以前にも書いたと思うが、55歳の時に、まだ自動倉庫関連の受注を順調にこなしているにも拘わらず肩を叩かれた。それも、面談なんぞは全くなく、昼食を食べる場所に弁当を持って、事務所の通路を歩いていると、当時、僕の部署の所属長になった、自動倉庫のことも全く無知な、こねだけで所属長になった、しかも、同じ高校の先輩なる男が、通りすがりに、「そろそろ辞めてもらわねばならない。管理職は断れんのや」との声掛けで、僕の退職は決まった。その部署に配置転換になってからは冷凍自動倉庫や、自衛隊の自動弾薬倉庫とか、造幣局の紙ロール自動倉庫とか、会社としてもは初めての設備を受注し、更にその頃は、世界でも初めての再資源化ごみの巨大自動倉庫の受注にも成功したすぐ後で、肩を叩かれるとは思いもしなかった。ただ、首になっても外注として働けるとの事で、その後の面談では年下の総務部長には、「事業部長には辞めさせろと言われているが、そこまでではなくて外注として働いてもらう」と恩着せがましく言われた。事業部長は、僕とは会社の同期で会えば話すって間柄だったから、そんなことを言う筈は無いと思ったが、黙って聞いていた。再資源化ごみ施設をメインで受注した環境事業部の担当者に事情を説明したら、「外注として当方で働く気があるのなら、自動倉庫部よりもは好条件でも良いですよ」と誘われた。再資源化施設については昔から興味があったので、その誘いに乗って移動したが、この判断は正解であり、その後の10年近くを実に意義ある仕事を出来た。
話は変わるが、自動倉庫部の前の所属長は、たまたま、エレベータに乗ろうとした時に、その箱から降りてきて、「大阪に行かんか?」と聞いてきたので、「何をしに行くのですか?」と聞いたら、それだけで何も言わずに去って行き、そのまま、何の話も無かった。僕からのどんな回答を期待したのだろうか?。どうやら、僕が30代半ばまで大阪の部署に所属していたので声を掛けただけのことらしい。大阪の部署は従来はベルコンベヤ設備が主で、その頃、自動倉庫部門もその部署に分室を作っていた、が、共に余り業績は上がっていなかった。僕は、大阪でベルトコンベヤ設備に従事していたし、ベルトコンベヤについての自動見積り・設計システムを完成していたし、また自動倉庫設備にも習熟していたので、恐らく、僕が行っていたら立て直せたと思うが、移動を提案されたものとしては当然の「何をするのか?」との質問にも答えないで、部下に何を期待するのだろうか?
その上司は、自信過剰ではあるが何事にも臆病な住友重機械特有の管理職で、自分が指図さえすれば、誰でも何でも出来ると考えていたのだろう。で、部下には追従だけを期待するので、僕には全く期待することはなく、僕の反応をみただけのことらしい。「何をしに行くのか」と聞くよりは、言われた通りに行動することが期待されたらしい。かくして、結局は、大阪の部署は成果が挙がらず、閉鎖された。
住友重機械のような会社には、どうやら、まともな面談などは期待できない。弁当持参の部下とか、エレベータ待ちの部下に移動の声掛けとは、本当に変わった会社だった。しかも、自己都合退職とされ、退職金の優遇措置は全くなされないって、長年の勤務と好成果は全く顧慮されないって酷い待遇であった。
そんな会社に下記のような日経の記事は全く無駄だと思う。
ところで、古巣の運搬機事業部時代から、自動倉庫への移動後も、その後の、環境設備への移動後でも、僕は、プロジェクト受注の先兵ととして働いた。客先との打ち合わせから、見積り・設計・計算・資料の作成などの全てを誰の手助けも無く行って多くの設備を受注できた。古巣の運搬機事業部では設備の設計からプロジェクト完了までも、しかも海外案件でさえ、加えて、国内・海外プロジェクトの据付スーパーバイザーでさえ自分で遣ったのだから、我ながら良くやったものだと思う。それだけに、特に歳を取ってからの移動後は必死であったと思うが、今になって思うと、もっと楽しんでも良かったかなとも思う。
人事面談 意思を明確に
異動前に理由の確認を
- 2020/10/6付
- 1388文字
- [有料会員限定]
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