2026年1月2日金曜日

久しぶりにamazonで靴を購入した。

 靴は、ずっとTEMUで購入していたが、TEMUの靴は、ことごとく、靴底かかと部分の寿命が1ケ月程度と余りに短く、1500円程度と安価ではあるが意味がないように思えて、久しぶりにamazonで購入した。それに、足幅が大きい僕の場合は、足底長さは本体26cmなのだが足幅が大きく、4Eサイズが無いと、26.5cmの靴にしなければならない。TEMUの靴には足幅の規定がなく、したがって4Eの靴は無いので、僕は常に26.5cmの靴を購入しなければならない。
そんな事情で、今回はamazonで、26cm 4Eで、3000円弱で購入した。4E品と銘打たれているのだが、寿命については、メーカーは同じ中国なので、その点は心配だ。しかし、ダンロップ品となっていて4E品ともされているので、充分に期待できるかなと思う。


https://www.amazon.co.jp/dp/B0BL3G1HB2?ref=ppx_yo2ov_dt_b_fed_asin_title&th=1&psc=1
DUNLOP REFINED(ダンロップリファインド) メンズ ダンロップリファインド DM2011幅広 4E 通勤 通学 白スニーカー 22~30cmメンズ ウォーキング ランニングシューズ 運動靴


翌日の3日には靴が到着した。ダンロップの軽量形で、前回と同様の製品だ。
恐らく寿命的には、TEMU品よりは大丈夫だろうと思える。
靴のサイズは、以前通りの26CM4E品だ。ただ、暫くTEMU の26.5CMを履いていたので、足が大きくなっている可能性がある。
差しあたっては、古いダンロップ品を擦り切れるまで履くので、新品の履き心地は、暫くは不明になる。

2025年12月30日火曜日

新しい文庫本をかりてきた。

 数多久遠の航空自衛隊副官 玲於奈
空飛ぶ広報室 有川浩
ヘビメタ中年 荒木源
総力捜査 安東能明
オレタ達花のバブル組 池井戸潤
の5冊だ。

数多久遠の航空自衛隊副官は、読み初めに、ミサイル戦の専門家的知識が多い。かなり専門的で疲れる。
実は、僕は自衛隊の仕事で、主としてミサイル等の自動倉庫型弾薬庫の仕事をした。
弾薬自動倉庫を航空自衛隊東北支所と高蔵寺分屯基地の2か所に納めた。その時は、何しろ、自衛隊に納めることが会社の初めての仕事で、しかも、弾薬庫に自動倉庫を採用すること自体が、恐らく、世界で初めてのことで、その自動倉庫に保管するミサイルは、棚の中の一個でさえ、納入する自動倉庫自体よりも高価で、しかも、危険な代物なので、それを計画することに必死であった。そのため、ミサイルそのものの運用とか機能とかに興味を寄せる余裕がなかった。と言うか、僕が担当する設備は、わが社が概ね過去に誰も対応したことのない設備が多く、計画して見積もりして受注して設計して納入するとの一連のワークだけで気力的に精一杯であった。今になって、納入した設備のそれぞれに、もっと広い視野で興味を持っておれば、いろんな知識を得て、より興味深い人生を過ごせたであろうと後悔しきりだ。
それはともかく、そのような事情で、この人の作品は、この人の専門性に追いつけず、残念ながら途中で読破を中断した。後でちらっと後半を読むと、話は、専門的な話から、突然上司の私的な話へと変わっているが、どうも興味を引くようなストーリイでもなく、ついに読み続けをやめた。
空飛ぶ広報室 有川浩の作品は、空自の職場のことでありながら、上記のような専門性はなく、その意味では面白く読むことが出来た。作者は自分の専門分野でもない職場を背景に実に興味深くストーリイを作り上げたものだと感心させられる。他方、僕は同じ空自の仕事に携わり、空自の各所を回ったにも拘わらず、もっと広い視野で空自の組織とか活動、それに、そこで働く人そのものを知る機会を失ったと、これも後悔しきりだ。
とにかく、本書はなかなか面白いと思った。
そう言えば、我が家の近くに陸自の習志野駐屯地があるので、遅まきながらも、自衛隊のことを知る機会を作る積もりだ。





2025年12月28日日曜日

枚方市には、変人が多いらしい。

 今日、変わった投稿を読んだ。自分の名を検索していると、突然ひっかかった投稿だが、僕の名前とは全く関係なく、何故引っ掛かったのかが判らない。
https://www.hira2.jp/special/kyobashi-20251220.html
要するに、終電を逃して、レンタルの電動自転車で、天満橋から枚方市駅まで帰るって話だ。
通常、そんな場合は、近くのカプセルハウスに泊まるのが一般的だと思う。が、僕も恐らくその一般的な方法は取らず、例えば、どこか風を避けれるビル内に隠れるとか、何とか相乗りタクシーに乗り込むとかの方法を取ると思う。なぜそうなのかは判らないが、結論として突飛な結果になると思うのだ。。要するに、悪い意味か良い意味かは判らないが、非常識なのだと思う。勤めている時には、遅くなれば、どこかに泊まれば、恐らく、宿泊費は会社から出たと思うのだが、それに思い至らず、自分の出来る範囲内で、出来るだけ安く処理しようと思うわけだ。要するに、臆病で無知なだけだと思う。それはともかく、実は、僕が京都東山を隔日で何日かかけて、桃山城あたりから比叡山へ縦走した時だが、大文字山に登った時に、これは話題が別だが、途中ですれ違った40歳程度の男性が、突然、声をかけてきて驚いた。「失礼ですが、お歳は幾歳ですか?」と問うたのだ。それは、まだコロナ前のことで、「75歳です」と答えると、「私は、XX歳です。私の夢は、60歳になっても、大文字山に登頂することです。貴方が羨ましいです。頑張ってください」と答えて降りていった。あれあれ小さな夢だな, とは思ったが、悪い気はしなかった。

ところで、帰宅が遅くなったらどうするかの話だが、この話題の主は、電動自転車で枚方迄帰るストーリイを投稿したわけだ。
話は、東山縦走のことに再び戻るが、大文字山に無事登頂して、と言うか、大文字山って、標高数百メートル程度のたいした山ではないので、すれ違った若者と言うかおっさんと言うか、彼の夢は、小さな夢だな、との感慨が残った。山頂でなかなかの景観を楽しみ、ゲストハウスで作ったタップ弁当を美味しく頂いて下山した。降り口周辺で歩いていると、20歳前後の若者がうろうろしていて、突然比叡山はどちらの方向ですか、と僕に声を掛けた。比叡山は、大文字山に続く方向だから、あちらの方です、と言うと、「ありがとう御座います。実は僕は、枚方から歩いてきたのです」と言って去って行った。
先の、電動自転車の青年の投稿を見て、僕は、大文字山の事、それに、僕の経験も思い出して、どうやら、枚方には、僕も含めて変人が多いのかな、と思った。

ところで、僕も経験が増して、投稿主の様に、帰宅が遅くなった時の対策だが、快活クラブを一度使ってみたいと思っている。精神的に、ちょっとは、成長したのかな。

2025年12月26日金曜日

側副血行路の更にその後、それに、文庫本読破のその後。

 本日、習志野済生会病院の竹田先生の受診だった。
やはり、心臓の冠動脈の右側が弱っているとの事で、その実情検査としては、腕からのカテーテルが必要とのことだ。そこで、僕の都合で3月のパルスメーカの検査の時に日程決めようとなった。更に、血液検査の結果から、冠動脈対策で、悪性LDRの値を下げるのが良かろうと、その飲み薬と、加えて、血液をサラサラにする薬を飲むこととなった。一気に薬が多くなった。上記の事情で、3月が多忙になりそうなので、民宿は3月も閉鎖とした。

ところで、目覚めた文庫本読破だが、講談社文庫 井坂幸太郎の魔王、阿部智里の鳥に単は似合わない、石田衣良の憎悪のパレード を読み終えたというか、井坂幸太郎の本以外は、阿部智里の本は、八千烏が登場人物であり余りに幻想的で、石田衣良のは子供っぽく、途中で読破放棄したし、伊坂幸太郎のは、読みごたえが有るにはあるが、唐突に終了して、続きがあるのやら、ないのやら、って思いだ。
これなら、僕の小説の方が、読みごたえもあるし、文章もうまいとさえ思えた。
僕は、住重物流で、確実に仕事をこなしているにも拘わらず首切りにあったが、その後、環境施設のリサイクル施設を担当する外注さんになったので、小説を書き続けるだけの気力をうしなったのだ。その首切り直前には、月刊朝日の新人賞では、最終3人にまで残った実績もある。しかし、外注さんになると、その精神的余力を失い小説書きはあきらめたのだ。
その頃に書いたものを読み返すべく、以後、ここに載せてみる。
それに、図書館の文庫本読破も続けようと思う。

2025年12月24日水曜日

側副血行路のその後

 昨日、習志野済生会での胸部レントゲン撮影、心電図検査、胸部エコー検査に行った。
丸山クリニックでのエコー検査での結果を受けての検査で、金曜日にその結果が示される。ただ、前回には、心筋部動脈の側副血管路が出来ているとの指摘に比べて、今回のエコー検査では、「はっきりとは判りませんね」とすっきりしないセコー検査技師の話だ。丸山クリニックの女性技師は、「20年以上も携わっているので確実です」と言っていたのと、かなり違う。それは、竹田先生の判断に任せるとして、その診察は今週の金曜日だ。
ところで、検査の前に血圧を測ったが、それは、内科受付の待合室の横に、2つの柱毎に2台、つまり4台の血圧計があるのだが、血圧の前に手荷物入れに荷物と、厚手のコートを入れて測定した。病院で血圧を測定すると、概ね、かなり高めに出るのだが、最近はそうでも無くなって、2回測定したが、130以下でほっとした。服を着ようとすると、1人の老人、でも、僕と同年齢なんだろうなと思うが、その老人が僕が終わるのを待ち構えていた。あれっ、他のは空いていた筈だがと廻りを見回すと、やはり4台の内、僕以外には血圧器を使っていない。変だな、とは思いながら、服を着て立ち上がると、その老人は僕の経った席に座り、腕を測定機に突っ込みもせずに、起動スイッチを押した。変だなとは思いながら、腕を差し込むのですよ、と言うと、上着をきたままで差し込み、スイッチを押した。が、やはり、測定値は180と、異常値を示した。「やはり上着は脱がないと・・」と言ったが、老人は何もしない。表情がなく気力もない表情のまま座っている。
ここで、僕は、ああ、この人は完全な認知症だな、と思い、周囲を見回すと、看護婦の補助の様な女性がいたので、事情を説明して、後は任せて、総合待合室の方に移動した。
認知症でも、人の言葉を理解できないレベルでは病院には来れないな、と愕然とした。
しかし、考えてみると、我が女房レベルの認知症でも、もう病院に一人では行けないな、と更に愕然とした。
今の病院のシステムは、マイナカードの登録、受診カードの登録、その後の、検査手順、と診察後の支払い手続きと、通常の人には、簡便になったようだが、そのそれぞれの手順は、複雑になっている。
はてさて、僕は女房より長生きできるだろうか、とも考えこんだ。

2025年12月22日月曜日

大阪で、文庫本に目覚めたこと。

 枚方滞在中に、女房の相手をしてあちこち歩いたが、最後の日に、枚方市駅のT-SITEを訪れた。古本屋のTSUTAYAの社長は枚方市出身で、駅から我が家に至るショートカット道と言うか、旧市街を通り、旧京街道の道筋にある大きな旧家が実家らしい。そんな関係で、TSUTAYAのの実家は枚方市から優遇されている。恐らく、納税額が莫大なのだろう。その優遇とは、TSUTAYA実家の横にあったドブ川が、水回廊とか称される公園になり、ドブ川がきれいな川辺に改造されて、そこは春になると見事な桜並木になる。なお、その川は、相当区間を淀川と並走する側溝で、遠く、守口市まで続いていて、そこからは地下溝となっているようだ。なお、途中の寝屋川辺りで、淀川に接続するようにもなっていて、いかに入り込んでくるのか、鯉が淀川から入り込み、5月ごろになると無数の鯉が遡上してきて、TSUTAYAの実家の裏手あたりまで産卵に訪れる。恐らく、この水路は、淀川の堤防を作る際に必要となった土砂を得るために掘った後なのだろう。
TSUTAYAが枚方市から利便を得たのはそれだけでなく、駅の周辺の再開発に際して、駅のすぐ横、駅から市役所に行く高架歩道から入れるような一等地に、TSUTAYAのアンテナショップのような巨大な本屋を含む、複合ビルを開店させたのだ。それが、T-SITEだ。
そこは巨大な本屋で、巨大であるだけではなくて、本の配列が、とても購買心をそそる配置となっている。
女房とその中を散策していて、久方ぶりに文庫本の並びを見た。文庫本は昔と違って、本の装丁が、絵や写真で、購買心をそそる様子になっていることに驚いた。これは、実際に読んでみて、それを確かめたいと思った。

大阪から千葉に帰り、今日、八千代市図書館を訪れたが、文庫本の棚には、僕の知らない作者が大勢現れていることを知った。
これは、順次読むべきだろうと自覚した。かようなことを知らずに死ねないとも考えて、さっ早速、未知の作者の本を借りた。先ずは、
講談社文庫 井坂幸太郎の魔王、阿部智里の鳥に単は似合わない、石田衣良の憎悪のパレード 等を借りて、早速読み始めた。

ところで、今回の帰阪では、年末にも拘わらず、夫婦で10日間も滞在したが、何となく、千葉よりも住みやすいと思えた。給湯設備とか暖房設備は本来の居住地である千葉の方が充実しているが、枚方の方が何となく住みやすいのだ。
給湯はガス給湯器と風呂追い炊き装置だけで、空調機も装備していないが、それでも、住みやすいのだ。先ずは買い物だが、徒歩5分の所には既設のKONOMIYAがあり,ごく近く徒歩1分のところに京阪ライフ+ホームショップのコウナンの複合ショップが出来て、要するに、冷凍庫と冷蔵庫、日常品置き場が直ぐ横に出来たようなものだし、家が手狭で、行動もしやすいのだ。
それに、見所や繁華街が京阪を使って容易に安価に行けるのも楽しい。
問題は、本拠を移すには、手続きとか、医療拠点が全く新しくなることだろう。それに、民泊運営をどうするかもある。
でも、この方向をもっと真剣に考えるべきかとも思う。
ああ、しかし、それと、枚方の夏の高温、冬の低温がどうか、と、それに、空港への移動時間が長いことも考えるべきだろう。

2025年12月19日金曜日

僕も歳を取ったのだ。恐ろしいほど饒舌になった。

 女房の次兄の正一さんは、子供の頃に、叔父さんの養子になった。
叔父さんは、別府の叔父さんと呼ばれていて、その当時は別府に大きな邸宅を持っていたかららしい。戦前に満州で満鉄や製鉄所の下請けで、手広く商売をしていて、その時の資産が当時はまだ残っていたのだ。だから恐らく、女房の両親は、そこに養子に出せば、その子は安泰だと思ったのだろうが、叔父さんは、その後、資産を食いつぶして女房の家族の援助で生活していたから、安泰だと思えた叔父は正一さんの将来に影を落としたことだろう。だが、女房の兄弟は、どこまでも優秀で、正一さんは、自力で、九州の田舎から、東工大へと進学して、彼の道を切り開いた。正一さんはどこまでも明るく賢明な人柄で、付き合うの楽しい人であったが、今年の春に、血液がんで亡くなってしまった。だが、死ぬまで明るさを忘れず人生を前向きに生きる人であた。年齢は、僕と同い年である。
ところで、その女房の叔父さんだが、50年以上も前なのだが東京に出てきて、しばらく女房の姉の歌子さんの家に世話になったことがあり、東京の親戚が集まり宴会を開いた。
10人以上が口の字に座り食事をしたが、なぜか、当時新参者である僕たち夫婦が、その叔父さんの両側に座らせられた。新参者が相手で良いのだろうかと思ったが、緊張しながら相手をした。しかし叔父さんは極めて気さくで、しかも、饒舌で満州での経験談を延々と話し続けた。であが、僕は過去には戦争少年であったことから、満州国に関心があったので、その話を興味深く聞けた。今、思い出すと、更に、満州のことを広く、細かく聞くべきだったと思うほどだ。
その会合の後、女房になぜ僕が叔父さんの相手をすることになったのかと聞くと、女房の言うには、叔父さんはいつも同じ話を繰り返すので、僕に叔父さんの相手させたのよ、とのたもうた。ふ~ん、興味深い話だったのに勿体ない、と思ったが、歌子さんや、その他の親戚は聞き飽きたか、満州のことに興味がなかったのであろうと思える。このことは、その後、ずっと忘れていた。
しかし、最近になり、自分が実に饒舌になったことを自覚して、ふとその事を思い出した。
僕は、もともとは、話のタネに困る口数が少ないタイプであった。ところが最近は、話し出すと口が止まらず饒舌な話を続けることに、実に、話を終えてからずっと後に自覚するようになった。後で考えると、相手が口を挟む暇がないほどに饒舌にしゃべっているので、恐らくは、相手は疲れて黙って聞いているのだろうと思える。
特に病気のこととか、海外旅行での経験とかになると、絶え間なく話しているようだが、自分としてはごく普通の会話だと思い込んでいるわけだ。

これは、極めて問題だと自覚せねばならない。自分を抑制する必要があるようだ。
別府の叔父さんの二の舞となってはならない。特に、歌子さんのように極めて頭の働きの早い人相手には、このような振る舞いをしてはならない、と考えている。