2024年6月1日土曜日

こんな人生も送れた筈なのにと、今更後悔(堀文子)

特に羨ましいのは、世界中を、それに、日本のあちこちを旅したとの人生だ。
それも旅するだけではなくて、その地をじっくりと観察して楽しんだであろうって人生が羨ましい。

命の不思議、不断に求めて「没後5年 堀文子展」ほか

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生命の不思議を見つめ続けた日本画家、堀文子が100歳で亡くなって今年で5年。静岡県三島市と愛知県長久手市で、その画業を顧みる展覧会が開かれている。孤独を恐れず未知への旅を重ねた強靭(きょうじん)な精神は、いかにして生まれたのだろうか。

堀文子(1918〜2019年)は、草木や花鳥、昆虫、自然の神秘を、飽くなき探究心で描き続けた。「花の画家」とも呼ばれるが、巨匠や大御所といった呼称とは、およそ無縁の生き方を貫いた。権威に寄らず自由を貫く姿勢は、「群れない、慣れない、頼らない」という言葉に端的に表れている。

三島市の佐野美術館で9日まで開催中の「没後5年 堀文子」展は、約80点でその画業をたどる回顧展だ。画学生時代に描いた自画像をはじめに、時々の代表作を、画家の言葉を添えて展示する。展示を通して感じるのは、停滞を嫌い新たな発見を求めて行動する一所不在の作画姿勢だ。

堀文子は、東京の麴町区平河町(現千代田区平河町)に生まれた。両親の厳しい躾(しつけ)で自立心を養った堀は、歴史学者だった父の反対を押し切り1936年、女子美術専門学校(現女子美術大学)に入学。敗戦前は新美術人協会、戦後は創造美術から創画会に至る在野の革新的な美術団体を中心に作品を発表した。初期から戦後60年代までの作品には、西洋の古典絵画や同時代の前衛絵画からの影響がうかがえ、旧来の日本画の殻を打ち破ろうとする実験性が強い。

しかし、60年代末から70年ごろに作風は大きく変わる。きっかけは、戦後結婚した夫の病死後、喪失感を乗り越えるため単身旅立った2年半の欧米メキシコ放浪の旅だった。西洋文明を直接体験した堀は、日本の文化の良さを肌で知り、自然とともに生きたいと67年、都心から神奈川県の大磯へ転居した。風土の中から生まれる美に感動しながら、日本画の画法を究めて草木や移り変わる自然を描くようになる。

その感動を新たにするためには、1カ所に留(とど)まっていられない。79年に軽井沢にアトリエを構えて高原の自然を見つめ、87年にはイタリア、トスカーナ地方の村に制作の場を設け、5年間、日本と往復を続けた。今展の第2章には、この「花の時代」の作品が並ぶ。

「終り」は、トスカーナの畑で見た収穫期のひまわりの光景を描く。黄色の花びらが白く枯れ、中心部は熟成した種が黒々となり、首を垂れている。太陽を追って同じ方向へ顔を向ける整然としたひまわりの姿に感動していただけに、この光景は画家にとって衝撃だった。しかし、枯れてなお、次の生命を宿す植物に、「死が生涯の華々しい収穫の時だ」と教えられた。命の不思議への感銘が、生々しい描写となって表現された作品だ。

70代後半からは、アマゾン、メキシコ、ネパール、ペルーと取材旅行を重ね、幻の高山植物ブルーポピーを求めてヒマラヤ山麓を訪れた。標高4500メートルの高地のガレ場で、金色のとげで全身を覆った青い花を見つけたのは、82歳のときだった。

数々の冒険旅行も、翌年、突然発症した解離性動脈瘤(りゅう)による入院で、断念するほかなかった。しかし堀は代わりに、顕微鏡を通した微生物の世界の魅力を発見し、その探求へと好奇心を注ぐことになる。

「極微の宇宙に生きるものたちⅡ」は、臓器まで見えるミジンコを中心に種々のプランクトンの姿を描き込んだ驚きの日本画だ。さらに水中のクラゲや蜘蛛(くも)の巣といった日本画の題材らしからぬ生き物にも熱中して、その精緻な生命の美しさを描き切っている。

こうした前例にとらわれない進取の精神は、生来の気質に加えて、女子美時代に敬愛して出入りした新美術人協会の日本画家、福田豊四郎からの薫陶も大きい。長久手市の名都美術館で9日まで開催中の「福田豊四郎と堀文子」展は、戦中戦後の日本画革新の動きを先導した福田と堀との影響関係を、作品と人生から探る。師弟関係を嫌い同志として遇した福田の日本画に、堀は現代人の息吹が感じられる新しいスタイルや明快なフォルムを見いだし、共鳴した。それは、因習的な画壇への果敢な挑戦でもあった。

堀は晩年、老齢で遠出もままならなくなると、大磯の自宅の庭に生えた雑草を熱心に描き続けた。97歳になる年に描いた「名もなき草達」もまたそんな作品だ。人間に讃(たた)えられることなく健気(けなげ)に生き続ける草花は、権威や肩書を求めずに生きた画家の何よりの励ましとなった。その小さくとも華やかな命の輝きには、野を歩み続けた画家の思想が息づいている。

(客員編集委員 宮川匡司)

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