日本の統治が国民のことを考えていないのは、僕の現役時代から経験したことで、それは30年も前の事だし、振り返れば、戦前から変わりはない。
日本の行政、デジタル化拒む本能 使い勝手より組織優先
ニッポンの統治 危機にすくむ④
9月に発足したデジタル庁の動きが鈍い。政府内のやりとりからは電子化の推進役とはほど遠い姿勢が浮かび上がる。
「とにかく早くやってほしい」。首相官邸が行政手続きの電子化を求めても「個人情報を扱うのでいいかげんなシステムはつくれない。時間がかかる」と釈明する。政府高官が何度となく見てきた光景だ。
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たとえば運転免許証の情報をマイナンバーカードのICチップに登録して2025年3月までに一体化する計画。警察庁は「現在は情報管理するシステムを各府県警察で個別に整備しており、データ標準化も不十分」と説明している。
カードの使い勝手をよくする主目的よりも、各地の警察が情報を囲い込む現状のままでいいとの思いがのぞく。当初の一体化目標は26年中とさらに遅かった。
デジタル庁の民間人材も突破口になっていない。企業出身の職員が電子化を提案すると、個人情報保護法や自治体実務の慣習を盾に「複雑な業務だから無理」と返される。「技術に詳しくても行政知識で負けるので論破しにくい」とこぼす。
根底にあるのは自らが抱える情報を公開することへの強い拒否反応だ。情報やデータのオープン化によって政府の活動を透明化する流れが世界の民主主義国で加速する中、壁をつくることで自らの責任が問われるのを避けようとする日本の行政機構。その姿は進化の流れに取り残される恐竜のようにも見える。
この構造を反映した数字がある。「1900、1300、1300、4100」。25年までに電子化をめざす手続きの年ごとの件数だ。最終年への集中を内閣府幹部は「なるべく先延ばしする思惑だ」と指摘する。
政府が行政のデジタル化を目標に掲げて20年。各省庁や自治体は自らの都合でバラバラのシステムをつくり上げた。外へ情報が流れにくい閉鎖的な仕組みで、使いやすさよりも独自システムの維持を重視した。
弊害は新型コロナウイルスワクチンの接種記録システム(VRS)でも表れた。政府がつくった接種券番号を読み取って自動入力する端末に誤読が相次いだ。
医療機関が「こんな作業はできない」とさじを投げ、一部は自治体が入力を代行した。堺市の作業現場を訪ねると、スタッフが端末の前に指を出して必死にピントを合わせていた。お粗末な端末のせいで接種状況の把握に支障が出た。
VRSは急ごしらえだった。政府は2カ月でつくれるという提案に飛びついてスタートアップと随意契約を結んだ。実施テストや利用者のヒアリングよりも、閣僚が指示した期限に間に合わせるのが先だった。
「ユーザーは誰かという話が通じない。だからどこから手をつけていいか分からない」。デジタル庁の事務方トップ、石倉洋子デジタル監は10月の記者会見で官の意識の低さをぼやいた。
首相官邸が「デジタル化」の旗を振っても、デジタル庁を含めた各省庁は体裁を整えるだけの姿勢が目立つ。情報をつなげたり保存したりするのを拒んできた後ろ向きな本能が変わらない限り、国民は非効率な行政の犠牲者のままだ。