米国トランプ大統領は、米国式民主主義の欠陥を巧妙に利用して地位を得た大統領である。米国国民の殆どは無知で粗野で、キリスト教、つまり神の存在と天国と地獄を信じる民衆で、かって利己的で暴虐であった十字軍の正義を、疑うことなく信じる民衆である。かっては、この無知さを開明しながら発展してきた米国で、逆に、その無知さを良しと扇動することでトランプは権力を得たわけだ。そこには何ら崇高な精神はない。ただ、無知な民衆を煽ることが彼の得意技である。
実は、かような人物、つまり崇高な精神はなく、ただ、自身の護身だけを目的として愚かな大衆を扇動する小賢しい男がトップに立てる体制であることが米国式民主主義の重大な欠点なのだ。その結果がどうなるかは、実は、紀元前の民主主義ポリスのアテネの栄枯盛衰で、明確にみられるのだ。驚くべきことに、紀元前のペロポネソス戦争の記録が、トゥーキゥデースによって詳細に記録されていて、民主主義の欠点、衆愚により選ばれたトップが、衆愚をあおり、わけのわからん戦争に導き、結果、当時の世界最強国であったアテネが、30年程度で没落する経過が示されているのだ。アテネはスパルタを中心とするペレポネソス連合と、デロス連盟の代表として係争中であり、スパルタが和平提案をしてきたにも拘わらず、扇動的先導者に煽られて市民議会は戦争継続のみならず、シチリアとの戦いに突入して凄まじい敗北を喫するのだ。
トランプと当時のアテナとには明らかな違いはある。トランプは戦争よりは商売で、民衆を煽っていて、彼が好きな外国は、ロシア、北朝鮮、中国などのギャング国家で、その理由は、彼にもギャング気質があり、ギャング国家の方が利害で操りやすいと考えていることだろう。アテネとは明らかな違いがあるが、民主主義国家群のリーダーとしては、彼は認めてもらうことも期待しておらず、それに、どこからも認められず、どのような過程であるかは不明ながら、いずれは破綻にいたるしかないだろう。しかし、どのような過程で破綻になるかは、政治の専門家に任せたい。
トランプは、性格的にギャング国家を好んでいる。その国家のボスと話すだけで、その国家をコントロールできるからだ。欧州どころか世界中で右翼、つまり、ギャングの親玉たちが勢力を伸ばしているが、そのような勢力はお互いに連携してギャング国家を成り立たせる。そこでは、一般大衆は搾取の対象以外の何物でもないが、それを知らない大衆は、そんな国家の成立を助けている。いつかそんな大衆化、若しくは子供たちはギャング国家にひどい扱いを受けることになるが、それに気づかずギャングたちに協力しているわけだ。
トランプは、円安を非難していたが、恐らく、ドル高の方が米国には有利だと気づいたようだ。それでそれに代わる案を検討したのだが、関税を25%にすれば、少なくとも輸入に関する点では、ドル高にするのと、つまり、ドル価値を25%低下させられると考えたようだ。これに対抗するには、日本としては、米国製品への税を25%とすることだろう。
その税を米国輸出企業に還付すればよいっわけだ。
2025年2月18日火曜日
米国トランプ大統領の恐ろしさ
2025年2月9日日曜日
イザベラ・バードの日本紀行を読んでいる。ついでのビデオデッキについて。
先に書いたように、機会が有ればイザベラ・バードの東北の旅を歩きたいと思っている。
イザベラ・バードの旅を歩くって本を買ってあるが、今日は図書館から原本の翻訳書、時岡敬子訳を借りてきた。
巻頭に船で日本に着いた時のことを記載しているが、野島崎から江戸湾を北上中に、彼女が海岸から陸を眺めていると、甲板の人々が富士山だ、富士山だと騒ぎだしたので、彼女が陸の方向を見回したが山の姿が見えなかった、との記述があった。そこを読んで僕は思わず、「上を見ろよ、上を見ろ」と思ってしまった。
かって、女房の加島一族の兄弟姉妹と共に、伊豆半島を巡った際に、実は同様の経験をしたのだ。チャーターした小型バスが、伊豆半島の西岸で停車して全員が降車した時に、運転手さんが、今日は富士山がきれいですね、と言ったので、彼方を眺めたのだが、富士山の姿はなかった。戸惑いながら、どこですか?どこですか?と聞くと。上の方を指さすので見上げると見事な富士山が、そこにあった。
イザベラ・バードの旅行記のその部分を読み、上を見ろよ、と呟きながら、次の文章を読むと、やはり彼女は上を見上げて見事な富士山に驚いていた。しかも、同時に富士山の見事な姿が記述されていた。やっぱり、と思うと同時に、彼女の見事な記述に感動した。
感動しながら、そう言えば、東海道高速バスで富士山の麓を良く走る機会が有るのだが、伊豆半島からだともっと遠くに見える筈なのに、伊豆半島からの場合には、なぜあれほど高く見えるのだろうかとも不思議に思えた。
イザベラ・バードの凄い点は、、苦しい旅の最中でも、日本の地誌それに庶民の文化、民衆の生活、それに、文化施設、医療施設等の見学とかを深く探ろうとする点です。山間の道を歩み、地元の人が行けないと言う道でも、恐れることなく進み、地元の人が船では無理だと言う川筋でも船を出す等と、僕の旅行ではとても出来ないような知的にも体力的にも貪欲な旅を続け通した気力と実行力には驚嘆します。更に、その度の経緯を細かく記録していることに更に驚いてしまいます。
イザベラは東北への出発の前に、通訳兼執事として日本人を数人面接して、最も優秀そうな人物よりも、何となく伊藤鶴吉当時18歳(数えだから満17歳!)を選んでしまう。結局はベストな選択であったのだが、旅行中ずっと彼の行動を怪しんでいたようである。しかし、お金の台帳をきちんと記載していたのだから、大谷祥平に対する水原被告よりは遥かに遥かにせこい宿代金の店主との共謀ごまかしを疑っていたようだ。しかし、伊藤鶴吉の有能さは認めているようであった。そもそも海外に行かずあの時代に、英語ネイティブの英語を聞き取り喋れるなんてかなり優秀な男であったろうと思う。しかも、旅の途上でもイザベラの英語を常に記帳して修学に努めているのだ。
なお、彼女に言わせると、日本人は鶴吉を含めてみんな不細工な連中だとのことだ。
とにかく、イザベラは、5月20日に東京を出発して、馬や荷車、籠に乗って8月20日に北海道西岸の苫小牧あたりまで行き、函館に戻り船で横浜に9月17日に帰還する。ほぼ4か月に及ぶ旅である。
彼女は、春日部(粕壁)を経由して日光に入り金谷旅館に泊まり、その後、鬼怒川の小佐越えを経て藤原、高原を経由して鬼怒川の上流に向かう。今の会津鬼怒川線に沿って登って行ったわけだ。宿は蚤だらけで眠れないらしい。
鬼怒川の上流大川に沿って東北に向かい、谷間の美しい盆地を越えた五十里でほっとしたらしい。ここまで、6日間掛ったらしい。この辺りから阿賀川に沿って西に向かい新潟に至るわけだ。途中で阿賀川を離れ、五十里から西に坂を上がり車峠に至る。糸沢を過ぎ、川島の最悪の宿にとまる。ここでは貧困は更に激しく、眼病、皮膚病が蔓延してすさまじい有様らしい。余程貧しい地方だったようだ。日本人の容貌についての手厳しい記述も続いている。
これを書いている最中に、TVの画面が凍結したりちらちらし始めた。女房が安物TVが悪いとか電気屋さんを呼べとかうるさくなったので、ここの書き込みを中断してTV修復に向かう。
我が奥さんは、商店の出身なので、電気の事は電気屋さん、との古き日本の商店街体質が身についていて、電気の事は電気屋さん、水回りの事は配管屋さんなどとの習性が身についていて、専門でない領域を犯すと他人の生活をおびやかすと思い込んでいるのだ。それはそれで事実なのだが、僕の様に可能な限り自分でやろうとするのが、社会的構成上望ましくないと思いこんでいて、故障が出て僕が自分で直そうとするとうるさく怒鳴るわけだ。だが、今更電気屋さんでもあるまいと僕は頑張るわけだ。
先ずはアンテナ系統を調べようとすると、その年で屋根に登るなんて駄目だ!と女房はどなるのだが、我が家のアンテナは僕が自分で備えたベランダアンテナだ。そのことも理解していないので、それは無視して2階に行きベランダでアンテナの様子を見たが異常はない。再びリビングに戻り、ビデオ経由のアンテナ・受信ラインを外して、TVに直接つなぐと正常になった。再び、ビデオ経由に戻して、ビデオ電源をおとすと正常に受信した。要するにビデオが損傷したってことだと決まった。ビデオ表示部はwaitって文字が点滅している。ビデオ電源を切っても、TV受信はビデオ経由で正常だ。ビデオのリセットスイッチを押してもビデオは復帰しない。要するにビデオの取替が必要そうだ。
NETで現在のDXアンテナ社のDXBS320を調べると、既に生産終了していてamazonでは12、800円となっている。
https://www.amazon.co.jp/DX%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%8A-320GB-2%E3%83%81%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%83%BC-%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%AC%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%80%E3%83%BC-DXBS320/dp/B004E35M5C
新品か中古かは不明だ。どうするかと考えている間に、別にデスクへの書き込み読み取りは不要ではないかと考えた。要するに、TV記憶と再生だけでいいんじゃないかと考えた。で調べると、それはいわゆるTV外付けHDDレコーダーと称するものらしい。DXBS320の容量は、320GBだが、今は2TB程度が普通になっている。そこで、昨年に買換えた安物TVのASTEX社の薄っぺらい取説を読むと、なんとこの安物TVでもハードディクスとのUSBハードディスクとの接続および操作方法が記載されている。つまり、外付けのハードディスクを取付ければTV側で操作できるわけだ。驚いたものだ。恐らく、外付けのハードディスクにデスクの読み取り装置が有れば、DVDでも読み取りできる筈だが、もうDVDを読み取る必要も機会も無いだろうと、最安値のUSBハードディスクで安いのを探すことにする。若しくは、既設のDXBS320の超安いのを予備として備えるかだが、実は、テープを読み取れる古いビデオデッキを必要になることもあるかと備えているのだが、全く使う機会もなく置かれているだけなので、考え物だ。話はそれるが、それと同様に、年代物の古いパソコンも置いてあるが、もう整理しても良いかもだ。
ところで、古いビデオデッキが再使用できないかとも考えたが、それにはハードディスクが装着されていない。ビデオテープに録画できるだけだから、駄目だ。
USBハードディスクで容量2TBだと、7000円代である。さて、既設の中古といずれにするかだが、既設だが容量が320Gと小さいので、これはやめよう。それに、容量オーバーとなってフリーズした可能性もある。まず既設をラインから外して回復できないか調べる。
話をもとに戻して、イザベラは、新潟県三条市田島で馬を変える。阿賀野川流域からかなり離れた五十嵐川流域に移っている。これは調べる必要がある。
実は、16信で再び福島県の猪苗代湖とか阿賀野川に話が戻っている。車峠の話も出てくる。第15信をもっと調べる必要がありそうだ。
第16信では、先ず若松盆地に入る。猪苗代湖の傍を通り、巨大なけやきの傍を通り、高田に至る。高田には1マイルの道路が通っているらしい。確かにグーグルマップを見ると高田の街には長い道路が通っている。ストリートビウで見ると実に延々と軒が並んでい居るのだ。恐らく、今の時代では寂れた町なんだろう。でも一度行きたいものだ。当時も寂れた町だと書いているが、彼女の休憩した宿の周囲には1000人ものやじ馬が集まったらしい。
彼女が休憩後出発する時にも、1000人がぞろぞろとついてきたが、極めて静かな野次馬達だったらしい。
ただ下駄を履いているので、下駄の音が雹の降る音のようで煩かったらしい。湿気が多く疲れる旅のようで、現在の只見線に沿って北上して坂下にぐったりと着いたようです。
彼女は、マラリアに罹ることを極端に恐れていて、田園部を歩くことを極端に恐れている。そのために、出来るだけ高地を歩こうとするため、道なき道を歩くような旅となっている。そのため、旅程の速度が遅くなっていることが窺える。しかし、日本ではマラリアを恐れる必要はなかった筈だ。
ところで、我が奥さんは、小岩牧場のヨーグルトに執着している。ひと容器で300円程度と他社に比べてとても高い。有名で安いヨーグルトに変えようとすると罵倒されるので、それは辞めた。が、購入に関しては安い時に買うようにと僕が同行する。近辺に、カスミ、マルエツ、ヤオコー、生協の4っつのスーパーがあり、徒歩30分の散歩範囲にイトーヨーカドーがある。イトーヨーカドーでは同商品を土、日に200円程度で売っていたが、何故か、安売りをやめたので、行くのをやめた。で、4か所のスーパーを順繰りに巡ることにした。それで判ったのだが、4か所の内の一か所は、200円に安売りすることがあり、それが、順番に変わるのだ。仕入れが元売り業者によって順番にコントロールされているらしい。なお、カスミとマルエツは株の優待券によって、1000円を超える買い物については100円券を得られるので、4個買うとすれば一個当たり25円の値引きがある。これを配慮しながら、ヨーグルト買いの巡礼を続けている。
ところで、他社に比べてかなり高いヨーグルトを買い続けているのは誰だろう??
2月25日になり、イトーヨーカド内のダイソーに行ったついでに、ヨーカドーの食品売り場を見てみたら、なんと、小岩井のヨーグルトが198円であった。久しぶりの安値なんで、冷蔵庫に3個ほど残しているが、2個買い足した。ヤオコーに対して2個で50円儲けたわけだ。
再び話を元に戻そう。
第十五話の表題が「車峠にて」と書かれているので、同話に書かれている峠を車峠と解釈したのだが、実際には車峠は第十六話に出てくるのだ。従って、第十五話内に出てくる地名は福島県と新潟県との境近くの車峠の手前なので、全て福島県内として検索すべきなのだ。つまり、五十里→横川→峠→糸沢→川島→田島→荒海川(大きな川で船で渡る)
)→山王峠→大内→オヤケ湖(小さな噴火口)イチカワ(市野)峠→市川→若松平野→高田(長い町並み)→製紙場見学→坂下(人口5000の商業都市だが、低湿地帯にありみじめだとか。マラリアが蔓延しているらしい。→阿賀野川(立派な船を繋いだ橋)→会津連山を見渡せる道→野沢→野尻村(上野尻)→車峠の手前の宿で泊まる。以上で漸く車峠に至るのだ。
なお、以上の地名は、頭に福島県と付けてGoogleMapで検索すれば、全てが表示される。
ところでビデオデッキの事だが、外付けUSBハードディスク2T TV録画 で検索すると、
amazon では5000円程度からある。しかし、評価書き込みが不安になるのも多く、決心がつかない。ポイントのあるヨドバシ・ドット・コムで調べると、12,000円程度でこれは信頼できそうだ。他方TVの方だが、これは昨年3月に既設TVが突然映らなくなって、ソニー製と間違えて29,800円で購入した”WISAS-32SR(ハイビジョン液晶TV)ASTEX製”(いったい何処の国の製品なんだよ?)の薄っぺらい取説を見ると、USBハードディクスとの接続で録画できるとなっている。でも実際には、PC映像入力、PC音声入力、HDM1,HDM2,HDM3,ビデオ入力、音声右、音声左 と側面に地上Dアンテナ線入力、USB録画用入力、ヘッドフォン出力、SPDIF端子(デジタルオーディオ機器接続)となっているから、ほぼ全てに対応できるようになっている。つまり、USBの場合は、TV側リモートで入力を確認操作するようになるので、TV取説に詳しく説明している。USB経由で無ければ、ハードディスク側で操作することになるのだろう。ハードディスク側ではUSB方式の方が安い筈だと思える。でも実際にはUSB方式が一般的になっている。また、500GBに容量を落とすと7000円台となっている。
なお、中国のamazonTEMUだと、500BTVで3000円未満だがちょっと怖い。amazonで4,000円程度だ。これを優先的に検討する。
イザベラは、車峠から難渋して津川に至る。確かに山中の旅で、今では49号線のトンネルが出来ている。阿賀野川に沿ってゆく方が楽だったと思うが、低地が嫌だったのだろう。但し、山越えで行っても結局は阿賀野川の下流に至り、阿賀野川に沿った津山に至るわけだ。津山は、阿賀野川と南から北上してきた常浪川の合流地点dだ。ここは既に新潟県に入っている。ここから新潟までは船旅となった。今も船に乗れるらしい。
https://niigata-kankou.or.jp/blog/1055
イザベラの旅のルートを地図で探っている間に気づいたが、新潟市と言えば信濃川と考えていたが、阿賀野川と信濃川の河口は数キロしか離れていない。しかも、河口自体は阿賀野川の方が大きいのだ。驚くべきことに気付いた。
ところで、故障したDXBS320レコーダーの替えとしてのTVの外付けHDDの事だが、FFF社の製品が安くて評価も高いようだ。
https://item.rakuten.co.jp/b-surprise2/4589969401739/
https://www.amazon.co.jp/MARSHAL-%E5%A4%96%E4%BB%98%E3%81%91HDD-%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%B9%E3%82%AF-%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%96%E3%83%AB-MAL21000EX3-BK-2ND-AZ/dp/B0BWR26STH/ref=cm_cr_arp_d_product_top?ie=UTF8&th=1
楽天にはポイントがあるので、ポイントを使えるが、録画の必要があるのだろうか、とも考えている。しかし、多数のCDに貯めている写真を一括で保管することも考えられる。急いで買うこともあるまい。調べると、今のパソコンでフォーマットする方法もあるらしい、これも試してみる。
イザベラは新潟に一週間程度とどまり、精力的に街歩きをしている。その観察記録では、町がみすぼらしいと言うが、街のすじすじに多くの店が、特に一つの筋では同じ品物を売る店が多数ある有様、その様な店舗群があらゆる商品を売るさまを示している。その有様は、恐らく、僕が中学校頃の大阪の栄えた商店群に劣るどころか、それに勝る栄え方のようである、今の商店群が衰えた時代にはない活気があったと思える。
そこから彼女は、低地を避けて東北張横の高地群を行くと記して出発した。
USBレコーダーを楽天で購入手配してから、現在の安物TVの取説を調べたら、少なくともそのTVでは、レコーダーでの裏番組録画は勿論、複数番組の録画も無理らしい。壊れた東芝のレコーダーはやはり優れものであったらしい。改めてそのレコーダーに感謝の気持ちを感じた。それはそれとして、購入したレコーダーで何が出来るかが焦点となった。
ところで彼女は、津川から阿賀野川を下って来たのだが、その事は全く記載せず、新潟市を離れるに際して、突然、運河から信濃川の本流に出て市を離れると記載している。
とにかく、信濃川から新川を遡り、氾濫した阿賀野川と必死で格闘し、加治川に入り、木崎に到着する。その後、築地、笠柳、真野、真理と進むが、新潟への進路では、村々をぼろくそに言っていたが、これらの村々では、こぎれいだと記述している。上記地名の場所はっきり確定できない。築地→かなり大きい町から中条へ、それから 並木道、それに更に長い谷間を通って黒川(胎内市らしい)へと行く。宿では米は無くキュウリで腹を満たす。
続いて、関、川口と、荒川に沿って酷い道を上ってゆく。途中の村々は惨めで哀れな人々だらけだが、物乞いは絶対にやらない自立した人々である。黒沢、沼、二井、鷹ノ巣、榎の大峠、大里峠をよろめきながら昇り降りして小国の町に着く。(小国町は、山形県の南西部にある人口約6千人の町。 面積が山形県内で2番目に大きい自治体。 冬季においては、日本海側からの季節風の影響で中心部でも積雪が2mを超えることがある。中でも、沼沢地区では日本有数の豪雪地帯として知られる。また、平野歩夢選手が幼いころスノーボードの練習をした横根スキー場がある。)
更に山に入り、黒沢で、沼の近くの宿はマラリアが怖くて、路上の石の上で休む。悲惨な人々が周囲に群がる。険しい朴の木峠(小国町は既に山形県で、朴の木峠は新潟県と山形県の境界、で著者は逆にかいている。記述を誤ったようだ。朴の木峠は今はハイキングコース)次いで市野々に至る。(ルート上には市野々は見当たらないが、小国町の近くに「旧市野々墓地」がある。若しくは、小国町から北東に黒沢峠を越えると市野々がある。そこから東に向かう道に、桜川があり、その上に白子神社があるので、この道を越えて手ノ子に着く)桜峠、白子沢を経て、峠を越えて手ノ子の村に着く。手ノ子から宇津ノ峠を越えると松原(宇津の峠は不明))宇津の峠から米沢盆地が一望できる。(実際には手ノ子から東の峠からは米沢盆地や南陽市(赤川温泉)を一望はできないと思う。更に先の峠からだろう)
手ノ子から松原(蝦夷と間違われる)を経て美しい小松に入る。ここらあたりから彼女は美しい村々を楽しんだようだ。生活レベルもましになったらしい。小松では大名用宿にもとまっている。米沢平野は、北が赤沢温泉、南は米沢の町があって栄えた平野だと述べているが、彼女のルートは、米沢市よりも北の赤湯温泉に西側から進んでいる。
つまり、手ノ子から、7号線に沿って、ほぼ真東に、小松から津久茂へと向かっているのだ。小松から順不同で、吉田、洲島、黒川、高山、高滝の村々を通り、最上川を船で渡り、暫く行くと、津久茂を過ぎると、それと直角に、赤湯温泉に至る幅7.6mもの道路があり、更に先に立派な上山温泉があり、そこで初めて若くて美人な女性を見た。更に進み、結局広い道路を三日たびしたところで、立派な橋が架かっていた。橋建設の現場にいた、技師の奥野忠蔵に挨拶して橋の説明やら茶菓をご馳走になった。
常盤橋(山形市の手前、国鉄蔵王駅から北、須川に掛かっていた橋)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%B8%E7%9B%A4%E6%A9%8B_(%E5%B1%B1%E5%BD%A2%E7%9C%8C)
更に北に進んで山形市に入る。途上の村々は養蚕と絹糸生産で裕福になり恵まれている。
楽天市場のポイントを使い残額約2000円をクレジットカードで支払って、5,600円ほどで下記を買った。
https://item.rakuten.co.jp/b-surprise2/4589969401739/
翌々日には宅配され、本日TVに取り付けた。我が家のAStexの安物TVは箱に書かれている適応機種ではないが、TV側がHDDを無事に認識し録画も出来た。しかし、裏番組も出来ないし、多重番組録画も出来ないし、これはHDD側の能力不足だらTVのせいではないだろう。どうしても、裏番組録画や多重録画が欲しければ、それなりの金額になるだろうから、別途様子を見ながら考える。
ところで、実際に使ってみると、まぁまぁ使える。複数録画が使えないだけって感じかな。
そのため、予約時間になって別の番組を見ていると、自動的に画面が変わり、「録画を中止しますか」出る。つまり、録画番組しか見られないって欠点がある。
まぁまぁ安くて優秀、操作簡単。良い買い物だった。 ただ、毎週予約とかウイークデイ予約とかは出来なくて、個別の予約だけなのが面倒だ。
山形市は道路は整備されていて、公用建物も整備されている。紡績工場が建設稼働されるなど、近代化が進んでいる。剛腕三島県令の為せる業だろう。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%B3%B6%E9%80%9A%E5%BA%B8
山形市の盆地は細長く北に延びていて、イザベラは、立派な道路を北へと進み、天童、土生田、尾花沢に至る。立派な道路は、盆地の終了地、人口5000人ほどのみすぼらしい村新庄でで終わる。なお建築様式は木材ではなくて切り藁を混ぜた壁となっているが、きちんとした造りだ。そこからはまた、険しい道となり、次の盆地が金山である。彼女はそこで毒虫に刺され激しい痛みで医者にかかった。金山からは険しい道を北に、主寝、雄勝峠を越えて、院内に至り、雄勝川沿いに人口7000人の湯沢、10000人の横手に至る。横手で神社を見学してそこで描いたスケッチが掲載されていて、横手で訪問した神社ではなくて、鳥居とはいかなるものかを示すために添付されたのだろう。
横手を出て、雄物川を渡り人口6000人の六郷に着いたとあるが、今の六郷は船を渡ることなく行ける。雄物川の川筋が変わった可能性がある。神社や寺は素晴らしいが家々はみすぼらしい。六郷では、警察の好意で裕福な人の葬儀を見学できた。未亡人はとても美しい人で美しく化粧をしていた。
そこで田市久保田の病院の医師に会う。秋田市に着いてから訪問する。今の秋田県立病院機構であるようだ。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%B3%B6%E9%80%9A%E5%BA%B8
https://blog.goo.ne.jp/hosakasatosi/e/ea6eea3f64e9edc3a88b1846134d1906
神宮寺に至り、土地の人に船での旅を提案するが、誰にでも反対された。しかし、無理やり船を出しそこから雄物川を下る。途中、新屋を経由して9時間で、秋田市の久保田郊外に到着する。そこから支流に入り、細い川を遡り久保田に到着する。今でも雄物川から秋田運河が、今の県立病院機構近くまで続いている。久保田は人口36,000の魅力的な街であった。
秋田市久保田に暫く泊まり、結婚式とか祭りとかも見学してから久保田を出発した。まだ干拓前の広々した八郎潟の横、鹿渡で八郎潟のことを記載している。虻川なる寂れた村で宿泊。(虻川と鹿渡は場所が南北逆のようだ)
背骨が痛み雨が続く泥の道を進む。
豊岡(現在鹿渡から北にこの地名の場所はない)から檜山へと進む。檜山は士族の立派な家々の村だ。そこから米代川付近の飛根に向かう。山腹の道を行くと、氾濫した米代川を眺める。坂を東に下り切石に至る。川は400m近くに氾濫していた。しかし、たまたまそこを渡る小船を見掛け、必死に呼び寄せて乗船し、小繋まで4kmを4時間も掛りたどり着いた。流れの酷さは、たまたま前を行っていた屋形船は流れに負け逆に流されて、木に衝突して乗客は水流に巻込まれるような有様の中であった。これでは冒険の域を超えて、必死の旅ではないかと驚いた。
小繁の宿では、学校の無い事情から、宿の主が場所を提供して村人たちが金を出し合い先生を雇い、子供たちに教育を施す等を目撃して感動する。雨と洪水の中を出発して旅を続ける。その困難の中でも、村々の様子を記述して、どこでも変わらぬ美しさに感嘆しながら旅を続ける。早口川、岩瀬川、持田川(これらは東西に流れる米代川に北から流れ込む支流である)の増水した泡立つ流れを渡り、米代川の3本の激流の支流を、100人ほどの日本人が見物するなかを渡り、川口(大館市西端)と称される美しい村を過ぎ、人口8000人余りの大舘と称されるみすぼらしい町に泊まる。青森へは、ここで米代川と別れ北に向かい登ってゆゆく)。大舘を出る時は、久方ぶりの好天で、太陽に照らされた大舘と周辺は素晴らしい景観となる。それまでの降雨のせいで、路は荒れ早瀬が出来ていて旅は難航して白沢に着く。
北へと、雨であれた道を北へと登り、矢立峠に至る。そこには7km程度は立派な道路が出来ていた。そこから再び凄まじい豪雨が始まり、路そのものが崩壊するほどの豪雨となった。
道を下り、漸く碇が関に至る。洪水はいよいよ激しくなり、橋は流され、そこに足止めとなる。そこでの滞在で、貧しい村人の家族がよりそう生活に感動する。いろり囲み、家族団らんに溶け込み、感動の日を送る。
碇が関から黒石へと下り、津軽平野の景観に感動する。僕も、バスで十和田湖から津軽平野に下る経験が有るが、その景観は日本離れした美しいものであった。彼女が道は違うが同じ経験をしたことに感動を感じる。
黒石に至り、道路網が破壊されたことで数日を泊まり(中村旅館)、人々の貧しく貧相な容貌や惨めさに関わらず、人々の純朴でお互いを尊敬する言動、家族・友人たちを敬い愛する人々に感動する。恐らくは困難な旅を成し遂げたとの開放感からも、それらの感情がほとばしったのに違いない。それどころか、キリスト教の教えや、キリスト教徒の、旅の途上の素朴な人々と比較しての違いを感じて、キリスト教がどれほどのものかと疑問すら記載している。
青森に着いて直ぐに船に乗り函館へと向かう。
下巻では、旅と言うよりは、蝦夷の人々についてを主眼に記述し、船で横浜に帰還し、更に、関西へと船出し、関西観光後東京に戻り、故国へと帰る。
これも参考になるだろう。
https://kai-hokkaido.com/archives/feature_vol46_bird1/
ただ、金坂さんは、他の翻訳者のことを批判している(特に高梨訳本)が、的外れな論点にもなっているようだ。翻訳者とは、あくまで著者が書いた通りに訳することが基本だと思う。その誤りを指摘するのは、翻訳者の仕事とは言えない。
イザベラ・バードの日本紀行 上 時岡敬子訳
イザベラ・バードの日本紀行 下 同上
イザベラ・バードを鉄道で行く 芦原伸
イザベラ・バードの旅{日本奥地紀行を読む)
イザベラ・バードの東北紀行 会津・置賜編(日本奥地紀行を歩く)
とにかく、金坂清則著の完訳日本奥地紀行。も読んでみる
そもそも、イザベラバードの原本には、原本と簡略本があり、高梨健吉が1973年に簡略版を翻訳した。(どうやら、関西への旅行記は含んでいないようだ)。
高梨 健吉(たかなし けんきち、1919年(大正8年)11月24日 - 2010年(平成22年)3月20日)は、日本の英語学者。慶應義塾大学名誉教授[1] が
次いで、時岡敬子 が原本を2008年に翻訳した。僕の読んだのは、時岡敬子の日本紀行上巻下巻である。
金坂清則は、2012年に、完訳 日本奥地紀行(全4巻)を発刊した。他の翻訳者は、英語専攻であり、金坂は、人文地理学者だから、翻訳本の半分は注記である。注記の中で、高梨版・時岡判への批判が厳しい。
2025年2月6日木曜日
血圧、血糖値、腎臓機能が心配
血圧が高めだ。特に寝起きが高い。どうやら、無呼吸症候群らしく、血液内酸素が極端に低下して、寝起きにそれを回復しようと血圧が高くなるのだ。義弟の東さんは、例の防毒マスクのような空気圧を上げる装着を付けて就眠している。僕は其の装置を選ばずに、5時45分に起床して、田沼意次が干拓しようとした印旛沼に繋がる新川の堤防まで2km近くを一心不乱に歩いている。その結果、例えば今夕のまだエヤコンで加温しておらず空気が冷え切った中で炬燵の中に座って血圧を測ると、1回目137/79 2回目134/77 とまぁまぁの結果である。なお、昨年10月18日に、朝散歩せずに病院に行った時には、2回目も137代で、先生はちょっと高いなと呟きながら頭を傾げた。更に、先生は腎臓の機能を示すクレアチンが1.15と悪化しているので多いに心配な様子で、塩の摂取を減らすようにとアドバイスされた。更に、血糖値4HbA1c が6.4と高いことも同時に指摘された。どうも、塩も糖分も取りすぎらしい。
食生活を大いに反省して、朝の散歩に加えて、食事制限をすることにした。
最近は、冷凍食品を使うことが多くなったので、女房が生協の宅配注文をするに際して、一緒に生協のカタログを見ながら塩分の少ない物を選ぶようにした。カタログにはほぼ全ての食品の塩分量が記載されていて、思いもしないものの塩分が高い。常食としていた朝食のパンは、一枚に0.6gも含んでいるらしく、朝食から除外した。サラダにドレッシングも使わないで裸のまま食べることにした。魚の干物は塩分量が高く、これは、生協で生魚を買う方が無難だ。汁類は、中身だけを食べて汁は残すことにした。問題は、塩分だけではなくて、血糖値を高める糖分を取らないためには、朝パンもごはんも駄目なので、皮をむいたジャガイモを若干薄切りにしてレンジで5分ほど加熱して、これを主食とした。(薄く切らなくても大きめのジャガイモでも1/4切りで良いが、レンジ時間は4~5分だ)
なお、昼食はスパゲッティを主として、味付けはケチャプを主とした。時にうどんも食べるが、これも汁はほぼ食べない。おやつのパン菓子は止めて、大根菜と大根を刻んでこれを煮たものをおやつとした。でも、ときどき甘いものを口にいれてしまう。なお、ジャガイモも大根も繊維質なので、一日中おならが出るようになった。更に大根菜は繊維が多すぎて、これを余り多く食すると便がピーとなるようだ。
生協でも、出来合いで完成物の殆どは塩分が高く、レストランの食品は、特に寿司は食べられないようだ。要するに市中では食べては駄目だと思える。サイゼリアでは減塩メニューが有るらしいが、それを扱う店舗か否かは判らず、レストランの食品は味を高めるために塩分は高めに違いなく、殆どの食品は一日の許容摂取量6gを一食で超えるレベルとなっている。つまり、注文できるものは無さそうだ。
菓子類は糖分が米や麦粉品よりも高いから論外と思える。糖分を減らすことで売り上げを伸ばす菓子店(シャトレーゼ)の商品でもかなり甘いから、これも避ける方が良いだろう。
健康を守るにはかなりの配慮が必要な年齢になってしまった。