2025年7月8日火曜日

新しい危機が我が家を襲う

 本日、徳洲会千葉に受診に行った。奥方がCTを10:30に撮り、11:30から北里先生の診察だ。
女房は2019年末に大腸がんになった。地元の田中内科での大腸内内視鏡でがんが確認された。田中先生が徳洲会出身で、僕としては、地元の東京女子医科大学八千代治療センターが望ましかったが、田中先生の強い薦めで徳洲会にしたのだ。北里先生の手術は、20cmほどのS次腸部分を切除して成功したが、6か月後に肺への転移が見つかった。これを1年ほどの化学療法で抑えたが、化学療法での衰弱は実に激しいものがあった。認知症が急激に進んだのもこれが影響したのかも、と考えている。化学療法で腫瘍がしたが、やはり6ケ月ほどしてから4か所に再発した。僕が化学療法への嫌悪を示すと、先生は、手術を薦めた。それも4カ所同時の手術であった。手術した関根先生は腕が良く、4か所を同時に手術した。胸の左右から内視鏡を突っ込むッて手術だ。1週間ほどの入院後家に帰ったが、ほどなく、胸の痛みに苦しみだした。北里先生に相談すると、「私は消化器外科だから胸のことは判らない」とのことで関根先生の受診を薦めた。再び関根先生を受診すると、「肋間神経痛だろうが、どうしようもない。一応鎮痛剤を処方します」との言葉だった。確かに鎮痛剤はほぼ効果は無かった。
女房は特に夜間に激しく苦しみ、救急車を2度も呼んだが、病院に着くと収まるのだ。さらに夜になると、2階の寝室は嫌だとか、1階の和室も嫌だとか、何か取り付いたような言動も出だした。夜中に寝具を2階から1階へ、1階での移動とか、更に2階への移動とかで僕も疲れ切ってしまった。結局、風呂に入り体を温めると痛みが和らぐことに気付き、なんとか対処出来て、4か月ほどの苦しみの後に元に戻った。

手術後の痛みの後、3か月で再び再発となった。北里先生は、再度手術を薦めたが、今度は、関根先生が手術はしない方が良いとの言葉であった。そこで、北里先生は化学療法を再開するのが良いと勧めた。だが、その頃丁度、日経の夕刊に、がんと共に生きる、ってコラムで、老人には放射線治療がやさしい、との記事が掲載された。考えてみると、もう残された時間の少ない老人が、痛みや老衰を伴う外科手術や化学療法よりも、放射線被ばくはあっても、放射線治療の選択が良いと思えた。伝手のある放射線治療の萬先生を東京医療センターに見つけたので、早速、北里先生に紹介状を書いてもらった。なお、放射線治療の場所は心臓に近いと北里先生は渋ったのだが、なんとか診察紹介状を出してもらい、萬先生に相談した。萬先生は、「心臓への影響を考えると、線量を少なく設定することになる。そのため、数か月で再発する可能性がある」と指摘されたが、女房の残存寿命を考えれば、数か月でも抑えれば良いと頼み、9月末には放射線治療を終えた。全く副作用は出なかった。
それから、9か月ほどで、また再発した。先の放射線治療をした場所から、10cm程度、心臓から遠い方向の位置だった。北里先生は、放射線治療した場所に近くの場所に、再度放射線治療はできない、と手術か化学療法を選択すべきだと主張した。が、一応はと、萬先生に相談すると、心臓から外側に10cm程度も外れていれば大丈夫ですよ、と6月末には放射線治療を終えた。

ほっとして、予定されていたCTと北里先生の診察を7月8日に受けた。が、先生はCT画像を見るや、「もう診察も東京医療センターでやってもらいなさい。僕の反対を押し切ってするのだから、診察はできない」と言い、診察する代わりに、補助の女性に東京医療センターへの紹介状作成依頼書を書きなさいと言い、診療を打ち切った。
その先生の発言に、「先生は、治療の選択肢として、外科手術か化学療法を選択肢で示されましたが、放射線治療は示されなかったですね。それで僕は、新聞に、放射線治療は老人に優しいと書いていいたので、その方向に進んだのです。何故、放射線治療は選択肢外なのですか?」と聞くと、口ごもってから「線科が反対した」と答えた。「ここにも放射線科があるのですか」と問い直すと、あるっとだけ答えた。それ以上話すことも無いので診察室を出た。

先に書いた秘密の危機に加えて、かくなる危機が我が家を襲ったのだ。
なお本件について、僕としては他にどんな遣り方があったのだろう。両病院の両先生の間の連絡は、紹介状とか、手術結果報告とか、他に、両先生への個人的メールとかで、中継ぎは充分に果たした筈である。しかし、両病院の紹介状とか治療結果報告は、僕が読めない封書のまま両先生の間を往来しているから、そこは僕が認知できない領域だ。
ただ、北里先生が最後の診察初めに言った「紹介状に、放射線手術だけでなく、その後も見るようにと記載した」の言葉からすると、北里先生が女房の診察をやめる意図を明確にしていたようだ。だが、それに対して、萬先生がいかなる返事をしたか、それとも、無視したかは僕には知ることはできない。

結果から見て、この事態を防ぐには女房の治療を全く北里先生の方針に任せるしか方法は無かったことになる。その方法では、女房の残された寿命を、苦痛と衰弱で過ごさねばならないことになる。
まぁ、のんきな生活の代償として受け入れねばならない事態だろう。
それにしても僕に理解できないのは、北里先生の言動である。放射線治療なる彼の専門分野外で、新しい知見、知人を得れば、彼の将来に治療の幅が広がるのにと思う。我が家の婆さんの治療で争うなんて無駄ではないか。
どうも、徳洲会系の先生は、狭い世界で生きているらしい。

徳洲会文書係で、東京医療センターへの紹介状を手配したが、帰宅して萬先生と連絡を取ったところ、下記の返信が来た。

お世話になりました。
本日は、徳洲会北里先生の診察日で、単純CTも受けました。
しかし、その後の診察については、当日のCT画像を見て、先の腫瘍が縮小したことを確認はしたものの、
事実上の診察拒否でありました。

北里先生のおっしゃるには、
「先の腫瘍位置は、通常は放射線治療は危険で、そのような治療をするなら、診察できない。
従って、定期診察も含めて東京医療センターで遣ってほしい」
とのことです。その旨、先の紹介状にも記載したとのことです。
再度紹介状を出すので、その手続きを、とのご指示でした。

そこで対策ですが、下記をご検討ください。
① ②が不可であった場合の最悪のばあい、東京医療センターで、志水里美の定期診察も遣って戴けるのでしょうか。
  問題があるとすればいかなる問題で、解決の方法はありますか?
② 別案で、近場の 東京女子医大八千代医療センターにて定期診察及び放射線治療等を出来るか調べます。
勝手なのですが、先ずは②の可能性を進めるべく、先生の紹介状と、北里先生の紹介状を準備し、両方を持参して、八千代医療センターに相談に行きます。

以上を計画したく、ご相談のメールです。
御多忙中よろしくお願いします。
志水勇

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萬先生からの返信

どの治療もリスクはありますが、前回の定位照射は許容される良い適応であり、
放射線治療医としては、やる価値のある治療として選択肢にあげられます。
北里先生には選択肢として理解されず大変残念です。新しい照射技術の有効性は
まだまだ日本の一般医療者には情報が届いていないのが実情かと思われます。

女子医大の八千代医療センターの消化器内科が定期観察できるのが望ましいです。
放射線治療はおそらく治療が必要な場合のみ放射線科に紹介されると思います。
癌を見る場合、原発巣で担当科が決まり、手術や放射線治療は外科や放射線科に
紹介されるのが一般的です。肺転移でも定期観察は消化器科の担当が多いです。
肺転移か多発になり、呼吸不全になっても、化学療法や緩和療法は消化器科が
主体になることが多いものの、慣れていない場合、早めに緩和ケア科や在宅に
回すことが増えてきています。志水さんの場合、化学療法や放射線治療を
受ける可能性や希望がある当面、おそらく数年間は消化器内科担当で、ときに
呼吸器科の関与が出番になるのではないかと思われます。いずれ肝転移や
骨転移などがでてくる可能性もあり、呼吸器科だけでみることはないでしょう。

当院の場合、消化器内科は遠方の方を受け入れる余裕はありません。当院の場合、
腫瘍内科向きなのですが、一人体制なので長期定期観察は厳しいかもしれません。
私は今年度で定年退職になり、放射線治療科で長期間定期的に診察継続するのは
難しいと思います。1年程度なら、非常勤になれれば診れるかもしれませんが、
確約できない状況です。照射で対応できない状況になると地元の医療が主体に
なり、今のうちから地元の医療者と良い関係を築いておくことが後々大切です。

まずは女子医大の消化器科に北里先生からうまく紹介してもらってください。
ここで施行した照射の内容は紹介状として作成できますが、2回の小手術の
ような感じで、消化器科医には放射線治療済という一言で済まされてしまうと
思います。後日女子医大で放射線治療を行うことがあれば、重要な資料として
放射線科医にとって必要な内容を再度問い合わせして来ると思います。
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結局のところ、萬先生の言うように、「腫瘍内科の先生に日常をみてもらい、手術は大病院んで遣るって方法がベストのようだ。
NETで、八千代市腫瘍内科 で検索して該当する医院に連絡することにする。

ところで、北里先生は、放射線科で実績や評価の高い萬先生にいかなる非難の紹介状をおくったのだろうか?萬先生に頼んで見せてもらおう。

2025年7月4日金曜日

とても暑い..... 気力が上ったり下がったり

 とても暑い。それに大阪の民泊は、夏の暑い間は閉鎖しているから僕には特に為すべきこともない。かくして、女房の、がんの受診とハイパーサーミヤの受診、認知症の受診、それに、自分の生活習慣病の受診、それに先日に入歯が割れたので、その修理手配、それら以外には特別することもない。つまり、暑さにうだりながら、これらに対応するだけの怠惰な毎日だ。これでは駄目だと、目標を持って何かを為すことにした。
(なお、月曜日は、参議院選挙の期日前投票と、女房の介護度検定の手配に市役所に行く。介護施設で新しい人との交流も大切だと、認知症の医者が言うのだ。)
先ずは、夏も民泊を続けられるように、枚方の自分の部屋に、エヤコンを設置することにする。かくすれば、夏も女房を連れて大阪に滞在できるだろう。ただ、風呂を宿泊者と共用するのが欠点だ。枚方市駅駅前の快活クラブを利用することも考えよう。(畑に水やりに行くので中断・後に続く)
こんな風に暑さに翻弄されて無駄な時間を過ごすことに飽きてきた。もっと時間を有効に過ごすことにする。それに、解決すべき問題は億劫がることなく対処すべきだろう。
何をすべきか、順に書いて行こう。
ところで、僕が万博にイベントを計画するとすれば、先ずは、リサイクルの自動倉庫だろう。
横須賀に収めたと同様の自動倉庫だ。約2億円をかければ出来る。リサイクルごみは循環させれば良い。ごみはゴミ収集車の載せて、これを循環させれば、実稼働している施設をそのまま再現できる。汚れていない模擬ごみを使えば面白いだろう。それに汚れていなければ分別も遣りやすい。ごみ袋を破袋してごみ袋の中の、プラや袋を分別したりも出来る。それらのリサイクルを再現させれば更に1億必要かな、もう少し安くできるだろう。凄い迫力のある展示物だ。それも、横須賀で実現したシステムを世界にPR出来るのだ。
これだけではない。日本には思いもよらない色んなシステムがあり、殆どの人がその存在すら知らない。
今日はかなり頭がさえている。クーラーって大切だな。
実は我が家は実は危機下にある。別に金銭的には大したことではないが、ある危機下にある。だが、それについては書きたくない。
午後は、先ず、栗の木の剪定から始める。南側の木の剪定はほぼ終わり、しかも、剪定枝や葉を袋詰めした。そこで、東端にある栗の木の剪定が残り、それに並ぶ姫ゆずも剪定せねばならない。栗の木の後ろに土地が開いているが、剪定枝はそこに落として放置している。
借りている農園で、最近は、イチゴやタマネギの調子が悪い。特に玉ねぎは植付の70%が腐ってしまう。今日気付いたのだが、以前は剪定木を埋め込んでいたのだが、ここ2~3年は、栗の木の後ろに放置している。剪定木を畑に埋め込むことで排水効果と言うか、土壌の膨らみを維持していたのではないかと気づいた。今年は、出来るだけ埋めることにしようと思う。これは、とても重要な気付きと試みだ。

僕のゴキブリ対策

 夏になるとゴキブリがつぎつぎと出てくる。
我家では、僕がずっとごきぶり担当である。女が「キャー」と叫べば僕の出番となる。むかしはハエ叩きって適切な道具があったが今はその姿を見ることは無い。新聞紙を丸めるか平たく折ってそれで叩くかであった。一時期、女の一人が凍結噴霧器とかゴキブリ一発とかの噴霧器を買ってきた。それで倒すわけだが、実際に実に効果的であった。しかし、その効果は人間にも危険なのでは ないかという不安が常にあった。その噴霧器は既に噴出圧がなくなって御用済みになってしまった。そこで、薬屋に行くとかなり高価でもあったのでそれはやめて、新聞紙に戻った。あるとき、ゴキブリに付いている病原菌は手のひらに付いている程度と同じだとの記事を読んで、新聞紙をやめて手のひらでたたくことにした。新聞紙よりは確実となった。が、奴らはすばしっこくて効率50%以下であった。ただ、手のひらで叩いて、彼らの内臓が僕の掌についても平気となった。彼らは只の昆虫に過ぎないことが判ったわけだ。更に、奴らの潜む場所に留意すると、台所の料理台のシンクの横に、洗い物を乾かす金網籠があり、その下に水受けが有るが、その水受けと調理台の床との間に僅かに隙間があり、何故か夕刻以降には、より安全な場所から這い出してきて、そこに潜むことが奴らの習性であることに気付いた。そこで、毎夜遅くに台所に行き、潜んでいる奴等をそこから、長い定規で追い出し、出てきたところを、手のひらで叩くことで、殺傷効率は70%程度に揚がったと思えた。が、ある夜、一匹を追い出すと、シンクに逃げ込んだ。がシンクの四方は垂直の壁で囲われていて、なんと、ゴキブリはその壁を登るのが苦手なのだ。水を掛けると、なんと更に驚いたことに、ゴキブリは水には弱いらしく動きが鈍化した。更に排水口に落ち込んで排水口netの上でとろい動きで動き回っていた。そこでnetを外して丸めてごみ箱に入れてこれで完了となった。

要するに、シンクに追い込めば確率は100%近くで処理できると判ったわけだ。
かくして僕は、毎夜、ごきぶりを殺してすごしているわけだ。
それをお釈迦さんは許してくれるのだろうか。

2025年7月2日水曜日

相変わらず夢見が悪い

 一昨日の夢は、中くらいの広さの道路の左側を自転車で走っていて、突然、右側に移り、道路を直角に横切る河の堤防道に入る。その狭い堤防道を進むのだが、河と反対側には、懐かしい佇まいの建物と、河と反対側に続く路地が次々と現れる。堤防の上の道は、大きな古い家の前で途切れ、そこに入って行くと、池があり、その向こうにたくさんの本が棚に並んでいる。いつの間にか、池の上を越えて、本棚の前で本を読んでいる。と、家の入口、つまり、池の前に人が集まり、何か芝居の練習を始める。僕は家に帰ろうかと立ち上がり、足を動かすと、体が浮き上がり空を飛び、おう!凄いなと優美に足で空気を漕いで、来た道を帰って行く、で夢は終わった。

昨夜の夢は、これは良く見るタイプだが、皆が大学の教室で勉強していて、今日は試験日であると知る。ところが、僕は入学後3年間に本を開けてことが全くなく、そもそも教科書がどこにあるかも知らない。本を探さねばならないと考えるが、今から勉強しても試験に間に合わないと、思い悩み眼を覚ました。
だが現実に戻ったものの、大学ではほぼ勉強しなかったことは事実だ、ととても深い自責の念に襲われた。でも、会社の技術者業務で、大学で不勉強であったことでの失敗は全くなく、むしろ、新しい解析方法や、新しい設計、見積り手法を開発して、それを使って、思い存分に活躍したとの自負があり、この自負と、大学での不勉強の後悔が入り混じった不安な目覚めであった。目ざめ後の不安な気分は、大学、大学院の合計6年間を、もっと有効に使えた筈だとの後悔の念が強いのだと思う。それは取り返すことの出来ない日々と時間だからだ。

そんな後悔をしながらも、自動倉庫事業部を首になり、環境施設のリサイクル部門で頑張った時のことを思い出した。何故か僕の席の電話には、海外からの他事業部へとか環境施設への英語での電話がよくかかってきた。休日出勤した時にも、何故か僕の電話に、海外からの訪日者からの電話がかかってくるのだ。当時は、まだ耳も良く、英語も自由に話せる時期だから、それらの電話に困ることもなく、適切に対処できたのだが、ふと、なぜ僕の席の電話だろうと考えた。僕の席の電話は、内線であって、特に外線として登録された物ではないのだから、外国人が電話番号を知っている筈がないわけだ。と考えて、ああ、そうか、誰かが転送したんだ、と気づいた。外部に登録の電話番号は、課の事務担当の女性の電話なのだ。だから彼女は、英語の電話だと即、僕に転送したってことだ。休日でも転送が来るのは、他課の、僕の知らない課でも、僕に転送するようになっていたってことだ。
他の事業部の、例えば、サイクロ減速機事業部の減速機不調についてソ連からの電話を受取った時には、相手のファックスナンバーを聞き取り、正しい連絡先を調べて、これをファックスミリするって手間をかけたことさえあった。その時は忙しい最中であったのでせめてファックスの返信をしてほしいと、管理部に頼んだが、管理部部員は、”それを僕にせよと言うのですか?”と気弱く答えたので、結局僕が全てを処理するしかなかった。と、そんな事も思い出した。
それらを、つまり、海外からの電話を僕に回すようになっていたことに、今頃気付くとはと、”くそっ”と思った。

2025年6月24日火曜日

大阪万博について その2

  大阪万博について、ぼろくそに書いたが、見方を変えると、それは、ディズニランドやユニバーサルと同様に、万民受けするものと思われる。確かに、あの万里の長城にも匹敵する景観や、各パビリオンの外観、それに、展示品や展示物の派手さは、ほとんどの人々へのエンターテインメントとしては成功だと思う。その観点でも眺めねばならないだろう。つまり、僕がディズニランドやユニバーサルに行く気が生じないが、世の体制としては、多くの人々が好んで行こうとする代物だ。その観点からも眺めてみたい。

ところで、万博のテーマだが、下記となっている。

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2025年日本国際博覧会協会は、一人ひとりが互いの多様性を認め、「いのち輝く未来社会のデザイン」を実現するため、以下の8つのテーマ事業を設定することとした。

  • いのちを知る

    生命系全体の中にある私たちのいのちの在り方を確認する。

  • いのちを育む

    宇宙・海洋・大地に宿るあらゆるいのちのつながりを感じ、共に守り育てる。

  • いのちを守る

    危機に瀕し、人類は「分断」を経験する。「わたし」の中の「あなた」を認めるいとなみの行方に、多様ないのちが、それぞれに、護られてゆく未来を描く。

  • いのちをつむぐ

    自然と文化、人と人とを紡ぐ「食べる」という行為の価値を考え、日本の食文化の根幹にある「いただきます」という精神を発信する。

  • いのちを拡げる

    新たな科学技術で人や生物の機能や能力を拡張し、いのちを広げる可能性を探求する。

  • いのちを高める

    遊びや学び、スポーツや芸術を通して、生きる喜びや楽しさを感じ、ともにいのちを高めていく共創の場を創出する。

  • いのちを磨く

    自然と人工物、フィジカルとバーチャルの融和により、自然と調和する芸術の形を追求し、新たな未来の輝きを求める。

  • いのちを響き合わせる

    個性あるいのちといのちを響き合わせ、「共鳴するいのち」を共に体験する中で、一人ひとりが輝くことのできる世界の模式図を描く。

これらのテーマ事業から得られる体験は、人びとにいのちを考えるきっかけを与え、創造的な行動を促すものとなるに違いない。他者のため、地球のために、一人ひとりが少しの努力をすることをはじめる。その重なり合い、響きあいが、人を笑顔にし、ともに「いのち輝く未来社会をデザインすること」につながっていく。
世界の人びとと、「いのちの賛歌」を歌い上げ、大阪・関西万博を「いのち輝く未来をデザインする」場としたい。
これは、いのちを起点に、世界の人びとと未来を共創する挑戦にほかならない。
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とても難しい表現で、混乱するが、結局は、最後の3行に集約しているのだろう。でも、その3行も判りずらい。なぜ、こんなにわけの判らん表現にするするのだろうか?万博を楽しんだ人々も、こんなテーマに気付いた人は少ないだろう。
そんなテーマに拘ることなく、僕ならどんな展示にするかだが、恐らく、あらゆる産業の最先端の技術を、実稼働する姿で展示するだろうと思う。製造生産技術、搬送物流技術、焼却再生技術、これらを、そのまま再現するだけで、凄いものが出来上がりそうだ。一般の人々が知らない場所で、そんな凄い設備が稼働していることを知ってもらうだけで面白いと思う。
更には、NHKでやっていたような、遺伝子や細胞構造の探求とかの、最先端技術、宇宙の構造を探索する最新知識の表示とか、一般の人々が驚くような知識や知見が続々と起こっているのだ。これらを可視化するだけでも面白いと思う。
ところで、「命かがやく~」とか「命あふれる~」の標語だが、これは余りにも使い古された標語なのだ。僕が地元の谷津の保全に関わった30年以上前に、そのパンフレットに僕も投稿したが、「命かがやく谷津田の自然」って命題で投稿したし、同時期に、機械学会の搬送物流部門の幹事補佐として、例会や論文発表会の開催や司会を担当した時には、「進化する搬送・物流機械」を標語として、学会誌に掲載した。30年も経って、かなり使い古された標語をまた使うのか、と情けなく思えた。
思うに、頭の古い指導者たちが、大阪万博の運営を行ったに違いない。



2025年6月8日日曜日

米価格高騰について

 江戸時代の飢饉じゃあるまいし、世界で米は余っているのに日本だけは飢饉時の米価格高騰にあえいでいる。前農水相の江藤は、2年に亘って政府備蓄米の放出で、値段は下がる下がる、新米が出るので値段は下がる下がると言い続けてきたが、思わぬ失言で、恐らく、自分の巧妙な欺瞞がばれないことでの自信で、ひょいっと失言したのだろう、辞任に追い込まれ、その後の小泉進次郎の強硬策で、あっと言う間に放出政府米は半額になってしまった。江藤が政府米の放出を”競争入札”にしたので、”あれっ、値段を安くするのに競争入札なの?”と疑問に思い、しかも、入札結果価格の公表もなく、これは変だな、仕組まれているなと思っていたが、案の定、JAを係らせない仕組みにした途端に価格は半値になってしまった。この辺りの仕組みに2年に亘って気づかない、評論家やコメンテーターが、価格が下がらぬ理由その本筋を突かない議論や長時間の討論の間を縫って、小泉進次郎が見事に解決した手段に感服するが、更に考えを推し進めると、そもそも、食料自給率なる標語自体が、JAとその関連者の欺瞞に過ぎないと思える。食糧自給率改善と言いながら、休耕田をどんどん増やすのに、休耕田手当を出すなら、食料自給率はどんどんと下がるのは当然なのに、それが自給率改善の手段である筈がないだろうと気づくのだ。
要するに、日本ができるだけ世界に開かれた国家であるためには、得意な商品を世界に買ってもらい、競争力が弱い商品は世界から輸入するって、方法が当然と思える。それなのに、不得意な米なる商品だけは、ほぼ輸入禁止だなんてとても不可解なシステムで、要するにJAとJA系議員の策動と、農民の票田をえるための自民党の策謀の結果と思える。
我々一般人は、食料自由化を大きく叫ぶべきだろう。
ところで僕は、血糖値の関係で、米を出来るだけ食べないようにしている。ジャガイモとオートミールを主食にしているので、米の高騰にはほぼ関心がなくなった。が、しかし、全く食べないわけではないので、安く仕入れることには関心があり、先日は生協で見つけたアメリカ米2kgを購入し、アイリスオーヤマの抽選販売で、政府放出米4年度産(古古米かな)5kgを2,500円で購入した。

2025年5月24日土曜日

大阪万博に行った。

 5月21日に大阪万博の予約パビリオンは三菱未来館、長蛇の列を並ぶ飛び込みは、タイ、スペイン、韓国と、もう一か所に行き、23日は、日本館に行った。
朝10時を予約して、夢洲駅改札を出ると、もう既に、長蛇の列が、9時入場予約と、10時予約とに別けられて、しかも、各時間予約の人列の幅は、40m程度が、延々と並んでいた。
別に優先口なるものがあり、ここは、恐らく、外交官とか政府関係者とかマスコミとか、それに、身体障碍者用だろうと思われる。
大量の人の群れを積み込み為に、各時間列は、くねくねと蛇のように、曲がりくねって、言葉通り長蛇の列を作り、何度も何度も曲がり、行き戻りして徐々に入場口に近づいて行くわけだ。日本人は実に従順にこの奇妙な行列を見事に維持しながら徐々にゲートに近づいて行く。誰一人文句を言うでもなく、怒るでもなく、従順に、むしろ楽しむかのように暗黙のルールに従って、徐々に前進して行く。日本人って凄いなぁと感心する。
ゲートの最前部でバーコードを確認して、荷物と身体検査を受けて入場するわけだ。
さて、展示物だが、僕の思うに、どれもこれも、実にあほらしい内容で、記述する気にもならない。小学生低学年相手のイベントや展示と言って良いだろう。
それでも2回行ったのは、さすがに日本館なら、僕を感心させる展示があるだろうと思ったからだ。だが、日本館にしても阿保らしい展示だった。
結局、この万博は、建築屋さんが展示も含めてコントロールしたようで、余り展示そのものには関心がなかったようだ。(多分、僕がプランしたら、かなりの物が出来ただろう)
以上のような経過で、万博そのものよりは、日本人の善良なる性格と、周囲を思いやる優しさを感じたことの方が僕を感動させた。それは、神戸の震災や東北の震災での、日本人の行動に通じるようなものがあるのだろう。とても感動する代物だ。
それと、建築屋さん主体のプランだけに、全周囲を囲む木造建築は目を見張る規模と構造である。上に登ると、その規模の大きさに驚かされる。それも、壁の高さが場所によって異なるので、反対方向の壁が緩く高低差をもつことが展望できる、外壁の直径は2km近くあるのだろうか、壮大な建築物である。反対側の壁上を歩く人々の姿が点のように見え、その大きさに驚かされる。(実際には、外径650mらしい)この景観を見たとき、僕はドゥブロニクの城壁を歩いた時の景観を思い出した。 だが、ドゥブロニクの城壁は、外部からの防衛だが、万博の城壁のテーマは防衛であってはならないだろう。一体なにだったのか。調べる価値はありそうだ。
いずれにしても、大阪万博は、ゼネコンいわゆる土木建築屋さんに金が回るように作られているので、それに恐らくは、万博実現にゼネコン主体で誘致運動し、万博実現を果たしたゼネコンに報いる形で実施することで、世の中の進歩とは程遠い観点の構想に基づいて作られたと言えるだろう。これは大阪経済界の特徴と思える。