2021年1月25日月曜日

トゥキュディデスの戦史を読んでいる。

 ヘロドトスを読めば、次はトゥキュディデスの戦史だろう。しかし、本の名前「戦史」は、後世の人が名ずけた名前らしい。作者は、ペルシャ戦役が終わってから生まれ、ギリシャ内戦の始まったBC430年頃には30歳程度で、それから続いた27年の戦役を見続けたことになる。ペルシャ戦役で覇権国となったギリシャは、そのポリス(都市国家)間の過酷な戦いを長年続けた結果として疲弊し、マケドニアに覇権を奪われる。民主主義の発祥として知られる、アテネは、民主主義はごく短期間で、僭主、独裁者、衆愚政治の波に洗わられ、それだけでなく、覇権国である時は、他国に対して過酷な要求をするなど、人間の組織の恐ろしさを十分に感じられる歴史を作ったのだ。それに、アテネが最盛期には、市民の一人一人に戦勝で得た奴隷が最低2人を所有していたから、アテネの民主主義とはいったい何だったのかと考えさせられる。戦争のむなさと、その悲惨な結果は、その時代から延々と続き、日本は70年前ごろに同じような経験をして、今は中国が同じ轍を踏んでいるようだ。
さて、本題については、これから読むところだ。
ペルシャ戦役以降、ギリシャの主導権を争っていた、アテネ側諸国とスパルタ側諸国の本格的戦役がBC431年から始まった。開戦の原因は、各都市国家間、植民都市間の利益争いであり、それぞれが自派の利益を拡大または守ることでの争いが拡大したのだ。日本の戦国時代のような状態だが、領土闘争と言うよりは利益争いと言えるだろう。兵士規模は万人レベルで極めて大掛かりな戦役と言えるし、全くの殺すか殺されるか、2者択1の選択であった。しかも戦役は各都市国家や植民都市で行われるため、戦いは老若男女の市民を巻き込む、総力戦であった。地域住民全員参加型の戦役だから、所属の都市国家が中立でない限り、全ての都市国家の市民が死ぬか生きるかだから、日本の戦国時代よりも市民には酷な戦争と言えるだろう。
開戦2年目、アテネには疫病が生じて市内は悲惨な状態が続きながらも闘い続ける。両陣営は激烈な戦争を続け、勝敗を繰り返し、BC415年に至り、口の上手い指導者に操られて、アテネはシチリアに兵を出し、ほぼ全滅の大敗北を蒙り,BC404年にアテネは全てを失い降伏する。
これが民主主義の都市国家、アテネの真実である。




戦役を

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