2025年9月12日金曜日

ハム人、セム人の宗教について

 前にも記載したが、フエニキア人について詳しく書かれているのはグレン・E・マーコフの著書でフェニキア人なる本である。但し、それには新旧2巻があり、新刊の方はその発行期間の間に資料が増えたのか、実に詳しくなっている。詳しすぎて、旧巻の方が読みやすい。それは別として、その本によると、元々、セム人・ハム人の宗教は多神教であった。しかし、ローマや東洋の多神教とは違い、生贄、それも、幼児や若者を生贄にする厳しいものであったようだ。だが、エジプトの、黄金の仮面で有名なツタンカーメンの父、アクエンアテン(アテン神の使徒)が、力を持ちすぎたアモン教の神官たちを抑えるために、太陽神アテンを唯一の神とするアテン教を始めた。しかし、王の死後、神官が力を取り戻し、王の子を、ツタンクアモン(アモンにそっくりな者)と名前を変えさせた。それが、ツタンカーメンの由来である。それらは紀元前1,400年頃である。その以前の紀元前18世紀頃のヒクソスとしてエジプトに侵入し、その後、エジプト人の反撃で奴隷とされていた、セム人の、特にイスラエル人が、恐らく、団結のための宗教として、太陽神アモンについての知識に触れて、ヤハウエを神とする一神教なるユダヤ教を作った。その一群をモーゼが率いて、カナン地域に戻りユダヤ教を信じるユダヤ人の集団となった。それが、今のイスラエルの地になるわけだ。そして、旧約聖書は、洪水伝説とか、ピラミッドやバビロンの巨大建設物についての伝説を織り込みながら、長い時代に亘り、編纂されていったのだろう。なお、ユダヤ人の国家はイスラエル王国やユダ王国が結成されたのは、紀元前1000年頃で、紀元前700年ごろには、バビロンのアッシリア王により亡んでいる。その際、ユダヤ人は、多くはアッシリアに連れて行かれ、残りは、イエルサレム周辺に住み、時には戻ってきた同胞と共に、エルサレム近郊にユダヤ人の都市国家を形成していた。しかし、紀元後70年頃にローマに滅ぼされ、ユダヤ人の多くが放浪民となった。なお、ローマ統治時代に、キリストがユダヤ教に愛の心を持ち込み、キリスト教が成立したわけだ。その後、シナイ半島のセム系の砂漠の民の中でマホメッドが、ヤハウエを神とするマホメット教を創生する。

なお、ユダヤ人の歴史(鶴見作)が有るらしいので調べてみる。

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