それら兄弟姉妹の中で、女房の三人上の姉夫婦には子供が居ない。そのせいか、その姉の夫は、義理の兄弟姉妹仲間でも愛妻家として知られていた。義兄は定年退職後も現役時代に会得したある特殊な技術能力で収入を得ていた。そうして、彼は、普段も、それに、毎年の兄弟旅行でも、姉の名前は歌子と言うので、「歌子はよう、歌子はよう」と、義姉のことを自慢げに言うのが常であった。他方、義姉はお茶の先生を、それも、裏千家の関東支部長も務めるほど活動力のある人で弟子も多く、それゆえに彼女も収入が多かったようで、義兄は「歌子の方が財産が多いんだよなぁ」と嬉しそうに言っていた。夫婦は相談して、一方が亡くなれば他方に財産を全て相続させると遺言信託を作り、「俺たちは、何かあっても信託会社が処理してくれるから心配ないんだよ」等と、これも嬉しげに話していた。僕らは、彼らの言動をほほえましいと聞き流していた。
が、その姉が突然と言って良いほど急に認知症になってしまった。その前に少しは兆候があったらしいが、それは後になってから気づいたのだった。さらに、その症状は歌子さんが一昨年の正月に階段から転げ落ちて骨折入院した時から更に激しくなった。しかし、その年も兄弟会を計画し、これも無事に終えた翌年、それは昨年のことだが、4月に、歌子さんの亭主、つまり義姉の面倒を見ていた義兄が食道がんになった。仕方なく、義兄は、歌子さんをグループホームへ預けて入院した。当初病院は、我が家から遠い所のグループホームを紹介したのだが、それでは我が家は対応し難いと歌子さんが自宅に居た時のケヤーマネージャーに相談したところ、そのケヤーマネージャーが我が家に近い所を探してくれた。おかげで姉歌子さんの世話は女房に取ってし易くなり、しかも幸いなことに、そこは信頼できる人々が運営する施設であった。
義兄の方は、彼の妹夫婦が近くに住んでいるので、義兄の世話に当たった。この妹夫婦は、普段から兄夫婦と密着していて、車を買うのに金を出してもらうとか、墓を共同で購入するとかと、極めて親密な関係を持っていた。他方、義姉の兄弟姉妹、つまり、僕の女房の兄弟姉妹たちは皆、それ相応の人生を送っているから、お互いに仲は良いが、自立心の高い兄弟姉妹で、金銭的な関係よりも、信頼を持ってお互いに協力する関係にあった。
言うなら、義兄の一族は親分、子分とも言える密着した関係が多く、義姉の一族は自立した人の付合いの関係と言えるだろう。しかし、その義兄は、義姉一族の年長者には子分的に接するので、これはこれで評判が良く可愛がられていた。正直なところ、この件がほぼ終わった今でも、女房一族の年長者達は、僕よりも、義兄をより信頼し、可愛く思っているに違いない。人間関係とはそのようなものだと僕は認識している。
さて、その愛すべき義兄の病状だが、船橋中央病院に入院した当初、その進行度は中程度の食道がん、とのことで、僕は、よりよい病院探しとかセカンドオピニオン制度の活用とかをNETで調べたが、それを実行する間もなく、病状、それに、状況は激しく進んで行った。手術するために癌を抑えるための化学療法をすることで、衰弱が激しく、更に病状が悪化するように思えた。その間、義兄の兄弟たちは、兄の世話をするものの、それも実の妹は殆ど何もせず、その連合いだけがこまめに、つまり親分に従う子分のように世話をしていた。が、病気については、もうどう仕様もないとの態度での世話であった。彼の行動は良く言えば実直と言えるが、僕から見ると何事にも工夫が無いのだ。しかし、義兄はそのような妹夫婦が信頼できるようで、通帳は肌身離さず持っているのだが、印鑑は全てを預けてお金の扱いを任せていた。(いよいよ小説的な枠組みが出来たですな)
僕の方は認知症の義姉の世話を続けたのだが、その世話の過程で、例えば、彼女の入所の契約とか、途中で急病になった時の入院保険金の給付手続きとかで、郵貯保険窓口と折衝したりしたが、窓口の人に依っては、認知症の妻、重病の夫を対象とする手続きは、法的後見人でなければ対応できないと、手続きを断る人さえ居た。厳密に言うなら、認知症の姉を市役所に連れて行き、彼女の名前で住民票とか戸籍謄本を取るだけでも、違法的行為のように思えた。
ところで、保険の件では、これら金銭的なことは義兄から全く任されていないので気にしていなかったが、義姉歌子さんの急病入院した時点で、義兄の入院は既に3カ月にも及んでいた。義姉の発病は急で激しく、その時には、義姉はもう死ぬのではないか、と心配したが、結局、軽い肺炎とのことで経過は良く一週間の入院で済んだ。その後、姉の保険手続きをしようと考えた時、念のため、義兄に「保険給付の手続きはしているのか」と聞くと、「保険給付は無いだろう」との返事であった。妹夫婦は何をしているのか、と思ったがそれは口にせず、「保険証書などはどこに保管しているのか」と聞くと、家のタンスの中にあるとのことで、了解を得てそのタンスの中を調べさせてもらった。そこには、兄と姉の名義の、実に多額の郵貯養老保険証書、日生の保険証書、その他多数の保険証書や通帳が出てきた。また、ときどき義兄が自慢げに言っていた遺言信託の控えを見つけたのでこれを読んでみると、信託会社は、単に、一方が亡くなれば他方に全財産をゆずる、との遺言書を預かっているだけのことであった。つまり、義兄の言っていたこととはまったく違って、信託会社は義兄夫婦に若しかがあっても全く何もせず、資産の保全は全て義兄夫婦がしなければならないのだ。義兄夫婦だけではなく、家を預かった妹夫婦も 一体何をしているのだ、と思った。
タンス内資産の総額はかなりの高額であり、義兄が肌身離さず持っている通帳以外、つまり、彼等の殆どの財産は無人の家のタンスも中に入れているのであった。余りに数が多く理解困難なので、義兄と義姉のそれぞれの資産表を作り義兄や義兄の妹夫婦にも控えを渡した。
また、これを元に、義兄と義姉のもらえる保険給付金を調べた。結果、それまでの入院で、兄は120日分150万円強、姉は数万円をもらえることになり、これを保険会社と折衝した。先述のように、義姉の保険給付では、郵貯窓口とかなりもめることがあった。その経験から、「保険給付は出来たものの、今後のことを考えれば、義姉に後見人をつけることが必要だ」と提案し、義兄や彼の妹夫婦の同意も得た。それと同時に、法的な後見人制度では、被後見人の財産は裁判所の監視下に置かれ、後見人が被後見人の財産に手をつければ直ぐに逮捕されるシステムになっている。だから、歌子さんの財産を守るにも最適の方法であること等も、NETで出力した資料をもとに説明して彼等の納得を得た。
後見人の申請は家庭裁判所に行うのだが、後見人には係累的に限られた人、または、弁護士とか司法書士等の資格ある人が選ばれる。女房には係累的な資格があり、また姉を世話するのに便利な所に住んでいるので、女房を後見人として推薦した。申請に必要な書類として、夫である義兄や、義姉に対する相続権を要する人々、つまり義姉の兄弟達の承認書が必要で、更には法務省への申請、その他、種々の準備が必要で、その手順は、各県の家裁でわずかに異なっている。
必要書類、その準備作業は複雑だが、家裁WEBの様式に正確に従うことで、僕にとっては手間は掛かるが困難な仕事ではなかった。特に注意すべきは、姉の財産の把握で、その資産に基づき裁判所は資産チェックをするので正確であることが必要だが、これは、保険受給に際しての調査結果が役立った。
WEBには、申請後3カ月程度で審判されるとのことで、家裁への確認事項があり電話したときに、そのことを問うと、「書類がしっかりしていれば、即日受理され、審判も直ぐに下される」とのことであった。このため、申請書類内容の確実化だけなく、その内容の分析など、提出資料の正確さを確実にするとともに、義兄夫婦の生活の紹介とか、家裁に後見人候補者への信頼を得るべく、女房のみならず自分の生活態度など、説明用資料も準備した。そのような準備を9月10日頃から初めて9月20日頃には申請を行った。受付窓口で説明すると、担当者は「本職並みだ!」と感嘆の声をあげ、そのまま、相談員との打ち合わせとなった。相談員は僕の作った書類よりは世間話的な話が主で、その会話で我々夫婦の人格を見極めるような雰囲気であった。このような経過を経た後に、資料は裁判官審理には十分です。結果を待てとのことになった。疲れたが、それだけの評価を受けると、疲れが吹き飛ぶような思いであった。
数日して、女房を義姉の後見人にする、との審判書が送られてきた。ただし、これは通常の手続きなのだが、姉の財産の明細を再調査の上で提出することが、要求されていた。その作業には、義兄のタンスに戻した各種証書類を金融機関や保険会社に示して、義姉の資産を再確認する作業が必要とされた。
さっそく義兄に報告を、と病院を訪れ、審判が下ったと言うと、なんと、義兄は「後見人を降りてくれ、俺の生活が成り立たない」と言ったのである。さらに、「こんなに早く審判が降りることがおかしい。以前から準備していたのだろう」とも言い、それを理由に証書類の借り受けはきっぱりと断られたのであった。その後、義兄の説得に何度か病院を訪れたが、何と説明しようが、全く聞く耳を持たぬばかりか、「あんたたち夫婦は信用できない」とまで言いだした。更に、義兄の妹夫婦が話をしたいと言いだし、妹夫婦が預かっている義兄の家で話し合いの場を持った。彼らの話とは、義兄の財産に比べて義姉の資産が多すぎる。つまり、義兄の稼いだ金を義姉が自分の資産としてしまった、と主張したり、義兄の実家で家を改修するので、金が必要だ、とか、わけの判らんことを言い出したので呆れてしまった。義姉が長く茶道の教授で稼いでいることや、夫婦は二人で資産を得たのだから、どのように配分したかは判断の仕様がない、などと回答したが、その回答は彼等を満足させるものではなかったようだ。要するに、彼等が何を言いたかったのか、今になってもしかとは判らないが、ただ単に、義姉の資産が多いこと、それが不満と思える主張であった。どうやら、義兄も同様に考えているらしく、先の説得の際に、「不動産は義兄の資産だから、これを考慮すると、二人の資産は同程度」と主張しても、「今時、不動産などは二束三文だ」との反論で、とにかく、後見人を降りろと主張するばかりであった。その時の義兄の表情は、ちょうど陶器のような冷たい表情で、それこそ、爪を立てることさえ出来ない表情であった。
後に記述するが、この後直ぐに、義兄が妹夫婦に不動産を相続させるとの遺書を与えていたことからすると、確かに、不動産はもう彼の資産ではなく、そう考えると、義兄としては姉の財産を自分が自由に出来るようにしたかったのであろう。だが、遺言書とは、彼の死後の財産処分に関するものだから、生きている間はまだ彼の資産なのだ。しかし、彼は、義姉の財産への権利を正当化するための説明に、そのような言をしただけのことかもしれない。だが、もうその時点では、彼の病状については、既に医者の説明があって、義兄の食道がんは、気管や血管と癒着を起こし、手術は出来ず、放射線治療のみで、それも半年とか1年はもつかな、と医者に宣言されていたのだから、義兄はもう自分のことではなく義姉のことだけを考えるべきであったのだ。
そのような容態であるから、僕は保険給付金を病院の個人部屋使用に使うようにと提案したのだが、義兄は「個人部屋は好きじゃない」等と答えていたが、それは単にけちの現れで、そのような節約には何の意味もないのでは、と僕は心の中で考えたものである。
そんな感想は別にして、義兄の拒否で資産証書類の借用は出来ず、女房を後見人にすることは出来なくなった。が、実は裁判所の担当者がアドバイスしてくれたのだが、資産の所在は明らかだから、金融機関に対し証書類を紛失扱いとして、後見人管理とすることも出来たのだ。だが、女房と話し、本件の金に関してはこれ以上は深入りしないで、裁判所に任せようと決めた。
義姉は既に、法的には後見人を要す、との立場なので、義兄には「こちらは降りるが、そちらで、後見人をたてるように」と説明し、「義姉の兄弟達の承認書も必要ですよ」とも説明した。義兄は「わかった。歌子の兄弟達も承認してくれるだろう」と答えたが、結局その後、彼は本件で何の手を打つこともなかった。先述のように、その直後に自宅を妹夫婦に譲るとの遺言書を作ったことになる。
結局、後見人申請についての努力と成果どころか、多額の保険金を得られたことさえ、誰からも感謝されることなく、得られた言葉は、「お前たちは信用できない」って言葉だけであった。
それから2カ月、11月末頃に、裁判所は、この状態を解決できる弁護士を財産関係後見人に指名し、生活関係後見人としては僕の女房を指名した。
それ以前に僕はもう、義姉を除く、義兄やこの一族と関係を持つことが嫌で、海外旅行に専念することにした。結局、11月にはネパール、1月末にはマレーシャへと旅行した。11月から1月に掛けて、ノロウイルスやインフルエンザに掛かり、施設に入っている義姉を訪問することも出来ず、当然ながら、義兄やその一族とは全く疎遠になってしまった。
その間、10月中ごろに女房に連絡があり、女房が病院を訪れたところ義兄の妹夫婦も訪れていた。話は、義兄は退院(病院からの追い出し)とのことで、しかし、1人で生活できる状態ではないので、入所先を探していて、恐らく、印西にある老人ホームがよさそうとの話であった。義兄の妹は、とてもきれいで良い所ですよ、とウキウキしていたらしい。そのような遠い所に送り込んでどうするのか?と思えるのだが、この義兄の妹は、かなり頭がおかしいことは、先の話し合いでも判っていた。家族には、どうしても、かようなちょっと頭の変なのが1人は居るようだ。
それはともかく、女房は「夫婦のお金は夫婦で使えば良いので、何も心配することはないのですよ」と言い、義兄は涙を流して喜んだらしいが、その時には既に、自宅を妹夫婦に遺贈する遺言書を作っていたことになる。認知症の妻の行き場を全く断ち切る決断を、なぜ、義兄はしたのか、と僕には全く理解不能である。馬鹿な奴だとしか言いようがない。善意で考えれば、義兄は、認知症の妻と一緒に有料老人ホームに入れば良いと考えたのかもしれない、が、それほど元気が回復するなら、家の処分は、その時点で考えれば良いことで、むしろ、医者の説明を普通に判断すれば、自分の余命は長くて一年だと判っていた筈で、義姉より義兄の方が先に死ぬ可能性の方が高く、その場合を想定すれば、そのような遺書を残せば、義姉側親戚の軽蔑を受けるであろうことは確実なのだ。死んで後に軽蔑を受けるなんて嫌なことだし、そもそも、義兄は、もし義姉の頭がまともであれば、絶対にやらないであろうことを遣ってしまったことになる。
ところで、今回の義兄の処遇からすると、病院は、どうせ死ぬ患者で、手術しても治りそうもなければ、退院させるのが方針らしい。こうすることで、患者側は、病院から放り出されるだけではなく、入院保険も受取れなくなってしまうのだ。保険についての、この一面も理解しておかねばならない。
その後、義兄に携帯で連絡しても応答はなく、義兄の妹夫婦に連絡してもはっきりしたことは何も言わず、義兄の状態がどうなっているかは全く判らなくなってしまった。その後の義兄の入退院の経過からすると、義兄の妹夫婦は、無意識かもしれないが、常に僕の家から遠く離れた所に義兄を入所させ、しかも連絡を取らせないようにしていたようだ。
義姉の後見人弁護士からも、彼自身の後見人活動については全く連絡は無かった。後見人弁護士は、基本、家裁だけへの報告が義務となっていて、生活担当後見人は、言うなれば彼に使われる立場と言えるようだ。
翌年マレーシャから帰った2月初めに、女房に、「弁護士さんが調査した義姉の財産調査の結果はどうなっているかを家裁に問合せるように」と指示した。女房が家裁に問合せると、既に提出されていて、生活関係後見人は閲覧、コピーできるとのことであった。閲覧の日程を予約したのだが、その夜、電話が鳴ったので出ると、「XXXです」と言ったのだが、相次ぐ海外旅行で呆けてしまったのか、もう、その名前さえ忘れていた義兄の妹夫婦の旦那であった。彼が言うには、退院したものの印西の老人ホームではなく船橋の老健に入ったのだが、再入院となり、その後は市川の老人ホーム、これも、我が家からは出来るだけ遠い場所で、そこに、再々入院したのだが、容態が悪く、医師から親戚に知らせろとの指示があった、との連絡であった。おい、おい、死ぬ間際まで連絡しなかったのか、と思ったが、口では「連絡ありがとうございました」と言っておいた。その連絡の後は、グループホームの歌子さんも連れて病院に行ったり、後見人の弁護士に連絡したり、と家裁に歌子さんの資産表を見に行く暇もなく、それどころか、数日で義兄は亡くなってしまった。発病後、実に7カ月足らずの病没であった。
喪主の義姉の代理として僕の女房は、義兄の妹の夫と葬儀の手配をしたが、葬儀は親族だけ、香典なしで済ませたが、それでも300万円近い金が生じた。「義兄の口座はもう凍結されているだろうから、差し当たりは歌子さんの資産で処理するように」と弁護士に指示された女房が葬儀屋と交渉したが、訪れた義兄の親戚から、「お兄さんはあんなに稼いだのだからもっと派手にしてやりたい」と、女房はかなりの嫌味を投げられたらしい。とにかく費用は全て、領収書をもとに後見人弁護士が歌子さん資産から支払った。
墓は義兄と妹夫婦の共同で買った墓に納骨するとして、それまで、骨壷をどこかで保管しなければならないのだが、女房の言によると、「義兄の家には保管出来ない」との妹夫婦の言であった。また、「家にも保管できない」と、妹夫婦は奇妙なことを付け足したらしい。「別に我が家で預かっても良い。彼が化けて出れば言いたい事があるし・・・しかし、一年近くも帰れなかった自宅に置いてあげるのが本筋じゃないのか?そう伝えて欲しい」と僕は女房に言った。が、結局、義兄側の故郷の親戚の要求で、妹夫婦の家に保管することになったらしい。
この出来ごとで、僕は、義兄の家で何かが進行していると察した。さらに、義兄が、少なくとも彼の家を妹夫婦に遺贈する、と遺言書を書いたな、と思えた。
葬儀が終わり、後見人弁護士が相続処理をするので、義兄の資産で判るものは無いかと問合せしてきたので、先に調べておいた資産表を送った。義兄が肌身離さず持っていた通帳や印鑑、タンス内の証書類も全て妹夫婦が保管している筈だが、そのことについて、後見人には何の説明も為されていないようであった。義兄の全資産を預かったままで、相続人の後見人には何も渡そうとしないのだが、義兄の妹夫婦は何を考えていることやら・・・
家裁と再度連絡し、後見弁護士の家裁に提出した義姉の資産表のコピーを手に入れたが、僕の調べた資産よりも八百万円程度も多くなっていた。つまり、義兄が肌身離さず所持していた通帳の中には、義姉の分も何冊かあったのだ。が、義兄はそれについては一言も言わなかったのだ。しかし、後見人には金融機関に依頼して被後見人の資産を調べる法的権限があるため、ごまかしは出来ないのだ。義兄の遺産に関しても、今では義姉の後見弁護士には調査の権限があるため、全てが明らかになるだろう。
ところで、義姉の資産表よりも、僕たちを驚かせたのは、義兄からの署名入りの後見弁護士への申し出書であった。そこには、
「今後の治療を考えると、歌子の生活費や施設費は負担できない。歌子は歌子の資産でこれを賄い、私の治療費や生活費に必要な資産が不足したら、歌子の資産を使う」
と書かれていた。
直後に後見人弁護士から、義兄が自宅を妹夫婦に遺贈するとの遺言書、それも、昨年の10月にはそれを書いたらしい、との連絡があった。
つまり義理の兄は、夫婦の資産、特に自分の将来に準備すべき自分の資産の中で、少なくとも不動産は人に遣ってしまい、さらに「不足するなら、その場合は女房の財産を使う」などと、ふざけたことを言っていることになる。
更に奇妙なことは、義理の兄はさらに長い治療を想定しているようなのだが、それならば、別にそれほど急ぐこともなく、ゆっくりと遺言書のことを考えればよかったのに、後見人を拒絶した直後には、むしろ、それ以前に自分の資産の内の大きな資産を人に遣ることにしたのだ。ただ、それは彼の死後に渡す遺産であって、それまでに売却すれば、残すことにはならない、とも言えるのだが、どうやら、遺言書作成と同時に、自宅を妹夫婦に使って良しとしていることから、確実に遺贈しようとの考えであったと言えるだろう。
いずれにしても、資産説明した時に義兄が「不動産は二束三文だ」と言ったことの意味が理解できた。つまり、妹夫婦に与えるので、自分の資産には参入できない、とのことであったのだ。それに、これを書きながらふと思い出したが、後見人のことを考える以前、義姉をグループホームに入れた頃に、義兄の妹夫婦が義姉の茶器とか衣服を整理し始めた。僕はなんとなく嫌な気分になって、そのことを女房に言うと、「あの夫婦も、義兄の家の整理を任されて大変なんだから、そんなことを言うもんやない!」と僕を怒鳴りつけた。そんなものかなぁと、以後、その件には触れなかったが、これで、その経過が理解できた。が、その時点で、その経過を正しく把握したとしても、義兄やその妹夫婦の動きを止めることは出来なかったから、結果は同じことであっただろう。
それにしても、遺言信託、それも夫婦の信頼の証として大金を掛けて作った遺言信託を、簡単に反故にすることで、義兄は、その妻の信頼を完全に裏切ったことになる。それだけではなくて、その兄弟親族の信頼を完全に断ち切ったことになる。そのことに、義兄は思いが至らなかったのだろうか。
後の関心は、果たして、義兄の家はどのようになっているか、義兄の遺書はどのような内容か、である。考えると義兄夫婦のいろんな思い出の品々はどうなっているのか、もし残っているとすれば、それらをどのように保管、処分すべきかだが、義兄の妹夫婦であれば、貴重品は自分たちの物として、その他は全て焼却ゴミや粗大ごみとして処分している可能性が高い。それならそれで、仕方がなく、残っていたとしても、義兄の思い出の品々を引き取る気も起きない。
それどころか、今や、義兄があっさりと亡くなってくれたことが有りがたく思えてしまう。さもなければ、思考力の衰えた義兄の資産を、あれこれと操作する時間を妹夫婦に与えてしまうことになっただろう。
一年前には、義姉の認知症でいろいろ応援したり、その後の義兄の食道がんで、NETで対応を調べまわったりしたが、それらもほぼ終わり、後は、義姉の世話を着実にするだけで、それも、信頼できるグループホームの人々が殆どやってくれる。それに後見人申請がぎりぎりのタイミングで間に合ったので、義姉歌子さんの資産は、家裁の手で確実に保全されることになっている。しかも、仮に義兄が、不動産のみならず、彼の動産資産を妹夫婦に譲ると遺産書に記していても、義姉歌子さんには遺留分は確保される。更には、遺族年金も手にすることができる。これらのことから、歌子さんの生活は、今後、長生きしたとしても先ず不足なく維持できるに違いない。
義兄夫婦のことは、かくして、夫婦や夫婦関係そのものだけでは無く、家そのもの、家に置かれていた夫婦の写真、装飾品、茶器、絵画や衣服など、夫婦の存在していた証しの全てが、一年足らずで、全てが消え去ってしまったのだ。はかないものだ。しかも、そのようにしたのは、他ならぬ義兄自身であったことが、いよいよ哀しさを感じさせるのだ。
更にこの物語を哀しくさせるのは、義姉のために、義兄のためにと考え実行した法的後見人制度の適用が、要約すれば、義姉の財産を、義兄から守るために役立った、との結果であろう。しかし、そのように行動しなかったなら、義姉の財産がぼろぼろにされたであろうことも事実なのだ。それがまた、哀しい現実なのだ。
僕としては、義姉に後見人の設定を、それもギリギリのタイミングで成功させたことで、義姉の資産を保全するとの僕の義務を、それも、ネパールやマレーシャ、シンガポールを旅行する合間に果たしたことを、誰もほめてくれそうにもないから、自賛するだけのことだ。そうして、こんな馬鹿な人生のむなしさを忘れるべく、安々旅行を更に数多く計画しなくちゃと考えている。
ところで、後見人として貰える費用だが、その申請準備や法務局、市役所等の書類費用は全て申請者の負担になるので、全ての費用は我が家の負担となった。
女房を後見人に推薦した時点では、後見人費用として、ガソリン代5000円/月だけを申請して認められたが、その後、弁護士が資産関係後見人になった時点で、同様の申し出をしたが一蹴されてしまった。恐らく、最初のけじめ、との考えだろうが、それなら一切要求すまいと、僕は決心した。
それ以後、後見人の我が家は、義姉に必要な衣食住、医療費等を除いては、一銭も受け取らずに生活後見人の役目をはたしている。そうして、この状態を裁判所が果たして気づくのか否か、気づいたらどうするのか等を楽しみにしている。更に、それほど厳しい弁護士がいかほどの報酬を得ているのかもまた興味深く、いずれ裁判所に確かめることにしている。ただ、相続処理の費用は別費用であろうとは理解している。この費用も、弁護士が果たしてどの程度を得るのかも、楽しみに見守っている。
これらの話は、たまにここを訪れる誰かが読むかもしれないが、女房の兄弟達、特に年長者達はここを訪れることも無いし、それに、この話を彼等にはしない積りだ。彼等は、死んだ義兄を愛していたし、それに、僕そのものをそれほど評価していない。だから、僕が話しても、その話を信じることはないだろう。むしろ、そうすれば嫌われるに違いない。
義兄が恐らく多くの金を出し、妹夫婦と共同で買った墓に、僕は訪れることは無いだろう。女房の兄弟達も、あのような変な場所にある墓を訪れはしないだろうから、僕が訪れずとも、誰も気にしない筈だ。それに、義姉さえも、あの墓に入れることは無いだろう。かくして、義兄の人生は誰からも忘れられて行く。それは、結局は、誰もが歩む道ではあるが、僕は、彼とは違う道を歩んで、その終わりを迎えたいと思う。
その後の経過1 3月28日
歌子さんは船橋市に住んでいる。他方、我が家は八千代市だ。で、義兄夫婦の自宅が妹夫婦に遺産相続された場合には、歌子さんは住所不定になってしまう。我が家に住民登録することは僕としては問題ないが、居住する市が変わると、今、入っている施設から出なくてはならない。
遺骨を49日間置くことさえ拒否するグループホームが、歌子さんの住所登録を受け入れる筈もないだろうから、と女房に、そのことをしきりに言い続けたのだが、女房、それどころか、後見弁護士でさえ、そのことにあまり関心がなかったのだ。
要するに、先見性が不足なのだろう、と考えた。
3月末になって、ようやく、そのことに気付いたのか、弁護士が「船橋氏に親戚は居ませんかね?」と女房に言ったらしい。僕は前々から女房に、そのことを弁護士と相談しろと言い続けていたのだが、なぜか、おそらく、弁護士なんだからきちんと処理するだろうと、信じ切っていたせいだろうが、弁護士には伝えていなかった。弁護士も気付いていなかったってことだろう。
そのことを聞いて僕は怒り心頭で、義兄の遺書の内容さえまだ確認していないことと共に、女房を責めた。これも良く判らんのだが、後見弁護士は、生活後見人たる女房にも義兄の遺書は見せないのだ。(だが、後になって判るが、後見人弁護士は、なかなか優秀な男であった。)
僕に責められて、女房は電話で家庭裁判所に相談を始めた。本件で家裁に相談してもどうにもなるまい、家裁に相談するなら、義兄が50年以上連れ添った女房を追い出すとした遺言書が有効かどうかであろう、とこれも女房に、後見弁護士に相談しろ、と、遺言書の存在を知った時にアドバイスしたのだが、女房は、あれやこれやと、出来ない理由を勝手に並べて、結局は弁護士に相談しなかったのだ。全て、女房が弁護士なるものに全面的な信頼を置くことから、そうなるのだろう。
女房が家裁に電話した結果は、「心配するのも理解できるが、後見弁護士を経由しないでの相談は控えるように」と言われてしまった。結果として、女房は、僕の怒りが不当だからこうなったと思っているようだ。なんと理不尽な、と僕は感じたが、言っても仕方ないと何も言わなかった。
ただ、家裁にも、本件の情報が流れることは、結果が期待できなくても良かったのかもしれない。
僕が思うに、義兄の酷い遺書をそのまま認めるのなら、歌子さんは、住むべき家を失い、船橋市内にワンルームマンションを持つ以外に仕方がないだろう。
なお、後見人弁護士は、”その酷い遺書をそのまま認めるより仕方ないだろう。さもなくば、多額の現金を義兄の妹夫婦に支払うかのいずれかだ”とも女房に話しているらしい。しかし、僕からすれば、かような遺書を書いた時点で、義兄の頭はおかしいのだから、その遺書そのものが無効とすべきで、それ以前に作った遺言信託が有効だと思えるのだ。
だが、僕一人がそう考えてもどうしようもない。
そのような事情で、幸せであった夫婦の夫はあっけなく亡くなり、その夫の心無い遺言書で、その妻は住所不定になり、これを改善するために、ワンルームマンションを借りることになるのだ。
その後の経過2 3月30日
本日は、後見人弁護士、遺言執行司法書士、義兄の妹夫婦と共に、夫婦の自宅の、義兄の遺品と、歌子さんの財産品の確認日だった。
僕にとっては、義兄の遺品はどうでもよく、歌子さんの思い出となる品物をピックアップしようと行ったのだが、法的にはそれはできないらしい。つまり、歌子さんの資産は全て後見人の管理下に置かれるからだ。ただ、義兄の妹夫婦は監視の無い時点で家の整理を自由に出来たから、その管理下には入らずに行動できたとは考えられる。つまり、義兄が亡くなって2カ月近くも経っているのだから、めぼしい物品は全て彼の兄弟姉妹によって食い散らかされて筈で、この立会は殆ど無意味と言えるだろう。
歌子さんの資産は、食い散らかされた残りではあるが、それでも、大量の茶器と和服であった。、家を追い出されるので、後見人弁護士が、コンテナのような貸倉庫に保管するとのことだ。遺品の中で、記念硬貨が100万円程度あったが、これは行方不明になったようだ。
その後、遺言執行人が、歌子さんと義兄兄弟の遺産額の相談を始めたが、どうやら、義兄の妹夫婦の義兄の金の管理のつじつまが合わず、更には、自宅の電話代金を基本料を含めて義兄の経費に入れているとかでもまたもめていた。しかも、義兄の金が500万円、義兄の実家に送金されていたとのことらしい。義兄指定の司法書士の遺言執行人は、それらのことを、歌子さんの後見弁護士に認めてもらおうとするが如く、だが、とても認められないであろうと思いつつも、説得するような、わけのわからない説明を続けていた。
その間、つまり、上記のような折衝が続いている間中、義兄の妹達は、歌子さんが義兄の財産を自分のものにした、とわめき続けていた。更には、義兄自身が、歌子さんに後見人を置いたことを失敗だったと言っていた、ともわめいていた。
あれほど世話になった歌子さんのことを、かようにさげすむ発言を続ける人間の存在が信じられないし、それに、こんな妹たちを持つ義兄、と、夫婦そのものが危機的状況にある時に、実家へ金を援助するとか、女房を住所不定にするような遺言をするなどと、大馬鹿としか言いようのない義兄のことが、いよいよ厭になってしまった。
夫婦が行っていた遺言信託では、1銭も金が入らない筈であったが、義兄の心変わりで、彼の兄弟たちには、夫婦の家とかなりの金が入ることになったのに、それでも満足できず、歌子さんに比較的多くの金が入るのが許せないらしい。
でも、そんなことが言えるのは、歌子さんが認知症だからだ、ってことにも気付いていないのだ。歌子さんが正常なら、全ての金が歌子さんのものになっても、何も言えなかっただろう。
それにしても、これら馬鹿な連中は、なぜ、かなりの世話になった歌子さんを、たとえ認知症になっているとは言え、これほど非難し続けるのだろう。むしろ、彼らが歌子さんの資産を貪るのを妨げた僕達夫婦を非難しべきではないか、と思うのだが・・・。
この喜劇の最後になって、義兄の妹夫婦の夫が、「これから先も義兄の法事を定期的にするが、これに出席して費用の負担もすると約束してほしい」と言ったので、
「その時に連絡ください」と答えたが、
誰がゆくものか!と心中で思った。これで連中には、僕たち夫婦を非難する口実を与えたことになる。
やれやれ、歌子さんの財産を食い散らかされないためには、後見人申請がぎりぎり間に合ったこと、それに、後見人に弁護士がなってくれたことを心から感謝した時間であった。また、このドタバタ劇の中でも冷静に事を進める若い後見人弁護士の姿に、彼をみくびっていたことに僕は気付いた。弁護士って、修羅場を経て成長するものだと、つくづく感じた。おそらく、彼は歌子さんの住所不定状態もなんとか解決するであろうと考えるようになった。
それに比べて頼りにならないのは、他ならぬ我が夫婦であった。ごみの山の多さに驚いて、主張すべきを全て忘れてしまった。例えば、義兄の部屋には洋服タンスがあり、そこに入れてある紙袋に、夫婦の財産たる証書類が雑然と入れてあって、入院保険給付の時に、その内容を調べたのだが、そのタンスの様子がちょっと以前と違っていた。妹夫婦の夫の方に、「これは、違うタンスじゃないですか?」と問うと、その夫は、「同じですよ!!」と怒った声を挙げた。奇妙な気がして中を見たら、財産の入った紙袋は無く、衣服もきっちりと整頓されていた。後で考えると、この男は、怪しい点を指摘されると、怒った声をあげて誤魔化す男であったようだ。つまり、この男はもうそこに居着いて、義兄の部屋を我が物としていたのだ。あきれた男だが、僕自身も呆れたことに、財産の入った紙袋が無くなっていることを弁護士さんに告げるのを忘れてしまった。かように、かような修羅場を経験するか否かで、このような場での対応力は全く違うのだ。
でもまぁ、その資産の詳細表は、僕が調べた分、つまり、全ての情報を、弁護士には先に送ってあるから、問題は無いとは思う。ただ、そのように情報を与えても、何も言葉が無いことが、弁護士君の欠点ではあるが・・・。
それはともかく、歌子さんの亭主は稀代の馬鹿であったようだ。そう言えば、義兄は、自分の兄弟たちにはかなり気前が良いらしいが、世話にはなっても、歌子さんの兄弟には、金に関しては、極普通に、僕と同様のけちであった。
それに歌子さんの兄弟姉妹たちは、歌子さんが先に亡くなり、義兄が全ての財産を継いでも誰も文句を言わないだろうし、仮に義兄の兄弟姉妹の立場にあったとして、兄嫁が認知症になったとしたら、痴呆症の兄嫁が全財産を継ぐのを当然とするだろうし、もしその幾ばくかを取るような人間は兄弟姉妹として失格と見なされるに違いない。
ところで、こんな義兄と彼の兄弟姉妹達のありさまを経験して、目的は全く違ったのだが、後見人申請と、わが女房の後見人責務を義兄から拒絶された時に、弁護士にこれを引き継いだことは、僕の人生最大の功績かもしれないと考えた。
歌子さんには、とにかく長生きしてもらおう。幸い、アルツハイマーへの特効薬が研究中だから、それが完成して歌子さんの記憶が少しでも戻ることを祈っている。
それに、考えるのだが、若し歌子さんが認知症にならなかったら、夫婦の財産を全て相続しても、誰も文句を言えなかっただろう。そうして、歌子さんの最後には、義兄の兄弟姉妹たちに、家とそれに多くの金を残したことだろう。歌子さんとは、そんな人柄の人なのだ。そう考えれば、歌子さんの引き継ぐべき義兄の資産の多くが、義兄の兄弟たちにむしり取られても、それはそれで良いのではないかとも思える。更には、そう考えることで、この一連の出来ごとの全てを、愉快な喜劇として受け取ることが出来るのだ。