2024年11月19日火曜日

日経新聞の記事 進化する免疫療法

 

特に、下記記事の(中)が重要だ。

〈進化する免疫療法〉(上)がん攻撃力 より強く

免疫細胞で難病治す タカラバイオ、実用化へ

 [会員限定記事]

体の免疫機能でがんを治療する免疫療法が進化している。免疫細胞を遺伝子改変し、がんへの攻撃力を高める治療法が米国で8月に希少がん向けに承認を受けた。日本でもタカラバイオなどが実用化を目指す。これまで治療が困難だったがんを治す免疫療法の最前線に迫る。

「1回の投与で明らかに効いている」。国立がん研究センター中央病院の川井章科長は、2017年から同病院などで実施した臨床試験(治験)のデータを見て驚いた。

希少がんの一種で腕や脚の筋肉などにできる「滑膜肉腫」の患者8人にタカラバイオの開発した薬剤を投与した。患者は従来の薬物治療などでは進行や再発を抑えられなかったが、投与後に半数でがんが縮小した。

この薬剤は「TCR-T細胞」と呼ばれる。免疫細胞の一種のT細胞を強化して治療に使う。患者からT細胞を取り出して遺伝子を改変し、がん細胞の目印となるたんぱく質に反応するアンテナのような分子「T細胞受容体(TCR)」を持たせて体内に戻す。

タカラバイオは25年度中に承認申請を目指す。同社の田中舞紀執行役員は「滑膜肉腫で承認のめどが立てば、適応拡大に向けた開発を進めたい」と話す。

この薬剤が目印とする分子は肺がんや食道がんなどの一部でも生じるため応用できる。こうしたがん患者を対象にカナダ・トロント大学の連携病院が治験中だ。

がん細胞は正常な細胞の遺伝子が変異してできる。細胞表面にあるたんぱく質も正常細胞と似ていることが多く、免疫細胞には見分けがつきにくく攻撃しづらい。がんの目印を免疫細胞に「教え」て、攻撃しやすくする。

免疫療法の登場までがんの治療法は主に3種類だった。手術でがんを取り去る外科治療、抗がん剤などで攻撃する薬物療法、放射線で壊す放射線療法だ。10年代、画期的な効果をもつがん免疫薬「オプジーボ」などが登場し4つ目の治療法として確立した。

海外ではTCR-Tの実用化が24年に始まった。8月、創薬スタートアップの英アダプティミューン・セラピューティクスの開発品が滑膜肉腫向けに米食品医薬品局(FDA)の承認を初めて受けた。同社による44人対象の治験では患者の4割でがんが縮小し、5%ではがんが無くなった。

肉腫患者や研究者を支援する米肉腫財団のブランディ・フェルサー最高経営責任者(CEO)は「何十年もの間、滑膜肉腫の治療の選択肢は限られていた。承認によって患者に新たな希望が生まれた」と歓迎する。

免疫細胞を強化する治療法の中では「CAR-T細胞療法」が先行する。TCR-Tとはアンテナを構成する分子が違うが、がんの目印に反応して攻撃するのは同じだ。米国では17年、日本でも19年に承認された。

ただ、これまでに承認されたのは全て血液がん向けで、全がんの約9割を占める固形がん向けの実用化はまだだ。がんの適切な目印が見つからなかったり、免疫細胞ががんに十分集まらなかったりするためだ。この壁を乗り越える研究も進む。

「24年は脳腫瘍向けCAR-Tのブレークスルーの年だ」。大阪大学の保仙直毅教授は語る。米ハーバード大学が3月、脳にできる固形がんの「膠芽腫(こうがしゅ)」に対する治験結果を発表した。治療の難しいがんの代表例で、発症から1年程度で患者の半数が死亡するとされる。

3人の患者にCAR-Tを投与したところ全員でがんが小さくなり、うち1人では効果が半年以上続いた。チームは以前、がん細胞の1つの分子に反応するCAR-Tを試したが十分な効果が出なかった。

今回は2つの分子を同時に狙うCAR-Tを作り、攻撃の範囲を広げた。免疫細胞を脳内に直接注入し、がん組織に集まりやすくしたことも治療効果につながったとみられる。

肺や胃など、患者数の多い固形がん向けにも技術開発が進む。免疫細胞療法の課題はコストだ。例えば、CAR-T細胞療法は1回で約3千万円かかる。患者以外の細胞からCAR-Tを作って量産するなど、治療費抑制を狙う研究も活発だ。

富士経済によるとCAR-T、TCR-Tなどの細胞治療製品の国内市場規模は30年に23年比2倍の350億円に達する見通しだ。

治療効果を高めるには、がんの目印によく反応するアンテナの構造を見つけるのも重要だ。ただ、有望な構造の発見まで10年かかる例もある。24年のノーベル化学賞のテーマになった人工知能(AI)によるたんぱく質の構造予測技術が役立つ。

たんぱく質同士の相互作用を高精度に予測できれば、有望な構造の候補をAIで選別でき、素早い開発につながる。阪大の保仙教授は「糖鎖の変化などでできる複雑な目印も狙いやすくなる」とみる。AI活用が免疫療法の進化を後押ししそうだ。

〈進化する免疫療法〉(中)がん手術 一部で不要に 患者ごとの治療きめ細かく 遺伝子手掛かりに薬投与

2024/11/19付
日本経済新聞 朝刊

「臨床試験(治験)に参加しませんか。このタイプの直腸がんであれば米国での類似の試験で良い結果が出ています」。がん研究会有明病院の山口智弘副部長は遺伝子検査の結果を踏まえ、患者に説明する。

体を守る免疫を利用してがんを治療する免疫療法に使う薬の治験だ。山口氏は長年、直腸がんの治療に携わる。手術が一般的な治療とされるなか、英製薬大手グラクソ・スミスクライン(GSK)が米国で実施した免疫薬「ドスタルリマブ」の第2相治験の結果が医師らを驚かせた。

京都大学は新たな研究施設を公開(11日、京都市左京区)

京都大学は新たな研究施設を公開(11日、京都市左京区)

ドスタルリマブはがん細胞が出す特定の分子の働きを抑え、免疫細胞の攻撃を促す免疫薬だ。希少な直腸がんを対象とし、投与が完了した42例で腫瘍が消えた。試験初期に投与した24例は、治療後1年以上は再発が確認されていない。

直腸がんの手術や放射線などの治療は排便障害が起きるリスクがある。強烈な便意や漏れ出る便によって生活の質が悪化し、精神的に追い込まれる患者もいるという。手術なしで治療できれば患者の負担も小さい。

事前に遺伝子検査で免疫薬が効く患者の見極めに成功し、驚異の治療効果につながった。山口氏は「100%治る治療はこれまで聞いたことがない。患者を見極める遺伝子検査の重要性が増している」と語る。

近年では免疫薬のほかに、免疫細胞を体外で強化して戻す「免疫細胞療法」が開発されるなど免疫療法の手法が多様になる。期待が高まる一方で、今は効く患者が限られる。免疫療法が効きにくいがんは「冷たいがん」と呼ばれ、がん細胞が正常細胞のように振る舞うほか、免疫細胞を遠ざける成分を出す。

こうした患者にも免疫療法を効かせようと研究環境の整備が進む。11日、京都大学がん免疫総合研究センターは米製薬企業からの寄付金など約90億円を投じた新たな研究施設を報道陣に公開した。2050年までに免疫療法でほとんどのがんを制御する目標を掲げる。

免疫療法が効く患者を見極める技術や冷たいがんに対応する治療技術の開発を進める。センター長はがん免疫の研究で18年にノーベル生理学・医学賞を受賞した本庶佑特別教授が務める。本庶氏は「人類を救うがん治療法の開発に向けて活動していく」と意気込む。

最近の研究で冷たいがんなどは腫瘍ができる部位によって特性が違うことも分かってきた。

細かな違いを明らかにするため、国立がん研究センターの西川博嘉分野長は4月、免疫細胞を含む患者のがん組織を保管するバイオバンク事業を新たに立ち上げた。同氏が開発した特殊な凍結保存技術を使って1万例分を回収し、がんの特性を洗い出す。

免疫療法で治る患者は足元で約3割にとどまるが、一度効果が得られれば長い間効果が続く患者もいる。西川氏は「解析が進めば、30年ごろには免疫療法によって、がん患者の約6割はがんが原因で死ぬことはなくなるだろう」とみる。






2024年11月17日日曜日

我家の蛇口不調につき対策

 我が家の蛇口が不調である。 シングルレバー混合栓と称される蛇口だ。
その不調内容は、先ずは首が回らくなった。が、シンクの中央部で止まっているので、そのままにして先端だけを回して水流の向きを変えることで使っている。蛇口の分解は慣れているのだが、緊急事態ではないので、そのまま放っている。一年ほどして最近は、蛇口から水がゆっくりと滴り落ちる。これも面倒なので放ったらかしである。でもまぁ、いつかは対策せねばならないだろうと考えている。そこで、準備を始めた。
蛇口の本体機番は、貼っているラベルでは、TOTO TKJ32UBFRV18 となっている。別のシールは、G1TKJ32UV18 がついているが、これはOEM の機番の様だ。
機体にカートリッジが入っていて温冷水の配分やら、蛇口全体の回転に沿っての流路維持をしている。水漏れは、このカートリッジと本体とのシール不良で起こっていることになる。
水漏れは、カートリッジの取替か、カートリッジのパッキンの取替で出来るようだ。
カートリッジ機番 シンングルレバー混合栓用カートリッジ TOTO THY582N
カートリッジと本体間のパッキン THY552RR
となっている。
問題は、本体の回転不良だ。カートリッジの取替で処理できないなら、本体そのものを取り換える必要がある。
ちょっといろいろ試してみよう。が、面倒である。
なお、シンクの下の温水、冷水のストップバルブは、シンク下の調理容器保管庫の向こう側についているので、手を伸ばせば、給水,給湯は止められる。しかし、本体全体を取り換える時は、調理容器を全て出して、潜り込んで作業せねばならない。面倒だ。
蛇口をもう一度見直すと、回転しなくなった部分は、本体全体を回す所で、水栓全体の台座部分だ。だから内部的な損傷と言うよりは、台座の回転部が水垢とかで滑りが悪くなっていると思える。そこで先ず構造を見直す。
本体全体の回転は、本体が置かれた座の上で回転し、下の方で回転軸をナットで締めているだけらしい。従って、このナットを緩めれば良いだけのようだ。しかし、シンクの下を整理して下部に潜り込まねばならない。蛇口からの水漏れは、パッキンの取替で可能と思う。パッキンを手配せねばならない。
https://www.com-et.com/jp/item_view_manual/searchStr=TKJ32UBFRX/isHaiban=1/kensaku_info=3/datatype=1/hinban=TKJ32UBFRX/renban=1/isNC=1/s_hinban=TKJ32UBFRX/


参考資料
混合栓の様式、取替方式 (かなり面倒だ)
https://www.google.com/search?q=%E6%B7%B7%E5%90%88%E6%A0%93+%E4%BB%95%E7%B5%84%E3%81%BF&rlz=1C1PWSB_jaJP1041JP1041&oq=%E6%B7%B7%E5%90%88%E6%A0%93&gs_lcrp=EgZjaHJvbWUqBwgFEAAYgAQyCQgAEEUYORiABDIHCAEQABiABDIHCAIQABiABDIHCAMQABiABDIHCAQQABiABDIHCAUQABiABDIHCAYQABiABDIHCAcQABiABDIHCAgQABiABDIHCAkQABiABNIBCjI2NjgxajBqMTWoAgCwAgA&sourceid=chrome&ie=UTF-8#vhid=F-4ogR2_dT9W7M&vssid=_DTI5Z6OFMc-ivr0PvcS-wAc_33

雨戸の車輪とか、止めとかも損傷してきた。これも、取替が必要だ。
取り換えるために部品名を調べた。
古い方の引き雨戸は。KYKスチール雨戸5SA(900x1848)で、車輪は5SA-0918、
下部止具は、5SA-0916 となっている。
ところが値段を調べると、一個で送料込み1500円もする。あほらしくて、車輪はあきらめて軽油を車輪溝に流したところ、雨戸はスムーズに動くようになった。
更に調べると、カインズ習志野店で650円程度で販売しているらしい。今度、買いに行ってみる。(いろいろ調べるものだ)
下部留め具(雨戸錠)は、取り外して調べると、内装のバネの留めが折れていたので、ペンチで伸ばして止め部を作り、これを内装するとちゃんと留め具の操作が出来た。



2024年11月2日土曜日

大阪からバスで帰投

 大阪のゲストハウスへの交通は、特別なことが無い限りはバスで往復だ。
新幹線は往復14,000円で、ゲストハウスの運営には高すぎる。つまり、儲けより経費が過多すぎるのだ。ジェットスターとバスとでは余り経費は変わらないが、ジェットスターは変更が効かないのだ。効かせるチケットは高すぎる。で、バス利用が選択肢として残るわけだ。
ただ、バスの場合、乗車時間は8時間掛る。東京八重洲発8:10の青春東海道バス特急だと、16時に京都深草に着いて、枚方の宿には17時になる。ガスの開栓には立ち合いが必要で、開栓の時間は、17:00~19:00となる。ガスの開栓作業員がいつくるか不明だから外にでるわけにもゆかず、枚方で夕食を食べたり買い物をする時間がないのだ。
そこで、千葉の自宅から、タマネギ、ニンジン、ジャガイモ、キャベツ、鶏肉、等の食材の他に、酢やサラダドレッシング、油などの服食材も小瓶に入れて持参する。
ガスの立ち合いが終わってから調理をするわけだ。
それに比べて帰りは楽だ。ガスの閉栓も立会は不要なので、空に近いサムソナイトを引きずって行くだけだ。往路の青春バスに比べて、帰路は深草発8:04の3列バスだから乗り心地も良い。深草最寄り駅の藤森から枚方公園駅まで近いので宿の出発も気楽に出来る。
昨日も、そのバスに乗ったが、深草で渋滞による20分遅れであった。しかし、御殿場に着くころには遅れを完全に取り戻し、むしろ20分程度早かった。順調に都内に入り、道路は東急地下線上の高速を走っていた。が、突然車体が大きく左に傾いた。後部タイヤの外側の1本が破裂したのだ。運転手が中央と連絡を取り、池尻で一般道に降りた。運転手の放送では、応援車が来るので、30~40分掛るとのことだ。停車位置の直ぐ向こうに、東急中央公林線の池尻大橋駅があるので、そこを使っても良いとのことだ。ただし、電車費用やタクシー費用は個人持ちとのことだ。
実は女房のがんX線治療は、駒沢大学駅周辺で受けたので、都内情報に疎い僕でも、実にその周辺だけには知見があるわけだ。
早速、サムソナイトを降してもらい、池尻大橋駅から地下に降りて京急・半蔵門線経由で東西線に向かった。九段下で東西線に乗り換えるだけで、バスが新宿経由で大手町に向かい、大手町で東西線に乗るのに比べてかなり簡単に家に帰れた。300円程度高くなったが、いつもより早く家に帰れた。バスの事故があったのにとても清々しい気分だった。
東名道が渋滞でバスが大幅に遅れる場合は、バスの停留所の、東名用賀とか、東名向ヶ丘、東名江田とかで降りても良さそうだ。
やはり、僕にはバス旅行が最も性に合っているらしい。

2024年10月16日水曜日

車の売却 NextCarsPro取手店の村木さん 本当に有難う

 僕は車の免許証は持っていない。20歳になった大学の夏休みには、僕の友人たちは自動車の免許を取りに教習所通いを予定していた。だが僕の場合は、母親が「あんたは眼が悪いから車の運転はやめなさい」と言ったのを良いことに、友人たちが免許書取りに頑張っているのを横目に、大隅半島の先端の方を、内之浦から大きなザックを背負って横断し、列車で鹿児島に行き、そこから船で屋久島に渡った。テントも持参したが、当時のテントはとても重くて、そのため荷物が重すぎて、しかも、大隅半島を2日間に亘って歩き続けたせいで、屋久島に至る頃には足を痛めていて、島内を歩くことも出来ずに、翌日には船で鹿児島に戻り、列車で耶馬渓を経由して大阪に戻った。母親の言葉に従ったと言うよりはむしろ、運転免許を取る面倒さ、特に、予想される同乗指導員の傲慢さが嫌だったのが原因だろう。とにかく、そんな事で、僕は自動車の免許は一生持つことがなかった。ただ、原付の免許は、鹿島製鉄所の据付指導の必需品なのでやむをえず取得した。が今は、その原付免許も流してしまった。
我家の自動車については、我が家に自転車が無い時に、女房殿が買い物で自転車を使い、国道296の排水溝蓋兼用の歩道で転倒したことで、一念発起して免許を取り、中古のトヨタのファミリーカーから始まった。その車は、かなり乗ってからだが暴走車に破壊されて、ガイヤ1908君に買い変え、2016年に、フィット1128君に買い替えた。僕は、どちらかと言えば、ガイヤ君の方が気に入っていたと今でも思っている。
77歳になった女房殿の運転は今なおしっかりしている。が、今年12月28日に免許更新で、認知症テストの通知も来た。女房殿は認知症進行の状況なので、認知症テストの訓練やろうと提案したが、女房殿は頑固に訓練を拒否する。女房殿は数独は極めて好きなのだが、ちょっと好みから外れると頑固に拒否する性格なのだ。これは駄目だなと、免許書返納の時期を窺っていたが、車の売却は今年中にしないと、来年度の車の税金がかかってしまう。つまり今年中に売却せねばならないと、売却準備に入ることにした。でも面倒でぐずぐずしていたが、一昨日は祭日で、午後に時間が余ったと言うか、ほぼ毎日時間は余っているが、やる気が出るか出ないかの違いだけで、その日はたまたま、ちょっとやる気になって、NETのカーネクストなるサイトで入力を始めた。購入年度、車両形式、それに、走行距離を調べておいたが、先ずは、これを調べるのが面倒で、この調査を延ばし延ばしにしていたわけだ。僕はかなり面倒くさがりなのだ。重い腰を上げて車庫に行き、ダッシュボードを開けて車の書類ファイルを出し、ついでにエンジンをかけて走行距離を調べるって、たったこれだけのことが面倒なのだ。でも、これは気の重い口実で、その先に見えるというか、見えないと言うか、その先の手続きが更に面倒なのが予想されたわけだ。
とにかく、必要資料を準備して、パソコンを立ち上げてカーネクストってサイトを立ち上げて、必要事項を入力始め、個人情報も入力した所で、トイレに行きたくなった。トイレにいると、女房が電話よ、と叫んだのだが、そこから、次ぎ次ぎと、中古車販売業者から電話が入ってきた。
いったい何をしているの?との女房の𠮟責の中で電話に対応して、結局、当日の16時に2社、翌日9時と11時と13時に、各一社と合計5社と面談を予定して、後からのは断った。当日16時のは、電話の2社目に、既に16時に予約ありと言うと、同時でも良いですよと言うので、16時の2社にしたのだが、2社と同時に交渉なんてどうなるんだろうと心配であった。
そこまで終えてからパソコン画面に戻って全て入力完了すると、予定売却価格は20万円~30万円と出てがっくりした。たかが20~30万円の為に5社とも交渉するのかと嫌になり、女房に「売っても20~30万円だよ」と言うと、そんな金額なら売るのは辞めようと怒鳴りだした。売らないで女房の免許が切れたら、車輌税だけが掛ると、女房に説明しても理解するかな、と黙っていた。そこでNETで、今度は中古車販売サイトに行き、「2016年ホンダフィット 走行距離2.2万キロ」で調べると、80~90万円なので、恐らく業者の購入価格は50万円程度かな、と、少々はほっとした。
16時の2社の名前は、全てが終わってから判った、つまり、業者名も担当員名も打ち合わせ中は頭には入らなかったのだが、ネクステージの佐藤さんと、NextCarsPro の村木さんと、これらは、全てが終わってから整理して判ったことなのだ。
多分村木さんは、16時の後から予定した人だと思うのだが、その若さにも拘わらずとても説得力を持って説明する人で、それも、相手の気を悪くしないように、ゆったりと自分の思う方向に誘導してゆくタイプで、もし僕が住重時代にそんな能力が有れば、自分の成果を更に上げれたであろうと、話し合う最中にも感心するような若い男であった。 しかも、かなりハンサムでもあった。彼は、30分も早く訪れて、車を調べてから、あれこれと説得し始めた。時間通りに来た佐藤さんが車を調べている間も、あらゆる方向から穏やかに説得を続け、他の業者との交渉はやめて貴方(つまり僕が)の希望金額を告げて、我々2社で入札させてください、と言う。その巧妙な説得に負けて、それじゃあ、55万円以上で2社で入札して下さい、と言い、僕は家に戻り、二人はそれぞれがそれぞれの会社と電話を始めた。時間が掛かると言うので、僕は家に戻ったが、今日入札するのなら、明日に予約した他社の人にはどう断れば良いのだろうか、とうじうじと悩み続けていた。それに、両社が談合して55万円に近い所で決まる可能性もあるなぁとも心配した。

1時間ほどして、決まりました、と言うので外に出ると、二人がそれぞれの名詞の裏に金額を書いており、村木さんは86万円程度で、佐藤さんは96万円程度であった。村木さんは、やはり大手が強いですね、と残念そうであった。金額からすると、2社の談合って杞憂は不要であったのだ。
僕はそのまま、佐藤さんと後の処理手続きの話になったが、その間に村木さんは去って行った。
僕も頭の中が混乱していて、村木さんに礼を言うことも忘れてしまった。心残りである。
なお、入札前に、村木さん、それに佐藤さんの言うには、年末には、中古車はどんどん購入価格が下がって行くとのことで、想定外に高く買ってくれたので、即、車を持ち帰って良いと言うと、佐藤さんは自分の車は置いて、僕の車を持ち帰った。7時頃に佐藤さんは帰ってきて自分の車に乗って帰って行った。
ところで、佐藤さんはハンサムとは言えないが、穏やかで、仕事はテキパキと着実であった。どうやら、この業界の人って、なかなか有能なんだろうと思えた。

かくして、我が家は、売却に動き始めて即日で車を無くしてしまった。これからは、ホンダフィット1128君が居ない車無しの生活を再設計せねばならない。

NextCarsPro取手店の村木さん、結局は貴方に売れなかったけど、本当にありがとう。
実際にはあり得ないことだが、次の機会があれば、入札はあなた一人にして行うだろう。
今回でさえ、二人が札を開けた時に、一瞬、一番札で無い村木さんに売ろうかとも思ったが、それでは、頑張った佐藤さんに申し訳ないと、その考えを振り切ったのだ。

とにかく、僕にはとてもとても疲れる半日であった。が、奥さんには全く関心無しの日でもあった。ところで、なぜNET検索での中古車価格より高く売れたのかと考えたが、恐らく、円安下で、アジア向け中古車の円安による円での相場が上がったことが原因に違いないと思う。




2024年9月27日金曜日

セスナ機に乗ったことが2度ある。

 YS11に乗ったのは新婚旅行のときだから、50年も前のことだ。
セスナ機に乗ったのは、最初は、米国のニューオリンズから、客先のラーセンさんが手配したセスナ機で、設備敷地の視察に行った時だ。ラーセン氏は助手席に乗り、我々は後部客室に座った。氏は、操縦の免許も持っていて、飛行途中で、主操縦士から操縦を引き継いだ。その最中にわざと機を上下させたものだから、機が着陸後、僕の同乗者たちは、青い顔でよろよろと機を降りた。しかし、僕は、どうやら、飛行機の上下とか旋回には強くて、むしろ楽しくて、にこにこしながら降機した。ラーセン氏は、僕に、君の荷物が重すぎて揺れたんだよと、いつものように冗談を飛ばしたが、この後、いよいよ僕に親切になった。
二度目に乗ったのは、ツアーで、ナスカの地上絵の観察の時で、ツアーの殆どが中型機に乗ったのに、僕達夫婦と、ツアーで一緒の清水さんって中年の女性だけがセスナ機に乗った。
僕の経験からすると、ツアーの引率者は彼のグループで、ツアー全員が一緒に行動できない場合、例えば、ホテルの部屋が不足で、別のホテルに二・三室を確保する場合とかに、その部屋に泊めても問題なく過ごせる人間を選んでおくようで、僕は、そんな場合には必ず指名されるようだ。つまり、何かの折に、英語が喋れて、トラブルも対処できる人間を選んでおくわけだ。
それで、その時のガイドも僕達夫婦を、セスナ機の搭乗者に選んだと思われる。
セスナ機を運転するのは小柄でおしゃべりの欧米人で、僕に、助手席に乗れと指示した。しかし、助手席なんて最高の席を占めるのは、女性に失礼だろうと、清水さんにどうぞと譲った。ところが、操縦者がそれを拒否して、お前が乗るのだ!お前が助手席だ!と強硬に主張したので、仕方なく助手席に座った。凄いよな、こんな経験って、と感激した。
離陸すると、いろんななだらかな丘を過ぎて、直ぐに、地上絵の上に達した。機は、殆ど横転状態で、いろんな地上絵の上を飛行し続けるので、僕は大いにはしゃいでしまった。あの有名な地上絵の数々を、真下と言うか、旋回するので、真横に見られるので、大いにはしゃいでしまった。
地上に降りて降機すると、操縦者が僕の顔を見て呆然としていて、チップで10ドル渡そうとしてもうわの空で受取った。今になって思うと、副操縦士席で横転飛行を続けると、気分が悪くなる筈だと思っていたのだが、あてが外れて呆然となっていたのだと思える。
欧米人はどうやら、飛行機に乗って、昇降とか急旋回に泰然としている人間を尊敬する傾向があるらしい。

2024年9月16日月曜日

佐藤正午著 冬に子供が生まれる

 同書を日経の土曜版が絶称していたので八千代市図書館で予約した。予約者数が多くて半年近く待ち、忘れた頃に連絡が来た。
早速借りたが、裏表紙には「予約が多いのでお早めに返却ください」なんて書いてある。
読み始め部分は、なかなか緻密で、これから先の展開が楽しみであった。物語の展開が、かなり奇想で、この展開なら、作者は多分、全体の流れを作り、その流れに沿ってエピソードを作り、それらを完成してから、文を起こしていったのだろうと想像した。
ところが、読んで行くうちに、話が広がり広がり、どうにも纏まりがつかなくなってゆき、話の途中で突然話が混乱して、そのまま終わってしまった。
つまり、何も得られることなく話が終わってしまった。

実にあほらしいことになってしまった。2日間が無駄になってしまった感じがする。
待っている人が多いから早くかえさなくちゃあ、

2024年9月4日水曜日

台風が去って大阪でゲストの相手をしている。

 暑くて死にそうだ。
宿泊者は、スペイン人のAndoriaとJyeradで、20歳と21歳。
3か月も宿泊で、僕は対応できない、自分たちでマネージしてと言う条件で宿泊している。
でも、到着した翌日の今日から彼らは家を出て大阪市内に向かった。夜遅くなるか明日になると言って出て行った。3か月もこんな旅をできるのだろうか。
3か月前から予約を打診してきたのだが、てっきり枚方地元の国際外国語大学に留学だと思ったのだが、全くの観光旅行か、それともアルバイトかもしれない。
Andoriaとの名前で予約してきたので、若い美しい女性かと思ったら間違いだった。ちょっとがっかりした。でも、宿泊客としては男の方が気楽でよい。
台風のせいで、庭の手入れは、31日からの予定が、昨日2日からになってしまい。大急ぎで、1日で片づけた。とても疲れたが、台風の曇り空の下だったので頑張れた。ところが今日は全くのカンカン照りだ。暑くて暑くてたまらんわ。
明日一日で、あさっては千葉に向かう。後の連絡はAirB&B経由で大丈夫だろう。
そうだ!二人はスペイン人ではなくて、フランスとの境界にある山国のAndraって国らしい。凄い処から来ているのだ。
宿泊を初めて二日目に、大阪市内に行き、その夜は帰ってこない。二人とも酒を飲まないと言っていた。何をしているのやらと、不思議だ。