抗がん剤技術「ADC」新薬の実力 世界大手、開発競う
進化するがん治療②
「がんが消えたのかと思うほど、普通の日常を過ごせた」
2016年、岐阜県内に住む世一真弓は愛知県がんセンターで第一三共の抗がん剤「エンハーツ」の治験に参加した。ステージ4で見つかった乳がんが脳に転移。6種類の抗がん剤を試した末の決断だった。
放射線治療後にエンハーツを3週間ごとに投与。するとがんマーカーの数値が「どんどん下がった」。脳画像でも腫瘍が縮小するのを確認し、夫と旅行や買い物に出かけ、居酒屋で大好きなお酒を楽しめるまで回復した。昨年、脳腫瘍が再発し治療は今も続くが「末期がんでも長生きしている。この薬に出会えて幸運だった」とかみしめる。
エンハーツは第一三共が開発し20年に発売した新薬だ。「HER2」と呼ばれる特定のたんぱく質をもつがん細胞に結合する抗体と、薬物を組み合わせた「抗体薬物複合体(ADC)」技術が特徴だ。がん細胞に入り込み、がんを攻撃する薬物を放出する。薬物は周りのがん細胞にも浸透し、治療効果を高める。乳がん患者のおよそ2割を占めるHER2を多く持つ患者から処方が始まった。
治験に携わった昭和大学の鶴谷純司は「全身に転移した患者が、1年後も元気に通院する姿に衝撃を受けた」と語る。
22年6月の米臨床腫瘍学会(ASCO)では、乳がんの約半数を占めるHER2の少ない患者でも有効との結果が示された。「がん治療を変える新薬が登場した」。愛知県がんセンターの岩田広治はそう実感した。
エンハーツは乳がんだけでなく肺がんなどでも治験が進む。英エバリュエートは28年に売上高が61億ドル(約8000億円)に達すると予想。収益拡大への期待から、第一三共の時価総額は一時9兆円を超えた。
ただ注意点もある。京都大学の戸井雅和は「最大の課題は間質性肺炎だった」と語る。治験では日本人の死亡例も報告され、複数の医師が第一三共に注意喚起した。現在は肺を数カ月ごとに画像検査し、肺炎の疑いがあると投与を中断している。過去に抗がん剤「イレッサ」で、発売後に間質性肺炎による死亡例が相次いだ問題があるだけに、岩田は「対処を間違えれば実用化は難しかった」とみる。
ADC技術を使った新薬開発は世界の製薬大手が力を入れる。「(従来型の)抗がん剤はいずれADCに置き換わる」(鶴谷)。がん治療のパラダイムシフトが進みつつある。(敬称略)
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