2024年10月16日水曜日

車の売却 NextCarsPro取手店の村木さん 本当に有難う

 僕は車の免許証は持っていない。20歳になった大学の夏休みには、僕の友人たちは自動車の免許を取りに教習所通いを予定していた。だが僕の場合は、母親が「あんたは眼が悪いから車の運転はやめなさい」と言ったのを良いことに、友人たちが免許書取りに頑張っているのを横目に、大隅半島の先端の方を、内之浦から大きなザックを背負って横断し、列車で鹿児島に行き、そこから船で屋久島に渡った。テントも持参したが、当時のテントはとても重くて、そのため荷物が重すぎて、しかも、大隅半島を2日間に亘って歩き続けたせいで、屋久島に至る頃には足を痛めていて、島内を歩くことも出来ずに、翌日には船で鹿児島に戻り、列車で耶馬渓を経由して大阪に戻った。母親の言葉に従ったと言うよりはむしろ、運転免許を取る面倒さ、特に、予想される同乗指導員の傲慢さが嫌だったのが原因だろう。とにかく、そんな事で、僕は自動車の免許は一生持つことがなかった。ただ、原付の免許は、鹿島製鉄所の据付指導の必需品なのでやむをえず取得した。が今は、その原付免許も流してしまった。
我家の自動車については、我が家に自転車が無い時に、女房殿が買い物で自転車を使い、国道296の排水溝蓋兼用の歩道で転倒したことで、一念発起して免許を取り、中古のトヨタのファミリーカーから始まった。その車は、かなり乗ってからだが暴走車に破壊されて、ガイヤ1908君に買い変え、2016年に、フィット1128君に買い替えた。僕は、どちらかと言えば、ガイヤ君の方が気に入っていたと今でも思っている。
77歳になった女房殿の運転は今なおしっかりしている。が、今年12月28日に免許更新で、認知症テストの通知も来た。女房殿は認知症進行の状況なので、認知症テストの訓練やろうと提案したが、女房殿は頑固に訓練を拒否する。女房殿は数独は極めて好きなのだが、ちょっと好みから外れると頑固に拒否する性格なのだ。これは駄目だなと、免許書返納の時期を窺っていたが、車の売却は今年中にしないと、来年度の車の税金がかかってしまう。つまり今年中に売却せねばならないと、売却準備に入ることにした。でも面倒でぐずぐずしていたが、一昨日は祭日で、午後に時間が余ったと言うか、ほぼ毎日時間は余っているが、やる気が出るか出ないかの違いだけで、その日はたまたま、ちょっとやる気になって、NETのカーネクストなるサイトで入力を始めた。購入年度、車両形式、それに、走行距離を調べておいたが、先ずは、これを調べるのが面倒で、この調査を延ばし延ばしにしていたわけだ。僕はかなり面倒くさがりなのだ。重い腰を上げて車庫に行き、ダッシュボードを開けて車の書類ファイルを出し、ついでにエンジンをかけて走行距離を調べるって、たったこれだけのことが面倒なのだ。でも、これは気の重い口実で、その先に見えるというか、見えないと言うか、その先の手続きが更に面倒なのが予想されたわけだ。
とにかく、必要資料を準備して、パソコンを立ち上げてカーネクストってサイトを立ち上げて、必要事項を入力始め、個人情報も入力した所で、トイレに行きたくなった。トイレにいると、女房が電話よ、と叫んだのだが、そこから、次ぎ次ぎと、中古車販売業者から電話が入ってきた。
いったい何をしているの?との女房の𠮟責の中で電話に対応して、結局、当日の16時に2社、翌日9時と11時と13時に、各一社と合計5社と面談を予定して、後からのは断った。当日16時のは、電話の2社目に、既に16時に予約ありと言うと、同時でも良いですよと言うので、16時の2社にしたのだが、2社と同時に交渉なんてどうなるんだろうと心配であった。
そこまで終えてからパソコン画面に戻って全て入力完了すると、予定売却価格は20万円~30万円と出てがっくりした。たかが20~30万円の為に5社とも交渉するのかと嫌になり、女房に「売っても20~30万円だよ」と言うと、そんな金額なら売るのは辞めようと怒鳴りだした。売らないで女房の免許が切れたら、車輌税だけが掛ると、女房に説明しても理解するかな、と黙っていた。そこでNETで、今度は中古車販売サイトに行き、「2016年ホンダフィット 走行距離2.2万キロ」で調べると、80~90万円なので、恐らく業者の購入価格は50万円程度かな、と、少々はほっとした。
16時の2社の名前は、全てが終わってから判った、つまり、業者名も担当員名も打ち合わせ中は頭には入らなかったのだが、ネクステージの佐藤さんと、NextCarsPro の村木さんと、これらは、全てが終わってから整理して判ったことなのだ。
多分村木さんは、16時の後から予定した人だと思うのだが、その若さにも拘わらずとても説得力を持って説明する人で、それも、相手の気を悪くしないように、ゆったりと自分の思う方向に誘導してゆくタイプで、もし僕が住重時代にそんな能力が有れば、自分の成果を更に上げれたであろうと、話し合う最中にも感心するような若い男であった。 しかも、かなりハンサムでもあった。彼は、30分も早く訪れて、車を調べてから、あれこれと説得し始めた。時間通りに来た佐藤さんが車を調べている間も、あらゆる方向から穏やかに説得を続け、他の業者との交渉はやめて貴方(つまり僕が)の希望金額を告げて、我々2社で入札させてください、と言う。その巧妙な説得に負けて、それじゃあ、55万円以上で2社で入札して下さい、と言い、僕は家に戻り、二人はそれぞれがそれぞれの会社と電話を始めた。時間が掛かると言うので、僕は家に戻ったが、今日入札するのなら、明日に予約した他社の人にはどう断れば良いのだろうか、とうじうじと悩み続けていた。それに、両社が談合して55万円に近い所で決まる可能性もあるなぁとも心配した。

1時間ほどして、決まりました、と言うので外に出ると、二人がそれぞれの名詞の裏に金額を書いており、村木さんは86万円程度で、佐藤さんは96万円程度であった。村木さんは、やはり大手が強いですね、と残念そうであった。金額からすると、2社の談合って杞憂は不要であったのだ。
僕はそのまま、佐藤さんと後の処理手続きの話になったが、その間に村木さんは去って行った。
僕も頭の中が混乱していて、村木さんに礼を言うことも忘れてしまった。心残りである。
なお、入札前に、村木さん、それに佐藤さんの言うには、年末には、中古車はどんどん購入価格が下がって行くとのことで、想定外に高く買ってくれたので、即、車を持ち帰って良いと言うと、佐藤さんは自分の車は置いて、僕の車を持ち帰った。7時頃に佐藤さんは帰ってきて自分の車に乗って帰って行った。
ところで、佐藤さんはハンサムとは言えないが、穏やかで、仕事はテキパキと着実であった。どうやら、この業界の人って、なかなか有能なんだろうと思えた。

かくして、我が家は、売却に動き始めて即日で車を無くしてしまった。これからは、ホンダフィット1128君が居ない車無しの生活を再設計せねばならない。

NextCarsPro取手店の村木さん、結局は貴方に売れなかったけど、本当にありがとう。
実際にはあり得ないことだが、次の機会があれば、入札はあなた一人にして行うだろう。
今回でさえ、二人が札を開けた時に、一瞬、一番札で無い村木さんに売ろうかとも思ったが、それでは、頑張った佐藤さんに申し訳ないと、その考えを振り切ったのだ。

とにかく、僕にはとてもとても疲れる半日であった。が、奥さんには全く関心無しの日でもあった。ところで、なぜNET検索での中古車価格より高く売れたのかと考えたが、恐らく、円安下で、アジア向け中古車の円安による円での相場が上がったことが原因に違いないと思う。




2024年9月27日金曜日

セスナ機に乗ったことが2度ある。

 YS11に乗ったのは新婚旅行のときだから、50年も前のことだ。
セスナ機に乗ったのは、最初は、米国のニューオリンズから、客先のラーセンさんが手配したセスナ機で、設備敷地の視察に行った時だ。ラーセン氏は助手席に乗り、我々は後部客室に座った。氏は、操縦の免許も持っていて、飛行途中で、主操縦士から操縦を引き継いだ。その最中にわざと機を上下させたものだから、機が着陸後、僕の同乗者たちは、青い顔でよろよろと機を降りた。しかし、僕は、どうやら、飛行機の上下とか旋回には強くて、むしろ楽しくて、にこにこしながら降機した。ラーセン氏は、僕に、君の荷物が重すぎて揺れたんだよと、いつものように冗談を飛ばしたが、この後、いよいよ僕に親切になった。
二度目に乗ったのは、ツアーで、ナスカの地上絵の観察の時で、ツアーの殆どが中型機に乗ったのに、僕達夫婦と、ツアーで一緒の清水さんって中年の女性だった。
僕の経験からすると、ツアーの引率者は彼のグループで、ツアー全員が一緒に行動できない場合、例えば、ホテルの部屋が不足で、別のホテルに二・三室を確保する場合とかに、その部屋に泊めても問題なく過ごせる人間を選んでおくようで、僕は、そんな場合には必ず指名されるようだ。つまり、何かの折に、英語が喋れて、トラブルも対処できる人間を選んでおくわけだ。
それで、その時のガイドも僕達夫婦を、セスナ機の搭乗者に選んだと思われる。
セスナ機を運転するのは小柄でおしゃべりの欧米人で、僕に、助手席に乗れと指示した。しかし、助手席なんて最高の席を占めるのは、女性に失礼だろうと、清水さんにどうぞと譲った。ところが、操縦者がそれを拒否して、お前が乗るのだ!お前が助手席だ!と強硬に主張したので、仕方なく助手席に座った。凄いよな、こんな経験って、と感激した。
離陸すると、いろんななだらかな丘を過ぎて、直ぐに、地上絵の上に達した。機は、殆ど横転状態で、いろんな地上絵の上を飛行し続けるので、僕は大いにはしゃいでしまった。あの有名な地上絵の数々を、真下と言うか、旋回するので、真横に見られるので、大いにはしゃいでしまった。
地上に降りて降機すると、操縦者が僕の顔を見て呆然としていて、チップで10ドル渡そうとしてもうわの空で受取った。今になって思うと、副操縦士席で横転飛行を続けると、気分が悪くなる筈だと思っていたのだが、あてが外れて呆然となっていたのだと思える。

2024年9月16日月曜日

佐藤正午著 冬に子供が生まれる

 同書を日経の土曜版が絶称していたので八千代市図書館で予約した。予約者数が多くて半年近く待ち、忘れた頃に連絡が来た。
早速借りたが、裏表紙には「予約が多いのでお早めに返却ください」なんて書いてある。
読み始め部分は、なかなか緻密で、これから先の展開が楽しみであった。物語の展開が、かなり奇想で、この展開なら、作者は多分、全体の流れを作り、その流れに沿ってエピソードを作り、それらを完成してから、文を起こしていったのだろうと想像した。
ところが、読んで行くうちに、話が広がり広がり、どうにも纏まりがつかなくなってゆき、話の途中で突然話が混乱して、そのまま終わってしまった。
つまり、何も得られることなく話が終わってしまった。

実にあほらしいことになってしまった。2日間が無駄になってしまった感じがする。
待っている人が多いから早くかえさなくちゃあ、

2024年9月4日水曜日

台風が去って大阪でゲストの相手をしている。

 暑くて死にそうだ。
宿泊者は、スペイン人のAndoriaとJyeradで、20歳と21歳。
3か月も宿泊で、僕は対応できない、自分たちでマネージしてと言う条件で宿泊している。
でも、到着した翌日の今日から彼らは家を出て大阪市内に向かった。夜遅くなるか明日になると言って出て行った。3か月もこんな旅をできるのだろうか。
3か月前から予約を打診してきたのだが、てっきり枚方地元の国際外国語大学に留学だと思ったのだが、全くの観光旅行か、それともアルバイトかもしれない。
Andoriaとの名前で予約してきたので、若い美しい女性かと思ったら間違いだった。ちょっとがっかりした。でも、男の方が気楽でよい。
台風のせいで、庭の手入れは、31日からの予定が、昨日2日からになってしまい。大急ぎで、1日で片づけた。とても疲れたが、台風の曇り空の下だったので頑張れた。ところが今日は全くのカンカン照りだ。暑くて暑くてたまらんわ。
明日一日で、あさっては千葉に向かう。後の連絡はAirB&B経由で大丈夫だろう。
そうだ!二人はスペイン人ではなくて、フランスとの境界にある山国のAndraって国らしい。凄い処から来ているのだ。
宿泊を初めて二日目に、大阪市内に行き、その夜は帰ってこない。二人とも酒を飲まないと言っていた。何をしているのやらと、不思議だ。

2024年8月30日金曜日

こころの傷(僕の受注設備)

僕がまだ物流OBの集まりに参加していた頃、当時は、環境施設事業部の外注さんとして、リサイクル設備の見積もりに従事していた。と言うか、僕と高桑さんって外注さんとコンビで、それも、案件が多く、それぞれが2件程度は担当して仕事をこなしていた。
その頃に、物流OB の飲み会があり、八木さんと話している時に、たまたま、僕が物流では最初に冷凍倉庫を受注した、との話をした。
すると八木さんは、「え~っと、確か日本ハムの冷凍倉庫は、荷物が棚から落下して大問題になったのじゃないか」と言った。
僕は、硬直して、「それって、どんな」と言うと、
八木さんは、「いや、あれは・・・」と口を濁した。
その時、その話の真実を突き詰めるのが怖くて、僕も八木さんの説明を詳しく追及するのをやめてしまった。で、その件は、それっきりになったが、今になって後悔している。
日ハムの東京工場に納めた冷凍倉庫は、物流機器大手のダイフクとの競合で、我々との打ち合わせは全て工場長自らが担当で施設の計画をして、工場長自らが我々の相手をしてくれた。要するに、工場長の評価で勝負が決まるわけで、凄い会社だと感心したものだ。とにかく、そんな事情で、僕は、工場長との打ち合わせをした後、事務所に帰れば直ぐに工場長の要望を計画に反映させるべく計画変更や図面変更を加えて、2~3日毎に訪問するとの攻勢で、ダイフクが一歩も二歩も遅れるような客先協力をすることで工場長の好意を得た。要するに、ダイフクが、工場長の要望を図面化して持参する時には、すでに工場長の関心は次のフエーズになっているように図ったわけだ。
実は、自動倉庫建物外被を含む工場建設物は、大成建設が担当していて、大成建設はダイフクと密接に連携していて、僕が受注した時には、大成建設の反感があからさまに感じられた案件であった。
僕の受注の一因は、自動倉庫外で冷凍物を扱う車輪付き台車をそのまま自動倉庫に保管する方法を採用したことにもある。冷凍品を車輪付き台車から、自動倉庫用コンテナに移し替えることなく、台車ごと自動倉庫に収めることができる方式だ。この方式を提案してことも受注の一因だと思う。
日本ハムは、各工場長が発注の全権を持っていて、関東工場の工場長が紹介してくれて、関西工場の自動倉庫も受注できたが、これは矢倉さんだかが受注したと思う。
ところで、車輪付き台車だが、それは、スーパーで使われている台車と同様の構造で、ただ、外枠の背が高く、多くの冷凍品が積載できる構造になっている。これを、自動倉庫用の搬出入台車横に置くと、搬入台車がフオークを車輪付き台車の下側に差し込み、持ち上げて、搬入台車内に引き入れて、これを自動倉庫内に搬入するわけだ。
スーパーの台車を見に行き、動きを良く調べたが、台車が方向転換する時には、台車の動きが、4個の車輪の内の2輪の下面を中心に、ぐるっと回るので、台車の横振れ量が車輪半径程度と大きくなる。そこで、自動倉庫棚内では、車輪を使ってはならないと判断した。また、棚に置いた後で、台車が勝手に移動しないように、棚前面に突起段差を設けて、台車の勝手な移動を防止した筈である。
ここまで考慮したのに、八木さんの漏らしたように、棚から荷物が落下したのだろうかと、今になって思う。
八木さんから、もっと良く聞いておけば良かったと思う。
ときどき思い出す,そのたびに胸が痛むのだ。




こんなに長期間に亘り交通網を乱す台風があるなんて!

 9月3日から3か月ほど大阪のゲストハウスに宿泊客が泊まる予定である。
ただ、僕がずっと管理するわけにもゆかず、宿泊期間の最初の数日で、家の管理方法を教えて、更に一か月に1回程度、様子見に行くことにした。
スペインのADRIAさんって女性のコンビの宿泊だ。なんでも、大学に通うってことだが、恐らく、大阪外語大学だろうと思う。どんな二人なのか楽しみだ。
9月3日に到着が確実だとのことで、僕は、8月31日から大阪拠点に入り、除草とか、出来れば、布団の日射干しもやりたいと考えていた。更には、水道、電気、ガスの扱い、ごみの扱い、鍵の扱い、買い物のやりかた、キャッシングの場所、等を教えねばならない。更には、彼らの通う大学への道も教えるべきだろう。
その積もりで東海道昼間高速バスを予約していた。当初は、8月31日としていたが、
台風の動きを見ると、早めに大阪に入る方がベターに思えたので、8月30日に変更した。
(変更代は100円だ)
ところが、JRバスからメールが入り、30日のバスは運休になってしまった。31日の分を取りなおそうとしたが、全便運休らしい。それとも、全席が売れたのかもしれないが、その点は不明だ。
なお、8月29日時点の状況だと、台風の速度は遅くなって9月1日に関東北部に抜けるようだった。であれば、8月30日中なら関東から関西は大丈夫の筈で、実際の天候状態を見る限り、8月30日に運休する理由が納得できなかった。
仕方なく、9月1日、9月2日の分を調べると、夜行便しか空きがなく、台風の動きがいよいよ不鮮明なので、2日分の予約を確保した。どちらかをキャンセルすることになるのだが、キャンセル料は、2日前までが100円で、それ以後は20%となっている。
台風の勢力が衰えないと、9月2日の新幹線で午前中に移動するのがベターにも思え、”えきねっと”にも入会して新幹線切符を買う準備も進めた。
しかし、その後、現在のところは」、9月1日には熱帯性低気圧に変わるらしい。また、9月1日には大阪も東京も雨は弱まるらしい。
だが、いずれをキャンセルはもうちょっと様子を見てから決めることとする。
かような、事態は今までなかった。

2024年8月14日水曜日

とてつもない技術者のその他の例

 世の中にはもっと酷い技術者が居て、とてつもない害毒を流すことがある。
笹子トンネルで、トンネルの天井に施設した鉄構物が落下して多くの若者が一瞬で亡くなった悲劇だ。
鉄構物は、空調の機器とかダクト(空気配管)を施設するものだが、それらを支える架構を天井から吊り下げていたのだ。吊り下げの方法は、天井にボルト用穴を明けて、そこに直ボルトを突っ込み、突っ込む前に接着剤を直ボルトに塗布しておくので、要するに接着剤の接着力だけで直ボルトを支え、その直ボルトに架構をねじ止めしていたのだ。接着剤の接着力は、時間とともに、接着剤の老化と共に衰えるのは当然のことで、架構が、直ボルトと共に抜け落ちるのは当然のことなのだ。
我々の設計時代には、この直ボルトをコンクリートの穴に接着剤で止める方法もあったが、あくまで一時的な用途、つまり、据付時に据付の為にのみ吊り下げる等の、仮止め装置としてのみ使ったのだ。なお、このようなボルトを確かホールインアンカ方式と称したと思う。どこかの現場で据付用吊り具として必要になり、急遽、自分で錦糸町の卸屋に買いに行った記憶がある。

さような、仮止め接着剤直ボルトを、恒久的な目的に用いるなどは、技術者としては絶対に採用してはならない方法だ。垂直に吊り下げるのでなく、壁面に差し込んで、吊り下げ力ではなくて、剪断力で持たせる方法ならまだ長期荷重には持つだろうが、それでも採用すべきではないだろう。
つまり、笹子トンネルの空調機機器の設置方法は、とてつもない技術者のせいで、大きな事故を招いた一例と言えるだろう。
ところが、笹子トンネル事故の捜査では、かような観点での捜査はなされなかったようだ。警察組織に裏からの圧力があったのだろう。恐らく建設業界であろうと思う。
このことからすると、この件は、警察組織にはかような圧力が存在するだろうとの証拠と言える。