2025年10月22日水曜日

今日、突然、血圧が高くなった。

 今日は寝起きが5時半で、血圧を測ると、145/80もあった。心を落ちつかせてから測定しても同様だ。早速、雨の中を傘をさして高速散歩に向かい、一時間後に帰って測定すると、
125/75で落ち着いた。
この血圧の上がった理由を考えると、下記の可能性が考えられる。

1.昨日の上野公園で、昼食でcaffeのオムライスを食べたが、ソースが旨く、平らげてしま
  った。恐らく塩分を相当に含んでいたと思う。更に、夕食で、出来合いのおでんを美味            しく食べたが、練り物ばかりで、共に塩分が多かった。
2. 夜が想定以上に寒く、布団が不十分であった。寒さを感じながら眠ってしまった。
3. 寒かったので、布団に潜り込んだことで、酸素不足が生じたのではないかと思う。
4. 一昨日はココアを飲み過ぎたようで、夜中の頻尿が激しかったので、昨日はほぼ飲まなか  
  った。このため、排尿が少なく、塩分が輩出されなかったのかも。

これらを潰して結果を調べる。先ずは塩分制限を強め、ココアを少なめに摂取し、夜は掛け布団や電熱敷毛布、それに、ヒーターで部屋を暖めてみる。

結果は上々と言えるだろう。
それにしても、これからは、毎朝1時間も早歩きして、夜は体を温めながら寝るとか、生活上の制限というか、面倒なことが多い。




2025年10月21日火曜日

頭が冴えてきたので東京散歩、上野公園の西洋美術館と動物園

 急激に寒さが増して頭が冴えてきた。今日は、曇り空で強烈な陽光もない。年寄りが散歩を楽しむのには申し分ない気候となった。若い時は青空が好ましかったが、今は、歳のせいか、それとも、温暖化のせいか、曇り空の方が好ましいのだ。10月なのに、上にスエットを着て出掛けた。手袋を着けたいくらいの気候で、実に、清々しい。
東葉線を勝田台へと戻り、そこから、京成を経て上野に向かった。僕達夫婦は、共に障碍者手帳を持ち、70歳を越える老齢者である。交通費はふたりで一人前で、上野の色んな施設も無料の最強のコンビである。更に、交通費は東葉線で日本橋に行き上野へと向かえば、580円+300円=880円、で、東葉線で勝田台に戻り京成で上野に向かえば、220円+420円=640円だから、当然、後者を選び、上野へと行ったのだ。
上野で、西郷像を見て上野公園に入り西洋美術館を訪れた。最強のコンビだから当然無料だ。
実は、しばしば上野公園を訪れたが上野西洋美術館は初めてなのだ。今回驚いたのは、他の美術館と違い、西洋画が年代順に見られることだ。そのため、西洋画の進歩の在り方が一見で理解できることだ。ただ、僕の審美眼では、印象派までの絵画は理解が出来るが、それ以後の絵画は理解が難しい。それと、ゴッホの絵がなかったことが寂しかった。更に、メトロポリタン美術館を仕事の合間に行ったことがあるのだが、そこでもまた、西洋絵画が年代順に並んでいて、そこで初めて西洋絵画の進歩の在り方を理解したのだが、そこにはゴッホの絵が多く並んでいて、しかも、西洋美術館よりも多くの絵画が、画家の最盛期の作品が多く、もっと印象的だった記憶がある。それはともかく、久しぶりに絵画を見る喜びを得た。
昼食は、西洋美術館のレストランのは少々高過ぎると思われ、そこを出て、JR上野の上野公園口近くのcaffeに入ると、オムライスが1000円で、250円でコーヒーも飲めた。しかい、次回はコンビニで弁当を買うことも選択肢としよう。
西洋美術館の後は、国立博物館を予定していたが、動物園前を通り、突然に心変わりをして、動物たちを見ることに下。
かくして、実に楽しく本日を過ごして家に帰った。国立博物館や、科学博物館も近じか訪れることにする。しかし、明日は、畑の茄子とピーマンを整理せねばならない。


2025年10月19日日曜日

晩秋が一気に衰えた事、僕の健康にも赤色信号がともったこと、それに、詐欺電話もどきや無言電話や、母親への思いなど。

 もともと、関東は暑さ寒さの変化が激しく、冬の後の心地よい春や、夏の後の心地よい秋の期間が関西に比べてとても短い。昨年くらいから、その傾向がいよいよ激しくなったようだ。つまり、暑い夏が長く、あっという間に、春から夏へ、夏から晩秋に変わるようだ。ナスやピーマンは暑い夏が好きで、最近まで


実に多くの実をつけていたが、ここ2~3日で衰えが激しくなり、あっという間にもう、整理すべき時となった。
気候の変化はまだしも、僕の血液検査の結果もあっと言う間に悪くなったようだ。血糖値や腎臓機能数値が、境界値ぎりぎりになり、特に血圧が、秋には130近くで冬季には更に上がる。寝起きの血圧が特に高い。そこで、今年は冬に備えて、寝起きから1時間ほどの高速散歩を続けている。
実は、夏の間は、暑くてその高速散歩をサボっていたのだが、先日の市の検診で、間質性肺炎が疑われ、八千代市医療センターでのCT撮影で確定してしまった。要するに肺機能の衰えだろうと、一気に、高速散歩を再開した。高速散歩を1時間したが、特に体力の衰えは感じなかったと言うか、さらに元気になったと思えた。が、余りに急激に再開したせいで、左側の鼠径部が鼠径ヘルニアを発症した。そんなわけで、高血圧症候、血糖値及び腎臓病予備軍、更に、鼠経ヘルニア・間質性肺炎と、一気に、いろんな病を抱えてしまった。なお、CT検査結果の画像診断には、陳旧性肉芽腫を疑うとか、肝内石灰化、食道裂孔ヘルニア、大腸の便塊貯留等と、聞きなれない文字が並んでいる。このCT検査の結果については、まるやま内科の先生と話し合う。
その中で、間質性肺炎は要するに老化ってことだろうと諦め、出来るだけ運動に励み大きく呼吸をして、血糖値、腎臓機能については、運動と食事ってことで対応する以外に方法はなさそうだ。今後の暑い夏にも運動できるような態勢を作らないと駄目なようだ。健康センターに行くのは金がかかるし、プール歩きは、背骨が弱くなるようだし、要するに、暑くなる時間前に歩くことだろう。
鼠経ヘルニアについては、手術以外に直す方法が無いらしいが、手術が嫌なので、当分は、ヘルニアバンドで対応し、運動の結果の経過を見る積もりだ。
先週は、そんなことがあってドタバタしたので、昨日の電話でしくじってしまった。
以前は、常に留守電モードにしていたのだが、忙しさに紛れて通常モードにしていた。電話が鳴り、受話器を挙げると、「郵便物の誤配のご連絡です。ダイヤル1を押して下さい」と来た。いつもなら、無視して切ってしまうのだが、その時は、amazonからの品物(鼠経ヘルニアバンド)の到着が遅れているので、つい、ダイヤル1を押した。すると、若い女性の声で、「福岡局です」と来た。余りに遠い局なので、驚いて、更に応答を続けてしまった。恐らく、遠い局を示すことで、相手の思考力を萎えさすことが目的なのだろう。「川上由紀子さんあての郵便物のことです」と言われて、川上由紀子さんってなんとなく知り合いにいたなぁ、などと思ってしまった。その後、巧妙に誘導されて、何と、自分の住所、氏名、年齢、固定電話番号を教えてしまった。女性は、「調べて連絡します」と言って電話を切ったのだが、今になっても連絡はない。詐欺に間違いないだろう。でもまあ、次に、どんな手でくるのか楽しみにするしかない。

更に、続いて電話があり、福岡局の女性からの電話かと取ってしまったが、今度は無言電話であった。
それも、こちらの様子を窺う不気味で長い無言電話だ。
実は、かなり以前にも同様の固定電話が、2~3か月に一回程度は掛かってきていたのだが、それが下の兄からだろうと想像をここに書いたら、かかってこなくなったのだ。
下の兄は、パソコンが得意でなく、しかも僕に不義理を働いたので、僕の様子をみるべく無言電話で僕の生死、健康状態の確認に無言電話するのだろうと、書いたのだが、それからは、掛かってこなくなった。
恐らく、同様に僕に不義理を働いた甥が、彼はパソコンやスマホが得意の筈だから、しかも、二人はほぼ共謀して不義理を働いた仲間同士で、その甥が下の兄貴に無言電話はよせっと注意したのだろうと推測する。それで、二人とも、僕のブログを監視している筈だと思う。ところが、かなり長期にわたり、僕のブログの記載が途絶えたので、二人のいずれかが無言電話で僕の様子を探ったものと思う。
かように不気味な電話が2度もつづいたので、早速、固定電話は留守電モードとした。

今日届いた鼠経ヘルニアパッドは700円だったが、とても調子が良い。
それに、健康に関しての追記としては、眼科医から、ほぼ脅迫に近い言い方で、白内障手術をするようにと言われている。

ところで、父母からの遺産としては、僕は、父母の金銭は全く相続されず、ほぼ全てを姉が相続というか、使い切ったとの主張し、残った不動産だけを、それも、動産は使い切ったと主張する姉と、下の兄と僕との1/3で受取った。で、不動産業者との取引打ち合わせで、姉の代理で甥が出席して、なんと驚くべきことに、甥は、姉の相続分の1/3を自分の口座に入金させたのだ。父母の遺産相続は必ずや税務署が注視していて、適法に処理していた僕にさえも厳しい対応だったから、その後はどうなったか、興味があるところだが、それは僕の知るところではない。
母親が、老後、東京に出てきて、僕と姉とで交互に面倒見るようにしたのだが、母親は僕の家を気に入り、主に僕の家に同居するようになった。その頃、母親は、資産は姉に管理するよう任せた、と言っていたので、当時、姉を信じていた僕は、姉が兄弟の為にも管理していると思っていた。母親の面倒を見るだけでなく母親の同居に掛かる全ての費用も僕が負担していた。ところが、かなり後になって、母親の何気ない言葉から、母親は姉の家族の前で、「全財産を姉に譲る」と言ったであろうことが判ったのだ。それを僕には、管理を姉に任せた、と言い方を変えたわけだ。
しかもその頃、姉もまた、「預かった母親の遺産も殆どなくなったのよ」等と言いだした。
僕が愛した母親は、僕を見捨てたにも拘わらず、なぜ、僕の家を好むのかと、僕はとても衝撃を受けたのだ。思い出すのもつらい思い出だ。

その後の人生経験から、姉や甥とか次兄と、僕の人格の違いと言うのは、持って生まれた品性の違いで、どうしようもないものだと思うのだ。いずれが正しいとか言うものでもないのだろう。母親は、姉宅での同居時に、それに気づき、我が家への滞在を望んだのであろう。だが、ぼくとしては、 父親が死ぬまで面倒を見て全く報われることが無かったことに加えて、母親を看取っても報われないことで、それ以上は、女房に無意味な負担を掛けることは出来なかった。とても悲しかった。

追記 そう言えば、思い出した。母親と別れてから、一度無言電話があった。相手の言葉は無いが、居間から電話しているらしく、無言の電話の向こうでTVの音がしていた。暫く無言とTVの音を聞いてから、電話を切ったが、相当後になり、ふと、その電話は母親の無言電話だったのだな、と気づいた。何故人は無言電話をするのだろうか?言いたいことを言えばいいのに、と思った。母親も、その時に考えていることを言えば、それなりの手を打ったのにと、心残りが今でもある。
https://isabon.blogspot.com/2013/02/blog-post_27.html

ところで、不思議なのだが、僕の両親は余り人を疑わない善良な性格なのだが、僕の兄弟姉妹は極めて利己的で自分勝手なのだ。特に金への拘りが強い。それに、僕は明らかに常に善良、正直であろうとする性格だ。更に、僕の女房の家族は、僕の知る範囲の殆どが、同様に善良である。この性格の差は、先天的なのか後天的なのか、どうだろう。
それと、僕の兄弟たちの不実さは、後から考えると実に幼稚なのだ。僕が彼等を信用していることで見落とした不実さなのだ。一方、歌子義姉の旦那星さんの義弟であった川崎さんの不実さは、実に周到なものだった。例えば、星さんが亡くなり、結果、歌子さんを施設に預けなければならない状況で、施設を選ぶときに、彼が施設を探すと言って、我が家から出来るだけ遠い施設を選ぶとか、星さんの病院でも、我が家から出来るだけ遠く、しかし彼の自宅からは近い方向の場所を選ぶとか、後になってから、なるほどそうかと気づくような手段を弄したのだ。たださすがに、彼の推奨した歌子さんの施設は余りに遠く、しかも、不便な場所なので、これは断り、自分でケアマネージャーに相談すると、川崎さんの弁明とは違い、簡単に、両家の真ん中辺りに見つかり、そこに預けたことで、我が女房が容易にケアーできるようになった。また、歌子さんの認知症が急激に悪化したことで、しかも、星さんは入院中で、二人についての手続きは成人管理人が必要となり、その手続きに2週間ほど忙殺されている間に、僕ら夫婦への中傷をしたらしく、裁判所から成人後見人の認可が出たにも拘わらず、成人後見人を辞退する状態になってしまった。かように、綿密に悪意の行為をする人間も居るわけだ。
それら諸々を考えると、恐らく、人の心は、生まれた時は白紙なのだが、人格が形成されるまでの間の経験が、その人間を作り上げるのだろうと思う。

なお、星さんから示された当時の歌子さんの資産は2千万円にも届かず、星さんの資産も同程度であった。だから、星さんが亡くなっても、認知症を患う歌子さんの終末迄の生活費には先ず大丈夫だろうとの判断で、成年後見人の手続きを進め、無事に裁判所から歌子さんの世話をする僕の女房、つまり、歌子さんの妹を成年後見人と認定された。だが、それを星さんに報告すると、辞退してくれと言われた。裁判所は、既に認定したのだから、成年後見人の業務を始めれば良いとアドバイスしてくれたが、そこまでしたくないと、裁判所の推薦する弁護士を成年後見人としてもらった。同時に、裁判所は、日常の世話をする者として、我が女房を、生活上の成年後見人と設定した。
星さんが亡くなってから、隠し資産がぼろぼろと出てきた。その時には、川崎氏とは既に喧嘩別れしており、もしそれらの隠し資産が当初から明らかになっていれば、星さん側の遺族とも、より平和的な協議・解決の手段があったのにと思う 。ただ、星さんは川崎氏の勧めで夫婦相互遺言書で、星さんの遺書だけを解消して星さんの資産を彼の親族に譲るとの遺言書をさくせいしたので、星さんの親族も遺産を貰っていた。その配分も歌子さんの弁護士が入手したが、川崎氏が半分以上をもらっていたようだ。
また、星さんと歌子さんの、死後、相互に相手の資産の全てを受取るとの遺書の存在を知ったものの、通常は、その後、生き残った方が死んだときの対処についての追記遺書がある筈で、しかもその追記は、妻が残された場合の遺産も全て、男の父母・兄弟に遺贈されるのが常らしい。しかし、その追記は僕達夫婦には公開されないので、歌子さんの最後を見届けた後、資産の全てが星さんの父母、兄弟姉妹に相続される可能性が大きかった。つまり、我が家が歌子さんを看取り、得られるものは、看取ったとの満足感だけとの可能性が大きかった。その時点では、既に川崎氏とは絶縁状態となっていた。結果は、その注記は存在せず、歌子さんの遺産は、歌子さんの兄弟姉妹に公正に分配され(と言うか僕が分配した)、我が家の相続分は、女房の病気治療費に多いに役立っている。


2025年9月12日金曜日

ハム人、セム人の宗教について

 前にも記載したが、フエニキア人について詳しく書かれているのはグレン・E・マーコフの著書でフェニキア人なる本である。但し、それには新旧2巻があり、新刊の方はその発行期間の間に資料が増えたのか、実に詳しくなっている。詳しすぎて、旧巻の方が読みやすい。それは別として、その本によると、元々、セム人・ハム人の宗教は多神教であった。しかし、ローマや東洋の多神教とは違い、生贄、それも、幼児や若者を生贄にする厳しいものであったようだ。だが、エジプトの、黄金の仮面で有名なツタンカーメンの父、アクエンアテン(アテン神の使徒)が、力を持ちすぎたアモン教の神官たちを抑えるために、太陽神アテンを唯一の神とするアテン教を始めた。しかし、王の死後、神官が力を取り戻し、王の子を、ツタンクアモン(アモンにそっくりな者)と名前を変えさせた。それが、ツタンカーメンの由来である。それらは紀元前1,400年頃である。その以前の紀元前18世紀頃のヒクソスとしてエジプトに侵入し、その後、エジプト人の反撃で奴隷とされていた、セム人の、特にイスラエル人が、恐らく、団結のための宗教として、太陽神アモンについての知識に触れて、ヤハウエを神とする一神教なるユダヤ教を作った。その一群をモーゼが率いて、カナン地域に戻りユダヤ教を信じるユダヤ人の集団となった。それが、今のイスラエルの地になるわけだ。そして、旧約聖書は、洪水伝説とか、ピラミッドやバビロンの巨大建設物についての伝説を織り込みながら、長い時代に亘り、編纂されていったのだろう。なお、ユダヤ人の国家はイスラエル王国やユダ王国が結成されたのは、紀元前1000年頃で、紀元前700年ごろには、バビロンのアッシリア王により亡んでいる。その際、ユダヤ人は、多くはアッシリアに連れて行かれ、残りは、イエルサレム周辺に住み、時には戻ってきた同胞と共に、エルサレム近郊にユダヤ人の都市国家を形成していた。しかし、紀元後70年頃にローマに滅ぼされ、ユダヤ人の多くが放浪民となった。なお、ローマ統治時代に、キリストがユダヤ教に愛の心を持ち込み、キリスト教が成立したわけだ。その後、シナイ半島のセム系の砂漠の民の中でマホメッドが、ヤハウエを神とするマホメット教を創生する。

なお、ユダヤ人の歴史(鶴見作)が有るらしいので調べてみる。

2025年8月25日月曜日

イスラエル人、アラブ人、パレスチナ人の文字 それに馬鹿げた旧約聖書

 イスラエル、アラブ人、パレスチナ人の文字についても調べてみた。
エジプト(ハム人)の文字は、古代エジプトの有名な聖刻文字(ヒエログリフ)だが、エジプトに捕らえられたか、それとも、自ら移住したのかは不明だが、エジプト人に奴隷のように扱われたパレスチナ、フェニキアを故郷とするセム人のアブラハムの子孫は、エジプト(ハム人)の圧政に耐えかねてモーゼに率いられて故郷へと逃げ出したのだが、その際に、聖刻文字を簡略化した表音文字フェニキア文字を作り出し、これを、フェニキアに広めた。このフェニキア文字を基に、ギリシャ人がアルファベットを作り、セム人のアラブ人がアラビヤ文字を作り、ユダヤ人がユダヤ文字を作ったわけだ。
文字の世界も、いまは殺し合いしている人々は、その文字は兄弟文字をつかっていることになる。
ところで、アラビヤ文字には、母音文字は無いが、それは、他の兄弟文字よりも地理的に近いインドの文字の影響を受けたのかもしれない。なお、インド文字は母音と子音に対する感覚はとても優れていて、それを基に、日本のあいうえお51音の配列が作られている。

旧約聖書を読むと、歴史との対比は興味深いが、その荒唐無稽さにはあきれる。例えば、ヤハウエ(神)は、アブラハムの種族は奴隷も含めて割礼せねばならないと告げる。神とアブラハムは契約することで、神の援助を受けることができるのだが、実に最初の契約が割礼することなのだ。そう言えば、実際にユダヤ教徒は生後8日目で割礼することになっている。
白人って包茎が多そうだが、生まれて8カ月で割礼することも無いだろうと思ってしまう。だが、聖書に書いているからと、ユダヤ教徒は真剣に割礼するわけだ。
アブラハムは、その契約の日に99歳であったが、神との契約通りに割礼したらしい。割礼した陰部が彼らの仲間の証となるらしい。
でもまぁ、実際にローマやギリシャの若い男の裸彫像を見ると、殆どが包茎なんですね。
だから、裸像を見れば、ユダヤ教徒か否かが判るんじゃないでしょうか??
但し、エジプトを含むこの地域では、割礼が成人式の儀式であったらしい。が、その儀式を今も続けていることにユダヤ教の本質を見ることができる。

とにかく、旧約聖書はその時代の変遷を示しながらも、内容は荒唐無稽と言える。日本の古事記よりは興味深いです。

ところで、先日エジプトに移住したセム人が文字を持ち帰ったと書いたが、実は、その前の時代にヒクソスと称される雑多なセム人の集団がエジプトに侵入してエジプト王朝を奪ったのだが、一世紀ほどで追い返された。モーゼがこれらの集団を率いてフェニキアに移動したのだが、この時に文字を持ち帰ったもとになる。つまり、侵略したハム人の国を1世紀に亘り支配したセム人達が、モーゼと称される指導者と共にフェニキアに戻る旅を、その後の旧約聖書の作成者たちが、聖書内に壮大な物語として記述したわけだ。勿論、聖書の中では、エジプトへの侵略と追放としてではなく、偉大な神の啓示として記載されている。
そうではあるが、エジプト、フェニキアとその周辺の壮大な歴史の記述書として旧約聖書は素晴らしい書物なのだ。
なお、繁栄を誇ったエジプトは、次第に衰えた、その後、海の民の集団が北方ギリシャを経由して、ギリシャ、フェニキア、パレスチナ、エジプトを略奪しまわる時代が訪れる。その後に、ギリシャの繁栄が始まる。

















2025年8月24日日曜日

イスラエル人と、パレスチナ人 それに、エジプト人も

 以前に、旧約聖書のことについて最後尾のように投稿している。
その時にも記載したと思うが、イスラエル人とパレスチナ人は、共に同胞であった筈だ。ところが、マホメットが、己をアブラムやキリストと同様に神の使徒として建てたイスラム教を広めたため、それに、そのイスラム教が強力な国家となったため、パレスチナ人それにエジプト人の多くはこれに宗旨替えしたことなどが原因で、現在、両者は激しい憎しみの行動に襲われている。
そこで、もう一度、旧約聖書を読み、両者の違いを調べてみた。結果を、Yahooのドル円掲示板に投書したが、それを添付する。
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ノアの箱舟 ってご存じですよね。地球のあらゆる動物を乗せて洪水をのがれたってあれです。ノアの箱舟に乗れなかった人も動物は洪水で全滅したのですが、この出来事は紀元前の3,000年頃だったかな、とにかく、人類はノアの家族以外は全滅したと、ユダヤ教徒とキリスト教徒と、それに、多分イスラム教徒も信じてるわけです。それがノアの600歳のことで、ノアの妻(名前不明)と3人の子供、セム、ハム、ヤベテと彼らの妻(名前不明)だけが助かったわけで、つまり、人類は全て彼らの子孫ってわけです。ハムはエジプト人、セムはユダヤ人やパレスチナ人、ヤベテはアラビア人の先祖です。って、つまり、ユダヤ人もパレスチナ人も親戚なんです。それにエジプト人も同様に親戚です。でも、パレスチナ人やアラブ人、エジプト人はイスラムに改宗したので、キリスト教徒やユダヤ教徒は、彼らを殺すことをいといません。中世から近代まで、教皇自ら、十字軍を派遣してイスラム教徒を殺せって叫んでいたので、多くのキリスト教徒は今でもそう考えています。でもイスラム教も、キリスト教も、ユダヤ教と、同じ神、ヤハウエを信じています。
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旧約聖書についての投稿は下記です。

かって、八千代市図書館でかりて読んだ「旧約聖書」時代の本を、とても興味深く、また、同時に読んだ「フェニキア人」はその時代を彩った民族の歴史で、共に素晴らしい本だった。さて読み返そうと探したが、フェニキア人は、僕の読んだ旧版は無くなっていて、新版はあまり面白くなかった。そこで、旧版はメルカリで安く購入した。他方、旧約聖書の時代の本は、表題も忘れたので、図書館で探し出せなかった。ところがたまたま、「世界の名著」シリーズとの名を新聞で見かけ、その内の一冊ではないかと気づいて調べたら、世界の芽衣著第12巻に、聖書(旧約聖書:中沢洽樹 /新約聖書 前田護郎)があり、これを借りて調べると、この旧約聖書分が面白かったのだ。早速借りて、内容を見たが、その最初に、前田護郎が「聖書の思想と歴史」を記載していて、この部分が特に歴史的見地から面白く有用であった。 しかし、今回読み返そうとして、前田護郎さんの「聖書との出会い 」には痛く感動した。本当にかような人が居るのだろうか、おおぼらを吹いているのでは、と思うほどに衝撃的な人生であったようだ。  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%8D%E7%94%B0%E8%AD%B7%E9%83%8E 

たた、この本で最も興味深いのは、前田護郎が、聖書との出会いの後に記載している「聖書を読む意味」以降の聖書の歴史と紹介であった。 その後の本文は、昔読んで、聖書の神はとても執念深くて恐ろしいな、との印象で、今回は読まなかった。キリストが現れて、さような恐ろしい宗教に愛を持ち込んだのだが、彼の後のキリスト教徒達が、再び、キリスト教を恐ろしいものに変えたのだ。 ただ、前田さんは、本来のキリストの愛を追及したのだろう。でも、現代の欧米の宗教については、極めて善意的な見方をしていると思った。





2025年8月22日金曜日

東東京信用金庫で

 僕が今の家に引っ越して、それはもう40年も前だが、女房が、東京信用金庫に僕と女房自身の口座を作った。僕の口座は地元の生協の支払い用で、女房のは自分の積立貯金用である。女房はやはり地元を大事にしたいと思ったのだろう。女房の口座は、その後、女房自身の年金用口座でもあり、積立金と合わせてまあまあの金額になっている。ただ、共に女房がNET用ダイレクト口座を嫌がるので、信用金庫窓口での入出金となっていて、地方銀行らしく毎月担当者が我が家を訪れて金を預かり入金してくれていた。が、ある時点から、女房との散歩途上で窓口を訪れて入出金するように変更した。僕は、人の手を介しての入出金が、本来厭なのである。
女房の認知症が進み、最近はそれらの口座を僕が管理しているが、特に、生協支払い用口座も、女房の積立口座も、毎月の入金が面倒になってきた。そこで昨日、ダイレクト口座にしようと窓口で申し込みしようとした。すると、副支店長が出てきて、高齢者にはダイレクト口座は、原則断ることになっている、と言う。恐らく年寄りが騙されることを憂いてのことかと、そのようなことではなく、いちいち窓口を訪れることが大変になってきた、そもそも、他銀行での口座は全てダイレクトだと言うと、その証拠を見せてほしいと言うので、他銀行のパスワード用を表にしているのを見せた。副支店長は、本店の承認が必要なので、承認が得られれば電話する、とのことで、その場は引き上げた。
今日朝になり、電話は無かったが、恐らく、時間を置いたから大丈夫だろうと、再度、支店を 訪れた。が、本店の承認は明日になると、やはり拒否された。「でも、結局拒否されたら、信用金庫のお金を全部他銀行の口座に移すことになりますよ」と言うと、何と、それは仕方が無いですねとの答えだ。
何だ、僕の女房の口座の金額なら、顧客から外れても特に問題じゃないのか、それなら、信用金庫に遠慮することなく、女房の金をもっと機動的に運用すべきだった、と思った。それにしても、長い期間の顧客に冷たいものだ、とも思った。大手の銀行では銀行担当者は次々と変わるのが当然で、地方信用金庫はもっと顧客に密接だと思っていたのだが、そうでも無いらしいと気づいた。
僕の経験からすると、結局、信託銀行が最も顧客に親密なようだ。
それはともかく、ダイレクト口座に出来るかどうかは来週らしいが、そもそも、ダイレクトと、詐欺との関連性が余りみえないなぁ、とも思う。