本書は、17世紀の末の作品であるから、徳川政権になってから80年は経っていたことになる。しかし、内容的には戦国時代そのままに、敵の首を切ることや、殺すこと、自分が、目に矢を当てられた時の対策とか、まむしに噛まれた時の処理などが、実に平然と語られていて、この本が戦争時の手本として幕末まで使われていたことに、その野蛮性に驚く。しかし、その野蛮さは、第二次大戦前後まで引き継がれ、これが韓国人や中国人への対応が野蛮であったことの理由であろう。
しかし、その野蛮さは、赤線禁止法の時代から、教育によりじょじょに帰られて、我々の世代ではk後進国の人々にも友人として付き合うのが本筋となって来た。だが、海外からの労働者への処遇では、その野蛮さが未だに存在することが明らかである。
だが、僕がバングラデッシに据付指導に従事した時点では、我々は現地労働者を友人として扱い、それ故に、彼等はまた、我々を友人として遇した。ところが、同じ現地での韓国人の会社では、現地人をむしけらのように扱うことで、現地人は酷く彼等を嫌っていた。その当時、韓国人は未だ野蛮なままであったようだ。恐らく、戦前、戦中に日本人が野蛮であったように、韓国人も野蛮であって、日本人の慰安婦略奪とか徴用工の虐待を、当然と認めたり、若しくは、そのような日本人の野蛮さを手伝ったりしたと思われる。
これらの事情で、バングラデシュで、僕が韓国人の据付に関して、据付指導のアドバイサーとしてj従事することがあり、彼等の物品管理のずさんさを激しく攻撃したことで、彼等の物品倉庫から追い出されたが、現地人労働者は普段からの韓国人への反感もあって、一斉に蜂起して僕の味方をして韓国人を攻撃しようとするので、それを制止するのに苦労したことさえあった。
今の若い韓国人達はそのような事情を知らず、韓国人の戦前の悲劇を今の倫理観で判断することで、国と国の関係を大きくあやまっているように思える。
そもそも、僕の親戚では韓国とかかわったことは全くなく、しかも、戦争では人生の前半を、貧しさとひもじさの中で過ごした人が殆どであり、韓国人への虐待に関与したひとなんて見たことも聞いたこともない。それどころか、韓国人が第三国人として日本人を虐待していた時代さえ経験している。更には、韓国に支払う賠償金を、罪も犯していない僕等の給料から支払われていた。そんな僕等が、日本人人口の殆どを占める現状で、なぜ我々が責められねばならないのか?更に、なぜ謝らねばならないかを僕等は全く理解できないのだ。逆に言えば、僕等よりも戦後の恩恵を受けている韓国の連中から、文句を言われる筋合いは全くなくて、むしろ感謝されて当然だと考える。
ところで、バングラデッシでの韓国企業との争いだが、韓国企業は、我が社の納入品の内、尿素袋を船を積み込む袋積機の据付を担当したのだが、据付現場で行きどころの無いかのように部品が放り出されているのを目撃し、ボルト類の管理のぞんざいさも考えると、その後に問題が起こるのが明らかと思えた。
元々、日本からの輸出梱包がぞんざいで、これは我が社の梱包担当者がいい加減な男で、その男が梱包検査を担当していることを知って、僕はまずいなと考えたのだが、僕はそのプロジェクトの最後の最後の段階で、そのバングラデッシの現場に据付監督のチーフとされたので、どうしようもなかった。ただ、梱包への詰め込みが、機番ごとでなく、部品番号順に、それも、無統一に放り込まれているのを知り、梱包リストから、機番ごとに分類できるリストを出力しろと命じておいたのだが、その担当者は、僕の指示を全く無視したので。そのため、ある機番を据えつける時に、その部品が、どの梱包に入っているかを調べるには、都度、千ページ以上の梱包リストを調べねばならなかった。そこで僕は、梱包リストを部品ごとに、はさみでばらばらに切り、これを機番ごとに再構成する作業を実行した。これでその問題は解決したのだが、更なる問題は、梱包リストの殆どに誤りがあることで、結局は、梱包をばらすと、その部品を並べて、必要に応じて部品を探すなんて馬鹿げた状態が続いた。
ここまでは、我が社のミスなのだが、韓国企業の部品管理のいい加減な点が加わり、しかも、彼等は行方不明の部品を自分たちで制作してそれをバックチャージとして、そのプロジェクトの管理会社に請求し始めた。それは、そのまま納入企業である我が社に請求されるだろうとは想像できた。
0 件のコメント:
コメントを投稿