2025年7月8日火曜日

新しい危機が我が家を襲う

 本日、徳洲会千葉に受診に行った。奥方がCTを10:30に撮り、11:30から北里先生の診察だ。
女房は2019年末に大腸がんになった。地元の田中内科での大腸内内視鏡でがんが確認された。田中先生が徳洲会出身で、僕としては、地元の東京女子医科大学八千代治療センターが望ましかったが、田中先生の強い薦めで徳洲会にしたのだ。北里先生の手術は、20cmほどのS次腸部分を切除して成功したが、6か月後に肺への転移が見つかった。これを1年ほどの化学療法で抑えたが、化学療法での衰弱は実に激しいものがあった。認知症が急激に進んだのもこれが影響したのかも、と考えている。化学療法で腫瘍がしたが、やはり6ケ月ほどしてから4か所に再発した。僕が化学療法への嫌悪を示すと、先生は、手術を薦めた。それも4カ所同時の手術であった。手術した関根先生は腕が良く、4か所を同時に手術した。胸の左右から内視鏡を突っ込むッて手術だ。1週間ほどの入院後家に帰ったが、ほどなく、胸の痛みに苦しみだした。北里先生に相談すると、「私は消化器外科だから胸のことは判らない」とのことで関根先生の受診を薦めた。再び関根先生を受診すると、「肋間神経痛だろうが、どうしようもない。一応鎮痛剤を処方します」との言葉だった。確かに鎮痛剤はほぼ効果は無かった。
女房は特に夜間に激しく苦しみ、救急車を2度も呼んだが、病院に着くと収まるのだ。さらに夜になると、2階の寝室は嫌だとか、1階の和室も嫌だとか、何か取り付いたような言動も出だした。夜中に寝具を2階から1階へ、1階での移動とか、更に2階への移動とかで僕も疲れ切ってしまった。結局、風呂に入り体を温めると痛みが和らぐことに気付き、なんとか対処出来て、4か月ほどの苦しみの後に元に戻った。

手術後の痛みの後、3か月で再び再発となった。北里先生は、再度手術を薦めたが、今度は、関根先生が手術はしない方が良いとの言葉であった。そこで、北里先生は化学療法を再開するのが良いと勧めた。だが、その頃丁度、日経の夕刊に、がんと共に生きる、ってコラムで、老人には放射線治療がやさしい、との記事が掲載された。考えてみると、もう残された時間の少ない老人が、痛みや老衰を伴う外科手術や化学療法よりも、放射線被ばくはあっても、放射線治療の選択が良いと思えた。伝手のある放射線治療の萬先生を東京医療センターに見つけたので、早速、北里先生に紹介状を書いてもらった。なお、放射線治療の場所は心臓に近いと北里先生は渋ったのだが、なんとか診察紹介状を出してもらい、萬先生に相談した。萬先生は、「心臓への影響を考えると、線量を少なく設定することになる。そのため、数か月で再発する可能性がある」と指摘されたが、女房の残存寿命を考えれば、数か月でも抑えれば良いと頼み、9月末には放射線治療を終えた。全く副作用は出なかった。
それから、9か月ほどで、また再発した。先の放射線治療をした場所から、10cm程度、心臓から遠い方向の位置だった。北里先生は、放射線治療した場所に近くの場所に、再度放射線治療はできない、と手術か化学療法を選択すべきだと主張した。が、一応はと、萬先生に相談すると、心臓から外側に10cm程度も外れていれば大丈夫ですよ、と6月末には放射線治療を終えた。

ほっとして、予定されていたCTと北里先生の診察を7月8日に受けた。が、先生はCT画像を見るや、「もう診察も東京医療センターでやってもらいなさい。僕の反対を押し切ってするのだから、診察はできない」と言い、診察する代わりに、補助の女性に東京医療センターへの紹介状作成依頼書を書きなさいと言い、診療を打ち切った。
その先生の発言に、「先生は、治療の選択肢として、外科手術か化学療法を選択肢で示されましたが、放射線治療は示されなかったですね。それで僕は、新聞に、放射線治療は老人に優しいと書いていいたので、その方向に進んだのです。何故、放射線治療は選択肢外なのですか?」と聞くと、口ごもってから「線科が反対した」と答えた。「ここにも放射線科があるのですか」と問い直すと、あるっとだけ答えた。それ以上話すことも無いので診察室を出た。

先に書いた秘密の危機に加えて、かくなる危機が我が家を襲ったのだ。
なお本件について、僕としては他にどんな遣り方があったのだろう。両病院の両先生の間の連絡は、紹介状とか、手術結果報告とか、他に、両先生への個人的メールとかで、中継ぎは充分に果たした筈である。しかし、両病院の紹介状とか治療結果報告は、僕が読めない封書のまま両先生の間を往来しているから、そこは僕が認知できない領域だ。
ただ、北里先生が最後の診察初めに言った「紹介状に、放射線手術だけでなく、その後も見るようにと記載した」の言葉からすると、北里先生が女房の診察をやめる意図を明確にしていたようだ。だが、それに対して、萬先生がいかなる返事をしたか、それとも、無視したかは僕には知ることはできない。

結果から見て、この事態を防ぐには女房の治療を全く北里先生の方針に任せるしか方法は無かったことになる。その方法では、女房の残された寿命を、苦痛と衰弱で過ごさねばならないことになる。
まぁ、のんきな生活の代償として受け入れねばならない事態だろう。
それにしても僕に理解できないのは、北里先生の言動である。放射線治療なる彼の専門分野外で、新しい知見、知人を得れば、彼の将来に治療の幅が広がるのにと思う。我が家の婆さんの治療で争うなんて無駄ではないか。
どうも、徳洲会系の先生は、狭い世界で生きているらしい。

徳洲会文書係で、東京医療センターへの紹介状を手配したが、帰宅して萬先生と連絡を取ったところ、下記の返信が来た。

お世話になりました。
本日は、徳洲会北里先生の診察日で、単純CTも受けました。
しかし、その後の診察については、当日のCT画像を見て、先の腫瘍が縮小したことを確認はしたものの、
事実上の診察拒否でありました。

北里先生のおっしゃるには、
「先の腫瘍位置は、通常は放射線治療は危険で、そのような治療をするなら、診察できない。
従って、定期診察も含めて東京医療センターで遣ってほしい」
とのことです。その旨、先の紹介状にも記載したとのことです。
再度紹介状を出すので、その手続きを、とのご指示でした。

そこで対策ですが、下記をご検討ください。
① ②が不可であった場合の最悪のばあい、東京医療センターで、志水里美の定期診察も遣って戴けるのでしょうか。
  問題があるとすればいかなる問題で、解決の方法はありますか?
② 別案で、近場の 東京女子医大八千代医療センターにて定期診察及び放射線治療等を出来るか調べます。
勝手なのですが、先ずは②の可能性を進めるべく、先生の紹介状と、北里先生の紹介状を準備し、両方を持参して、八千代医療センターに相談に行きます。

以上を計画したく、ご相談のメールです。
御多忙中よろしくお願いします。
志水勇

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萬先生からの返信

どの治療もリスクはありますが、前回の定位照射は許容される良い適応であり、
放射線治療医としては、やる価値のある治療として選択肢にあげられます。
北里先生には選択肢として理解されず大変残念です。新しい照射技術の有効性は
まだまだ日本の一般医療者には情報が届いていないのが実情かと思われます。

女子医大の八千代医療センターの消化器内科が定期観察できるのが望ましいです。
放射線治療はおそらく治療が必要な場合のみ放射線科に紹介されると思います。
癌を見る場合、原発巣で担当科が決まり、手術や放射線治療は外科や放射線科に
紹介されるのが一般的です。肺転移でも定期観察は消化器科の担当が多いです。
肺転移か多発になり、呼吸不全になっても、化学療法や緩和療法は消化器科が
主体になることが多いものの、慣れていない場合、早めに緩和ケア科や在宅に
回すことが増えてきています。志水さんの場合、化学療法や放射線治療を
受ける可能性や希望がある当面、おそらく数年間は消化器内科担当で、ときに
呼吸器科の関与が出番になるのではないかと思われます。いずれ肝転移や
骨転移などがでてくる可能性もあり、呼吸器科だけでみることはないでしょう。

当院の場合、消化器内科は遠方の方を受け入れる余裕はありません。当院の場合、
腫瘍内科向きなのですが、一人体制なので長期定期観察は厳しいかもしれません。
私は今年度で定年退職になり、放射線治療科で長期間定期的に診察継続するのは
難しいと思います。1年程度なら、非常勤になれれば診れるかもしれませんが、
確約できない状況です。照射で対応できない状況になると地元の医療が主体に
なり、今のうちから地元の医療者と良い関係を築いておくことが後々大切です。

まずは女子医大の消化器科に北里先生からうまく紹介してもらってください。
ここで施行した照射の内容は紹介状として作成できますが、2回の小手術の
ような感じで、消化器科医には放射線治療済という一言で済まされてしまうと
思います。後日女子医大で放射線治療を行うことがあれば、重要な資料として
放射線科医にとって必要な内容を再度問い合わせして来ると思います。
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結局のところ、萬先生の言うように、「腫瘍内科の先生に日常をみてもらい、手術は大病院んで遣るって方法がベストのようだ。
NETで、八千代市腫瘍内科 で検索して該当する医院に連絡することにする。

ところで、北里先生は、放射線科で実績や評価の高い萬先生にいかなる非難の紹介状をおくったのだろうか?萬先生に頼んで見せてもらおう。

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