndriaに8:26着の電車に乗らねばならない。<br />11/1(火)<br />アルベロベッロへの列車は、昨日調べたところでは、7:10,8:22,9:52,10:53,11:57,12:40,13:29発があり各駅到着時間は、8:22発だとBariNord 8:22 Putignan0 9:26 Noci 9:39 Alberobello 9:50 Loco 9:58 MartinaFranca 10:04となっている。アルベロベッロの次のLocoroTondとか、MartinaFranca周辺はとても美しいとのことで出来ればゆきたいなあ、と考えているのだ。<br />なお、帰りのAlberobello発は,11:49,12:32,13.22,14.11,14:56,15:57,16:58,18:25となっている。<br />で、駅には少々早めだが、7:30には着いた。だが、切符売り場には誰も居ない。ホーム上をずっと歩いたが、そこにも誰も居ない。途方に暮れていると、バックを背中に背負った中東系青年が現れて、彼も、ホームをうろうろしてから地下道に行った。暫くして帰ってきて、「今日はホリデイだから列車は動かない。私はバスで行くよ」と傍にある入口、つまり国鉄の駅からすると裏側の出入口から外に出て行った。僕たちも彼を追って外に出たが、青年は、バス停留所を求めてか、切符売場を求めてか、広い道路のあちこちで疎らな人影を求めてうろうろしていた。言葉を話せる彼でもこれなんだから、僕はもう駄目だと諦めて今日の予定を変更し、LECCEに行くことにして国鉄の切符売場に向かった。LECCEへの時刻表は出力してあったから直ぐに8:09発の1等切符を買えた。がしかし、列車は遅れて9:07に来た。1等はとても混んでいて、空いているコンパートメントには若いインド人とイタリヤ女性のカップルが居て、二人は抱き合ったりキスしたり、膝の上に乗り合ったりと大変であったが、その合間に僕たちに話しかけるって忙しい人達であった。<br />LECCEは明るい砂岩を使ったバロック調の街並みの美しい街であった。ここでは、日本人夫婦とあったが、彼等もまた今日アルベロベッロに行く予定が狂ったのことであった。更に帰り道で中年の女性から声を掛けられた。彼女はアルベロベッロの土産物屋で働いていて、今日と明日は休暇でLECCEの家に居るとのことだった。<br />帰路、駅近くの「mannmaの店」に入ったが、CARTE(メニュー)のイタリヤ語は難しすぎて理解できなかった。「non capito」と言うと、中年のオーナーらしい美しい女性は「あ〜non capito!」と僕の言葉を繰り返した。で、PASTAとかラザーニヤって言うことで何とか食いものは出てきたが、かなり高い勘定となった。mannmaの店で注文すること、はとっても難しいんだと僕には判った。<br />11/2(水)<br />寒くなりつつあったのだが、それにくわえて今日は曇りで吹く風も冷たい。<br />7:30に駅に着くと、大勢の人が待っていた。観光客はそれほどの数では無く、この私鉄が生活路線であることが良くわかった。アルベロベッロまでは片道4EURで往復を買った。どうやらアルベロベッロ駅は時間的に無人駅になるらしいので、帰りの切符も買っておいたのだが、切符は、発売地から70km以内で刻印後6時間有効となっていたから、6時間以内に帰るとか、途中下車とか、もっと先まで行って、戻るとか、4EURを有効活用することも可能だろう。<br />列車は定刻に出て、市街地を進み、途中で大勢の人々が乗り込んできた。なかには中国系の人が大勢、小売の品物を背中いっぱいに背負って乗り込んで来た。彼等は、BARIで品物を仕入れて、田舎の町に小売りに行くのだろう。中国人たる彼等の気力には、本当に感心してしまう。<br />CasteLlanaGrotteには9:20に着き、洞窟で有名な無人駅GrotteDiCasteLlanaには9:25、アルベロベッロには、9:50とほぼ定刻に着いた。駅前は閑散としていて、どう進むのかも判らない。で、地球の歩き方に書いてあるViaMarugeritaと思われる道を進むことにした。僅かではあるが雨もぱらつくようになってしまった。通りは、なかなか雰囲気の良い通りで、大きな教会の見えるビットリオエマニエル大通りに出た。この道は、より観光客のために整備された気持の良い道であった。道を進むと広場があり、ここで市場が開かれていたが、衣服が主体の屋台で、地元の人のための市場と思われた。その終りの所に高台があり、その下に例の有名な三角帽子の家々が、坂の下の広い道の向うに広がっていた。さてさて遠くまで来たもんだ、と思った。この不思議な町並は、LargoMarterottaなる広い通りの向こう側に広がるのと、高台の左手の方にあるのとが見えた。余すところの無いように歩いて見て判ったが、通りの向こうは観光客向きであるが、左手の方は静かで落ち着いた街並みであった。寒くはあったが、充分に報われた一日であった。<br />11/3(木)<br />CastelDerMonteに行くか、GrotteDiCasteLlanaに行くかで悩んだが、女房の興味からすれば、洞窟の方かな、とGrotteDiCasteLlanaに行くこととした。自分一人か男同志だともっとダイナミックに行動できるのだが、仕方が無い。<br />昨日と同じ時間に駅に行き、片道2.6EUR(45km以内)を往復買った。昨日も通過時に確認しておいたが、その駅は完全無人駅だ。だから往復買ったのだが、有効6時間を有効に利用することも出来たかもしれない。それにしても2駅程度しか違いはないのに、なぜこんなに金額が違うのだろう。<br />乗る前に車掌らしき男、それも、ロバート・デ・ニーロにそっくりな男に、この列車はアルベロベッロに行くか?と確認して乗ったのだが、検札に来た時に、「GrotteDiCasteLlanaに行く」と言うと、「ああ、アルベロベッロまでは行かないんだね」と切符に鋏を入れた。<br />目的駅に近づいたとき、その車掌が別の車両から「次だよ」とわざわざ教えに来てくれた。<br />ただホームのあるだけの全くの無人駅に降り立って、出て行く列車を見ると、窓からロバート・デ・ニーロが見ているので手を振ったが、彼も唇を微笑の位置にして手を振った。こんな情景が僕は最も好きなのだ。<br />ホームからの降り口は列車進行方向の左にしか無くて、ホーム前はロータリーのような、とても広い空地になっている。僕たちと一緒に降りたのは青年3人で、彼等に洞窟への道を聞くと、ロータリーの道に沿って、列車線路とは直角に真っ直ぐに行くのだと教えてくれた。教えられた通りに行くと、道路に突き当り、そこを左に暫く行くと道の左手に公園のようなものがり、ここが洞窟の入口への公園であった。<br />事務所で切符を13EUR/人で買うと待合所で、10:00まで待たされた。ガイドが来て、事務所の奥に進むと、扉がありここが洞窟の入口となっていた。なかなか壮大な洞窟で、見所も多く、特に最深部の結晶は一見の価値がある。ガイドは必要な所でライトのスイッチを入れるが直ぐにスイッチを切るのだ。だから、できるだけガイドの傍に居ることが重要だ。<br />帰路はエレベータで地上に戻り、出口周辺には、土産物屋とかバールとかがあり、バールでサンドイッチとカプチーノを頼んだ。店のおっさんがパソコンを操作しているので、勘定書きでも付けているのかと覗いてみると、株の罫線が見えた。僕に気づいたおっさんが、ウインクして「ニッケイヘイキン」だと言った。パソコンはこんな田舎まで浸透しているのかと感心したのだ。<br />11/4(金)〜<br />ってことで、無事、ほぼ全ての目的を果たして、BARI発7:43のESでローマに向かった。列車は山の中を走り、ナポリへの分岐点LECCEを通過して、12:30頃にローマterminiに着いた。列車の旅って窓の外を見ているだけでも楽しいものだ。さて、宿泊は4youって60EUR/日のB&amp;Bで、ビットリオ・エマニエール広場の直ぐ傍であった。TERMINI駅のG.GIOLITTI通り側出口をまっすぐにナポレオン通りに突き当った辺りで、非常に便利ではあるが、中国人や韓国人の店が集まっている辺りで、市内の中でも閑散とした地域である。でも、市電は常時走っている。なお、その近くに地球の歩き方にも書いているホテルマリアーノがあるのだが、ここの地上階のレストランは値段は手ごろで親切で、しかも、おいしいのだ。そこでスエーデンの農業をやっている夫婦と合い席になったが、彼等は毎年海外旅行をしていて、僕らと楽しく話し合いながら食事をした。感じの良いレストランって、たまたま一緒になる人との会話も楽しいものなのだ。<br />11/5をローマで、女房のお供で買い物をして、11/6 10:25ローマ発、AMS経由で成田へと立った。<br /><br />やれやれ、あ~疲れた。よく書くでしょ?自分でも感心しちゃう。<br />さて所要費用集計は下記となりました。<br />航空運賃:2人 231,480円<br />宿泊、交通費 2人 320,000円<br />合計 約550.000円/2人 275,000円/1人(18日) <br />

野次喜多夫婦、南イタリヤの貧乏旅


●まとめ
(1)イタリヤ旅行の場合は、TRAINITARIAの時刻表を徹底的に利用しよう。切符の値段も出力できます。なお、私鉄はインターネットに熱心では無いので、現地に行かないと判りませんが、私鉄駅には、時刻表が貼り出してあります。(最近はイタリヤ語のHPは充実しだしたようです。それに、ヨーロッパの殆どの鉄道はネットで購入が出来るようになりました)ただ、私鉄は日曜は運行しないとか制約が多いので、この使用には融通を持ち、時間的余裕を見込んでおきましょう。
なお、特別な場合を除き、イタリヤでの乗物の切符は、列車は乗り場で、バスなどは車内で刻印機で使用開始の日時を刻印します。これをチンブラーレ(刻印する)と言います。刻印しないとタダ乗りと見なされ、タダ乗りは犯罪とみなされるので気をつけましょう。
(2)スリ、強盗は日常茶飯事だから、金は腹巻に、カメラはチャック付きのポケットの奥に入れておくこと。後ろポケットに大事な物を入れておくなんて、この国ではルール違反です。
切符を買う時にも、釣り銭は間違いないか確認しましょう。また、市内観光切符を買ったのに、市電1回分を掴まされることもります。切符の内容を確かめようね。
(3)イタリヤでの食事は、PRIMA PIATTE、SECOND PIATTEを一応は知っておこう。なお、簡易食として、フリッテとオムレツは当たり外れが少ないようです。
(4)安宿旅行をする場合は、底の厚いスリッパで風呂に入るのが望ましい。
●経過
日本からのヨーロッパ国際線は、大韓航空が最もリーズナブルな価格だからと、発売を待っていたのだが、なぜか大韓航空の発売は全くYahooに出てこなかった。そのため、切符の手配が一ヶ月遅れ、慌ててKLMを購入することになった。
結果として9月末を予定していた出発が10月20日となってしまい、アムスTRANSITで、ローマ着は19:25の航空券となった。アムスで1時間しかTRANSIT時間が無いことと、ローマ着が遅く、宿泊予定のNOMENTANAの宿着がかなり遅くなることが心配だった。
代理店はスカイバトラー社で、対応はしっかりとしており、予約後すぐに入金で、即、航空券が発行された。実に安心な手配であった。なお、アムスでの時間が少ないため、インターネットでアムスの空港ガイドとかを、あれこれと調査した。
KLMの乗り心地は上々で、アムスでの乗換も容易であった(E4着でB10発、審査も含めて20分未満)が、審査はユーロ国人とその他の国の人は別の窓口であった。で僕たちの並んだ窓口の標識が突然ユーロ国人に変わったので、困惑していると、大きな黒人が、かまわん、かまわんと日本語でアドバイスした。そのまま列に並んだが、案の状、検査員が、ここはユーロ国人の窓口だ、と言うので、標識が突然変わったのだ、と答えると、黙ってうなずきパスポートチェックをしてくれた。ヨーロッパ人ってかなり融通がきくのだ。
飛行機は出発、到着共に僅かに遅れて、19:45にローマに着いた。20:15に駅に出て、20:27分のNOMENTANA行きを待ったが、遅れて20:50発になった。48分で着く筈が、遅れて21:48分着となった。その間、ROMA FIUMICINO(小さな川)を出た列車は、車内放送も無く、駅の標識も不明瞭でどこに居るのか、何時着くのか全く判らず、暗闇の中を薄明かりの駅から駅への走行が続き、どうにも不安で、近くに座る人に「NOMENTANA?」と聞くと、私も行く、って言ってくれたのでほっとした。結局、NOMENTANA、地下鉄乗換えのティブルティ−ナ駅の次であった。この辺りの駅の配置は、地球の歩き方のローマ編に詳しい、と後から判った。
今回は、南イタリヤを列車で走りまくるので、TRANITARIAの時刻表を空港からの移動にそって、ずっと出力してきたが、こんな事態には全く対応できなかった。それに、NAPOLIの私鉄のデータもインターネットでは殆ど把握できなかったのも心配のひとつだ。

ローマでのB&Bは、ローマ市内から、ちょっと離れたNOMENTANAの駅の近くの住宅地帯にあり、夜9時頃に着いた。駅には全く人気の無く、駅を出て坂道を上がるとひろ〜いNOMENTANA通りで、これを越えてもうアパートが立ち並ぶ住宅街で、明かりは殆ど無い。調べておいた番地でB&Bを捜したが、番地表示は飛び飛びなのでなかなか見つからない。もう通りには人相の悪そうな連中にしか居なかったが、やむを得ず聞きまわって漸く扉をみつけた。悪そうな奴でも、懐に入ると親切にするのが、人間の習性のようだ。
今回の旅で再認識したが、イタリヤの家の門は背が高く頑丈だが本当に狭い。ところが、中に入ると、一気に内庭になっていて、本当に広々しているのだ。そのB&Bなんぞは、狭い門を入ると、広い庭があって、その向こうに住宅ビルディングが幾棟も建っていて、ひとつの住宅団地群になっていた。
その狭い門の内側に押しボタンが並んでいて、漸くB&Bの名前を見つけて押しボタンを押すと、女家主のイタリヤ語が聞こえた。この女家主は英語がしゃべれないので、しゃあないと、イタリヤ語でしゃべるはめになってしまった。

部屋は、その家主NELLYが自宅をB&Bとしているので、実に清潔で住み心地は最高であったが、PRIVATE BATHを頼んでおいたのに、家主との共同風呂の部屋だった。でもまあ、ダブルで朝食付き58EURだからしゃあないかと諦めた。それに家主の言うには、風呂は扉が開いていれば使えて、閉まっていれば使用中とのルールらしい。まあ、それなら問題なさそうだと思った。実際、このルールだと、殆ど不自由はなかった。
翌朝判ったが、ここにはドイツ人の若夫婦が泊まっていて、若者たちには、PRIVATE BATHの部屋で、僕たち老夫婦なれば、お互いに融通できるだろうと家主は考えたようだ。それとも僕らが着くのが遅く、早いもの勝ちであったと言うのが正解だろう。ひょっとすると来ない可能性も高いのだから。でも、イタリヤの検索システムは予約を不実行の場合は、キャンセル料が自動的に発生するシステムになっている。

静かで居心地良くゆっくりと休めた。朝食は8時からで、各種パン、ジュースが並び、カプチーノ、紅茶が選択で、牛乳も用意されていて、かなり豪華な様子であった。テーブルはひとつで、金髪のドイツ人夫婦と相席となった。
亭主の方はイタリヤ語がペラペラで、僕も暫くはイタリヤ語で相手をしたが、なかなか話が進まず、僕の方から「英語はしゃべれるか?」とイタリヤ語で問いかけると、「little bit」と見事な英語で応じてきた。と、イタリヤ語をしゃべれず、黙ったまま食事を続けていた彼の女房の方までもが、英語で話しかけてきた。欧米人はおしゃべりが多い。

ところで、朝は7時に目が覚めたので、NOMENTANA駅で、あさってのNAPOLIへの国内超特急ESの切符を買っておこうと出かけたのだが、部屋の鍵、B&Bの鍵、次いで、建物の鍵を開けて外に出ると、広い緑の庭と、多数の住宅ビルヂングがこの敷地の中にあることに驚いた。例の狭い門の扉と合計4個の鍵を開けて、昨日うろついた道路に出て駅に向かった。駅舎は鉄路の反対側にあり、狭い地下通路を抜けて駅舎に行ってみると、なんと、この駅は無人駅であった。てなことで、切符はローマのテルミニ駅で買うより仕方がなくなった。なんで、ローマ市の北の端の住宅群駅舎が無人駅なのだろうか。

ローマにはイタリヤ鉄道駅はいくつか有るが、その主なる駅は、TERMINI駅である。その昔、西暦0年頃に、ここには2000人も入れる巨大な共同浴場が設けられていた。ローマ人は行く先々で巨大な共同浴場を建設し、この清潔好きなローマ人の性格とその施設のおかげで、ローマ時代には伝染病はそれほどの脅威とはならなかったのに、ローマ帝国滅後の中世には、多くの疫病が欧州を襲っている。
その浴場後に建設されたので、この駅はTERMINI(温泉)駅と名づけられ、その駅が終点になっているので、終着駅のことをターミナルと称されることになった。そうして、TERMINI駅をテーマとして、終着駅なる映画が作成されたのだ。
駅周辺には、紀元前の城壁が残っていて、この城壁はガリヤ人の攻撃で簡単に破られてしまった。この教訓を元に、ローマはその後作られた半径2kmほどの城壁が周囲を囲んでいる。かって、と言っても1年前に、僕は、10日間をローマで過ごし、その間の朝早くに城壁に沿って歩き回ったが、城壁の殆どは今でも完璧で見ごたえのある代物だった。

食後、NERRYにバス停の場所を聞き、人通りの殆ど無い道を、NOMENTANA通りにと出掛けた。Yahooイタリヤで宿泊地周辺の地図は全て出力しているので、道については大体把握している。だがしかし、例え犬の糞があちこち散らばってはいても、朝の異国の道を歩くのは、いつも心躍るものなのだ。バス停近くのタバッキーで一日券を買い、聞いていたNO90のバスでTERMINIに向かった。地下鉄もこの切符で乗れるのだ。
空いてはいたが、座れるほどでは無く、乗車して吊革にぶらさがっていると、早速スリが寄ってきた。若い女のスリで容貌はイタリヤ人ではあるが、ジプシーの雰囲気を持っている。それにしてもあからさまな接近で、僕達は、あちらこちらへと車内を逃げ回った。
今から思えば、日本人が大人しいと馬鹿にしているのだから、怒鳴りつけるべきなのだ。今後は必ずそうしよう。
TERMINI駅に着き、切符売り場に行き、メモを渡し、明日の9時発ナポリ行き特急1等を買った。NAPOLIまで約2時間46EURとイタリヤの鉄道は安いのだ。ついで地下鉄に乗りスペイン広場に行き、アメックス事務所でT/C500EURをCASHに換えた。手数料無料だから日本でCASHを買うより遥かに安いのだ。
その後は、トレビの泉、コロンナ広場、パンテオンと、何度も歩いた道だが、いつもトレビの泉で方向を間違ってしまう。トレビの泉の方向が河の流れの方向と直角になるからだ。
とにかく何度も来たローマを見て歩いた。 
10月22日(日)
NERRYに7時に朝食を出来ないかと頼んだが、それは出来ないとのことで、翌日は、おいしい朝食をあきらめ宿を出て、駅の立ち食いでサンドイッチの食事を終えて9時の列車に乗った。1等は6人席のコンパートメント指定席だった。
なお、NOMENTANAからのバスだが、ローマの一日券は実際は24時間券だから、朝も有効であった。
列車の出発直前に中年の婦人が同じ部屋に入ってきたが、奇妙なことに他のコンパートメントはがらがらであった。僕と女房は向かい合って窓側に座っていた。中年の女性は僕の横に座り、自分のハンドバックを僕との間に置いたが、ハンドバックの口はぱっくりと開いたまま、手を突っ込んでくれというかのように僕の方に向いていた。僕は自分のサムソナイトが邪魔にならぬかと、外に運び出して、窓の手すりにチエンで止めたが後ろを振り向くと、女性は僕の手元を見つめているので、チエンの施錠は彼女の視線を体で遮って行った。

向かいに座った女房から見ると、彼女の一見華やかな服装にも拘らず、彼女の指や足首はあかぎれが酷かったとのことだ。
列車がNAPOLIに近づいた頃になって検札の車掌が来て、彼女は切符を買い求めてから去って行った。恐らく席が空いているので座っていた、とか何とか言っているであろう、その様子からすると、切符や指定席も無く我々の横に居座っていたことになる。
この不思議な女性をどう思いますか?とても怪しいですね。イタリヤでは、スリとか、かような怪しい人物は日常茶飯事ですから、よっぽど気をつけなきゃならんのです。

ナポリ駅の構造は今でもよく判らんのだが、とにかく、通常の国鉄列車は2階での到着出発で、終着駅となっているから、列車を降りて前に進んで行き、左前方に降りるとバスターミナルで、そこにはゴチャゴチャと車が並んでいる。TAXI乗り場には延々と人の列が出来ているから、ここで車に乗る気にはならない。後で知ったが、市電はこの広場の最も駅から遠い所にある。僕らの泊まる処は、Central areaで、旅行記を読むと普通の人は泊まると危険だと書いてあったので、少々恐れを感じていたのだが、Central areaは右前方だから、その方向に進むと通路は人二人程度しか通れない狭い通路が勾配となって地上に降りて行く。通路途中にタバッキがあったりして、昔の大阪の下町って感じですな。
宿泊場所は、FIRENZE通りのB&B FIRENZEで、22日から5泊で60EUR/夜って安さです。venere.comの評価で騒音がうるさいって書かれていたので、静かな部屋と要求しておいた。FIRENZE通りに沿って番地を見て行くと直ぐに見つかった。ぼろエレベータで上がりチェックインとなった。家主ニコラウスと手伝いの女性ターニャが居て、家主は中東系、ターニャはブラジル出身の女性であった。部屋は内庭向きの静かだが、値段並みの清潔さと住み心地であった。以後気づくのだが、イタリヤのB&Bは一般的にシャワー室の排水が不良で、水が溜まりやすい。そのため、以降の旅行では常に底の厚いスリッパを持参することにしている。なお、Central areaがNAPOLIの他の場所に比べて、特別治安が悪いとは思えなかった。
ところで午後は、NAPOLI近郊旅行の準備ってことで、駅に戻り、ARTECARDの売り場を国鉄のインフォメーションに聞こうとした。僕の前にイタリヤ人の中年の女性が何かを訪ねていたが、窓口の太った黒人女性が、突然大声で叫び、イタリヤ人女性は慌てて窓口を離れた。窓口の女はニタニタと笑っている。で、僕も「どこでARTECARDが買えるか」と聞くと、早口で答えるので理解できない。理解できないと言うと、女は叫びだした。僕が驚いて窓口を離れると、向うむきに座る同僚に、笑いながら驚かせた成果を話しているようであった。イタリヤにはかように頭のおかしい駅員や、金を誤魔化す駅員が多いので気を付けねばならない。かって僕はベローナの駅のバス切符売り場で、中年の切符売場の女性から、10EURの観光切符を買ったのにも拘わらず、1EURのバス切符を渡されていた経験があるのだ。
なんとか売り場を見つけ、25EURの3日間ARTECARDを購入したが、そのCARDをボスビオ鉄道で使えるかが判らない。そこで、チルクムベスビアナ鉄道(ボスビオ周遊鉄道)のインフォメーションに行くことにした。地球の歩き方に従って、地下のボスビオ周遊鉄道の駅に行こうとしたが、工事中の壁があって行けない。上にあがり、国鉄の職員に聞くと、プラットホームに向かって右の方に行けとのことで、どんどん行くと、ほそ〜い通路となり、これを通過するとボスビオ鉄道改札口で、そこから地下のプラットホームに階段が向かっていた。改札口の手前にインフォメーションがあり、窓口はイタリヤ人女性で、国鉄のインフォメーションとは大違いで、「一度だけ往復に使える」と丁寧に教え、更に鉄道マップ付時刻表をくれた。これは僕に取っては非常に貴重なものだった。
次いで、港に行こうとタバッキで一日券を買ったが、今日の午後に使うのかと聞かれて、そうだと答えると、3EURが2EURとなった。「へ〜ローマの一日券とは違い、ここは当日券なのだ」と感心しながら駅の前の広大なバス乗場へと向かった。このバス乗場の混雑ぶりはGOOGLEMAPでも判るありさまで、そのバスが右往左往する間を通りぬけ、その辺りに居る運転手たちに聞くと、最も向こう側のバスらしい。僕たちがそこに丁度着いたとき、港行きR-2のバスが満員状態で発車する所だった。と、そこに体の頑丈なおっさんが現れて、「このバスか?」と聞くので頷くと、発車するバスを止めにかかった。だが、バスはそのまま行ってしまった。このおっさんは、いったい何者?と僕は思った。
次のバスががらがら状態で着くと、おっさんは僕の前に立ち、あたかも紳士かのように女房を先に乗せてから、自分も乗り込んだ。次いで僕も乗り込んだが、おっさんは入口からちょっと入った所で立ち止まり、僕がすり抜けて奥に入ろうとするのを、通路左右の手すりを掴んでそれを阻止した。後ろから別のおっさんが僕の体を押し始めた。で、女房はと言えば、がらがらの車内奥の方にまで行って、吊皮を持ち気楽に窓の外を見ている。
こんなことで、がらがらの車内の入口付近に、僕を含めて3人の男だけが押しくらまんじゅうをしてるって馬鹿な状況になったのだ。
だがしかし、僕は金や貴重品が簡単に抜かれるような所には入れていない。うしろのおっさんが何かを言って、前のおっさんが諦めたかのように体をよけて後ろに回り、二人はバスから降りていった。つまり二人のおっさん達は強盗だったのだ。
イタリヤって本当に恐ろしいでしょ?
でも、僕にも一応は学習能力があります。要するに、混んだバスや市電には絶対に乗らないってことですね。で、港へは、どちらかと言えばバスよりは空いている市電で、しかも、混み易いガルバルディ広場の、そのひとつ手前、即ち北側の、プリンペシウンベルト広場、つまりは、ガルバルディ通りとFIRENZE通りの交差点で乗ることにしたのだ。以降は何度も市電を使ったが、かような危ない目に会うことはなかった。更に、僕の旅行全般で見ても、NAPOLI以降は、もっと田舎ばっかりで、全く危険な目に会うことは無かった。それどころか、NAPOLIでもその他の地域でも、イタリヤの一般市民は素朴で親切で、僕らが困っている様子を見ると、いつも必ず気安く援助してくれるのだった。
ところで市電だが、ガルバルディ通りを真っ直ぐに海岸に南下して、そこで右折して海岸通りを進み、ムニチーピオ広場の海岸側の駅で降りると、海に向かい、ずっと右手にはCAPLIへの切符売り場と船乗場、真向かいの広場の向こうにある大きな建物のマリッチマ駅(MARITTIMAってえのは、フェリー乗場駅って意味ですから、フェリーが有る町にはどこにでもマリッチマ駅があります。この事はイタリヤ旅行の際は覚えておきましょう))には、パレルモへの切符売り場があり、左手にはその船乗り場などがあるのだ。マリッチマ駅広場には、有難いことに朝6時から夜8時までで1EURって、とっても安い荷物預かり所もあるのだ。(イタリヤの国鉄の荷物預りはとても高い)
駅の建物に行ったが、パレルモへの船の切符売り場がなかなか見付からず、10/27夜の便は、TIRENNIA社の20:15発であることが判り、切符の発売は入口横の切符売り場で3時からだと判った。建物内2階の待合所で時間を潰し、3時になり下に降り切符を買ったが、当日7時にここに来れば車で乗船場に運んでくれるとの事だった。が、当日になって判ったのだが、乗船場はそこからほど近い、陸に向かって右側のフェリー乗り場で、わざわざここまで来ることも、車が遅れて長く待つことも無かったのだ。
なお、その船の窓付き側一等はTWIN(2人)で140EURと、交通費と宿泊費込みとすれば、安いながらもシャワートイレ付きで、住み心地良好で、船内設備も良かった。今回の旅行で最も住み心地が良かったと、女房の意見である。ただ、窓側の高い部屋ではあったが、10月末には日暮は早く夜明けは遅く、窓があっても何の意味もなかった。
10/23(月)
先日調べたCAPLI島へのフェリーでCAPLI島に行く。高速艇で14EUR/人。日本人グループが横入りして我先にと乗ったが、この船は立ち席がないので安心して乗ればよいのにね。グループだと必死になるんでしょうけどね。
CAPLI島で、青の洞窟船に乗り替え、10EUR、洞窟前で、小舟に乗り換えた時に船頭が、4.5EUR と洞窟入場4EURで、それにチップだと説明したが、僕は4EURだけだと記憶していた。
で、洞窟から出てきた時に、8.5EURx2人分しかやらなかったので睨まれた。後で、地球の歩き方を見ると、8.5EURにはチップは含まれてなかった。なんか今でも心苦しい。でもチップが本当に必要なの?
CAPLI港に戻り、桟橋の付け根で昼食。ピザがうまかった。ケーブルで上に上がり、アウグスト公園周辺を歩き回った。が女房の体力を考えて、VILLA JOVISとかVILLA SAN MICHELEはあきらめた。どうせ、また来るだろう。ウンベルト一斉広場周辺の家々とか辻々はなかなか気持ちの良い街なのだ。ケーブルカーを降りて高速船の切符を買うと、出港間際で走って船に乗った。
ホテルに帰り、地球の歩き方に書かれているNOVARA通りのスーパーに果物を買いに行き、その北側のコインランドリーで洗濯をした。が、イタリヤのコインランドリーには常に運転員が居て、操作は全部やってくれるのだ。なんでかな。夕食はホテルの向かいのレストランに行ったが、安くてうまかった。
10/24(火)
本日を3日有効のCAMPANIA ARTECARDの初日として、ポンペイに行くことにした。NAPOLI駅に行き、勝手知ったボスビオ周遊鉄道への細い通路を通り駅に行き、改札口にカードを突っ込んだが、改札口が開かない。駅員が寄ってきて、このCARDは初めて使うのだな?と聞いた。つまりボスビオ鉄道では一回しか使えないってことだろう。駅員の指示に従って他の改札機を使うと改札口が開き通過できた。
時刻表もマップもあり、何の心配することなく、ポンペイ遺跡駅に着き遺跡を見学した。ARTECARDで入場できるのだが、いったんはCARDで入場券を買わねばならないのだ。つまり、CARDで只のキップを買うって手続きなのだ。この手順は、どの施設も同じであった。遺跡の見学を終えて駅に戻り、駅員に「このCARDでソレントに行けるか」と聞くと、OKだと答えた。またまた何なくソレントに着き、駅から階段を降り街中に行き昼食をたべ、再び駅に戻りCARDでアマルフィには行けないことを確認してからバスの切符を買った。アマルフィ駅行きのバス停留所を探したのだが、明確な標識はなく、それに、なぜかバス事務職員の指示がバラバラで、しかも、バスの故障もあって、僕たちだけではなく他の人もうろうろとしてバスを待った。何とかバスに乗りバスはアマルフィへと向かった。
感じの良い街並みを抜けると、後は、抜けるような青い空と海、切り立った崖の中腹の上がったり、下がったりの道を、2.4EURにしては乗り甲斐のある距離を延々と走り続けた。
アマルフィに着いたが、女房は「気分が悪い、早く帰りたい」とのことで、直ぐにキップを買い、同じ道をソレントに戻り、ボスヴィオ周遊鉄道でNAPOLIに向かった。この鉄道の終着駅は、国鉄とは違って、通常のNAPOLI(GARIBALDI)駅よりは一つ先のNAPOLI駅となる。
10/25(水)
今日は、あまり知られていないが、PAESTUMに行くことにした。国鉄で行くのだが、CARDが有効な区間である。7:50発に乗ると、国鉄は、ボスビオ周遊鉄道とは、ポンペイを挟んで内陸側を進み、ソレント、アマルフィのある半島の後方を急峻な崖の間の峡谷を通過して、半島の付根のサレルノを通過して、更に進むと、寂れた何個かの駅を経て、PAESTUMに停車した。この列車は途中でBATTIPAGLIAで分岐点があるので、乗換の有無を確認してから乗らねばならない。
駅は全くの無人駅であるため、CARDを使わず、切符で来る人は、帰りのキップは駅からかなり離れた遺跡周辺のタバッキで買わねばならないことでも有名だ。
駅からまっすぐの並木道が遺跡の方まで2KM以上は続いている。本当に気持ちの良い道なのだ。遺跡もまた想像以上の規模で素晴らしく、シシリー島のアグリジェントよりも巨大な神殿が、ひっそりと佇んでいる。 なお、アグリジェントとここの神殿は、紀元前500年頃に、共にギリシャ人が建造したのである。
昼食は、遺跡前のピザレストランでピザを食べたが、そこの主人がいわく、俺の店は地球の歩き方に出ていると、僕の手にする本のページを示した。
駅への道をゆっくりと帰り、気持ちの良い散歩を楽しんだ。
NAPOLIに戻り、国立考古学博物館と国立ポディモンテ美術館を訪れた。例のアレクサンダー大王とダリウス王の戦いのモザイク絵には心から感動した。海外の旅では、かって書物や教科書の中で見た景色や絵画を肉眼でみることが出来る驚きが大きいのだ。
10/26(木)
今日はNAPOLIから北に33kmのCASERTAに向かった。CASERTAでは線路は分岐して右に行けばバーリから南部イタリヤへ、左に向かえばローマへと繋がって行く。ここへの列車時刻も十分に調べてあるし、CARDで乗れる範囲なのだ。
駅の右側に、広い庭園が広がっているので、そこから入場できると思ったらそうではなかった。庭園に沿ってずっと反時計回りに道をたどると、庭園を線路と平行に走る道があり、その更に向こう側が、CASERTAの宮殿なのだ。CASERTAはブルボン王朝がNAPOLIを中心とする南部イタリヤを支配していた頃に、海岸沿いの町々がバイキングに侵略されるのを恐れた王が、内陸に都を移すことでできた町なのだ。そんな仮住まいたる宮殿が、これほど凄い建物になるとは、と驚愕するような巨大な宮殿であり、巨大な庭園であった。
特に宮殿は、奥行き2kmもあり、歩いても歩いても、登っても登っても奥に到達しない、と思われる大きさであった。なにしろ庭園内をバスが走っているのだ。でも、僕らは何とか辿り着いたからね。(途中であきらめかけたけどね)
10/27(金)
朝は遅く起きてチェックアウトして、サムソナイトを引き摺ってFIRENZE通りをGARBARDI通りに向かった。前に書いたように、その交差点(ウンベルト王子広場ちゅうのだね)に広場がありGARBARDI駅に向かう市電の停車駅があるのだ。ここで乗れば空いた列車に乗ることができるのだ。市電に乗るのは簡単になったが降りることについて言うと、海岸通りでは、いつもどこで降りるか迷うのだが、その度に同乗するイタリヤ人の小父さんか小母さんが、「ここだよ、ここだよ」と教えてくれる。それほど、一般的イタリヤ人はおせっかいで親切で、マリチィッマ駅前は外国人が行くことで有名なのだ。さて、ここで見つけておいた預かり所に荷物を預け、ウンベルトのガレッリヤを経て、FUNICOLARE CENTRALEに乗った。この(FUNICOLARE)ケーブルカーはなかなか乗り応えのあるケーブルカーであった。
眺めが良いと評判のサンテルモ城に向かったが、ケーブルカー駅からの道筋はなかなか複雑で、通りかかる人に道を聞き聞き進んで行った。この城はなかなか構造的に面白い城で、上にはエレベータで登るのだが無料であった。眺めも良かったのだが、城の出口向かいの昼食を食べたレストランからの眺めはもっと良かった。その向かいのレストランは昼過ぎなのに僕ら夫婦以外は居なくて、後から入って来た観光客は追い出された。どうしてそうなったかは今でも判らない。かくして、僕たちのNAPOLIの日々は終わり、その夜に船に乗船してシシリー島に向かった。部屋は快適で夕食は船内の安い方のレストランで済ませた。舷側側の高価な部屋を取ったのに出発時には既に夜で、外はまるで見えなかった。あほらしい。
10/28(土)10/29 (日)
船がパレルモに着いた時には、まだ夜は明けきっていなくて薄暗かった。バスで駅に向かおうかと予定していたが、TAXIの運ちゃんに声を掛けられて、いくらだ?と聞くと、15EURだと答えた。その顔の表情から、交渉すれば下がるなと感じたが、金より時間だと考えてしまった。旅も一週間にもなると、だんだんと軟弱になってしまうのだ。で、OKと答えて車に乗った。案の定、運転手は実に楽しそうに運転したが、その有様を見ると、なぜか僕も幸せになってしまった。
TAXIはあっという間に駅に着き、運ちゃんは荷物を下ろし、金を受け取ると嬉しそうに
GRAZIE!と言い去って行った。時間は6:30だから列車には充分の時間があった。時間を金で買ったってことですね。
窓口に行き、7:35発AGURIGENTO CENRARE行きの切符を買った。次の列車は、10:35なのでTAXIを使ったのだ。アグリジェントまで2時間程度だが、元々便数が少なく、しかも土曜日だからいよいよ便数が減るのだ。
サムソナイト、バッグと4個の荷物を全てを駅の荷物預かりに預けたが、これが結局思わぬ出費になった。帰着した時の話になるが、これは仕方の無いことではあった。残念ながら受取書を失い詳細金額を示せないが、要するに5時間を越すと、追加料金が一気に増えて行くのだ。支払いの時にその高額さに驚いて抗議したのだが、「金額はCPUで計算している。計算根拠は壁に貼っている」と教えられ、概算すると間違いなかったので諦めて支払ったのだ。イタリヤ国鉄の預かり料金は全国で一律だから注意を要し、出来るだけ荷物をまとめる事が望ましいのだ。
駅でクロワッサンとかサンドイッチとカプチーノで朝食を取り、入線してきた列車に乗った。後になって乗るのだが、本土の南端辺りの列車のぼろさに比べるとシチリヤの田舎駅を走るにしてはなかなかの列車であった。
アグリジェントへの線路はその殆どが谷間を進むのだが、その両側は、谷から山の上までの全てが見事に耕作されており、いかに、紀元前の昔から営々と人々が切り開いてきたかを思わせる地域であった。アグリジェントの直前で、線路はパレルモとは島の反対側の、紺碧の海に到達するのだ。
AGRIGENTの駅前には広場があるのだが、バスの乗り場が判らず、聞く人毎に、指示する場所が違い、だんだんと駅から離れていった。が、再び駅前広場に戻ると何人かのバックパッカーが集まっており尋ねるとそこがバス停だと判った。来たバスの運転手に、「神殿の谷」と言うと、頷いたのだが、バスは、市内をぐるっと回り坂を下りて、後で分るのだが、神殿入口を通過して延々と走り、もう一度運転手に念を押すと、あっそうか、てなことを呟いた。バスは田舎の家々と畑や谷間をぐるっと回り、結局元に戻って来て神殿入口に止った。AGRIGENTの人は、なんかおかしくないかえ?結局、歩いてもそう遠くない所に行くのにバス停を聞くものだから教える方も混乱したのかもしれない。でも、軟弱な僕らに取って歩くには、ちょっと遠い距離なんだなぁ。で、最初に聞いた人々は歩いて行く方向を教えてくれて、バスは最初は神殿とは逆の方向に進み、町がある丘の麓をぐるっと回って神殿の谷に向かっているのだ。
ジュピター神殿、ディオスクロイ神殿、巨象のレプリカを見てから、道路を隔てた坂を登って、稜線に沿って建てられたコンコルディヤ神殿、ジュノーネラチニヤ神殿を見て歩いた。巨象は見ごたえが有るものの、神殿そのものは、PAESTUMEの方が素晴らしく、むしろ稜線からの眺めが、その空の青さと見事な緑と谷間と、また稜線の反対側のなだらかな紺碧の海まで続く緑が、共に素晴らしかったのだ。ひょっとすると、ギリシャ人よりも以前に地中海を庭としていたフェニキヤ人が、彼らの植民地を同じような海岸に建設したように、ギリシャ人もまた、かような海岸そばの丘陵を好んだのかもしれない。
帰りの列車を急いで2時過ぎの便に乗り、4時前にはパレルモのCENTRAL駅に着き、預けた荷物を受け取り、そこで先に書いたように、預け賃でもめたのだが、納得して荷物を引き摺って石畳の道をVIA MAQUEDAを宿へと向かった。宿はこれに交わるVIA DIVSIにあり、直ぐに見つかった。が、日本流では2階にあり、荷物を持ち上げるのが大変だった。地球の歩き方で紹介している宿は更に上階にあるから、いよいよ大変であろう。
宿は朝食込みで62EUR、部屋もまあまあで朝食は非常に良かったのだが、僕たちの部屋はVIA MAQUEDAに向いており、夜中じゅう車が走り、その石畳の走行音が、建物に反響してすさまじい騒音であった。でも、女房はぐっすりと眠れるんだなあ。
街は縦横に三本程度の主要通路があり、裏通りがこれに加わり、極めて判り易い街並みである。宿からは主要な見所は歩いて行けますし、近くには味もまあまあの中華レストランと言うよりは食堂もあり、朝には裏通りで市場が開かれ、僕のようにごちゃごちゃの街が好きな人間には、とても楽しい街であった。が、女房には面白くなかったようだ。って、これで、この街のことはわかるでしょ?ところで、市場では果物とか商品に触ってはいけません。口で何キロ(イタリヤ語を勉強してね)と言えば、店の人が新聞紙で包装してくれます。これがマナーですから気をつけてね。なお、朝の市場では、ぼられることは無かったです。目つき鋭い商売人の顔付なんだけども、本性は気の優しいのがシチリヤ人気質ですね。
バスの一日券を買ったが、バスに乗ると狭い街なのでどうしても行き過ぎてしまうようです。地図では大通りになってるんですが、実態は狭い通りなんで、見落として行き過ぎてしまうんです。なお、ORTO BOTANICO植物園は実に見ごたえのある植物園です。駅から植物園までの道は、中国人街のように安物をあれこれ売っていて、僕には興味深い道でした。
10/30(月)
さて今日は、本土のBARIまでの列車の旅です。今回の旅行ではこれが最も計画困難だった所です。最も簡単なルートは、NAPORIまで行きバーリへと後戻りするルートです。でもそれでは面白くないですよね。で、イタリヤ半島の靴の底をトコトコと行く道を選んだのです。
切符は、おとつい買っておいた。BARIまで1等で(1等列車は主ラインだけ)1人で60EURですから安いもんです。
PALERMO CENTRARE 7:30 PAOLA 13;37/13:55
CASTIGLIONE COSENTINO 14:16/14:23 SIBARI 15:22/16:22
TARANT 18:52/19:19 BARI CENTRARE 20:53
と、かなりの乗換頻度で、どこかで問題が起こると全てが狂う。それを避けようと、私鉄を調べたり、バスを調べたり、とあらゆる手立てを行ったがうまく行かなかった。結局、このエリヤはあまりにも辺鄙すぎるのだろう。だがこの辺りは、カルタゴのハンニバルが暴れまわった所である。通過するだけでも僕の人生の意義があるように思えるのだ。シチリヤを特急で縦断することにも僕には特別の意味があり、メッシーナ海峡をフェリーで渡るなんて考えるだけでも興奮するのだ。
ってことで、シチリヤの北岸を紺碧のティレニア海を眺めながら、特急の乗り心地を楽しんだ。メッシーナ駅では、南岸から来る特急を待ち、共にメッシーナのマリチィマ駅(フェリー駅)でフェリー内に入線するのだ。フェリー船内のスナック売場でサンドイッチとカプチーノを買い昼食として、メッシーナ海峡の眺めを満喫した。
対岸で列車は、徐々に遅れて行き、PAOLA駅では30分も遅れてしまった。PAOLA駅で乗換列車を探すと、向かいの車線に来るとのことで、暫く待つと列車が入線してきた。列車は直ぐにトンネルに入り、急な坂をのぼり、谷間を通りCASTIGLIONE COSENTINOに着いた。どうやらその列車は、二つの駅の間をシャットル運転しているらしく、SIBARI駅で、急いで地下通路を通り乗換に間に合った。この辺りの列車は、とても古いタイプであった。SIBARI駅からの車掌は、体の大きな金髪の映画俳優なみのハンサム男であった。恐らく、バイキングがこの辺りを占領していた時の子孫であろうと思えたTARANTへの海岸は、日没の美しい海岸が延々と続いていた。
ギリシャ時代からの軍港TARANT(この名前を聞くだけで興奮してしまう)は終着駅でプラットホームを変え鈍行から特急に乗換えた。ホームで待つ人は殆ど居なかった。列車は時間通りに入線し時関通りにBARIに着いた。駅からは簡単にホテルペンションROMEOに着いた。ここは食事無しで56EUR/日である。ここには同じビルに3軒のホテルが有り、地上階のホテルに日本人の若者を見掛けた。エレベータはまあまあの装置で安心して乗れる代物だった。オーナーはサルバトーレと言い、とても好意的で感じの良いおっさんである。例の如くスーパーとコインランドリーのありかを聞くと共に近くにあることが判った。
スーパーは何と、2,3軒先だってさ。
10/31(火)
朝食は、駅への角にあるバールで済まし、マテーラに行く私鉄の乗り場を探しまわった。何と、駅前ロータリの駅に向かって右側、一番駅から離れた、極く当り前の、普通のビルが、CalabroAppuloLucanet鉄道(FerrovieAppuloLucane)のBariCentrare駅であり、入口を入ると、普通の通路が長く建物の中に続いている。その奥の左手で切符を売っていて、(いくらであったか忘れたが多分4EUR/1人程度)どこにホームがあるのかと探したが判らずうろうろしていると、おっさんが、階段を登れと教えてくれた。なんと建物の一番上にホームがあったのだ。ホーム待合室に時刻表が貼ってあった。時刻表にはBariCentrare 8:04 Altamura9:06/9:09 MateraCentrare 9:33 MaterSud ???と書いているので、駅員に聞くと前の2両はAltamuraまで行くので、そこですぐ右側の列車に乗り換えて、MateraCentrareで降りること、って教えられた。2両以外は、Altamuraまで行かず、途中のToriffoまでとのことだった。なお、この私鉄は切符の刻印から30分以内に列車に乗らねばならないらしい。また片道だけ有効って切符に書いている。列車は、レモンとオリーブの木が延々と続く田園の中を走り続けた。無事、乗り換えも終えて、やはり同じような田園の中を通り抜け、田園は途切れ石灰石台地となり、列車は堤防の間に入り地下に潜った所が目的地であった。地上に上がり切符売り場で帰りの列車を調べると、11:50 13:11 14:18 16:12となっていた。売り場の前はロータリになっていて、道路を超えてViaRomaを抜けるとビットリベネト広場になる。ここで新市街が途切れ、くぼみのような岩の間から、有名な洞窟都市が前方の谷間いっぱいに広がっている。これを抜けると崖に沿った洞窟都市を囲む周回道路がある。この道路には殆ど観光客はおらず、洞窟との名称から与えられる惨めな町ではなく、静かで落ち着いた家並みとも言える洞窟の家が続いているのだ。散策との言葉にぴったりの石畳の道を、それぞれ個性的な洞窟の家並みの間を、なんとも静かな気持ちで歩けるのだ。僕たちは、崖に沿って右手にと歩み、崖に開けられた洞窟都市の遠景を見ながら歩み、見事な洞窟教会の所から、新市街の方に戻った。そこはもう騒々しいイタリヤの中世の城跡さえある街並みで、ViaLucanなる交通量の激しい道路を、洞窟都市に沿って歩き広場に戻り、遅めの昼食をViaRomaのレストランで食べた。
BARIに戻り、明日に予定しているアルベロベッロ行私鉄FerovieDelSudEst線のBariNord駅と、CastelDerMonteに行くFerovieBariNord線のBariNord駅を調べて歩いた。
アルベロベッロ行きが国鉄の地下道を通り一番奥にあることは直ぐに判ったが、CastelDerMonteへ行く路線は国鉄の駅のロータリー側にある筈で、これを調べ回ったが、その周辺は全て国鉄のホームであった。どうにも判らず、ホテルに帰ろうとロータリーを今朝乗った線のビルの方に歩いていて、そのちょっと手前にある建物のドアを覗くと、なんとその狭い入口の階段の下に電車が見えているではないか。そこが目的とする私鉄であったのだ。つまり路地裏の私鉄ですね。
なお、CastelDerMonteに行くには、Andriaからバスに乗るのだが、午前中に9:30発と午後3時頃発だけでTAXIも無いとのことだから、基本的には、BariNord駅発7:28に乗りAndriaに8:26着の電車に乗らねばならない。
11/1(火)
アルベロベッロへの列車は、昨日調べたところでは、7:10,8:22,9:52,10:53,11:57,12:40,13:29発があり各駅到着時間は、8:22発だとBariNord 8:22 Putignan0 9:26 Noci 9:39 Alberobello 9:50 Loco 9:58 MartinaFranca 10:04となっている。アルベロベッロの次のLocoroTondとか、MartinaFranca周辺はとても美しいとのことで出来ればゆきたいなあ、と考えているのだ。
なお、帰りのAlberobello発は,11:49,12:32,13.22,14.11,14:56,15:57,16:58,18:25となっている。
で、駅には少々早めだが、7:30には着いた。だが、切符売り場には誰も居ない。ホーム上をずっと歩いたが、そこにも誰も居ない。途方に暮れていると、バックを背中に背負った中東系青年が現れて、彼も、ホームをうろうろしてから地下道に行った。暫くして帰ってきて、「今日はホリデイだから列車は動かない。私はバスで行くよ」と傍にある入口、つまり国鉄の駅からすると裏側の出入口から外に出て行った。僕たちも彼を追って外に出たが、青年は、バス停留所を求めてか、切符売場を求めてか、広い道路のあちこちで疎らな人影を求めてうろうろしていた。言葉を話せる彼でもこれなんだから、僕はもう駄目だと諦めて今日の予定を変更し、LECCEに行くことにして国鉄の切符売場に向かった。LECCEへの時刻表は出力してあったから直ぐに8:09発の1等切符を買えた。がしかし、列車は遅れて9:07に来た。1等はとても混んでいて、空いているコンパートメントには若いインド人とイタリヤ女性のカップルが居て、二人は抱き合ったりキスしたり、膝の上に乗り合ったりと大変であったが、その合間に僕たちに話しかけるって忙しい人達であった。
LECCEは明るい砂岩を使ったバロック調の街並みの美しい街であった。ここでは、日本人夫婦とあったが、彼等もまた今日アルベロベッロに行く予定が狂ったのことであった。更に帰り道で中年の女性から声を掛けられた。彼女はアルベロベッロの土産物屋で働いていて、今日と明日は休暇でLECCEの家に居るとのことだった。
帰路、駅近くの「mannmaの店」に入ったが、CARTE(メニュー)のイタリヤ語は難しすぎて理解できなかった。「non capito」と言うと、中年のオーナーらしい美しい女性は「あ〜non capito!」と僕の言葉を繰り返した。で、PASTAとかラザーニヤって言うことで何とか食いものは出てきたが、かなり高い勘定となった。mannmaの店で注文すること、はとっても難しいんだと僕には判った。
11/2(水)
寒くなりつつあったのだが、それにくわえて今日は曇りで吹く風も冷たい。
7:30に駅に着くと、大勢の人が待っていた。観光客はそれほどの数では無く、この私鉄が生活路線であることが良くわかった。アルベロベッロまでは片道4EURで往復を買った。どうやらアルベロベッロ駅は時間的に無人駅になるらしいので、帰りの切符も買っておいたのだが、切符は、発売地から70km以内で刻印後6時間有効となっていたから、6時間以内に帰るとか、途中下車とか、もっと先まで行って、戻るとか、4EURを有効活用することも可能だろう。
列車は定刻に出て、市街地を進み、途中で大勢の人々が乗り込んできた。なかには中国系の人が大勢、小売の品物を背中いっぱいに背負って乗り込んで来た。彼等は、BARIで品物を仕入れて、田舎の町に小売りに行くのだろう。中国人たる彼等の気力には、本当に感心してしまう。
CasteLlanaGrotteには9:20に着き、洞窟で有名な無人駅GrotteDiCasteLlanaには9:25、アルベロベッロには、9:50とほぼ定刻に着いた。駅前は閑散としていて、どう進むのかも判らない。で、地球の歩き方に書いてあるViaMarugeritaと思われる道を進むことにした。僅かではあるが雨もぱらつくようになってしまった。通りは、なかなか雰囲気の良い通りで、大きな教会の見えるビットリオエマニエル大通りに出た。この道は、より観光客のために整備された気持の良い道であった。道を進むと広場があり、ここで市場が開かれていたが、衣服が主体の屋台で、地元の人のための市場と思われた。その終りの所に高台があり、その下に例の有名な三角帽子の家々が、坂の下の広い道の向うに広がっていた。さてさて遠くまで来たもんだ、と思った。この不思議な町並は、LargoMarterottaなる広い通りの向こう側に広がるのと、高台の左手の方にあるのとが見えた。余すところの無いように歩いて見て判ったが、通りの向こうは観光客向きであるが、左手の方は静かで落ち着いた街並みであった。寒くはあったが、充分に報われた一日であった。
11/3(木)
CastelDerMonteに行くか、GrotteDiCasteLlanaに行くかで悩んだが、女房の興味からすれば、洞窟の方かな、とGrotteDiCasteLlanaに行くこととした。自分一人か男同志だともっとダイナミックに行動できるのだが、仕方が無い。
昨日と同じ時間に駅に行き、片道2.6EUR(45km以内)を往復買った。昨日も通過時に確認しておいたが、その駅は完全無人駅だ。だから往復買ったのだが、有効6時間を有効に利用することも出来たかもしれない。それにしても2駅程度しか違いはないのに、なぜこんなに金額が違うのだろう。
乗る前に車掌らしき男、それも、ロバート・デ・ニーロにそっくりな男に、この列車はアルベロベッロに行くか?と確認して乗ったのだが、検札に来た時に、「GrotteDiCasteLlanaに行く」と言うと、「ああ、アルベロベッロまでは行かないんだね」と切符に鋏を入れた。
目的駅に近づいたとき、その車掌が別の車両から「次だよ」とわざわざ教えに来てくれた。
ただホームのあるだけの全くの無人駅に降り立って、出て行く列車を見ると、窓からロバート・デ・ニーロが見ているので手を振ったが、彼も唇を微笑の位置にして手を振った。こんな情景が僕は最も好きなのだ。
ホームからの降り口は列車進行方向の左にしか無くて、ホーム前はロータリーのような、とても広い空地になっている。僕たちと一緒に降りたのは青年3人で、彼等に洞窟への道を聞くと、ロータリーの道に沿って、列車線路とは直角に真っ直ぐに行くのだと教えてくれた。教えられた通りに行くと、道路に突き当り、そこを左に暫く行くと道の左手に公園のようなものがり、ここが洞窟の入口への公園であった。
事務所で切符を13EUR/人で買うと待合所で、10:00まで待たされた。ガイドが来て、事務所の奥に進むと、扉がありここが洞窟の入口となっていた。なかなか壮大な洞窟で、見所も多く、特に最深部の結晶は一見の価値がある。ガイドは必要な所でライトのスイッチを入れるが直ぐにスイッチを切るのだ。だから、できるだけガイドの傍に居ることが重要だ。
帰路はエレベータで地上に戻り、出口周辺には、土産物屋とかバールとかがあり、バールでサンドイッチとカプチーノを頼んだ。店のおっさんがパソコンを操作しているので、勘定書きでも付けているのかと覗いてみると、株の罫線が見えた。僕に気づいたおっさんが、ウインクして「ニッケイヘイキン」だと言った。パソコンはこんな田舎まで浸透しているのかと感心したのだ。
11/4(金)〜
ってことで、無事、ほぼ全ての目的を果たして、BARI発7:43のESでローマに向かった。列車は山の中を走り、ナポリへの分岐点LECCEを通過して、12:30頃にローマterminiに着いた。列車の旅って窓の外を見ているだけでも楽しいものだ。さて、宿泊は4youって60EUR/日のB&Bで、ビットリオ・エマニエール広場の直ぐ傍であった。TERMINI駅のG.GIOLITTI通り側出口をまっすぐにナポレオン通りに突き当った辺りで、非常に便利ではあるが、中国人や韓国人の店が集まっている辺りで、市内の中でも閑散とした地域である。でも、市電は常時走っている。なお、その近くに地球の歩き方にも書いているホテルマリアーノがあるのだが、ここの地上階のレストランは値段は手ごろで親切で、しかも、おいしいのだ。そこでスエーデンの農業をやっている夫婦と合い席になったが、彼等は毎年海外旅行をしていて、僕らと楽しく話し合いながら食事をした。感じの良いレストランって、たまたま一緒になる人との会話も楽しいものなのだ。
11/5をローマで、女房のお供で買い物をして、11/6 10:25ローマ発、AMS経由で成田へと立った。

やれやれ、あ~疲れた。よく書くでしょ?自分でも感心しちゃう。
さて所要費用集計は下記となりました。
航空運賃:2人 231,480円
宿泊、交通費 2人 320,000円
合計 約550.000円/2人 275,000円/1人(18日) 

同行者
 
カップル・夫婦
 
一人あたり費用
 
1万円未満
 
交通手段
 
鉄道
 
航空会社
 
KLMオランダ航空
  • パスティユーム

    パスティユーム

  • ポンペイ

2025年8月5日火曜日

 

おっさん達の北イタリヤ古都めぐり


2006/03/27 - 2006/04/12


北イタリヤを一般的なツアーで巡るとすれば、ベネツイアもフィレンツエも、せいぜい多くて二日で、ミラノなら一日ってとこ。
で、ミラノの最後の晩餐を見るなんて、殆ど期待できない。つまり、あれもこれも見残したって思いが残ってしまうのだ。で、僕は、ローマを制覇した暁には、北イタリヤをぐるっと回ることと決めていたのだ。で、女房に声を掛けたが、例の如く、「一度行ったとこには行かない」と拒否されてしまった。そこで、中学校の友達に何十年ぶりかで連絡を取り、行くか?と声を掛けると、行くって返事が返ってきたのだ。僕が、TWINの部屋でええやろな?と問うと、彼は、夜中に襲うなよ?と答えた。
で、ローマ行きの時と同様に、中華航空/イタリヤ航空の便を定価57,400円(実質70,440円)で旅ウエブ社(ヴィクトリーツアー社)に発注した。この頃はまだ、座席予約までの試みをやるまでには至らず、成田に出来るだけ早く行って並ぶって手法を取っていた。そんなことよりも以下のように、する事がいっぱいあったし、それに旅慣れない頃のこととて、飛行機の安楽さ追求までは気が回らなかったとも言える。ってことは、これから海外旅行する人は、僕の別の旅行記で、安売りキップで、いかに座席予約に挑戦するかも学ぶことを薦めたいってこと。
本題に戻って、旅の前に何をするかっていうと、
?宿の予約(ベニス、ミラノ、フィレンツエ、シエナ、ローマ)
と、宿の場所の把握。
?列車計画と予約。
?ミラノ最後の晩餐予約、フィレンツエ美術館、ピサ斜塔予約
?各都市でT/Cを、手数料ゼロで現金に換えてくれる、AMEXの事務所の場所の調査。
?訪問各都市の見所調査
宿の予約では、VENIRE.COMだけでは不足で、インターネットを調べまくることになった。ヴェネチアのCa’San Pietroは、1泊70EUR/twin(
一人35EUR)で、4日分280EURの内、80EURをPAYPALってシステムで送金することを要求された。初めての予約金支払いで気苦労したが、終わってしまえば、その手続きはとても簡単ではあった。更に、このホテルは島の北端の小さな島にあり、本島とは橋で繋がっているが、どう行けば良いのかと、YahooItariaで地図を調べまくった。その他のホテルも、勝手知ったるローマのホテル以外は、安いだけに、各都市の周辺辺りにあり、そこまでのルートの調査に苦労した。(でも、苦労のし甲斐は十分にありましたねえ)
列車に関しては、トレンイタリヤセーバー1等4日間24,400円/人を買い、座席指定は都度購入が最も経済的とは判ったが、ローマ空港到着初日のローマTERMINI→ヴェニス間の12:55発17:28着ES9470の指定券2,500円/人も、トレンイタリヤ切符と一緒にHISで購入した。日本での指定券購入は高くつくのだが、ESは何時間前までに購入とからしいので仕方なかったのだ。飛行機のローマ着は10:05で、ここからTERMINIに移動して、TERMINI発、12:55発は大丈夫かと心配したほどであったが、結果的には、十分に間に合った。
だが、TERMINI駅でのホーム間移動は、駅の端から端ってかなりの距離でした。(でも、それも面白い経験ですね)

続きが遅くなってすみません。実はよんどころない事情で、花粉症を押して大阪に行くことになって、ついでに京都の東山に行ってきました。琵琶湖疏水記念館からインクラインを登りインクラインに沿って桜並木を楽しんだのですが、3月末だと関東は満開なのに、京都は5分咲き程度でしたね。ところで、インクラインの後端から分水線に沿って南禅寺の後方へのルートがあるのに気付いたのですが、そこに水道橋があるのを知っていますか?ローマのよりはずっと小さくて、レンガで仕上げているのですが、感動しましたね。
それと、記念館を初めて訪れて知ったのですが、この琵琶湖疏水を建設したのが、田辺朔郎が26歳の頃なんですね。全長8.7キロでトンネルは2.6km程度ですかね。
記念館の掲示を見て、僕は身に詰まされました。実は僕も24歳の時に、八戸の地下長距離コンベヤを設計したのですが、全長は9km程度で、全長トンネル内に設置されています。石灰石を時間1000トン程度で港に運ぶ設備です。設備は5台のコンベヤを接続していて、全動力は1500KW程度でした。ぽっと会社に入って配属されたら、この設計を自分ひとりで遣ることになったのです。当時は長い不景気の後で、僕らの上の年代がとても少なくて、僕を指導できる上司が不足していたのです。で、仕方なく自分ひとりで設計を始めたのですが、当時日本では、長距離コンベヤの資料、知識も少なく、ドイツの文献を調べながら設計したのです。長距離コンベヤ以外に、インクラインコンベヤってえのがあって、これは、京都のインクラインが船を運ぶのに対して、地下100メータから石灰石を時間2000トン/で地上に運ぶ設備ですが、京都のインクラインが25KWなのに対して、八戸のインクラインは、1台のコンベヤで動力が800KWって凄い装置なんです。僕には長距離コンベヤよりもこの設備の方が怖かったです。ベルトの張力が60トンも掛かるのです。建築物と違って、この力が常時掛かりますから、手を抜いたらすぐ設備が崩壊します。建築設備の技術者と違い、大型機械設備の技術者が強度を正確に計算するのはこのせいです。絶対に誤魔化せないのです。
設備全体としては、これらの石灰石を長距離コンベヤで鮫港のサイロに送るんですが、こんな設備の設計を大学ぽっと出の、頭も悪そうな顔付の僕に任せた僕の会社も、それで客さんも、心配じゃあなかったんでしょうか?でも、誰からもクレームがないままに設計を終わり、1500トン以上の設備を設計、製作して、次いで据付して試運転して納入しました。今でも、八戸の住金鉱業として地下で石灰石をどんどんと運んでいるはずです。あのコンベヤは、人手が無かったので、殆ど僕ひとりで設計したんだからね。って自慢なんですが、話題が飛んでしまいましたね。要は、京都にも水道橋があるって話で、京都って凄いですね。それに南禅寺の山門、哲学の道から銀閣寺(銀閣寺は修理中)と、東山はいいですねえ。

ところで話を戻して、北イタリヤの見学施設の予約ですが、ミラノの最後の晩餐は確実に見たければ予約が必要です。地球の歩き方に書いてある電話には誰も出てこないので、インターネットを調べて、ここで日本語オーディオも含めて、予約しました。
http://en.firenze.waf.it/
4月2日9:00〜 予約番号9895058.31133  オーディオガイド付 28EUR/2人。
でも、後日メールがあり、夕方18:45に変更されました。
次いでフィレンツエのウフイツエ美術館ですが、これは多くの人が訪れるので、予約が望ましいようです。ここでは電話がつながり親切な中年らしき女性が出てきて、英語で日にち4/5日と人数、希望時間8:30を言うと、予約番号を告げられました。あまりに簡単に予約できたので心配になり、一ヶ月ほどして、RE-CONFIRMしたいと、予約番号を言って確認すると間違いありませんでした。(ね、僕って案外慎重でしょ?)ただ、日にちをFIFTHと言うと発音が悪いのか理解できず、イタリヤ語でCINQUE CINQUEと言うと理解してくれました。イタリヤ語の勉強も役立ちましたね。
最後は、ピサの斜塔ですが、これもインターネットで4/4日15:00を17EUR/2人で予約しました。現地に行った時の手順は、出来るだけインターネットで調べ出力しておきました。
T/Cの交換事務所ですが、これは東京三菱UFJの小冊子と、YAHOOイタリヤを調べて大体の場所は把握できたし、実際にも、わりと容易に事務所に行けたのです。T/Cを無料でCASHに換えてくれるのだから、大儲けをした気分になります。つまり日本でEUR現金を購入するより3円程度安いですよね。
ってことで、かなり綿密な計画をしたと自分では思っています。後は体力の許す範囲で実行するだけです。

3月27日(月)成田16:30→台北19:30/23:23→バンコック経由ローマ10:10(夏時間で時差7時間だから、24時間40分)で、定刻にローマ空港に着き、帰国便のリコンファームは不要であることは成田で確認していたから、そのまま国鉄駅に行き、切符のバリデーションをして、レオナルドダビンチ号に乗った。そうして、予定通りにローマTERMINIに着いてほっとしました。
ヴェニス行きの列車はかなり混んでいて、一等の車両は6人コンパートメントですが、乗客でいっぱいでした。予約しておいて本当に良かったです。
列車は定刻に出て、暫くは街中を、直ぐにトスカーナの農園地帯を走り、3時間ほどでフィレンツエに着き、街の東端を北上して、CanpoDiMarte駅を通過して、ぐるっと街の外を反時計方向に回り、北側から南下してCENTRALE駅に着きます。ここも終端(TERMINI)駅ですから、出発は反対方向に出発します。
またまた、延々とトスカーナの丘、山、農園を北北東に通過して、ヴェニスの陸側MESTRE駅に着きます。ここからは、海上橋を通過して、サンタルチア駅に着いたのです。列車の旅っていつもながら楽しいですね。なお、荷物は荷物置き場にチエーンでくくりつけておきました。
ホームを降りて駅の前方に行き、そこで僕は右の方に向かってしまいました。駅を出ると、そこはやはり運河の堤防上なんですが、とても辺鄙な場所で、ここで30分もうろうろと迷っってしまい、地球の歩き方を見直すと、バポレット乗り場は駅の前方であることが判りました。僕には、稀なんですが、土地勘が狂う時があるようです。で、正しく前方に出て、キップ売り場でサンピエトロ行きの一回キップを買いました。このキップは大運河経由では使えず、サンピエトロ行きの船は、大運河を少し行き、そこで、狭い運河に入り外海に出て、島の外側を時計回りに進んで行くのです。各駅ごとに人の乗り降りは多く、その人々は皆こぎれいで清潔な服装の人ばかりでした。ただ、これはイタリヤ全般と言うかヨーロッパ人の特徴だが、人によって、真冬の服装だったり、真夏の服装だったりと季節感が感じられない服装です。だが、いずれにしても、この島の人々はかなり裕福な生活をしていると思えた。
島の最も遠い所にあるサンピエトロ駅に来る頃には乗客は殆ど居らず、駅で降りたのは我々だけだった。そんな状況で、我々の泊まる予定のB&Bがどこかを聞くにも人も見当たらなかった。仕方なく、YahooItariaで出力した判りにくい地図を元に、鄙びた家々の間の細い道を、B&Bがある筈の、主島との橋の辺りに行ってみた。が、ホテルらしきものは存在せず、普通の、しかも寂れたアパートが並んでいるだけであった。たまたま通り掛った小母さんが2人居たので聞いてみると、「B&Bは知らないが、住所はこのアパートだ」と、橋のちょうど向いにあるアパートを指差した。遠くから見ても近くで見ても、ごく普通のアパートでしかない。各階ごとに書いてある名札を見てもB&Bの名前は無い。困って電話を探したが、橋そばの公衆電話は潰れている。もう一度、建物のところに戻って名札を見直すと、メールで連絡したMARTAなる名前が目についた。で、ベルを押して、「日本人ですが」と言うと直ぐに行くと答えが帰り、これで漸く宿に着いたのだ。この出来事以降、B&Bを予約する場合は、B&Bの名前と住所だけではなくって、相手の名前を確実に覚えるようにしている。この教訓は本当に役立っている。
出てきたのは若いMARTAの亭主か、ROBERTって男で、我々を2階の部屋に案内した。一番奥が寝室とリビングで、台所、バスルーム、玄関となっている。台所に小さなパンが置いてあった。ここの食事は貧しそうだから、どこかで調達が必要と思えた。だが居住には非常に気持ちよい雰囲気であった。
島の東端と言うと、辺鄙な所と思われそうだが、実は非常に便利な場所であった。本島との橋を越えて、運河に沿った、古めかしくいかにもヴェネツイアって風情の石畳道を20分程度歩くとサンマルコ広場に着くのだから、とても便利な場所なのだ。どちらかと言えば居住エリヤなので比較的静かだが、道に沿って、生活必需品は売ってるって居住にはベストの場所であった。
翌日朝早くから、サンマルコ広場周辺を見て回り、寺院の屋上、宮殿の見学など、あらゆる所を見て歩いた。その翌日からは、バポレット24時間券を買い、サンタルチア駅に行き、ミラノ行きの列車を予約して、そこから、大運河に沿って、細く由緒ありそうな路地を伝いながら、多くの寺院や見学場所を見て歩き、時には、船に乗り対岸に渡ったりと、自由きままに動きまわった。その途中で、アカデミヤ橋は何度も越えることになった。歩きの途中で、AMEXの事務所に立ち寄りCASHも確保した。その事務所はサンマルコ広場を寺院と反対側に行った3月22通りに面してあり、警官に住所を示すと、直ぐに教えてくれたのだ。
3/31(金)にアカデミヤ美術館に行ったのだが、入場料は無料であった。なんでやねん?
後で判ったが、その一週間は、国立の美術館は全て無料になっていたのだ。なんちゅう幸運やねん。
と、丸々3日間を、楽しくこの街で過ごした。また行きたいですね。
ヴェネチィアでは昼はあちこちにスナック(サンドイッチとかあれこれ)を売っているし、レストランには英語のCARTEが置いてあるから、しかも、店の前に写真、値段入りのCARTEも置いてあるから、食い物には苦労しない。ただ、サンドイッチなどは「CRUDE(生か)かCOTTE(調理=加熱」かと聞かれるので好みを言えばよい。店で席に座るとコペルトを取られるが、路地に椅子が置いてあるような時は、例えばサンドイッチとコフィーをカウンターで受け取り支払いを終わってから、座って良いかと聞く手もある。
ウエイターやウエイトレスの居ない店は席料が要らないようなのだ。

4/1(土)VERONA経由でMILANOへ
サンタルチア駅発9:52、ベローナ着11:19、ベローナ発17:19ミラノ着18:45をそれぞれ予約した。予約料は2人分で6EUR/件であった。B&Bを早めに出たので昨日買ったバポレットの24時間券が有効な時間であった。バポレットが早朝のラグーンの間を通るのもなかなか興味深いものだった。列車は定刻通りの運行で、紀元時代から耕されたかのような、目の届く彼方までの田園の中を進んで行った。
ベローナ駅に着き、駅のバスキップ売り場で、中年後半の小母さんがキップを売っており、ベローナチケットを2枚買い20EURを払った。ところがバスに乗りアリーナに入るのにこのキップを見せると、それはバスのキップ(1EURx2枚)だと言われた。つまり、駅のタバッキ(キップ売り場)の小母はんに18EURだまし取られたってことだ。
腹は立つがとにかく見学を終えて、駅へのバスに乗り、キップに刻印しようとしたが、刻印機が作動しない。傍に居た中東系の体ががっしりとした男が親切に僕らのキップのしわを伸ばして機械に入れようとしてくれた。だが、やはり刻印機械は作動しなかった。ここで人が乗り込んできて、僕と友人は離れ離れになり、僕は男と並んで吊り革を持って立っていた。僕を挟んで中東系の青年とは反対側に居た、やはり中東系の更に若い男女が、バスの窓の向こうを指差した。その方向に視線を向けた時に、僕の腰に着けているカメラのケースが引っ張られるような感覚があり、さっと視線を移すと、親切と思われた中東系の男の右手が、彼の左手に持った週刊誌の陰に隠れる動きが見えた。僕のカメラはかなりきつくケースに収まっているので抜き取れなかったのだ。直ぐに僕は彼と中東系の青年達から場所を移した。すぐに駅に着きバスから降りた時に友人にこの事情を話すと、彼は急いで自分のカメラを探し、「やられた!」と叫んだ。彼は、彼のカメラを裸でジャンパーのポケットに入れていたのだ。僕達は駅の周囲を見回したが、既にスリの連中の姿は無かった。やれやれ、ベローナって恐ろしい所だと思い知らされた。
駅のタバッキに行ったが、既に小母はんの姿は無く、これはあきらめて、鉄道警察事務所を探し、カメラを盗まれたことを説明し、盗難の証明書を発行してもらった。
皆さん、ベローナでは、いつも危険がいっぱいだって考えようね。駅タバッキの小母さんには特に気をつけよう。
さて列車は無事にミラノに着き、ミラノの宿は、TheBestって、駅から歩いて10分ほどのViaBenedettoに面したホテルであった。駅から近く、道路に面しているので騒音が心配であったが、道路は緑地帯を真ん中に挟んだ通行量の少ない所で、静かなホテルであった。イタリヤの建物はどこでもそうだが、中庭は広く、しかも公園のようになっていて、一泊65EUR(二人で)だけの価値はあった。オーナーは若い夫婦であった。
夕食は、若いオーナーに聞いたが、駅から離れた方向に一つ通りを越えた所にあると教えられ、行ってみると人でいっぱいであった。ウエイターに2人と告げると、道路に寒さよけのカバーを設けた喫煙席に連れて行かれた。横には若い女性が2人居て、我々と同様に周囲でタバコをパカパカ吸っているのを嫌がっていた。イタリヤでは今年から喫煙席と禁煙席が分離されたのだ。
イタリヤ語のメニューしかなくて、スープとミラノ風スパゲッティ(サフランで金色になったもの)、と、ベネツイア風ステーキ(カツレツ)を頼み、二人で分け合った、が量が多すぎて、しかも、友人が辞退したものだから、僕がかなりの量を食べることになり、腹がパンパンに膨れてしまった。
実は、ベネティアでも夜のレストランでは食べ過ぎていたのだ。PICORO PORTIONEと頼めば少ない量で出してくれるってことは勉強していたのだが、実際にはそこまで気が回らず、いつも大量の夕食を食べることになってしまったのだ。しかも、昼間歩き回っている時に、イタリヤの旨いアイスクリームを食べ過ぎた。で、とうとうMILANOで腹がいかれてしまったのだ。
4月2日、4月3日
ってことで、午前中は部屋で眠って過ごした。ただ、オーナーの美しい女房が部屋の掃除に来た時には、中庭に出て椅子の上で眠って過ごした。その日は天気が良くて涼しい風が気持ちよかった。友人は、ブエノスアイレス通りでショッピングをしてくると出掛けた。昼になり昼食を終えた友人が帰ってきたので、僕は昼食抜きで出掛けることにした。なにしろ、あの有名なブレラ美術館は明日は月曜日で休みだから、今日しかチャンスは無いのだ。で、先ずはドーモに行き、エレベータで屋上に登った。ここのドームの屋上は、他のドーモの屋上とは全く違う構造で、広く平坦なものであった。なお、今日は何かの祭りらしくドーモの周囲には、色とりどりの服を着た種々グループの人々が隊列を組んで歩いていた。次いでエマニエールのガッレリヤを通過して、ブレラ美術館を訪れた。ここも入場料は只であった。(本当についているよね)
夕刻になり、地下鉄でサンタマリヤデッレグラツエ教会に向かった。で、受付でインターネット出力を出すと、支払いをチェックして定刻まで待っていろと指示された。約30名程度の人々が待っていて、時間になり、入場する前にオーディオを渡された。てなことで、感動の内に、あの最後の晩餐を見ることができたのだ。しかも、日本語オーディオを聞きながらである。大型双眼鏡も持参したから、壁画を十分に楽しむことができた。壁画って、とっても大きいのですよ。
4/3日は、スフォルツ城から、その裏のセンピオーネ公園を通り抜け、街中を歩き続け、古い街並みを楽しんだ。


更に、ゆっくり続く。



ぴんぼけ夫婦、スイス野次喜多道中

 

ぴんぼけ夫婦、スイス野次喜多道中


2005/06/30 - 2005/07/13
スマホの場合は下記です。
https://4travel.jp/travelogue/10221348

旅のご挨拶

スイス旅行まとめ
●スイス人は、効率的で親切な連中だ。鉄道は本当に便利だ。
宿屋はこちらのメールやFAXにきっちりと対応するが、満員の場合には返事もよこさない。これはこれで、効率的ではっきりとしているのだ。
●食い物はCOOPで買おう。果物やサンドイッチなんぞが本当に美味い。ハムはハムそのものだ。
●モンブランのテッペンは、空気が薄くて気絶しそうになる。走ったらぶったおれる。
●列車の観覧車(PANORAMA train)は、現地で安く簡単に予約できる。但しツバイジーメン⇔モントレー間は日本で、特別席を予約しよう。
●こんな美しい国は、他には無いのでは?その美しさを商売にする根性が凄い。そのために凄い投資をしているのが、また凄い。
●宿屋は、朝食付きTWINまたはダブルで150SF程度です。値段は部屋単位だから、ひとり客は損ですね。スイスの宿は清潔です。

始めに
アールエイジェRAJなる安売り旅行会社が信頼できるか、本当に心配だった。しかも、途中で担当者が退職したので、余計に心配で、「航空券を先に発行して欲しい」などと色々画策して、新しい担当者に不審がられてしまった。
ちょうどその頃インターネットで、、その旅行社がかなり活躍している事を確認できた。そこで、心配していたことを正直に話して、新しい担当者との信頼関係が出来た。結局、バウチャーを当日渡すだけで、zurichまで窓際の席が取れた。
とにかく、2.5時間前には、受付カウンター前のその前の荷物チェック場に並ぶことが基本で、カウンターもしばしば変わるから、
2,3度は確認することが大切。(安売りチケットの場合)かくして良い席を取れるのだ。(但し翼の上ってこともあります)
なお、本旅行以降は、先に席を予約するように努めている。

切符を、スイスパスにするか、スイスレールにするかで悩んだが、登山列車をregional(何日か乗り放題)パスで別に買うのであれば、スイスパスが有利となった。(但し、スイスの場合、各種パスの内容、適用範囲は毎年変わるので要チェックです。この翌年には、スイスレールで山岳電車も半額になるので、スイスパスの優位さは低下した。)
結果として、この年は、登山列車は非常に高く、これを乗り放題にすれば、直ぐに元が取れるので、この選択は正しかった。
シャモニーでは、天候悪く、何度も乗ることは無かろうと36時間券を買わなかった。結局登山列車に2箇所乗るだけで36時間パスよりも高く掛かった。
なお、スイスパスはフランス領のシャモニー迄直行すれば有効です。この事は、HISの担当者も、モントレーの切符売場のフランス美人も知らなかった。スイスマルティニ→フランスシャモニー(モンブラン急行)の切符は、モントレーの窓口では買えず、車内で買おうとしたら、車掌が、その区間は「スイスパス」で有効だと教えてくれた。

スイスパスは、HISで買った。地球の歩き方社よりも安そうだったのだが、結局手数料を別に取られた。
スイスパスセーバフレキシ4日で、1等と2等の差は12000円/人だから、1等の方が快適ですね。
スイスパスは、日本の旅行者かスイス鉄道駅で有効化することが必要なので、HISで有効化してもらった。
指定席は、シャモニーへ行く、GOLDEN-PASSLINEの一部(zwisimen→monntore)を買ったが、何と2500円/人でした。
たっか〜い!と思ったが、実際に乗って判ったのだが、この区間は、先頭車両の一番前の柵内の特別席であった。
他の日本人は、その席まで辿り着けなくって、8人席は僕夫婦だけの専用になっちまった。
この区間では、モントレーに向かう時は11号車の80番台の席を日本で予約しよう!!!!!
逆方向の時は、多分10号車の80番台が良い筈だ。

その他の指定席予約は、現地窓口で、1件5スイスフラン(450円)で簡単に出来る。なお、僕は予約の希望を全て紙片に書いて持ってった。
スイス鉄道は、何をするのでも、非常に効率的です。モントレー→マルティニで間違った列車に乗り、途中駅で降りて駅員に予定を話したら、CPUで、僕の行くべきルート(バスも含めて)を出力してくれた。バスに乗って、アイグレで列車に乗り換えマルチィニで予定の列車に飛び乗れた。スイス鉄道ばんざ〜い!

スイス旅行の場合は、日本の空港でチェックインして、荷物はスイス国内の指定地で受け取るシステムがある。
そのクーポンを買う必要ありと、スイス航空の窓口に行った。だが、スイス航空を使わない人には売れないと断られた。
結局判ったが、そのシステムはスイス航空とスイス鉄道の協同開発だ。だから、スイスパスを買う時に一緒にクーポンを買えば
良かったのだ。(つまり、スイス国鉄の切符を買う時)
但し、結論的には、そのクーポンは高く、他方、スイスの空港は実に効率的で、荷物をライゼゲベックに頼むことが、とても簡単に出来るのだと判った。

6月30日
ZURICHに時間より若干早く到着し、空港内列車に乗り、入国審査(ただの素通り)を経て、BAGGEGEに着くと、どこからか、日本人ばかりがアリのように集まっていた。まるで日本の空港に居るみたいだった。そうして、バッゲージの機械上には、もう荷物が回っていた。荷物も取って、外に出ると案内所があり、きれいな案内嬢に、「鉄道駅はどこ?」と聞くと
「あっちゃから出て、道路を渡れば鉄道駅だ」と言う。確か鉄道駅は地下の筈と、疑いながら言われた通りに行くと、
道路を渡ってから地下に入るので、地下駅となっているのだ。地下1階に、切符売場、指定券売場、ライゼゲペックが並んでいた。

先ず、ライゼゲペックへ行き、荷物の行き先を書いた紙片とスイスパスを見せて、荷物をGRINDERWALDに送った。所要時間1分。
「明後日に着くが良いか?明日中に確実に着けたいなら、早便がある。が、高くなる」って言うが、「普通便で問題なし」と答えた。
結果としては、普通便でも翌日着いていたが、この言葉は、どこの駅でもライゼゲペックを頼む時には言われた。

次いで、またまた紙片を見せて、ZURICH→INNTERLAKEN、と、INTERLAKEN→ZWISIMENの、観覧車の指定券を買った。2分掛かった。
今日泊まるZURICH迄の切符購入(スイスパスで乗るには勿体無いので)ついでに、何番線で乗り、何駅目かも聞く。2分掛かった。

ってことで、空港に着いて30分もしないで、ZURICH行きの列車に乗っていた。
スイス人って効率的で、実に親切な連中だ。何でもプロフェッショナルって感じがした。

ZURICH駅から歩いて直ぐの、まあまあのホテルであった。但し、路面電車がゴロゴロと走っていた。その音がうるさくて、僕は眠れなかったが、女房はぐっすりおやすみでした。

注記
ZURICHのホテルは、通過駅だから良くなくてもいいやと割り切っていたが、今回の他のペンションは本当に居心地はよかった。
スイスは、大きなホテルより、ペンションの方が住み心地が良いらしい。
それに、町のレストランはタバコの煙でムンムンとしているから、ペンションで夕食を取る方が良い。
特に最後のFILISUR鉄道駅のペンションは、便利で、食事も美味く、美人おかみが素晴らしかった。セントモリッツで5星ホテルに泊まった人が、自分の泊まるホテルのことをブーブーと言っていたのと対照的でした。

7月1日
天気は余り良くない。ZURICH HB(中央駅)で、スナック(サンド等をこの国ではスナックと言う)を食べたが高い!
急行で、LUZERNへ、LUZERNを散策し、その後、駅のマーケットでサンドや果物を購入。
そこからGOLDEN-PASSLINEでインタラーケンへ。
インターラーケンで、地球の旅に掲載のレストランへ行き、日本食メニューを見たが、やたらと高く、
ビュッヘがあるとの事で、これを選んだが、韓国食でやたらと辛かった。もう、地球の旅は信用しないことにした。
シーニゲプラッテの高山植物園に行くも、天候悪化。高山植物園は花が満開。
grinderwaldでは、豪雨状態になってしまった。ペンションは清潔できれいである。

7月2日
早朝、yungfrau鉄道でyungfrauへ向かう。ペンションのばあちゃんが、特別早く朝食を作ってくれた。
この国の人々は、年取ってもきっちりとこぎれいにしている。
先ず雪原に行こうとしたが、雪原への扉が閉まっていた。なんとか開けた途端に、暴風で吹き飛ばされそうになった。
後は、UFの地下通路をあっちゃこっちゃとうろつき、ほぼ地下通路の構成が理解できた。おかげで、後から来て迷子になった日本人ツアーに道を教えるまでになった。
帰りは、アイガーグレッチャーで降りて、クライネシャイヂックまでハイキング。頂上と麓でまったく天気が違うのだ。
→JF鉄道でラウタブルネン(COOPでスナックと果物を買って、道端のベンチで食べる。スイス人もそうしている)
→ミュレン→ウエンデン→メンリッヘン山頂→帰宅
近くで、プロシュート+ピザ+ワインで夕食。ごっついピザで腹が破裂しそうになる。54sf=5000円程度/2人 たっかいな〜!

7月3日
再度YFへ。好天に恵まれ、地下通路を通って、あっちゃこっちゃへ。
→メンリッヘン山頂(レストランで昼食)→クライネシャイデックまでハイキング 素晴らしいハイキングコースだ!

7月4日
バスで、グローセシャイヂックへ→FIRSTへハイキング  素晴らしいハイキングコースだ!
FIRSTでスナック買い昼食
→ハイキングで湖へ→雨になり帰宅。
湖に着く前に小雨となり、女房は帰るべきだと主張したが、無視して湖まで行った。山小屋の前で女房が切れて、あれこれと大声で僕を非難した、ふと、山小屋の中を見ると、日本人がいっぱい居て、僕らの喧嘩(一歩的に僕が負けているのだ)に耳をすませていた。勘弁してよね。
COOPでスナックや果物買い、持ち帰り夕食

7月5日
Grinderwaldより列車でシャモニーへ。サムソナイトは、zermattへ先に送っておく。
モントレー→マルチィニの列車を乗り間違えるも、先に述べた方法で必死にリカバリーできた。
マルチィニ駅からモンブラン急行に乗る。レマン湖から続く谷を急上昇して、シャモニー谷へと行く。
モンブラン山系はここで見た後は、ずっと雲の中であった。
シャモニーのペンションは、チーズフォンデの臭いでくさかった。だがしかし、ペンションの食事は最高であった。ワインで乾杯。

7月6日
モンブラン山系は最悪。頂上は霧ばっか。高度が高過ぎて眩暈がする。階段を少し歩いても気絶しそうになるのだ。
イタリヤ側へのロープウエーも停止。
途中で降りて、ハイキング企てるも、雨が降り出した。
仕方なく、氷河見学に行く。

7月7日
zermattへ快適な旅。
マルチィニで、モンブラン急行にステッキを忘れたと列車に走って戻ったが、背中のリュックの中身がばらけてしまった。
白人どもが、列車の窓から眺めているなかで、リュックに寝巻きとか何とかを戻していると、
日本語で話しかけられた。シリア出身で、今はスイスに住んでいて、日本に行ったことは無いが、
素晴らしい日本語を話す。この辺りは、アンズが特産だ、と2個くれた。
彼は、特急でミラノに向かった。
3時頃到着で、スケガに試し登り(地下ケーブルカーで)
zermattは、狭い町の、あちこちに、ロープウエーやケーブルがあって、そこから3000m級にあがって行くのだ。

7月8日
マッタホルンは早朝だけ晴れていて、
→途中でおりてハイキング→スケガに登り(ベンチで昼食)→一駅上がりスケガに向けてハイキング
野生のエーデルワイス群、マーモット群発見!なんて幸運な!

7月9日
ゴルナクラート→ハイキング


7月10日
grinnderwaldを出発(サムソナイトはZURICH空港へ)
アレッチ氷河へ。
地球の旅には、エッジスホルン頂上まで30分とのこと。
あほか!凍結したあんな道、登山靴でも遭難するわ!あほか!
だが、翌年は暖かくて、同時期に登った友人達は容易に登れたらしい。

列車に乗り遅れて、駅で昼食

氷河特急ルートを乗換え、乗り換えてフィリリーズに向かう。
途中、アンデルマットから、ループラインで凄い標高をオーバアルプへと登る。
ライン川に沿ってえんえんと走る。
夜遅く、駅前ホテルに着く。美人おかみの親切なもてなしであった。

7月11日
ベルニナ特急で、→オスピッチオベルニナ→ハイキング→アルプグリュム
駅からラーゴビアンコに沿ってハイキングコースを歩む。
パリュー氷河が見える所で、ハイキングコースは線路を横切るのだが、ハイキングルートに印が見えなかったので、
道を誤った。なお、この地点はこのコースの中で最も美しい、夢のような色彩の場所であった。
写真を写したが、その美しい色彩はカメラでは取りきれなかったようだ。絵本の様な美しさであった。
道を誤り、そのまま線路に沿って行くと、駅の上の方に出た。その崖を降りるだけで足が痛くなった。

列車でイタリタのチラノへ。途上、例のオープンループ橋が見事でした。
チラノの駅はパスポートチェックが非常に厳しい。特に日本人には厳しいようだ。では、ここは既にイタリヤで、イタリヤ語が役に立った。
余り見るべきものもなさそうなので、アイスクリームを食べて、ホテルから失敬したパンで小腹を抑えた。
そのまま列車に乗り→サンモリッツで軽食→ホテルへ帰る。
ホテルで、おかみに、若干腹が減っていると言うと、
海鮮スパゲットを推薦して、えびの事を「シュリンプ、シュリンプ、フィッシ」と一生懸命説明してくれた。
実際うまかった!

7月12日
朝食を楽しみ、そのまま列車に乗り込み、クールからはI/C特急の一等で、ZURICHへ

ZURICHで買い物→空港へ
チェックイン時間まで4時間もあったが、スイス航空は受付けてくれた。こんな親切なの始めてです。
韓国で6時間待ち。安売り航空券の哀しさですね。

一人当たり予算は、
航空運賃89,000円、鉄道費41,000円 現地宿泊生活費 190,000円
合計320,000円

同行者
 
カップル・夫婦
 
一人あたり費用
 
30万円 - 50万円
 
交通手段
 
鉄道
 
航空会社
 
大韓航空
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お気楽ローマ一人 旅 古い記録

 

お気楽ローマ一人旅


2005/03/25 - 2005/04/04


スマホの場合は、下記です。
https://4travel.jp/travelogue/10225350

僕が初めて海外個人旅行に行ったのは、このローマ旅行である。なぜ行く気になったのかと言えば、塩野七生さんの「ローマ人の物語」に触発されたのです。実に単純です。でも、その後、イタリヤについての興味はいよいよ増して、それに元々、知らない街の知らない路地に興味が沸く性格なので、北イタリヤと南イタリヤの旅にそれぞれ行って、僕の人生はその分、面白くなったと思う。でもこんな説明って、自己満足そのものの世界だから、他の人には別に面白くもないよね。
ところで、ローマについて話を戻せば、実はこの辺りは僕は詳しくって、地中海を最初に我が物としたのは紀元前多分2000年期フェニキヤ人であり、彼等はほぼ商業だけを目的として地中海を航行し結果として地中海の主となったのだが、紀元前1500年期にはギリシャ人、次いでローマ人は、軍事力も用いて地中海の制覇を行ったのだが、そのこと、それに、映画でみるローマ人の描きかたに影響され、ローマ人は他民族から嫌われていたであろうと考えていたのだが、塩野さんの物語からすると、ローマ人の国家とは、今の国家にも劣らない思想で統治された素晴らしい国家であると判ったのだ。彼等の素晴らしい成果が凝縮されたローマをみたいと、その事実を知る前にツアーで行ったこともあるのだが、ツアーでは見残しだらけとなることは明らかなので、自分の思い通りの旅を作ろうと考えたのだ。
で、その折にイタリヤのホテル検索でVENERE.COMって見つけ、適当な宿を探していたのだが、調べてみると、ヨーロッパの宿は、一人で泊まろうと二人で泊まろうと価格は殆ど同じだと判り、女房に声を掛けたが、「同じとこに行く気はない」と素っ気なく、その秋頃に大学の同窓会があり、同じ関東エリヤで気の合いそうなS氏に声を掛けたのだ。氏は酒が入っていたせいかどうかは判らないが、行くよ、と答えたので、早速宿の手配と、同時に飛行機の手配を始めた。航空機は中華航空・イタリヤ航空共同の台北乗換え(実はバンコック経由で、ここでも長い待機時間が必要なのだ)63,000円って格安があった。要するに南周りで、往路は東京16:30、ローマ9:55、時差8時間だから、実質25.5時間は掛るのだ。帰路はローマ13:40、東京は翌日の18:15で、時差は夏時間になるので7時間で実質、21.5時間となる。
大体の設定が出来て、S氏に手配するよ、と電話するとOKの返事が来たので手配を始めた。
結局、成田2005年3月25日発、4月3日帰着で、宿は地下鉄A線のSUB-AUGAST駅近くのB&B ARANCIOに予約を取った。宿泊は55EUR/泊であった。
検索VENERE.COMでは、駅からの道が良く判らないのでメールを入れたが返事が無く、YAHOOイタリヤで地図を調べても良く判らないのでFAXで連絡すると、FAXで手書き地図を送ってくれた。なお、最近はお客さんが増えたのか、このB&Bも自分のHPを持って、そこでは、地図がしっかりと書かれています。
http://www.bbarancioroma.it/index.htm
などと、ローマ中心部から地下鉄で直通と、なかなか便利な場所でした。ところで、ローマに行くまでにイタリヤ語の勉強をと、NHKのラジオ講座を3クルー、約1年半を費やしたが、ARANCIOとの連絡でも片言のイタリヤ語は、単純なことを、例えば「FAXを送る」って程度には役立った。旅の途中でも、1週間切符、若しくは、1日切符とか1時切符とかをくれとか、どこどこに行きたいとか、入ってもいいですか、とか基本的な行動では案外に役立つのだ。
なお、出発を3月末にしたのは、4月に入ると航空運賃がぐっと高くなるからです。
かくして一応の手配を完了したのですが、S氏から連絡があり、旅行途中にイギリスに行くとのことで、その計画をしているとのことでした。氏は、気象師の資格を持ち、当初はローマの気象台を訪れたいと考えていたが、つてが無く、イギリスの気象台を訪れたいと考えたとのことなのだ。ローマからイギリスか?と、僕の思考の及ばぬS氏の思考に唖然となったが、まあ、好きにすれば好かろうと、放っておいた。氏はなかなか奇抜な思考と行動で後々も僕を驚かせるのだが、その精神は安定的で行動は紳士の模範であることは強調しておこう。後に成田でチェックインの時に聞いたが、彼はその安定した精神力でもってローマからの、ロンドン行きも手配を完了していたのだ。チェックインは3時間前から並び、S氏の希望で2人共窓側を要請して希望通りの席を取れた。
初めての個人旅行でもあり、格安航空券の代理店フレックスインターナショナルの活動は、充分に調べ、安心できる会社であることは確認しておいた。
なお、到着した3/26(土)にS氏と共にローマの中華料理店で食事をしたのだが、その店の息子らしき男から、明日から夏時間になると言われた。つまり、3月の最後の日曜から時計を1時間早く進めるってことらしいのだ。これは僕に取っても、特にその初日にロンドンに飛ぶS氏にとっても寝耳に水の話で驚いたが、実際のところ、その夜の12時ちょうどに、ヨーロッパ世界の時計は1時間早められるのだ。S氏の話では進めるのを忘れた時計もあちこちで見掛けるってことでした。
3/25(金)3/26(土)
話が先に飛んだが、台北、バンコックでの長いTRANSITを経て、窓側の席ゆえ、ヒマラヤ、カスピ海を眺めて、飛行機は早朝にローマFIUMICINO空港に着いた。帰りの便のRECONFIRMに受付のあっちこっちを探し回り、RECONFIMが不要であることを確認しただけなのなが、かなりの時間を潰し、国鉄のポンテルンゴ駅(長い橋駅)まで5EURの切符を買った。ちゃんと刻印(チンブラーレ)して列車に乗った。
ポンテルンゴ駅ではローマへの進行方向に前後の地下道があるが、前方、左側が出口となる。地下鉄への乗り換えは、出口を出た先の、線路に平行な道路を後方に200m程度戻る十字路にある。切符を買おうとしたが機械が故障で、駅員が上のタバッキに行けと言う。
言われたタバッキに行くと、一週間券がなく、そこに居た客が外に出て、彼方のタバッキに行けと指示した。そのタバッキに行き、なんとか僕のイタリヤ語で、S氏用一日券(24時間券)一枚4EURと、僕用の一週間券16EURを購入した。(1回券は75分有効で1EUR)地下鉄の刻印をどうするか苦労していると、通りかかった少年が教え礼金を要求したが無視した。目的の家は駅からは近いのだが、駅のどの出口から出るかで苦労して、なんとか辿り着くとベランダからオーナーが手を振っていた。部屋は一般の居住用家族アパートのツイン2部屋、と、共有するリビングキッチン、トイレバスの3LDKであり、僕たちの部屋はツインの一つであった。僕らは7日宿泊で前金となっているので、合計385EURとなるが、S氏はロンドンに行くので僕が200EUR負担と、かなり自分に有利な分担にした。ここんとこは難しいとこですね。S氏のスケジュールでは結局4日しか泊らないんだけどね。更に、S氏は「明日はローマ空港からロンドンに経つが、帰ってからピサに行きたい、そこで、ローマ駅でピサ行きの切符を買いたい」とのことであった。僕としては、せっかくローマに滞在するのに、ローマよりもピサですか?と言いたかったが、僕も紳士なので頷くに留めた。ただ、僕としてもローマ駅に慣れておくことには文句は無い。そこで荷物を置いて、ローマ駅に行き、彼の切符を買うとともに、駅周辺の偵察も行った。更に、デオクレアヌス浴場(僕は、ここでAlcheorogiaCard20EURを買った。これは実に、コスト的にも有利だが、他の人が並んでいる横を通過できるって、とても便利だった)、共和国広場、ミケランジェロの回廊、サンタマリヤデッリアンジェリ教会(僕は当然、S氏も感動)、モーゼの噴水、サンタスザンナ教会、4っの噴水で、南北彼方のオベリスクを眺め、そこからスペイン広場へと歩き、マメックス事務所でTCをEURキャッシュに換えて(手数料なしだから、とっても有利なのだ)、そこから地下鉄で宿のあるSUBAUGAUSTに帰った。
ところで、サンタマリヤデッリアンジェリ教会の見学で気づいたのだが、僕の本来の目的は、ローマ帝国の遺跡であったのだが、ルネッサンス時代のローマ建造物も侮れないってことだった。ところで、SUBAUGASTに戻ってから、夕食を食べるレストランを探したが、駅周辺のどのレストランも真っ暗で、あたかも潰れているようで、漸く路地の奥の方で中華レストランを見つけた。そこで最初に述べた夏時間のことを聞き、特に明日イギリスに立つS氏には、実に重要な情報を得たのであった。(さもなきゃ、ローマTERMINI駅から空港に行く、ダビンチ号の指定券さえ無駄になり、それどころか、空港では、彼の飛行機に乗れないところであったのだ)
ところで、駅周辺のレストランはいつも真っ暗であったので、てっきり潰れたのだと思っていたが、帰国前日に判ったのだが、これらの店は夜7:30からオープンするのだ。で、僕の行動時間には全く引っ掛からなかったのだね。
3/27(日)
早朝、S氏はイギリスに向かって出発して行った。当然ながら、昨日より時計を1時間進めての行動である。食事は、スナックパンが山盛り置いてある(イタリヤ人は甘いものが大好きなのだ)し、牛乳、ジュースのパックが冷蔵庫に入っている。卵を買っておいたので卵焼きを作る。食事をしながら、隣の建物が果物屋のようだから、今日は帰りに果物を買い置きしようと考えた。
今日からは単独行で、先ずはバチカン美術館を目指した。曇り空の下を地下鉄でOTTAVIANO駅にまっしぐらである。今日は最後の日曜だからひょっとすると只かもしれんと、駅を降りてまっすぐ地上に上がり、バチカンのある左手に進んで行くと城壁が見えた。城壁の角の所で、右に曲がれば美術館の入り口の筈だ。だが、誰も居ない。ずっと進んで行くと美術館の入口があり、紙が貼ってあり若い旅行者が読んでいる。どうしたのかと聞くと、今日は特別のミサがあって今日と明日は休館だと言う。やれやれ、只どころではなかった、と道を戻り、城壁に沿ってサンピエトロ広場の方に向かうと、入口に人々が列を為していた。誰でも入れるのか、と聞くとNOと言って何かの書類をヒラヒラとした。仕方なく広場の外側を正面に回って行くと、広場には人がいっぱいで、正面には、テレビ中継車が列を作り大勢の警官が警戒をしていた。とても入れそうもない。予定を変更して、サンタンジェル城へと向かった。だが、美術館で並ぶ積りで来ているから、時間的にはまだ早くて開いていなかった。待つのも時間の無駄だと、下記の如く行動した。これ、ずっと歩いたんだから、凄いですね。必死でしたね。でも感動だらけでしたね。しかも、紀元1世紀の世界とルナッサンスの両方の世界に驚かされましたね。
ところで、例のカードを持っているので、切符を買う行列には並ぶ必要が無かったのも効果的でした。
アルテンプス宮→サンタアゴスチーナ教会(感動)→ナボーナ広場→デイフタンチェージ教会→パンテオン(大感動)→ミレルバ広場→ミネルバ教会→ジェズ教会(感動)・・・・前のバールでラザーニヤを教えられ食す。→アレヤサクラ→→カンポヂィフイオーリ広場→ファルネーゼ宮→スパーダ宮河沿い→マルケルス劇場→真実の口広場→真実の口教会・・・・ボール紙で右手を隠す若い女の集団に襲われるも、逃れた。→チルコマッシモ(感動)→カラカラ浴場→コンスタンチヌス凱旋門→コロッセオフォーリインペリアル通り豪雨となり→コロッセオ前から地下鉄で、帰宅です。
ところで皆さん、簡単に書いたのですが、行ったところ行ったところ、唖然とするばかりの巨大さ、凄さ、って言うか、更に、どの教会も巨大で壮麗なだけではなくって美術館なんですね。だからいちいち書いてられないの。ただ、とにかくローマが好きと言うか、尊敬するようになってしまいましたね。それに、若い女性の強盗団に襲われるって冒険もあったしね。
6時頃に帰着したのですが、レストランはみな閉鎖状態です。仕方がないのでピザ屋で、出来合いのピザを見つくろって選び、適当に切ってもらい、隣の果物屋でミカンを買って、部屋に戻って食べました。ところで、部屋に戻るには、建物入口の頑丈なドアーのカギを開けて入り、階段を上がり、3LDKのカギを開けて入り、最後に自分の部屋のカギを開けるって、非常に安全な手順なんですが、建物のカギに癖があって、一番奥まで入れず微かに手前で、それも何度か試みて漸くカギが開くってテクニックが必要でした。ところでミカンですが、最初に皮をむいたミカンは、果肉が赤黒くなってまして、これは腐ってると、ごみかごに放り込んだのですが、二個目も赤黒い、仕方無く、食べてみるとうまいので、これは赤黒いミカンなんだと気づいたですね。
それに、ローマのピザって、お好み焼きみたいなんですね。
疲れて8時には寝てしまいましたね。
3/28(月)
夜が早いと朝も早くなる。で、7時には出発です。今日は北の端からです。つまり、地下鉄でFLAMINIO駅まで行き、判らない道をうろうろとして、でも、この駅の周辺って僕の好きなごたごたなんですよね。でも、城門のあたりから整った姿になってゆくんですね。とにかく以下のルートです。
ポポロ広場→ポポロ教会→ピンチョの丘(地下近道発見→スペイン広場→マツシモ宮(展示物膨大)→テルミニ駅セルフで昼食→トリノ通り→オペラ座→サンタマリヤマッジョール大聖堂→エマルエール2世広場→中国人街発見→マッジョーレ門→城壁に沿ってサンジョバンニ門 ここで地下鉄に乗って帰宅。
今日は見所は全て素晴らしかったのですが、さすがに疲れたので、4時には帰宅したのですが、当然、レストランはどこも開いていない。で、やっぱりピザを持ち帰りです。
ところで、地下鉄には一週間券を使っているのですが、この券は検札機を通さずに、検札のおじさんに見せて通るのです。でも改札事務所のおじさんは誰も見てくれません。が、今日は初めてきちっとした検札を受けました。それもいつもの改札のおじさんではなくって、特別に来たような女検察人でした。不定期に検察して悪事を防止しているようです。
家に着くと、家主の亭主の方が掃除をしてました。女房の方は僕の不在中に朝の片づけをしているらしい。その亭主が話掛けてきて、棚にはいろんな道具があるから自由に使えと言う。変な湯沸しがあるので、これは何だ、と問うと、カプチーノを入れる道具だ、と言い、使い方を教えてくれた。更に、明日からドイツ人夫婦が別の部屋に泊まるからよろしくと言った。帰り際に、君の友人はどこかね?と聞くので、彼はイギリスに行った、と答えると、「ローマに来て、なぜイギリスに?」と不審そうに聞いたので、判らんと答えたが、彼はしきりに首を振っていた。
今日もまた8時には寝てしまった。
3/29(火)
今日も、朝7時から出発です。しかし、地下鉄を降りる時から既に、人波がバチカン美術館へと進んでいました。で、列は既に長く出来ていて、城壁の曲がり角からあまり遠く無い所で列の後ろに並んだ。傍に居る人に、ここはグループですか?個人ですか?と尋ねると、「ここは個人の列だ。グループは入口の所に並ぶんだよ」と教えてくれた。さて開門となり、人波はどっと中に吸い込まれて行った。中には広いロビーがあり、セキュリティー、12EUR切符購入、日本語のオーディオガイド6EURで借用と、ドタバタと手続きをした。オ−ディオガイドは中に入り広い階段を上がった所の受付で借りることができ、パスポートを預けねばならない。パスポートの返却はどこで?と聞くと、借りた所とは違う向かいのカウンターを指差した。で、オーディオを借りた場合は、帰る時には、ここに戻ってこなければならないのだ。地球の歩き方では、美術館から直接サンピエトロ寺院に出る通路もあるらしいが、そこに出ると大変なことになる。つまり、城壁の外を回り、人の列を素通りして、切符の半券を見せて、事情を話して入口を入り、パスポート返却所に来なければならない。この点だけは気をつけようと考えた。だが、サンピエトロ寺院への通路を見つけることは出来ず、順当に見学を終了して、パスポート返却所に戻れた。もう12時になっていた。その周辺には、売店や郵便局とかバールがあり、僕はピザを食べた。
ここのピザはパリッとした触感で、ローマ風のピザよりもうまかった。食事を終えて、帰るのだが、ここから、ループ式の下り坂をくるくると下りて出口に向かった。
美術館は凄かったけど、余りに凄すぎると、殆ど記憶できないですね。いろんな部屋が一階と二階にあるし、どこをどんなに歩いているのか判らないのです。で、ここに慣れるには、一日中ここに居ることですね。
城壁の外をまわり、サンピエトロ寺院への列に並び、セキュリティチェックをして、寺院入口への列に並んで入るのだが、屋上に行くエレベータ5EURは、いったん外に出て、セキュリティチェックの直ぐ後で、入口に向かって右手の方に入って行くのだ。だから、屋上に行ってから、降りて、寺院の見学とするのが良いようだ。エレベータでは途中までで、そこからキューポラ(丸天井)に沿って、なが〜く、せま〜い階段が延々と続いている。とてもつらい階段だが、上にあがると素晴らしい眺望がある。なおエレベータはどこか?って警備員にイタリヤ語で聞くと、ペラペラとイタリヤ語で返事されて困ったですね。
今日はもうとても疲れたので、後は→サンタンジェロ城→(徒歩)→スペイン広場→テルミニ三越、と簡単に済ませました。今日もピザと果物を買って部屋で夕食です。
7時には風呂に入り、寝まきに着替えたのですが、誰かがドアーを叩くので開けると、今日から泊まる予定のドイツ人でした。「玄関のドアーが開かず、他の人が来たので入れてもらった。どうすりゃいいんだ?」と言うので、「鍵を差して、ちょっと手前に戻して回すんだよ」と言うと、
「やって見せて・・・」と言いかけたが、僕が寝まきでることを知り、「そうか、よろしく」と部屋に戻っていった。彼の後ろには金髪の美しい女房がにこにこと二人の遣り取りを見ていた。
3/30(水)
早く眠ると、早く目覚めるって、好循環?状態ですね。
サンジョバンニ駅→サンジョバンニ大聖堂(凄い)→オベリスク発見→城壁に沿ってセント・ジョバンニ門へと城壁周りの道を探し、探し進んで行く  (僕は、なんて凄いことしてる。感動!感動!感動! 道端にあのローマ水道の遺跡である噴水がとうとうと水を噴出しているのを発見 感動!感動!)アッピヤ石畳街道をどんどん歩く→クオヴァヂュス教会(か、かんどう!)カタコンペ看板見付ける→見学→アッピヤ探索を続ける→紅山雪夫氏の本に掲載の地点発見→反転→バス発見→そのまま乗る→隣の小母さんに行き先聞く→ピラミデ着→キオスクで昼飯(サンドが本当にうまい)→地下鉄B線で帰る(親子スリに追跡される)
ってことで、実に、城壁といろんな城門と、それに、アッピヤ街道を自分の足で制覇したのだ。しかも、親子スリに追い回されるってスリルもありましたね。
S氏が戻って来たのだが、明日はピサに行くからと、一緒に、早く寝てしまった。
3/31(木)
早朝に、S氏と出かけるが、氏はピサに行く為にTERMINI駅で降りた。僕はスペイン広場に向かった。ローマ旅行最後の仕上げである。
スペイン広場→トレヴィの泉→道を間違い南に下りてベネチア広場→戻ってコロンナ広場→コルソ通りバーで昼飯→エマヌエール記念堂前通過→カピトリーニ美術館→フォロロマーノ→コロッセオ→フォーリインペリアル通りぶらぶら→サンジョバンニインラテラーノ通り→地下鉄A線MANNZONI ほぼローマの街を歩き周り完了  やった〜!!!→地下鉄B線ピラミデ(キヨスクで美味いサンドイッチ)→城壁に沿ってサンセバスチャン門まで→城門の上に登る。これで、城壁を踏破したのだ!→城壁事務所の女性にイタリヤ語でバスの乗り場を聞く。バスはサンジョバンニに行くらしい。→アッピヤ街道から来たバスに乗ると、アメリカ人の若者グループの一人の女性が、このバスがどこに行くのか!と、男性に怒り、後ろの方に行った。若者が困った顔をしているので、「このバスは地下鉄A線のサンジョバンニ駅に行くのだ」と教えてやると、「サンキュー」と言い嬉しそうな顔をして、女性の後を追って行った。どこでも女は我儘で強いのだ。僕は終点まで行かず、オベリスクの所で降りて、再度サンジョバンニ大聖堂を訪問
した。さて、宿に戻り、建物の扉を鍵で開けようとするが、あの微妙なテクニックもきかなかった。どうしようかと考えていると、この建物に住む一家らしい可愛らしい女の子が僕の後ろに立った。で、僕が扉の前から横によると、扉の内側に書いてある紙を読み、自分の家のインターホンを押して何かを話していた。彼女の家人が下りてきて、鍵が付け替えられたと教えてくれた。で、部屋に戻ると、机の上に新しい鍵が置いてあった。
S氏は遅く帰宅したのだが、鍵が開かず、たまたま他の人が入ったので一緒に入ったとのことであった、氏は無事にピサへの旅を終えたとのことであった。
4/1(金)
今日は、S氏のローマ観光の引率です。そのために、日本からインターネットで、ボルゲーゼ美術館の予約を9:00からの第二グループでしておいたのだ。、スペイン広場駅からピンチアーノ門までの地下の近道も調べ済みである。で、下記のように行動した。
スペイン広場駅→近道でピンチアーノ門へ→ボルゲーゼ美術館→ベネト通り(コーヒートビールを飲む)→トリトーネの噴水→トレヴィの泉→コロンナ広場(マルクスの塔)→パンテオン→フォーリインペリアル通り→コロッシアム  って、一応の観光ルートですよね。
SUBAUGSTA駅に戻ると、6:30頃であった。今日はローマ最後の夜である。さすがに、まともな物を食べたいと、潰れていないレストランを探すことにした。
トスカーナ大通りの左右を調べ回ったが、駅そばのレストランは殆ど潰れているようだ。手前のアグリコーラ駅まで戻ったがやはり無い。そこの路地のベンチに座ってるおっさんに、「この辺りにレストランは無いのか?」と聞くと、「いっぱいある」と答えた。「どこにあるんや?」と再度聞くと、あの道を行け、と裏通りだが、トスカーナ大通りに沿って宿に向かう方向を指さした。疑いながらも、その道を歩いて行くと、暗いレストランらしきものがあり、やはり潰れているようだった。だが、扉は開いているので中に入ると、若い娘が居た。「何か食べれるか?」と聞くと、レストランは7:30からだ、と答えた。で、我々は、どこのレストランも暗いのは、まだ開店前であったのだと気づいたのだ。(明日帰るんだけどね)
7:30までの30分をカーサワイン(瓶のラベルにカーサワインって書いてある(.6EUR)とビール3EUR)で時間を過ごし、最初にサラダ、野菜スープで、次にスパゲッティを頼もうとすると、それは絶対に駄目だ、と言う。ともにPRIMOだと言うのだが、スパゲッティを食べたいんだよ、と言ってると、娘は英語をしゃべれる若者を連れてきて説明させる。で、負けました。SECONDでステーキ、それにデザートのタルト、カプチーノと食べた。サラダなんて大きなドンブリにいっぱい、スープもいっぱい、肉は山盛り、って有様だが、ずっと粗食でぜ〜んぶ食べてしまった。うまかったですねえ。で、勘定は60EUR/2人で、70EUR払いました。
なお、僕たちの他の客は8時が過ぎてから来ました。
ってことで、僕のローマの旅は完了したのです。
4/2(土)4/3(日)
ながいながい旅でした。バンコック空港のTRANSIT椅子で、S氏が思わず、「我々はいったい何時間掛って帰るのだ」と呟いたのでした。でも、往復63,000円ですからねえ。
ところで、このラインは、台湾の人々が、とっても大きな荷物を持って故国に帰るようです。若い女性でもタフに生きているのには感心しましたね。

今回の旅は、航空運賃も入れて、150,000円でした。