2025年12月4日木曜日

大阪に向かっている。

 極めて快晴だが、夢見は良くなかった。大学か大学院の試験が迫っているのに全く勉強をしていないっていつものパターンた。それも、いつもよりも酷い状況らしい。なぜか、亡くなった野田に電話しようと思うのだが、かっては空で覚えていた、電話番号が出てこなくて途方に暮れ続けているのだ。今回は、夢のなかで夢と気づくことなく、目覚めて直ぐに、今日は大阪に行く日だと気付き、完全に目覚めた。

大学でも大学院でも、勉強は余りしなかったが、教科書やノートまでも無くしたなんてことはない。

昨夜用意したタップ弁当を温めて、これはバス内で食べるので、オートミールを温めて食べ、水筒にお茶を詰め、バックパックに入れた。大阪出発へと家をでた。

2025年11月28日金曜日

心筋動脈に側副血行管ができている。

 丸山先生が心電検査結果を見て、エコー検査を予約した。心電検査とエコー検査の違いが解らないが、面倒だなあ、と思いながらうけた。女医でなかなか丁寧に見るんだなと思っていると、心筋の片側に側副血行路が出来ていると言われた。動脈が詰まって、これを補う別の血管が使われている、とのことである。
すぐさま、僕のペースメーカーを挿入した済生会の竹田先生の予約がとられ、11月28日に診察を受けた。その場では、確認のエコー検査と竹田先生の診察の予約がとられた。僕の都合があり、12月22日に検査となった。

2025年11月27日木曜日

昨日の悪夢、それに思い出したこと。それに、宅配価格と店頭価格の関係とか。

 最近は、朝6時に起きて、1時間の高速散歩をしている。高速と言っても、現役時代のスピードには及ぶべきもない。何故か、同じように歩いている筈なのに当時のスピードは出ないのだ。若い女の子にもしばしば追い抜かされる。
暑い頃には、とてもではないが、散歩何てできなかったが、市の検診で、肺のX線写真で、間質性肺炎だと言われて、これはいかんと急に朝の散歩を復活して、おかげで、鼠経ヘルニアを誘発してしまった。で、常にヘルニアバンドで抑えている。
ところで、昨夜の夢だが、内容を忘れたが、とても悲しい気分だったから悪夢であったことには間違いない。ところが、最近は夢の途中で、これは夢だと気づくようになり、あれれ、良かった良かったと、喜びながら目覚めるパターンになったようだ。昨日も同様で、起床時の気分は悪くはなかった。
ついでに思い出したのだが、以前の投稿で、チリの空中絵の観光で、セスナの運転手が僕を助手席に座らせて、わざと手荒い横転、急上昇、急下降したが、期待に反して、僕は大喜びであったと書いた。また、米国で、ミスターラーセンって、現地の副社長が、我々、応札メンバーをセスナ機で上空からサイトを見せるべく、自ら操縦した時にも、急上昇、急下降して怖がらせたが、僕は大喜びで、がっかりとさせたこともあった。なお、その時には他のメンバーは青い顔でよろよろと機から下りていた。そのことを思い出してはっと気づいたのだが、慶良間諸島にクジラウオッチングで行った時に、僕達夫婦が沖縄本島からの大型連絡船を降りると、見学させる民泊の船長や、一緒にクジラウオッチングする数人も待ち構えていて、その場で、雨具兼用の登山着に着替えさせて、小さな操船室とホロ付き後部座席付の小型船に乗せた。僕達夫婦は、てっきり後部座席だと思っていたが、操船席の後部に、操船席より少し高い監視塔のような席に登って座れと言う。他の笠井智一人たちはホロ付きの後部座席だ。恐らく、見遠しは悪いに違いない。船長に、何故この席に座ってよいのですか?と遠慮して尋ねると、御老人だから、と言う。へえ~ありがたい、と思ったが、港を出ると、大型連絡船では全く感じなかったのだが、かなりの波あって、小型船は大揺れになった。しかし、クジラ発見や観察には最高の日となった。この件も、我々への、船長の親切かと思い続けていたが、どうやら、船長は僕達が気分を悪くするかと期待していたに違いないと気づいた。それも、何年前のことかとも思った。
それにしても、飛行機や船を操縦する、小型機や小型船の船長たちって、意地悪な人が多いのだなと思えた。
ところで余談だが、我が家は生協の週1回の宅配を利用している。

本日、配達後、恒例である注文数との数量チェックを行ったが、バナナ550gX2組(258円x2組)が1組しか配達されなかった。電話して請求額を落としてもらうことにした。しかし、バナナを毎日1本使うことになっているので不足分を要する。幸い、しばらく前に届いていた、コープ店での1日だけ5%割引券があったので、浴後に散歩を兼ねて買い物に行った。なんと、600gのバナナが155円で売っていた。しかも5%引きになる。経験的には、生鮮食品、特にバナナは店頭価格もかなり変動するから一概には言えないが、やはり、宅配は人手を食うことから高くなるのだろうか。
今後は、店での販売価格と宅配価格を十分に比較検証することにする。

2025年11月17日月曜日

トイレットペーパーの値段と血圧その他について

 またまた投稿をさぼったので、いろんなことを、脈絡なく書こうと思う。
トイレットペーパーだが、最近気づいたが、一巻の長さがいろいろあるので、その値段の比較は、一巻当たりではなく、パッケージ当たりでもなく、1パックの一巻当たり長さXパック内の巻数の価格で比較すべきだと気づいた、例えば、今日買ったマツキヨのシングル巻では、一巻長さ150mx4巻=600mが、273円であった。つまり、0.45円/mとなる。
生協のを見ると、0.55円/m(600m換算で331円)とか0.694円/m(600m換算で417円)、0.659円/mとかがある。1巻当たりの長さや、1パック当たりの巻数がいろいろなので、注意深く調べねばならない。
ただ、拭き心地とかの要素もあるが、今、僕の場合はウオッシュレットで洗い流した後の、水ふき取りに使うだけだから、上記の要素で良いだろうと思う。
従って、僕の場合は、税込み0.5円/mを目標とする。
ただ、マツキヨのペーパーに問題はないかも調べる必要があるだろう。
寝起きの血圧だが、10月末頃から、見事に140を超え始め稀には150になった。1時間のウオーキングをすると、130以下に下がる。夕刻の血圧は、その間2~3日だけが130を超えただけなので心配はなさそうだ。
原因は、いろんなケースを考えたがやはり、睡眠時の酸素不足のせいだろうと思う。次回の定期診察で、丸山先生に、毒マスクのような空気供給機を使いたいと相談しよう。

睡眠誘導剤を、デエビゴ5mgに替えてから、夜中に3度ほどトイレに行くものの、比較的良く眠れる。が、相変わらず悪夢を見る。それも、デエビゴを飲み始めてからは、極めて具体的だが、ありえない写実的な夢なのだ。しかも、カラー付きが多い。昨日のは、写実的なビルの中で働いていて、それも若い人の部下として働いていて、会社が他社に買収されて、全員が首切りになると通告される。ところが僕はすぐに、買収した会社に再雇用される。そこの事務所に行き、そのオフイスに案内されて座ると、なんと、そこから向かいのビルの僕の働いていた場所が見えるのだ。そうして、以前の若い上司達が、道路を挟んだ窓から僕を眺めているのだ。そこで目覚めて、とても気分が悪かったが、実際の人生で、かようなことは無く、夢の出来事のように人を裏切るようなことはしていない。でも、寝起きて、血圧を測り、ウオーキングに出てからもずっと気分が悪かった。余りに写実的で、単なる夢だと割切れないのだ。


2025年10月22日水曜日

今日、突然、血圧が高くなった。

 今日は寝起きが5時半で、血圧を測ると、145/80もあった。心を落ちつかせてから測定しても同様だ。早速、雨の中を傘をさして高速散歩に向かい、一時間後に帰って測定すると、
125/75で落ち着いた。
この血圧の上がった理由を考えると、下記の可能性が考えられる。

1.昨日の上野公園で、昼食でcaffeのオムライスを食べたが、ソースが旨く、平らげてしま
  った。恐らく塩分を相当に含んでいたと思う。更に、夕食で、出来合いのおでんを美味            しく食べたが、練り物ばかりで、共に塩分が多かった。
2. 夜が想定以上に寒く、布団が不十分であった。寒さを感じながら眠ってしまった。
3. 寒かったので、布団に潜り込んだことで、酸素不足が生じたのではないかと思う。
4. 一昨日はココアを飲み過ぎたようで、夜中の頻尿が激しかったので、昨日はほぼ飲まなか  
  った。このため、排尿が少なく、塩分が輩出されなかったのかも。

これらを潰して結果を調べる。先ずは塩分制限を強め、ココアを少なめに摂取し、夜は掛け布団や電熱敷毛布、それに、ヒーターで部屋を暖めてみる。

結果は上々と言えるだろう。
それにしても、これからは、毎朝1時間も早歩きして、夜は体を温めながら寝るとか、生活上の制限というか、面倒なことが多い。




2025年10月21日火曜日

頭が冴えてきたので東京散歩、上野公園の西洋美術館と動物園

 急激に寒さが増して頭が冴えてきた。今日は、曇り空で強烈な陽光もない。年寄りが散歩を楽しむのには申し分ない気候となった。若い時は青空が好ましかったが、今は、歳のせいか、それとも、温暖化のせいか、曇り空の方が好ましいのだ。10月なのに、上にスエットを着て出掛けた。手袋を着けたいくらいの気候で、実に、清々しい。
東葉線を勝田台へと戻り、そこから、京成を経て上野に向かった。僕達夫婦は、共に障碍者手帳を持ち、70歳を越える老齢者である。交通費はふたりで一人前で、上野の色んな施設も無料の最強のコンビである。更に、交通費は東葉線で日本橋に行き上野へと向かえば、580円+300円=880円、で、東葉線で勝田台に戻り京成で上野に向かえば、220円+420円=640円だから、当然、後者を選び、上野へと行ったのだ。
上野で、西郷像を見て上野公園に入り西洋美術館を訪れた。最強のコンビだから当然無料だ。
実は、しばしば上野公園を訪れたが上野西洋美術館は初めてなのだ。今回驚いたのは、他の美術館と違い、西洋画が年代順に見られることだ。そのため、西洋画の進歩の在り方が一見で理解できることだ。ただ、僕の審美眼では、印象派までの絵画は理解が出来るが、それ以後の絵画は理解が難しい。それと、ゴッホの絵がなかったことが寂しかった。更に、メトロポリタン美術館を仕事の合間に行ったことがあるのだが、そこでもまた、西洋絵画が年代順に並んでいて、そこで初めて西洋絵画の進歩の在り方を理解したのだが、そこにはゴッホの絵が多く並んでいて、しかも、西洋美術館よりも多くの絵画が、画家の最盛期の作品が多く、もっと印象的だった記憶がある。それはともかく、久しぶりに絵画を見る喜びを得た。
昼食は、西洋美術館のレストランのは少々高過ぎると思われ、そこを出て、JR上野の上野公園口近くのcaffeに入ると、オムライスが1000円で、250円でコーヒーも飲めた。しかい、次回はコンビニで弁当を買うことも選択肢としよう。
西洋美術館の後は、国立博物館を予定していたが、動物園前を通り、突然に心変わりをして、動物たちを見ることに下。
かくして、実に楽しく本日を過ごして家に帰った。国立博物館や、科学博物館も近じか訪れることにする。しかし、明日は、畑の茄子とピーマンを整理せねばならない。


2025年10月19日日曜日

晩秋が一気に衰えた事、僕の健康にも赤色信号がともったこと、それに、詐欺電話もどきや無言電話や、母親への思いなど。

 もともと、関東は暑さ寒さの変化が激しく、冬の後の心地よい春や、夏の後の心地よい秋の期間が関西に比べてとても短い。昨年くらいから、その傾向がいよいよ激しくなったようだ。つまり、暑い夏が長く、あっという間に、春から夏へ、夏から晩秋に変わるようだ。ナスやピーマンは暑い夏が好きで、最近まで


実に多くの実をつけていたが、ここ2~3日で衰えが激しくなり、あっという間にもう、整理すべき時となった。
気候の変化はまだしも、僕の血液検査の結果もあっと言う間に悪くなったようだ。血糖値や腎臓機能数値が、境界値ぎりぎりになり、特に血圧が、秋には130近くで冬季には更に上がる。寝起きの血圧が特に高い。そこで、今年は冬に備えて、寝起きから1時間ほどの高速散歩を続けている。
実は、夏の間は、暑くてその高速散歩をサボっていたのだが、先日の市の検診で、間質性肺炎が疑われ、八千代市医療センターでのCT撮影で確定してしまった。要するに肺機能の衰えだろうと、一気に、高速散歩を再開した。高速散歩を1時間したが、特に体力の衰えは感じなかったと言うか、さらに元気になったと思えた。が、余りに急激に再開したせいで、左側の鼠径部が鼠径ヘルニアを発症した。そんなわけで、高血圧症候、血糖値及び腎臓病予備軍、更に、鼠経ヘルニア・間質性肺炎と、一気に、いろんな病を抱えてしまった。なお、CT検査結果の画像診断には、陳旧性肉芽腫を疑うとか、肝内石灰化、食道裂孔ヘルニア、大腸の便塊貯留等と、聞きなれない文字が並んでいる。このCT検査の結果については、まるやま内科の先生と話し合う。
その中で、間質性肺炎は要するに老化ってことだろうと諦め、出来るだけ運動に励み大きく呼吸をして、血糖値、腎臓機能については、運動と食事ってことで対応する以外に方法はなさそうだ。今後の暑い夏にも運動できるような態勢を作らないと駄目なようだ。健康センターに行くのは金がかかるし、プール歩きは、背骨が弱くなるようだし、要するに、暑くなる時間前に歩くことだろう。
鼠経ヘルニアについては、手術以外に直す方法が無いらしいが、手術が嫌なので、当分は、ヘルニアバンドで対応し、運動の結果の経過を見る積もりだ。
先週は、そんなことがあってドタバタしたので、昨日の電話でしくじってしまった。
以前は、常に留守電モードにしていたのだが、忙しさに紛れて通常モードにしていた。電話が鳴り、受話器を挙げると、「郵便物の誤配のご連絡です。ダイヤル1を押して下さい」と来た。いつもなら、無視して切ってしまうのだが、その時は、amazonからの品物(鼠経ヘルニアバンド)の到着が遅れているので、つい、ダイヤル1を押した。すると、若い女性の声で、「福岡局です」と来た。余りに遠い局なので、驚いて、更に応答を続けてしまった。恐らく、遠い局を示すことで、相手の思考力を萎えさすことが目的なのだろう。「川上由紀子さんあての郵便物のことです」と言われて、川上由紀子さんってなんとなく知り合いにいたなぁ、などと思ってしまった。その後、巧妙に誘導されて、何と、自分の住所、氏名、年齢、固定電話番号を教えてしまった。女性は、「調べて連絡します」と言って電話を切ったのだが、今になっても連絡はない。詐欺に間違いないだろう。でもまあ、次に、どんな手でくるのか楽しみにするしかない。

更に、続いて電話があり、福岡局の女性からの電話かと取ってしまったが、今度は無言電話であった。
それも、こちらの様子を窺う不気味で長い無言電話だ。
実は、かなり以前にも同様の固定電話が、2~3か月に一回程度は掛かってきていたのだが、それが下の兄からだろうと想像をここに書いたら、かかってこなくなったのだ。
下の兄は、パソコンが得意でなく、しかも僕に不義理を働いたので、僕の様子をみるべく無言電話で僕の生死、健康状態の確認に無言電話するのだろうと、書いたのだが、それからは、掛かってこなくなった。
恐らく、同様に僕に不義理を働いた甥が、彼はパソコンやスマホが得意の筈だから、しかも、二人はほぼ共謀して不義理を働いた仲間同士で、その甥が下の兄貴に無言電話はよせっと注意したのだろうと推測する。それで、二人とも、僕のブログを監視している筈だと思う。ところが、かなり長期にわたり、僕のブログの記載が途絶えたので、二人のいずれかが無言電話で僕の様子を探ったものと思う。
かように不気味な電話が2度もつづいたので、早速、固定電話は留守電モードとした。

今日届いた鼠経ヘルニアパッドは700円だったが、とても調子が良い。
それに、健康に関しての追記としては、眼科医から、ほぼ脅迫に近い言い方で、白内障手術をするようにと言われている。

ところで、父母からの遺産としては、僕は、父母の金銭は全く相続されず、ほぼ全てを姉が相続というか、使い切ったとの主張し、残った不動産だけを、それも、動産は使い切ったと主張する姉と、下の兄と僕との1/3で受取った。で、不動産業者との取引打ち合わせで、姉の代理で甥が出席して、なんと驚くべきことに、甥は、姉の相続分の1/3を自分の口座に入金させたのだ。父母の遺産相続は必ずや税務署が注視していて、適法に処理していた僕にさえも厳しい対応だったから、その後はどうなったか、興味があるところだが、それは僕の知るところではない。
母親が、老後、東京に出てきて、僕と姉とで交互に面倒見るようにしたのだが、母親は僕の家を気に入り、主に僕の家に同居するようになった。その頃、母親は、資産は姉に管理するよう任せた、と言っていたので、当時、姉を信じていた僕は、姉が兄弟の為にも管理していると思っていた。母親の面倒を見るだけでなく母親の同居に掛かる全ての費用も僕が負担していた。ところが、かなり後になって、母親の何気ない言葉から、母親は姉の家族の前で、「全財産を姉に譲る」と言ったであろうことが判ったのだ。それを僕には、管理を姉に任せた、と言い方を変えたわけだ。
しかもその頃、姉もまた、「預かった母親の遺産も殆どなくなったのよ」等と言いだした。
僕が愛した母親は、僕を見捨てたにも拘わらず、なぜ、僕の家を好むのかと、僕はとても衝撃を受けたのだ。思い出すのもつらい思い出だ。

その後の人生経験から、姉や甥とか次兄と、僕の人格の違いと言うのは、持って生まれた品性の違いで、どうしようもないものだと思うのだ。いずれが正しいとか言うものでもないのだろう。母親は、姉宅での同居時に、それに気づき、我が家への滞在を望んだのであろう。だが、ぼくとしては、 父親が死ぬまで面倒を見て全く報われることが無かったことに加えて、母親を看取っても報われないことで、それ以上は、女房に無意味な負担を掛けることは出来なかった。とても悲しかった。

追記 そう言えば、思い出した。母親と別れてから、一度無言電話があった。相手の言葉は無いが、居間から電話しているらしく、無言の電話の向こうでTVの音がしていた。暫く無言とTVの音を聞いてから、電話を切ったが、相当後になり、ふと、その電話は母親の無言電話だったのだな、と気づいた。何故人は無言電話をするのだろうか?言いたいことを言えばいいのに、と思った。母親も、その時に考えていることを言えば、それなりの手を打ったのにと、心残りが今でもある。
https://isabon.blogspot.com/2013/02/blog-post_27.html

ところで、不思議なのだが、僕の両親は余り人を疑わない善良な性格なのだが、僕の兄弟姉妹は極めて利己的で自分勝手なのだ。特に金への拘りが強い。それに、僕は明らかに常に善良、正直であろうとする性格だ。更に、僕の女房の家族は、僕の知る範囲の殆どが、同様に善良である。この性格の差は、先天的なのか後天的なのか、どうだろう。
それと、僕の兄弟たちの不実さは、後から考えると実に幼稚なのだ。僕が彼等を信用していることで見落とした不実さなのだ。一方、歌子義姉の旦那星さんの義弟であった川崎さんの不実さは、実に周到なものだった。例えば、星さんが亡くなり、結果、歌子さんを施設に預けなければならない状況で、施設を選ぶときに、彼が施設を探すと言って、我が家から出来るだけ遠い施設を選ぶとか、星さんの病院でも、我が家から出来るだけ遠く、しかし彼の自宅からは近い方向の場所を選ぶとか、後になってから、なるほどそうかと気づくような手段を弄したのだ。たださすがに、彼の推奨した歌子さんの施設は余りに遠く、しかも、不便な場所なので、これは断り、自分でケアマネージャーに相談すると、川崎さんの弁明とは違い、簡単に、両家の真ん中辺りに見つかり、そこに預けたことで、我が女房が容易にケアーできるようになった。また、歌子さんの認知症が急激に悪化したことで、しかも、星さんは入院中で、二人についての手続きは成人管理人が必要となり、その手続きに2週間ほど忙殺されている間に、僕ら夫婦への中傷をしたらしく、裁判所から成人後見人の認可が出たにも拘わらず、成人後見人を辞退する状態になってしまった。かように、綿密に悪意の行為をする人間も居るわけだ。
それら諸々を考えると、恐らく、人の心は、生まれた時は白紙なのだが、人格が形成されるまでの間の経験が、その人間を作り上げるのだろうと思う。

なお、星さんから示された当時の歌子さんの資産は2千万円にも届かず、星さんの資産も同程度であった。だから、星さんが亡くなっても、認知症を患う歌子さんの終末迄の生活費には先ず大丈夫だろうとの判断で、成年後見人の手続きを進め、無事に裁判所から歌子さんの世話をする僕の女房、つまり、歌子さんの妹を成年後見人と認定された。だが、それを星さんに報告すると、辞退してくれと言われた。裁判所は、既に認定したのだから、成年後見人の業務を始めれば良いとアドバイスしてくれたが、そこまでしたくないと、裁判所の推薦する弁護士を成年後見人としてもらった。同時に、裁判所は、日常の世話をする者として、我が女房を、生活上の成年後見人と設定した。
星さんが亡くなってから、隠し資産がぼろぼろと出てきた。その時には、川崎氏とは既に喧嘩別れしており、もしそれらの隠し資産が当初から明らかになっていれば、星さん側の遺族とも、より平和的な協議・解決の手段があったのにと思う 。ただ、星さんは川崎氏の勧めで夫婦相互遺言書で、星さんの遺書だけを解消して星さんの資産を彼の親族に譲るとの遺言書をさくせいしたので、星さんの親族も遺産を貰っていた。その配分も歌子さんの弁護士が入手したが、川崎氏が半分以上をもらっていたようだ。
また、星さんと歌子さんの、死後、相互に相手の資産の全てを受取るとの遺書の存在を知ったものの、通常は、その後、生き残った方が死んだときの対処についての追記遺書がある筈で、しかもその追記は、妻が残された場合の遺産も全て、男の父母・兄弟に遺贈されるのが常らしい。しかし、その追記は僕達夫婦には公開されないので、歌子さんの最後を見届けた後、資産の全てが星さんの父母、兄弟姉妹に相続される可能性が大きかった。つまり、我が家が歌子さんを看取り、得られるものは、看取ったとの満足感だけとの可能性が大きかった。その時点では、既に川崎氏とは絶縁状態となっていた。結果は、その注記は存在せず、歌子さんの遺産は、歌子さんの兄弟姉妹に公正に分配され(と言うか僕が分配した)、我が家の相続分は、女房の病気治療費に多いに役立っている。